第372話 シック・イン・ザ・ベッド
『覚醒剤』やめますか。それとも『人間』やめますか。
(ウチが生まれるずっと前にそんなキャッチフレーズの広告があったらしい。ショッキングだけど明快でわかりやすい。でも人間やめるって某吸血鬼漫画みたいでちょっとカッコよく聞こえるのは、よくない気もする。ウチら若者って、いつだって何者かになろうとしているものだからさ)
思考の重さのわりに少女の足取りは軽い。スマートフォンのキーボードを素早く打つ、いわゆる歩きスマホをしながら進むのは、平安京の中央を縦断する朱雀大路である。
能力者と非能力者が共存する街、平安京。聖皇のおひざ元と言えども夜になれば静けさが支配する。
朝起きて、昼に働き、夜に寝る。人体のサイクルに能力の有無など関係ないのだ。
少女は平安京の住人らしく和服を身にまとっており、腰には日本刀が一差し。ただし帯で留めているのではなく、パーカーを腰に巻いてその隙間に差し込んでいた。
和服には大輪のアサガオの花が描かれている。裾は太もものあたりで裁断され、さながらミニスカートのようだ。
軽くウェーブのかかった薄桃色の髪はシュシュでサイドテールにしていて、歩くのに合わせて肩のあたりでピョコピョコと揺れていた。
「そもそもさ、ウチらって好きで能力者になったわけでもないじゃん? なのに能力目覚めたら授刀衛に入るか監視されて過ごすか選ばされるって勝手すぎじゃんね。まじで人間やめさせられてるのこっちじゃーん」
ぷくり、と口を膨らませる。放った言葉は誰にも聞かれることなく夜風に溶ける。
「あ、さっきの投稿バズってる~。『日本の政治の中心地なう』って書いて平安京の写真あげちゃったけど、これ機密的にやばいかもウケる」
いいねもコメントも複数ついている。概ね好意的な反応の中、『お前みたいなバカそうなギャルが平安京に入れるわけないだろ』などとアンチコメントも見られた。
少女はむっとむくれた顔をして言った。
「うっざ。しねよアホアンチ。こっちは人間やめさせられてる能力者様、ぞ?」
若者らしく素早い画面タップで即座にブロック。少女はあくびをしながら朱雀大路を振り返った。
「ホント世の中の有象無象ってバカばっか。ウチみたいな特別な人間がさ、やっぱり大活躍しちゃうんだなーこれが。国のトップが国外に行っちゃうなんてねぇ。うかうかしてると、寝首かかれちゃうぞ」
可愛らしくウインクしながら見上げるのは、そびえ立つ内裏、紫宸殿である。
聖皇はそこにはいない。というより大日本皇国という国にいない。スピカを連れてマダガスカルに行ってしまったからだ。
日本国民どころか授刀衛の大半の隊員ですら聖皇の素顔を知らない。だというのに聖皇の素顔どころかスケジュールまで把握しているのは、授刀衛の中でもほんの一握りだ。
そう、たとえば授刀衛の幹部である二十八宿がそれにあたる。
彼女の名は、星宿恵那。
「ばいばーい聖皇ちゃん。ウチは京都を出ます。なぜならウチは、強いので」
好きで強くなったわけじゃないけどね、ウケる。
恵那は青い瞳を猫のように細めて笑い、平安京の門をくぐった。
通常、二十八宿が平安京、それどころか京都を出るのはごくごく稀な事例である。二十八宿、南方朱雀が一人の恵那は聖皇の許可を一切取ることなく平安京を出た。目指すは京のさらに東。
それが意味するのは、異常事態。不穏な空気が否応なく大日本皇国に流れ込む。
恵那は久々の平安京の外に期待感を押さえられずにいる。揺れるピンクのサイドテールはまるで彼女の気持ちに呼応しているようだった。
〇△〇△〇
静まり返った深夜の住宅街。大きな一軒家の前でオッドアイの少年と不気味なほどに白い女の人影があった。黄昏暁こと田中ナツキと、彼に興味を示し家まで着いて来たメセキエザである。
ナツキは学ランのポケットから鍵を取り出してドアに挿入したところで、振り返って言った。
「たぶん夕華さんは眠りについているから、そのあたりは気を付けてくれ」
「大丈夫だよ。身の程は弁えているってば。逆らったら私ごとき一瞬でこの星から消されるからね」
「そこまでは言っていないが……」
まあ母星にいる本体の私なら良い勝負ができそうだけど、とメセキエザは頭の中で付け加える。それをわざわざ口にする野暮な真似はしない。
近所迷惑にならないよう騒音に気を付けて扉を開け家の中へ入る。玄関の電気をつけ、廊下を抜けてリビングへ。
メセキエザはぴたりとナツキの後ろをひたひたと着いて来ている。サウジアラビアのモスクに比べたら無秩序な建築だ、という呟きが背後から聞こえてきたがナツキは聞き流していた。
