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第361話 開展と緊湊

 中国武術の太極拳にはこんな言葉がある。


『先求開展、後求緊湊、乃可臻於縝密矣』


 簡単に言うと、始めのうちは大きくのびのびと取り組みんで、その後は小さくコンパクトにまとめることが緻密で高い完成度に繋がるというものだ。

 かつて中二病を患っていた時任聖という女子中学生は東洋占星術に興味をもち、太陰太極図への見識も深かった。その関連で中国武術にまつわる書物を読んだ経験もあったのだ。



(普通は誰しも己のできることを増やそうとする。よりたくさんのことを、より派手に、煌びやかに、仰々しくやろうとする)



 聖皇の指摘は異能力に関わることだけではない。

 基礎を習得した者は派手で難易度の高い技術に手を出したくなるものだ。わざわざベースでかき鳴らすスラップ奏法をしてみたり、ダンクシュートのときに回転してみたり。

 筋肉にものを言わせて拳を振り回す武術家もその類だろうか。


 それは悪いことではない。少なくとも一定のレベル以上に到達した証明であり、その分野において明確に『強者』たり得るのだろう。


 聖とて同じだ。時間を止める能力を得てからというもの、世界の時間だけでなく個々の物体の時間だけを止めたり、あるいは時間を巻き戻したりもした。自分の肉体の時間も止めて疑似的な不老不死を再現した。

 能力を応用し数多の枝葉を生み出した。これは疑う余地なく聖皇が異能力の分野においても天才的であることを示している。


 この状態が聖皇の考える開展(かいてん)。技術や知識が増えていき新しいことや難しいことへの扉を開く時期である。



(が、それだけでは真の一流とは言えぬ。時に書道家はたった一本の線を引くことが最も難しいと言う。時に偉大な武術家はどんな変幻自在の技よりもただの正拳突きこそが最強だと言う。究極へと突き詰めれば突き詰めるほどに無駄は削ぎ落され物事の本質だけが残る)



 聖皇はこれこそを緊湊(きんそう)と定義する。

 無限を求めることでゼロに到達するのと同じだ。全てを得た者が辿り着く先は最も中心にあり最もシンプルな核。

 強く大きくなるためにより小さく本質に近づこうとする逆説(パラドックス)だけが真実の強さを与えてくれる。


 聖皇だけではない。地球に生きる全ての人類は皆、より大きくより強くなろうとする。枝葉を増やし自分の拡がりを増していく。

 能力者ならば、自分の能力でどんなことができるかを模索し、試し、手数を増やす。派手で強力な必殺技の一つや二つ能力者なら誰だってもっている。



(その上で、妾はただ一つ。己を構成する核だけを見出した)



 枝葉に対して、それは幹。細かく小さくコンパクトになり無駄を削ぎ落すことでその人間を構築する根幹だけが残るのだ。



(たとえば妾にとってそれは運命への反逆じゃった。雪深いあの晩に墜ちる椿の花のために妾が願ったのは自然摂理の否定そのもの)



 ──『私も、この椿の花も、母も、母の大切な花々も、どこかの誰かが定めた法則に支配されている。水は上から下に流れるし、どんな強者も時間が経てばいつか死ぬ』


 ──『思えば、私が占いなどというものに手を出しているのはそういう規定された道筋への反逆なのかもしれない』



 絶対の法則。当たり前の結果。それを否定し打ち砕く運命の破壊者こそが時任聖という少女であり、聖皇となった女の本質だ。


 大昔の日本人は無常観をもっていた。一生同じままのものなんて存在しない。栄枯盛衰、どんなものも必ずいつかは朽ち果てる。常のものなど在りはしない。月に雲がかかって陰るように、美しい草花が嵐で薙ぎ倒されるように。

 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にはあらず。聖皇はこの一節が大嫌いだった。


 何が無常観だ。どうして一生を願ってはだめなのか。

 時間なんて止まればいい。強き者は強いまま。美しき者は美しいまま。それを望むことに一体何の罪がある?


