第370話 つくってあそぼ
銃撃戦の場に似つかわしくない児戯によって作り上げた作品は四つ。
先ほどと同じ折り鶴……よりもくちばしを鋭くさせた鳥。尖った耳と鋭い顔立ちをした狼。紙を細く切ってたてがみに見立てたライオン。いわゆる陰陽師が使う式神のような、頭の部分が丸くて十字の形をした掌サイズの人形である。
(俺の能力を一言で表すなら召喚。貧弱な五等級でできることと言えば、他所にいる生物を口寄せるだけだ)
悔しいかな、自分の力では戦えず他人に頼る自分の性質をとことん反映した能力である。
せめてラピスのように空想上の超生物をばかすか生み出すことができたなら。ナナのように無機物有機物を見境なくワープさせることができたなら。
この男ができることと言えば思考の補助となる紙の形を使って辛うじて実在の動物を呼び寄せるくらいのことだった。
ナツキや讐弥、英雄、他にもウィスタリアなど、等級の能力が高い能力者ですら己の思考を補助するために言葉を口にする。対象は何? どんな作用をもたらしたい? それら脳内で描いた姿を現実に出力する補助線に言葉を用いる。
が、言葉もまた概念的で抽象的だ。それ自体に形があるわけではない。であればこそ等級の低いこの男はわざわざ紙でその形を現実に作ってからではないと能力を発動できなかった。
不便さもまた、等級の低い能力がビハインドしている部分である。
(不意打ち上等! 食い散らかされろッ!)
導師の男は小さな果物ナイフで指先を切り、微量な血液を紙の作品に染み込ませて、依然として無造作な銃乱射の渦中にいるナツキへと放った。
「グァオァッ!」
「キィィィィィッッ!!!!」
「ガァァァウァォッ!!」
信者の合間を縫って飛び出た紙作品が空中で動物へと姿を変えた。
刺々しい体毛が空気を切り裂くシルバーウルフ。
一四〇キログラムのパワーを秘めた鉤爪が鋭利に光るオオワシ。
王者の風格漂う百獣の王、ライオン。
三頭が野生の本能のままナツキへと飛び掛かる。信者たちの銃弾は動物たちにも当たっているが、両者とも興奮状態となっていて気が付く様子はない。
「ククッ、罪なき命を諸共奪うのは少々野蛮が過ぎるんじゃないか? 目には目を。歯には歯を。動物には動物を。──シュレディンガーの猫。重ね合わされた不確定な現実をこの俺が掌握しよう」
ナツキの赤い右眼が再び淡く光る。身体の内側から神聖な青色の光を滲ませる黒猫がナツキの肩に出現した。
そして黒猫はぴょんと床に跳び降りると、眠そうにニャアとだけ鳴いた。途端、銃弾を掠めて血飛沫が上がっていたオオカミ、オオワシ、ライオンの傷が塞がり、さらには獰猛な様子はなりを潜めて平伏した。
野生の本能に従った従属を示すポーズである。
「ククッ、言ったはずだ。目には目を、歯に歯をと。これはバビロニアにおいて神の代理人たる王が法治の権限を認められたことを象徴する言葉だ。見えるだろう。 これが俺の聖なる神授王権。こういうのがお前たちカルト信者には効くんじゃないか?」
黒い炎を纏うナツキの背後に、温かく、そして果てのない光を錯覚した。動物たちだけではない。先ほどまで狂乱状態で銃乱射していた信者たちも自然と銃を手から落とし、その場に膝をついて祈り始めた。
本来、ただの中学二年生であるナツキに神の威光も権威もありはしない。しかしそんな抽象的概念を明確に現実で引き起こしてしまう一方的な干渉力をもつチカラが、一等級『夢を現に変える能力』である。
導師の男もまた膝をついていた。そして否応なく認識させられる。このオッドアイの少年には勝てないと。能力の格が違い過ぎる。きっとこの少年の前では核兵器すらも意味を為さないのだろう、とわからせられた。
と同時にある種の畏怖の念も浮かび上がってくる。恐怖ではなく、畏怖。なるほど、これが宗教にハマるということか。信者を内心で馬鹿にしていた導師の男は、自分のペテンと違って真に神の御業のごとき権能を見せるナツキに対して信仰に近い感情を抱いてすらいた。
「上からは一人も殺すなと言われていてな。おそらく情報を得るのが目的だろう。今のお前たちが抵抗するとは思わないが、逃げないよう念のため黒炎結界を張らせてもらう」
ナツキは空中に×印を描くようにレーヴァテインをぶんと斜め上に二回振るった。黒い炎が二本の線となり、フロアを楕円形に取り囲んだ。
「ああ、それともう一つ。ククッ、そこの能力者。能力に溺れるのはいい。力を行使するのも勝利する己の姿を夢想するのも構いはしない。だがな、本来戦う気のない生物を呼び出して使役し命を危険に晒すのは、異能バトルに憧れる者としては美学に反すると言わざるを得ないな」
ナツキの青い左眼が淡く光る。ナツキに宿るもう一つの能力。二等級『現を夢に変える能力』だ。