「夕華さん、ただいま帰ったぞ……」
リビングの扉を開くと、もわっとアルコールの匂いが溢れ出した。顔をしかめながら部屋の灯りをつけるとダイニングテーブルには大量の缶ビールが乱雑に並んでいる。
さらにテーブルにはメモ書きが残されていた。
『アタシの大好きな暁へ。夕華は完全に酔いつぶれてたから、とりあえず胃薬を飲ませてソファで寝かせておいたよ。P.S.寝苦しいだろうから服は脱がせておいたよ。先に進むなら今がチャンス。北斗ナナより』
(夕食はナナさんと食べたんだな。さすがは便利能力の代表格テレポートだ。にしても服を脱がせておいたってどういう……)
リビングのソファに目を向けると、ブランケットにくるまった夕華が寝息を立てている。酔いが残っているのか顔はやや赤らんでいた。
「地球人類はわざわざ自分たちにデバフをかける液体を摂取するんだね。理解はできないけど、それが異文化ってものか。暁は飲まないの?」
「飲まないのって、酒か? ククッ、俺がすするのは敵の鮮血だけだ。それこそが酔いしれるほどに甘美な勝利の美酒」
メセキエザの問いは、暗に年齢を尋ねていたのだろうか。答えてからナツキは思い直した。学ランを着ているので未成年だということは伝わっているはずだが。
逆にメセキエザが何歳なのかわからない。背も低くないし、何より豊かなバストは低く見積もって高校生。もしかしたら夕華さんとそう変わらないかもしれないな、とナツキはジロジロとメセキエザを全身を眺めた。
「……ナツキ? 帰ったの?」
「ああ。ただいま夕華さん起こしてしまってすまな……な……」
酔ってとろんとした眼をこすりながら夕華がソファから起き上がった。かけていたブランケットがはだけて落ちる。
そして姿を現したのは夕方に触れた胸部。目隠しをされていて終ぞ見ることが叶わなかった夕華の胸だった。
(普段から洗濯するときにブラジャーは見てはいるが……実際にはちきれそうなほどの胸を包んでいる姿は、圧巻だな。って、俺は何をやっているんだ! 恋人とはいえ無防備な女性の裸を一方的に見るなんて許されない!)
夕華は教師だ。道徳に反する行いは嫌うだろう。そう判断したナツキは咄嗟に目を背けた。
「少し頭痛がするから、私は今晩はここで寝るわ。ナツキはちゃんと着替えて、手洗いうがいして、温かくして寝るのよ……」
半開きの眼。ほとんど意識はないだろうに、ナツキを思いやる言葉を告げて夕華は再びばたりとソファに倒れて眠りに落ちた。
ナツキは床に落ちたブランケットを拾い上げてそっと夕華にかけてやる。そのとき視線を背けていてもつい視界に夕華の胸が入ってきてしまった。
以前イギリスでホテルに泊まった際、下着姿になった美咲やエカチェリーナに抱かれながら夜を明かしたことがあった。だから女性の下着姿を見ること自体は初めてではない。
しかし相手は幼少期から恋心を抱き続けた憧れの人で、二十四歳という最も色香の高まる年頃で、教師という背徳的な立場の人間なのだ。
さらに初めて女性の胸に手で触れた夕刻の経験が思い出される。そばに近づくとアルコールの匂いに混じって、まろやかなミルクのような胸の甘い香りがもわんと広がり鼻腔をくすぐる。
ぽたり、ぽたり、と鼻血が垂れ始めた。左手で鼻をおさえ右手でつまんだブランケットをかけ終えて、ナツキは一仕事終えたとばかりに額の汗を拭った。
そんな男子中学生の悶々とした様子に対し、メセキエザだけはただ唖然としていた。
(あの女性、見たところ精々五等級。だというのに、ほとんど意識覚醒のない睡眠状態というハンデがありながらも一等級の暁を出血させた……? 少なくとも今の私では成し得ないことを簡単にやってのけるなんて、いったいどんな能力なの)
メセキエザはバタフライ・エフェクトを発動して夕華を辿った歩みを分析する。能力自体は呆気なく種が割れた。相手の能力を無効化する能力。強力ではないが戦闘では一定の利便性があるだろう。
だが、それを使ってどうやってナツキにダメージを与えたのか想像がつかない。
メセキエザはつぶさにナツキの様子を観察する。心拍数が上がり汗をかいていて、出血した鼻だけでなく身体全体に負荷をかけられていることがわかる。
ブランケットをかけ終えてからも呼吸は荒い。まるで自分がウィスタリアやスピカと戦ったときのようだ。今のナツキは一戦を終えた戦士の姿。人間に憑依している未熟な自分でこれだけのダメージをナツキに与えることができるだろうか?