 どうしてあんなにも優しかった母が死ななければならない。セレスも、ティアも、カナタもヒイロもミザールもアルコルも。

 死が運命だというのなら、それが無常だというのなら、聖皇は──聖は──真向からその全てを否定する。



 聖皇の淡く光る赤い瞳をふち取るように構造色をした虹の円環が広がる。聖皇はそっと口を開き、(いざな)うように言葉を紡いでいく。



「──《無常なものに常を抱き、苦であるものに楽を抱き、無我なものに我を抱く。そして不浄なものには浄を見る。涅槃の境涯(きょうがい)は常住永遠にして不滅不変。()てる天眷(てんけん)雪魄(せっぱく)、終わりなき永遠(とわ)盈月(えいげつ)(くびき)を穿つ狂瀾の椿花(ちんか)。今こそ捧ぐ白夜の歌をここに》──緊湊──『運命壊す(ニルヴァーナ・)常楽我浄の(クロノグラフ・)羅針盤(クライテリア)』」



 聖皇の身体から虹色のオーラが立ち昇り足元には蓮の花の幻影が浮かび上がる。聖皇が天空に手をかざすと虹色のまばゆい光が迸る。

 

 温かい感情の渦がこの場にいたウィスタリアやカペラ、スピカの胸に流れ込む。聖皇の最も本質的な核に触れているためだ。彼女の心が、願いが、他者にも干渉を引き起こしていた。


 まず、ウィスタリアは己の身に起きた異変に気が付いた。メセキエザによって失われたはずの両腕が虹色の光に包まれて生えていく。というよりも、元の姿に戻っていく。

 さながら最初から腕を奪われてなどいないみたいに。


 続いて辺りを見渡すカペラが新たな異常を感知した。

 崩れ去った建物が元の形に戻っていく。死の灰と化した大地は豊かな土に。薙ぎ倒された木々は力強く根を張り動物たちの息吹やさえずりが生命の香りを運ぶ。


 さらに、元に戻った診療所や他の建物からは聞きなじみのある街の人たちの声がする。カペラの大好きなマダガスカルの人たちの営みの痕跡が取り戻され、遠くにいても人間の体温をたしかに感じる。


 まるで最初から人工メイオールたちの侵攻やカナリアの暴走、ジリオン、メセキエザの侵略など存在しなかったかのようにマダガスカルは元の生きた姿へと息を吹き返していった。


 唖然としたスピカはその様子を見て言葉を漏らす。



「そんな……これは時間停止なんかじゃないわ。この現象は……」



 メセキエザは歓喜と興奮に打ち震え自身の身体を抱きながら喉から絞り出すように聖皇へと尋ねる。



「すごいわ! 本当に聖はすごいわ……! 私が知らない能力のその先に到達するなんて!! これは因果律操作ね!?」


「クックックッ、そんなところじゃ。生憎、時間停止や時間巻き戻し程度ではなんともないバケモノが地球に仇なそうとしておるからのう。妾が編み出したこの緊湊は完全に対メセキエザ用じゃ。光栄に思うことじゃな」


「ええ! 光栄よ!! 光栄! ですわ!!!!! じゃあ今これを撃ったらどうなるかしらねェ!? 蓋世の白極光オリフィス・ダイヤフラムッッ!!!!!!」



 メセキエザは掌に瞬間的にエネルギーを集め、修正液のように風景に違和感をもたらす不気味で不自然な白い極光の光線を放つ。

 空間を熱し軋ませ突き進む地球人類必殺の一撃が、カペラを貫かんとしていた。メセキエザはこの場で最も弱く防ぐ術のない相手を狙ったのだ。


 しかし、聖皇が嫋やかに微笑むと蓋世の白極光オリフィス・ダイヤフラムはカペラに到達する前に消失した。

 音も熱も消えている。蓋世の白極光オリフィス・ダイヤフラムを放ったという証拠がこの場には存在しない。



「おぬしが蓋世の白極光オリフィス・ダイヤフラムを撃った。その原因へと干渉することで、結果に変化をもたらせたんじゃ。因果律自体は妾も掌握するのに骨が折れる。しかし、幸いにも妾の周りにはそういったバラフライ・エフェクトに長けた友人が大勢いたからのう。概念を理解することにそう理解はかからんかった」