「ククッ、彷徨の闇夜に溺れて虚無の悠久輪廻で眠れ……」
男の緑色の両眼の光がフッと消える。そして召喚されていた動物たちは煙となって立ち消え、元いた場所へと帰って行った。
さて。仕事は終えた。星詠機関の中でも実働部隊として動くナツキたちの役割はここまでだ。捕縛、尋問、移送、その他もろもろは別の人間が担当する。
ナツキは手早くスマートフォンを操作し牛宿に完了の旨を報告した。
「……夕華さんには先に食べていていいと伝えてあるが、せっかくなら同じ時間を共有したい。急いで帰宅しても零時は過ぎそうか。ククッ、昏い彷徨の響く晩、想い人を独りにしておくのはつくづく忍びないな」
男と女である前に、学校では教師と生徒。プライベートで会話することが憚られる関係性である。ともかく、せめて家では二人だけの時間を紡ぎたいのだ。……今日は準備室で目隠しプレイを行うというイレギュラーもあったが。
改めて夕方の光景を思い出す。長年恋心を抱き続けた女性の乳の温もり、柔らかさ、香り。ナツキは体温が上がるのを再び自覚した。
無意識に鼻血がポタポタと流れ落ち、咄嗟に手で押さえる。この程度のことでいちいち失血しているようでは、その先に進んだときに自分はどうなってしまうのか。
いかんいかん、と首を横に振る。自分はまだ十四歳。さすがに色々な意味で責任が取れない。子供が子供を育てるようなものだ。
「余計なことを考える暇があったら急いで帰ろう。それが先決だ。鮮血だけにな。ククッ」
鼻血を垂らしながら寒すぎるギャグを言い放ったナツキを、幼いもう一人のナツキはギョッとした目で見下ろした。
星詠機関の別担当者が到着したのはそれから数分後のことだった。おそらく近場で待機していたのだろう。仕事を済ませたナツキは引き継ぎの確認だけしてビルを後にする。
去り際のナツキは視界の端で風に吹かれて宙を舞う白片に気が付くことはなかった。
窓を突き破って侵入したので、今も無造作に風が屋内へと吹き込んでいた。白片の正体は男が用意した四種の折り紙の一つ。白い人形である。
しかし純粋な白ではない。鈍い赤褐色をした数滴の滴の跡がある。
先ほどナツキが鼻血を出したとき、床に落ちていた人形の紙にしたたったのだ。
重く湿った紙がぬるい夜風に導かれるように割れた窓から外へと飛び出す。空気抵抗を一身に受けて前後左右へと揺れながら落下する姿はまるで冬に散る落ち葉である。
そうして地上三五階から着地したのはビルの隙間の路地裏。室外機の排水で地面の凹凸が酷く湿っているジメジメとしたアスファルトの上で、ひらりと舞い落ち動きを止めた。
これは、まったくの偶然だった。
人の形をした何かしらの存在でも呼び出せればナツキを倒す一助になるかもしれないと考え能力行使に人形を使用した導師の男。
しかし力量不足により、呼び出せたのは動物が三頭だった。
そして、その人形の紙はナツキという至上最強の能力者の遺伝子が含まれる血液に触れた。ナツキの現を夢に変える能力から逃れるようにビルの外へとやってきた。彼の召喚能力は、残存していた。
最後に。これが最も重要だった。
導師の男は自身の能力を実のところ適切に把握していた。信者たちには神の世界へ近づくなどと言っていたが、あながち間違いではない。
転移とは単なる三次元での線上の移動ではなく、空間から空間への接続である。高次元を通り道として利用する跳躍プロセスこそが概して転移なり召喚なりと称される現象だ。
奇跡的に、同時刻。
大日本皇国から一万キロメートル離れたマダガスカルの小島から高次元の通り道へとアクセスした女がいた。
「はぁ……はぁ……カナリア・ネバードーンの肉体は今度こそ間違いなく死んだけれど、幸い聖が大量に蘇らせたおかげで憑依先はすぐに見つかってよかった」
ビルに寄り掛かる不気味な白い女によって人形はグシャリと潰される。
「とりあえず遠く、と念じてテレポートしてはみたけれど……さてここはどこだろう。地球からは出ていないと思うんだけど」
そうして、ビルから出てきたところ、恋人の待つ家路を急ぐ中二病の少年は出会ってしまう。
「おい、大丈夫か? 怪我はしていないようだが……」
「……そりゃそうだ。路地裏で私みたいな綺麗な地球人の女の肉体がぐったりしていたら誰だって気にするはずなんだ。でもそれはあり得ない。そんな未来は私からは見えていない。私はお前を知らない。お前は一体誰だ。いいや、一体何なんだ?
「俺が何者か? それは俺自身が俺をどう定義するかで如何様にも変わり得るな。だが……」
黒いフードを下ろして赤と青のオッドアイを露わにし、指を目元に当ててポーズを取り告げる。
「ククッ、真名ならば教えてやろう。俺の名は黄昏暁。神々の黄昏を暁へと導く者だ」
ここで前章ラスト、第365話の最後の場面につながります。