答えはノー。
(等級を変化させる特殊な能力を持った紫髪の男。緊湊という能力のその先へ到達した聖と白銀の少女。そして、指一本触れずに一等級を戦闘不能にしてみせた五等級の女。また母星にいる本体の私への土産が増えたね)
メセキエザはさらにダメージの仕組みを分析しようと、夕華とナツキを交互に見遣る。
彼の視線。体温や心拍数の変化。脳の信号。普段は戦闘を優位に進めるために使用しているそれららの情報を異文化理解のために使う。メセキエザはそんな自分に少しだけおかしみも感じた。
しかし成果はあった。ついに夕華がナツキを出血させた理由がわかったのだ。
「そういうことなんだね。つまり、生殖を必要とする地球人類のオスは、メスの乳房によって身体に異常をきたすと。それによって興奮状態へと脳を錯覚させることでホルモン分泌のバランスを整えているというわけか」
「なっ……まじまじと何を言い出してるんだ。あまり恥ずかしいことは大声で言うべきでないぞ。というか俺は興奮なんてしていない! ……いや、しているが」
「下半身の真ん中あたりの温度が上がっているから、興奮状態なのは間違いないようだよ。それが攻撃になるなんて思わなかったな。今度聖に試して……って、聖は女だったから意味ないか。……ねえ暁。地球人類のその胸部への興奮という現象は、異星人でも引き起こすことができるのかな?」
「は? 何を言って……っておい!!!!」
メセキエザはナツキの手を取ると、下から服の中にすべりこませ、生の乳を無理矢理に揉ませた。揉む、というより握るという状況の方が正しいかもしれない。そのあたりの触らせ方の機微はメセキエザには存在しなかった。
「な、な、な……」
なんだかしひんやりと冷たい。まるで死人の身体みたいだ。だが、ちゃんと柔らかい。先端は何かが少し硬い。
メセキエザに恥じらう様子はなかった。メセキエザの身体は本人のものではなく殺害されたナースの遺体を乗っ取っているに過ぎないし、そもそも生殖機能を使用せずに繁殖をしてきたメイオールという異星人にとって性的な感情自体が存在していなかったのだ。
「どうだろう。私の胸部でも暁へダメージを与えることはできそうかな?」
メセキエザはさらにナツキの空いている逆の手も掴み、めくれあがった服の下から入れて胸にあてがった。ナツキの手に重ねるように握られたメセキエザの手が揉むような動作をすると、否応なくナツキもその動きに合わせてメセキエザの胸をもにゅりもにゅりと揉みしだいていく。
「や、やめろメセキエザ! いきなりどうしたんだ! わ、わわわかったぞ。悪辣なる淫魔に唆されて……」
ナツキがしどろもどろになっていると、メセキエザの動きがぴたりと止まった。手も解放され、ナツキは少しだけ名残惜しそうに胸から手を離す。恋人が横で寝ているのに何をしているんだ、とぶんぶんと顔を横に振った。
しかし突然どうしてメセキエザが自分を解放したのか。ナツキはメセキエザの姿を見てギョッとすることになる。
「い、いやぁ、なんだ、しかし、地球人類の肉体とは不便極まりないね。暁を興奮状態にして出血させようと思ったら、逆にこちらが興奮させられてしまったんだから。それにさ……」
──排泄が必要なんて、不便すぎる。
それだけ言い残し。
しゃぁぁぁぁぁ、ぴちゃぴちゃ。涙目になって身体を震わすメセキエザの股間から液体が溢れ出し、リビングのフローリングの床に小さくない水溜まりを作り出す。
酒と乳とおしっこと。二人の女性が醸し出すそれらの匂いが綯交ぜになってリビングに充満する。
ナツキは騒音など気にする余裕もなく真夜中の自宅をドタドタと駆けて洗面所へと向かい、大量の雑巾をひったくってくることとなってしまうのだった。
シック・イン・ザ・ベッド
シックィン・ザ・ベッド
シッキン・ザ・ベッド
失禁・ザ・ベッド……。