第38話 青は藍より出でて藍より青し
息も絶え絶えでボロボロなナツキの手。細かく震えたその手に触れられた頬が熱い。英雄は思わず首を絞める手を緩めてしまった。
(ボクは……あのときボクを抱きかかえて走ってくれた黄昏くんの優しい赤い眼に憧れて……それで……)
頭が割れるように痛い。ナツキの首から手を離し両腕で頭を押さえる。
(そうだ……ボクは黄昏くんの対等な友達で、だから……守ってもらったぶん守ってあげられるようになりたくて……)
ズキズキと頭の奥底が痛む。青白い電撃が英雄の全身から放電された。激しく揺さぶられている心をそのまま映し出すように四方八方へ雷撃がまばらに放たれる。
「うっ……うわぁぁぁぁ!!!!」
英雄自身、あまり深い自覚はなかった。ナツキへの想いがここまで大きくなっていることを。
たしかにグリーナーに地下室に連れていかれ、そこで仮死状態から催眠のようなものを施された。脳の深いところまで丸裸にさせられた。
だが、ナツキと出会う前の英雄ならば能力者になることはなかっただろう。それも二等級という圧倒的に優れた能力者になど。
グリーナーが行うのは思考の誘導だ。彼は言葉巧みではない。むしろ言語センスは研究のために自身の精神を追い詰める中でとうに崩壊していた。だから『全知解析』によってシナプスを読み取り、半ば力技で強引に能力者へと引きずりこむ手法を取る。言葉の質ではなく、物量で。
引きずり込むという表現はある意味で比喩ではない。というのも、現に想いがとりわけ強い英雄はグリーナーのちょっとした言葉に押されてどんどん深いところまで落ちていった。重たいものほどよく沈む。
さらに言えば普段のナツキの言動が災いした。信じる信じないに関係なく、英雄の脳ではナツキを通して「能力」というものが当たり前に刷り込まれていたのだ。
英雄がナツキのことを強く想えば想うほどにナツキとの記憶が刺激され、『強くなりたいという欲望』『能力の存在』この二つが結びつき他者には見られないほど峻烈な反応を見せた。
青は藍より出でて藍より青し。ナツキの言葉が、ナツキへの友情が、愛情が、ナツキなど簡単に屠ってしまう二等級の能力者へと英雄を変貌させた。
「うっ……ぐぁっ……たそ……がれくん…………」
英雄はもはや自我を理性で抑えつけることができずにいる。グリーナーによって行われた処置のせいで。願いと結果のズレが大きいほど、それが戻ろうとするエネルギーもまた肥大化すのだ。断層のズレが大きいほどプレートが戻る反動で生じる地震は大きくなる。まさに英雄の能力の暴走も似た状態だ。
雷が工場内の壁や窓ガラスを穿ち、降り注ぐ雷が天井にいくつもの大穴を開けていく。
欲望の暴走が心と理性を喰らい尽くす。英雄の能力はもはや英雄の手を離れ、不安定の原因であるナツキという存在を取り除こうとし始めていた。
右腕をナツキに突き出し左手で右手首を握る。
本来、雷とは空から地面へ、上から下へ落ちるもの。
それを英雄はナツキに向け、至近距離からまっすぐ正面に撃ち抜こうとしていた。
英雄の意思ではない。英雄の欲望の意思。
理性はやめろと叫んでいる。それをしたら彼は死ぬぞ、と。しかしナツキより強くなることを望み続ける欲望とそこから発現した能力はナツキの排除でもって自らの存在意義を達成しようとしていた。
人間一人など容易く焼き焦がす最強の自然現象が、英雄の右掌から今にも放たれんとしている。
「やめて……やめてぇぇぇぇぇぇ!!!!」
英雄の甲高い悲鳴を掻き消すように、ゴウッ、と爆発音のごとき轟音がその細腕から放たれた。
〇△〇△〇
空から落ちる雷の写真を見たことがあるだろうか。
直線でないことは明白。ギザギザと折れ曲がっていて、とても最短最速の自然現象には思えない。
自然界には数学的・幾何学的な秩序がある。まさに神が自然界を作ったと考えられている根拠だ。たとえば雪の結晶。たとえば対数螺旋を描く貝殻。たとえばロマネスコ・ブロッコリーのフラクタル構造。
それらと比べたとき雷はあまりに歪で不完全。
にも拘わらず、世界中で雷は神と同一視されてきた。雷は神鳴。ゼウス、インドラ、ユピテル、トール、タケミカヅチ。
その歪な形がむしろ禍々しさや神々しさを連想させた。電気の仕組みが解明されるまで人類にとって最大の畏れの対象だった。
英雄の右掌からゴウッと放たれた雷もまたジグザグに走りナツキへと迫る。しかし速度は光速。回避不能。当たれば即死。その理不尽はまさに人間にとっての神のように。
ナツキの朧げな視界にはたしかに雷の放たれる瞬間が収まっていた。常人ならば死への恐怖で狂いそうになるだろう。
だがナツキが自身の最期の中で抱いたのは別のものだった。恐怖がないわけではない。ナツキも何が起きているのかはよくわかっていないが、何やら英雄は特殊な能力を使えるようになったようだ。わけのわからない状況の中で全身の痺れや痛み、或いは死への恐怖がまったくないなどと言えるほどナツキは特別な人間じゃない。
でも、それらを全部飲み込むほどに湧き出た感情は大きかった。それは、大切なたった一人の友人を苦しめ、泣かせてしまったことへの後悔。
思い出すのは一緒にクレープを食べた公園。毎日のように学校の旧校舎で待ち合わせた昼休み。いつも英雄は笑顔だった。それを最後の最後で涙に変えてしまって、最悪の最期を迎えようとしている自分に腹が立つ。
そして。
ナツキは後悔を拭えないまま、英雄が放った雷によって絶命した。
〇△〇△〇
