第374話 ドラゴンと剣のキーホルダーみたいなお土産
「ショッピングモールに行くわよ!!」
そうやって夕華が宣言したのは三人でブランチのスパゲッティを食べているときだった。
最初は『熱量を経口摂取しないといけないなんてやっぱり地球人は不便だ』とぐちぐち文句を言っていたメセキエザは口周りにミートソースをべっとりとつけて満足げに頬張っている。
首をかしげるナツキに対して夕華は続けた。
「彼女の格好をそのままにしておくわけにはいかないでしょう。私はともかく、ナツキの目もあるんだから。若い女の子が下着もつけずに思春期男子の前をうろうろするなんて……ハ、ハレンチよ」
メセキエザはフォークを握りしめてモグモグと口を動かしたまま自身の服装を見下ろした。上はナツキのTシャツを着ているが、下は裸。昨晩に失禁をして全て脱いでからそのままだ。
「サイズは合いそうだし別に私の服を貸すのは構わないけれど下着は他人のって少し抵抗があるでしょう? それに、一時的に泊まるだけならともかくある程度の日数いるなら他にも色々と生活用品を買いそろえないといけないわ」
(ククッ、たしかに胸のサイズは合いそうだ。二人とも、昏い宇宙に浮かび日輪の周囲を回って悠久の時を過ごす星球のような形とサイズを……)
ナツキの視線に気が付いた夕華はムッと睨んだが、すぐに恥ずかしさが勝ってしまい顔を赤くして腕を組み胸を隠した。
メセキエザは皿を持ち上げてスパゲッティをかき込む。ブラックホールのごとき吸引力でたちまち麺はなくなった。いささか食が細いナツキや夕華からすれば、慣れない人間の肉体でエネルギー切れを起こしていたメセキエザは随分と健啖家に見えていた。
「私としては是非とも見てみたい。地球人類は貨幣経済という原始的な取引を行っているけれど、信頼に基づき実体のない価値を交換するやり方はとても形而上的で、進歩の足掛かりになる。ふふ。この私が文明を進歩させる手伝いをしてやってもいいな」
「そ、そう。前向きに検討してくれて嬉しいわ」
メセキエザの言っていることはほとんど理解できていない夕華は困惑気味に頷いた。
夕華はスプーンのにスパゲッティの麺を少量集め、その上でフォークをくるくると使い一口大にして口へと運んだ。
そんな洗練された上品な食事動作を眺めるメセキエザ。フォークの動きに合わせて目線が首ごと引っ張れれている様は腹をすかせた子供のようだ。一人前では到底足りなかったと見える。
「メセキエザさん。その……少し食べる?」
物欲しそうな目線が気になって食べることに集中できない夕華はおずおずと申し出た。
隣に座っていたナツキもいたたまれなくなり『少しだけだぞ』と言って皿を手で押してそっと差し出す。
「娯楽という概念が存在しない星で生きてきた私にとって、エネルギー補給にあたって無価値である味という概念はあまりに刺激的だったようだよ。脳がどうしようもなく中毒を起こしている。ある種の退化だね、これは。それから、さんは付けないでいいよ。そういう言語的価値観は持っていない」
そう言ってメセキエザは夕華から少しだけ麺を分けてもらい、ナツキからは半分ほど持っていった。
いや俺の方から取り過ぎだろ。内心そうツッコミを入れたナツキに対してメセキエザはぐいと人差し指を突き立てた。昨晩、指を触れ合わせて結んだ友誼。友人のよしみだと言わんばかりに指を強調してくるメセキエザを見てナツキは苦笑し食え食えと手をヒラヒラ振った。
「それにほら、ナツキも買って準備しておきたいものがあるんじゃないかしら。着替えとか洗面用具とか、あとは大きめのバッグも」
「俺? ククッ、そうだな。汝、欲するならば対価を捧げよ。悪魔契約の基本だ。すなわち、買い物という悪魔的儀式に興じるのもまた全智の深淵に至る大きな一歩と言えるだろう」
「週明けの月曜日から、二年生は林間学校でしょ?」
「え?」
いつもの調子のナツキをスルーして放たれた夕華の一言は、ナツキを一気に現実へと引き戻した。素の反応を見せたナツキはぐぬぬと記憶の箱をひっくり返す。
そういえば英雄がすごく楽しみにしていると言っていたような。学校に友人がほとんどおらず、もっぱら行事にもろくに参加してこなかったナツキの中で重要度が低かった林間学校という情報がぼんやりと浮かび上がってくる。
「ククッ、森の賢者たる俺が林ごときに隠遁したとて学びなどあろうはずもないのだがな。この俺に林間学校に参加してほしければ鞍馬天狗でも用意してもらおうか」
「鞍馬天狗はちょっと難しいわね。林間学校の場所って滋賀県、琵琶湖のほとりにある宿泊施設だから。鞍馬山ってたしか京都よね」
「え、滋賀県だと。遠いな。移動はバスか。ククッ、英雄はクラスが違うしバスはどうせ安らかなる睡眠時間と化すだろう。隣席になった者には心から同情する」
「バスじゃなくて新幹線よ。ナツキ全然しおり読んでないのね……」
「お土産は銀鱗の暴龍と魔を照らす銀剣のキーホールダーでいいか?」
「お土産屋さんでついついそういうの買っちゃう子って必ず一人はいるわよね。絶対に使い道ないのに……。というか一緒に行くんだからお土産はいらないわね」
「ちょっと待て。夕華さんも来るのか?」
「当たり前じゃない。担任よ?」
「そ、そうか。つまり、あれだな。ククッ、外泊、というやつだな」
「な、ななななにバカなことを言ってるの。これは学校行事よ?」
ナツキも夕華も二人して顔を赤くしモジモジしだす。
いつも同じ屋根の下で暮らしているのだから大したことではないのだが、外泊と表現するだけで少しドキドキしてきてしまう。
林間学校って悪くないな、と掌を返し、いやらしくわずかに口角が上がって目を閉じ妄想しているナツキ。
メセキエザは今がチャンスとばかりにナツキの皿の残ったスパゲッティも全て平らげてしまっていた。
天井のあたりで宙にぷかぷか浮いている半透明な幼いナツキは『相変わらず夕華さんが絡むとコイツはバカになるな……』と呆れたように見下ろしている。
そしてすぐに視線はメセキエザへと向ける。なんだかあっさりと馴染んでいるが、どうも怪しい。ただの電波系な中二病女ではない気がする。幼いなりにじっとりとした直感がまとわりついて離れないのだ。
「まあ、今の僕を倒せる相手なんてそうそういないだろうし大丈夫か」
半透明な幼いナツキは消え去って本体のナツキの精神世界へと戻って行った。煙が風に吹かれて散るように一瞬に。
そうして何もなくなったナツキの頭上を、麺で頬をいっぱいに膨らませたメセキエザはじっと見つめていた。