第360話 等級のその先
マダガスカルの地。身動きの取れないウィスタリアと彼とともに命を散らす覚悟を決めたカペラの前に、黒い真円が浮かび上がる。
黒円からは三人の人影が現れた。
メセキエザが掌から放出した蓋世の白極光を叩き斬った聖皇。
プラチナのような髪とサファイアのような瞳をし見る者全て引き付ける美しさを備えた少女、スピカ。
そして白髪をかっちりと固めた燕尾服のセバス。
「クックックッ、久しぶりじゃな。十六万年ぶりか? この刻を待ちわびっておったぞメセキエザ」
「来ると思っていたわ! 聖! 地球の暦で言えば十六万と八五九一年とんで五二日ぶりね!!」
不気味で、不自然。これまで感情のこもっていない様子だったメセキエザが初めて心からの笑みを浮かべて高らかに応答した。心なしか口調も初めて聖に会ったときのものに引っ張られている。
同伴していたスピカは聖皇と視線を交わすメセキエザを見て、呼吸をするのも忘れてしまった。
先ほどの聖皇が放っていたものと同じだ。威圧感に近い『格』がスピカを圧し潰すようにキリキリと迫ってきて息苦しい。
見たところ人型だが、非自然的な白さは人間とは言い難い。能力の副作用か何かだろうか。
それがスピカのメセキエザに対する第一印象だった。それでも人間の姿形に思えたのはメセキエザがカナリアの肉体を使っていたからだろう。スピカからすれば異母姉である。
続いてスピカは背後にいる二人に目を向けた。紫色の髪をした青年と水色の髪をした少女。奇しくもスピカにとってこの二人はどちらも知った相手だった。
「……スピカが、どうしてここに……」
「アルカンシエルか……? 十年は経ってるっていうのに全然変わってないじゃないか。妹にみっともないところを見られてしまったな」
カペラは驚きとともに。ウィスタリアは両腕を消し飛ばされた自身の現状を恥じるように。二者二様の反応を見せた。
そしてカペラもウィスタリアも互いに『どうしてお前がアイツを知っているんだ』と訝しむように顔を見合わせる。加えて、二人ともスピカへの呼び方が違う。
「カペラはどうして星詠機関なのにネバードーンの人間と一緒にいるの。そしてウィスタリア……兄さんは、久しぶりね。その腕……」
スピカもまた星詠機関の中でも幹部にあたる二十一天に属するカペラがウィスタリアと共にいるのか疑問を投げかけた。
スピカに、カペラ。彼女たちはともに夜空煌めく星の名をシリウスから与えられた者たちなのだ。
一方のウィスタリアは全身が傷だらけで両腕を失い地面に横たわっている。そして彼を守護するように小さな細腕で抱きかかえているカペラの姿は、スピカから見ても特別なものだった。深い愛情がなければあの白い人型のバケモノを前にして誰かを守る行動などできはしないだろう。
言葉を交わすスピカ、カペラ、ウィスタリアに向かって、背を向けたまま聖皇が話しかける。
「ブラッケストのところの坊主。おぬしの腕をやったのはあやつか?」
「メセキエザ、とか名乗ってたか。ああそうだ。だが……俺の腕なんていくらでもくれてやる。俺が許せないのは、あいつが俺の国の大切な国民たちを……」
唇から出血するほど強く噛みしめる。ウィスタリアは腕を失い能力を封じられた惨めな自分の姿に対して抱く感情は怒りだった。大切な人たちを守れずメセキエザに弄ばれた自分の不甲斐なさへの悔しさと怒りが、死を悲しむことで流れるはずだった涙を堰き止めてしまうのだ。
聖皇はぼそりとただ一言『そうか』と呟いた。
「メセキエザよ。おぬし、最初に地球に来たときは何人殺した?」
「ドバイ、だったっけ。あの街の住人を数万人か数十万人か……あまり覚えていないわ。ですわ。うーん……やっぱり肉体の口調に引っ張られる……ですわ。ああ、それと。私が殺した聖のお仲間、重力使いの能力者の女とバタフライ・エフェクト持ちの男はシリウスの能力で蘇生されましたし、当のシリウスも生き返ってこちらの世界線にやって来ているのですからノーカンですわよね?」
「で、ここでは?」