ナツキが死亡する数分前。
グリーナーへの決定打を欠いたまま体力のみが奪われる状態が続く。仕方なく、スピカはポケットから拳銃を取り出した。
一般の能力者が起こす事件とは異なり財団関係者への対応は生け捕りが基本となる。星詠機関がそれだけ財団の情報を重要視しているということだ。
だから銃の使用はできるだけ避けたいと思っていた。どれだけ腕や足や肩を狙っても、少しでも相手が動けば即死してしまう可能性があるからだ。
贅沢な悩みだ、とこの状況を皮肉る。スピカは能力者の少女(とスピカは思っている)と戦闘を行うナツキの心配していた。相手が見知った人物、まして「大切な人」と言うほどなのだから、いくら一等級の能力者であるナツキ(とスピカは思っている)でも本領発揮は難しいかもしれない。
お互い、今回の事件に関与した目的は別だった。そして現にそれぞれ目当ての人物と相対している。それでもスピカの心中では与えられた任務を遂行するのと同じくらいにナツキの助けになりたいという思いが大きかった。
この際、最悪外れて地面を撃つことになってもいい。できるだけグリーナーの下部、足元を狙って引き金を引く。パンパン、と乾いた音が二つ。グリーナーは白衣のポケットに手を入れたまま動こうともしない。
(どれだけ弾道を解析してもその対処はできないはずよ。私の腕と違って放たれた銃弾に素手で触れればタダでは済まない)
そんなスピカの期待を解析し読み取ったのか、グリーナーはぐにゃりと笑った。
その瞬間、銃弾が突如静止した。違う。まっすぐにグリーナーめがけて進んでいたのに、横から引っ張られるように運動エネルギーを空中で削がれていっているのだ。
そのまま二発の銃弾は工場の方へと飛んで行った。直後、凄まじい破壊音を立てながら工場の入口の扉がなぎ倒される。そう、スピカが撃った銃弾は英雄を中心とした磁場に吸い寄せられたのだ。
工場内の状況を解析し把握できるグリーナーだけはこうなることがわかっていた。ちょうど英雄が五メートルほどの金属の大剣でナツキを圧殺しようとしていたときだったからだ。それ故の余裕の表情。
そしてグリーナーだけが、英雄がこの磁場を解除したタイミングも知ることができる。
「我は、我は、我は、たしかに貴様を殺害する手段を持たない。しかしながら害し足を止めることならば可能である」
グリーナーがそう呟くと白衣のポケットから小銃を取り出し、すぐさま引き金を引く。
銃ひとつ取ってもスピカとグリーナーとでは情報の非対称性のせいで有利不利が生じてしまう。
(まずい!)
スピカは狙いを固定させまいと背を低くして駆けだした。万が一のときは大きな負担を覚悟してでも空気を操って銃弾をむりやり適当な場所に飛ばす手もある。
しかし小銃の口から放たれたのはスピカの予想を反するものだった。ビー玉ほどの大きさの丸い物体。それはスピカとグリーナーのちょうど中間地点のあたりに落ちると、焦げ茶色の煙をまき散らし始める。
(これは……催涙ガス!?)
スピカは空中に両手を伸ばす。青い眼に光が灯った。
ガスは人為的な流れによって攪拌されることなく一か所に集まっていった。まるで見えない箱にでも詰め込まれたかのように数センチ四方の大きさで凝縮され地面にとどまっている。
幸い、ガスには色がついていたのでスピカは比較的負担なく流体操作の能力の行使ができた。
だが、催涙ガスが晴れていく中で、その隙間から見えたグリーナーと彼によって向けられているもう一つの銃口に、スピカは間に合わないことを悟ってしまった。
「言ったであろう。我は既に解析を終えたと。貴様ならそうするとわかっていた」
グリーナーが逆側のポケットから取り出していたのは、ハンドガン。今度は正真正銘の銃だ。
だがスピカの集中力は依然ガスの抑えつけに向いている。だから瞬時の判断に身体や能力が追い付かない。
パンッ! グリーナーの手の中にあるハンドガンから間違いなく実弾が発砲され、そして疑いなくスピカを貫いた。
血しぶきを上げながらスピカは地面に倒れる。その青い瞳はゆっくりと閉じられた。
「我は貴様を殺しはしない。それは我の『成果』の役目だ」
ブラッケストはきっとどこかで何らかの手段でこの戦闘を見ているだろう、その確信がグリーナーにはあった。本来ならば『成果』を同じ二等級の能力者にぶつけることでブラッケストに注目してもらうという計画だったのだが、そうするまでもなく、もうすでにブラッケストは見ているのだろう。
子供達の戦闘を望んだ当のブラッケストがそれを見逃すわけがない。その点だけはグリーナーはスピカに、スピカの血筋に感謝した。
スピカは絶命していない。そのようにグリーナーが撃ったからだ。正確には、スピカが死なない弾道を解析した。銃の正確なエイミング、この一点においてはグリーナーは戦闘員としてスピカに勝っているのかもしれない。
グリーナーの意識は再び工場内へ向いていた。英雄がナツキの首を絞め、電撃を迸らせながら今にもその息の根を止めようとしている。
「この様子では、我はこの女が目覚めるまで待つ必要がある」
グリーナー自身は手を下さない。自身の『成果』に絶対の自信を持つグリーナーは、万全のスピカと戦闘を行うことを狙っているのだ。
いわば高位能力者同士の殺し合いのデモンストレーション。これこそ、グリーナーがブラッケストに捧げる自身の研究成果発表なのであった。
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