 ティアはかつて聖皇に上位次元を説明をした。紙の上にクッキーを置いたとしても、紙に描かれた絵の世界の住人はそれがクッキーだと認識できない。ただの円である。厚みや立体感の概念はない。だが自分たち三次元の生物はそれがクッキーという立体だと知っているし砕くこともどけることもできる。


 同様に、時間という四次元的な概念で生きるバタフライ・エフェクト持ちは三次元に対して時間的な束縛から解放された認知を獲得しているしある程度の干渉もできる。


 ティアだけでなくヒイロやアルコル、そしてメセキエザもバタフライ・エフェクトをもっている。

 メセキエザは初めて聖皇と戦ったときに言った。時間とは点ではなく線であると。


 聖皇は今まで見聞きしたそれら全ての知識と認知を総動員し、己の中心にある運命の否定を因果律操作という形で発露させたのだ。


 さらに聖皇はゆっくりと鞘から刀を抜いた。十六万年ぶりに聖皇はメセキエザへと斬りかかる。

 地面を蹴って接近。刀のレンジまで近づき上段から振り下ろした。


 対抗するようにメセキエザは拳を握った。刀の刃など微塵も恐れることなく真正面から右ストレートで迎え撃つ。メセキエザからすれば当然のごとき強者の振舞だ。

 だが、メセキエザは次の瞬間、本人の意思に反して棒立ちだった。拳など握られていない。



「私自身の行動に対しても因果律は操られるのね!」



 メセキエザは直ちに状況を理解した。拳を握ったという『原因』を聖皇に取り除かれたのだ。そうすることで残る『結果』は拳を握らずパンチの体勢も取らない、ただの棒立ちのメセキエザ。


 無防備なメセキエザの頭上に刀が振り下ろされる。しかしメセキエザの反射神経の地球人類とは比較にならない。バックステップでタイミングよく刀を避けようとした。そのとき。


 ズシャッ! とメセキエザの顔面を縦一線に日本刀が切り裂く。メセキエザが認識するよりも早く刀の刃が到達したのだ。急に聖が加速したか? とメセキエザは内心が考えたが、自分自身の考えをすぐに否定した。

 答え合わせをするように聖皇は笑う。



「おぬしの想像の通りじゃ。妾は最初に刀を振り始めたタイミングよりも一秒早く行動を開始したという『原因』を強引に挿入した。そうすることで一秒分だけタイミングがズレておぬしが斬られるという『結果』が新たに生まれるわけじゃな」



 斬撃の余波でメセキエザは大地を転がる。血こそ出ていないが顔面は爛れて溶けた蝋燭のように歪んでいる。

 十六万年前は聖皇とセレスの二人がかりでも手も足も出なかった相手、メセキエザ。しかし今は聖皇一人でメセキエザを圧倒している。


 聖皇がスピカに見せたかった等級のその先の世界。それがこの緊湊だ。

 

 全ての能力者の生物の頂点に訓練し一目見ただけで能力を真似できてしまうメセキエザへの唯一の対抗策でもある。これは能力の新たなステージなのだ。

 緊湊とはあらゆる無駄を削ぎ落した本人の本質的な核。たとえメセキエザであっても再現することはできない。


 たった一人の時任聖という人間のみが使用可能な、聖の聖による聖のための能力(チカラ)

 それが因果律すらも支配下に置く──緊湊──『運命壊す(ニルヴァーナ・)常楽我浄の(クロノグラフ・)羅針盤(クライテリア)』である。

クッキーの比喩:181話

時間は点ではなく線である:197話


なお、「常楽我浄」は実在する仏教用語です。

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