「数えていませんわ。マダガスカル島に残っていた生命体はほとんど。……まあ、この肉体の元々の持ち主が人工メイオールを操って既に大勢殺していましたから、誤差だと思いますけど。それより聖! そちらの紫色の髪の青年と水色の髪の少女は協力してジリオンを倒したんですのよ。もちろん聖が戦ったときよりも随分弱体化しておりますけれど」
「……黙れ。おぬしが慇懃な喋り方をしていると気味が悪いし虫唾が走る」
「あら、質問をしたり黙れと言ったり、相変わらず聖はわがままなのね。嫌いじゃないわ。……ですわ。……地球で言うところの、しゃっくりみたいなものねコレ」
聖皇は人工メイオールという言葉に眉をひそめる。ちらりと着いて来ていたセバスの方を睨むと、目を伏せて軽く頭を下げていた。聖皇は心の中で舌打ちし、ブラッケストの姿を思い浮かべどこで子育てを間違えたのだと自らに悪態をついた。時間を巻き戻しこちらの世界線に連れてきたときは真っすぐな赤子だったというのに。
聖皇とメセキエザの会話を聞いて耳を疑っていたのはスピカだ。
(シリウスが殺された……? そんなはずない。あいつは生きているし、それに生き返ったってどういう……)
そのとき、最初に聖皇の下へ修業に行くことになったときのことを思い出した。どうしてシリウスが聖皇と連絡を取れる関係にあるのか。その疑問の答えこそあのメセキエザという女が知っているのではないか。
聖皇は何かを隠している。いいや、別に隠しているつもりはないのだろう。ただ自分よりも多くを知っている。この世界のこと。これまで起きたことやこれから起きること。その全てを。
思索に耽るスピカをよそに聖皇はメセキエザにも背を向けた。両腕を失い立っている体力もなくカペラに抱かれて支えられているウィスタリア。聖皇は着物が汚れるのも気にせずウィスタリアの前で地面に膝をつき、まっすぐと目を見て告げた。
「ありがとう。おぬしたちがメイオール……それも黒だけでなく白いのとも戦ってくれたのであろう? 心からの感謝と敬意を」
「まさかあの噂に聞く大日本皇国の聖皇陛下がこんな若くて胸の大きい綺麗な女性だとは思わなかったが……痛っ、おいカペラ! 怪我人の脇腹をつねるな! ゴホンっ。あーともかくなんだ、俺は俺を慕ってくれる大切な人たちのために戦った。そいつらもまた俺のために、そしてこの国のために戦ってくれた。礼だったら俺じゃなく戦い抜いたあいつらに言ってくれよ」
「……クックックッ、そういうところおぬしも祖母によう似ておるわ」
聖皇は懐かしむように優しく微笑んだ。ウィスタリアの祖母とはすなわちブラッケストの母親。聖皇の、いいや聖にとって友人であり姉であり仲間だった人だ。
ふと視線をスピカに向けると何やら難しそうに考え事をしている。ティアはもう少しのほほんとしていたな、と聖は目尻を下げた。
「スピカよ。妾がおぬしを弟子に迎えたとき『二等級のおぬしでも一等級の能力者を軽く倒せるくらいにしてやる』と言ったのは覚えておるか?」
「え、ええ。覚えているわ。私がアカツキの隣にいるために、私は一等級の能力者に並び立てるほど強くなるって決めたんだから」
「しかし、一等級と二等級には大きな隔たりがある。それは二等級と三等級の間にある差よりも遥かに大きいことはおぬしも理解しておろう? その上で妾は一等級も倒せるとおぬしに伝えた。今ここで、その道筋を示してやろう」
聖皇は再びメセキエザに向き合う。聖皇、もとい聖と戦うことを望んでいたメセキエザは何が出てくるのかとワクワクしながらにこやかに笑っていた。
「能力には、等級のその先がある。やれ等級がいくつだなどと言い合うのはまだ異能力の入口に立った段階と言うほかあるまい。スピカよ、決して目を離すな。いずれおぬしも到達せねばならないステージじゃ」
一等級という最強の能力者の称号。それを証明する聖皇の赤い両眼が淡く光る。
そして赤い瞳をふち取るように虹色に環が現れた。
優雅に、繊細に、大らかに。
見る角度によって何色にも見えるような揺らぎのある色は、俗に『構造色』と呼ばれるものだ。シャボン玉やCDなどに見られる光の屈折で生じた無限の光環である。
その環が聖皇の赤い瞳を囲んでいる。『一』という等級の先にある無限への発散を予感させる構造色の虹が聖皇の能力をより洗練させていくのだった。