第36話 思春期の自己形成
スピカの青い眼が光り帯びる。双眸は目の前のグリーナー・ネバードーンを睨みつけている。
工場の中で戦っているナツキと英雄とは異なり、屋外は月明かりが行き届くので相手の顔がよく見える。しかしグリーナーのやせこけた顔からは何も読み取れない。
(工場の地下に上水道があるのは今朝アカツキと二人で歩いて確認済み。でも空気中のわずかな水分を辿ってそこまで私の能力を干渉させるには時間がかかる。だったら……!)
スピカの周囲を暴風が包む。彼女の黒いフレアスカートや白銀のロングヘア―がばさばさと揺れた。以前、この工場で能力者にさせられた失踪事件の被害者の学ラン男と戦ったときと同様の現象だ。
ここでグリーナーもまた瞳に淡い光を湛えながら口を開いた。
「我は貴様の能力を知っている。それはとうに『解析』済みだ」
その言葉にスピカは眉を顰めた。彼女の能力を本人以外で正確に把握している者は少ない。なぜならスピカの能力が可視化された状態で使用される場合、それは大抵が水の操作だからだ。だから多くの者はスピカの能力を『水分操作』だと誤認する。
そして言い換えると、スピカの能力は『ある見えないもの』も支配できることを意味していた。
「解析した、我は今このときそれを解析したのだ! そう、貴様のその能力……『流体操作』だな?」
「ご名答。あなたが初めてだわ。私の能力を看破をしたのはね。その様子じゃ昔会ったことも覚えていないんでしょうけど」
スピカの能力の実態。それは『流体操作』である。
流体、と一口に言っても色々とある。水や空気はもちろん、油をはじめ粘度を問わずあらゆる液体が該当し、空気以外にもガスなど気体はすべて流体である。
それを操作するのがスピカという二等級の、選ばれし能力者に与えられた才能。
「そういうあなたの能力は、さっきから口にしている『解析』ね?」
「ああ。我の能力は『全知解析』だ。だがそれがわかったとて貴様にどうすることもできん。我の能力は何者にも干渉しない。それ故に何者からも干渉されない」
つくづく研究者向きの能力だ、とスピカは思った。同時に、グリーナーの眼が二等級である以上はその『解析』の規模や精度も並大抵ではないのだろう。現にほぼノーヒントの時点で自身の能力の正体を見破られている。
スピカが腕を振るうと、空気という流体が渦を形作りグリーナーへと襲い掛かった。
空気の特性上、水とは異なり手で触れたり目で見たりして存在を意識的に認知することは難しい。そのためスピカの能力といえどもバーバラと戦ったときに行った水流の操作ほどの威力や速度はない。
ただ一点。その不可視性は扱いの難しさであると同時に相手にとっての視認不能性でもある。
グリーナーが骸骨のような男だ。顔だけじゃない。身体の骨格や肉付きが、だ。もはやグレーにすら見えるくすんだ肌は血の通った人間とは到底思えず、全身のどこを見ても骨ばっている。
生徒がイタズラをして理科室の人体模型に理科教師の白衣をひっかけたとしたら、それはもうほとんどグリーナーという男と大差ないだろう。
このような人間ならば圧縮された空気の渦を当てられただけでもひとたまりもない。
「我はこの空間の気体の動きなど既に『解析』済みだ」
最小限。能力の使用者本人であるスピカだけが気が付いた。グリーナーは直進してきた空気の渦をスレスレのところでかわしてみせた。何か訓練された特別な動きをしたわけでもない。筋肉にものを言わせて動き回ったのでもない。歩くよりも簡単なこと。ただ一歩横に動いて身体をズラした。
それだけでグリーナーは見えない空気の攻撃を避けたのである。
「……へえ、ただの解析じゃなくて『全知解析』ねえ。言うだけのことはあるじゃない。不可視の攻撃も把握、いいえ、知覚している。でもそうなるとひとつ疑問があるわ。あなたのその能力では非能力者を能力者にすることはできないはずじゃないかしら?」
自身の研究について問われたグリーナーはスピカという敵を目の前にしながらもくぼんだ目元をカッと見開いて答えた。
「我の研究は我のものだッ!! 我の能力のものではない!!」
グリーナーにとって研究は自身と『あのお方』──父でありネバードーン財団のトップ、ブラッケスト・ネバードーンを繋げる唯一の絆だった。だからその研究を自身以外のものが生み出したと言われることは彼にとって我慢ならないことなのだ。たとえ自身の所有する能力であっても。
だからグリーナーは憤る。熱心な研究への想いと父への敬愛のために。
〇△〇△〇
時間は随分と遡る。
グリーナーは二人の中学生の足首を片方ずつ握り、地下の上水道を歩いていた。グリーナーは三十歳の男性だ。属性的には力持ちの部類に入る。だがその不健康な見た目は実年齢以上に彼を老けているように見させ。事実、運動能力をはじめ身体能力は著しく劣っていた。
『全知解析』を用いて、人体を運ぶ上での最適な方法を導き出す。『全知解析』ができるのは状態を全て知り、解析するだけだ。答えへの道筋を得るに能力使用者本人の知能に非常に依存する。
彼は両手で引きずる男女の中学生を人間とは思っていなかった。歪な形をした質量をもつ物体。それを最小の仕事量に収めるには。
たとえば、野球ではボールを最も遠くに飛ばすには仰角四五度が良いとされている。同じ力の大きさで同じ重量のものを動かすにしても、角度はその力の発揮に大きく寄与するのだ。
「我は解析を終えた」
グリーナーのような研究者、理系人間にとって三角関数の利用など昨日の朝食を思い出すよりもはるかに容易い。その結果として導出されたのが、足首を持って引っ張るというもの。
いかんせん筋量が足りないのはたしかなので、結局、彼が研究室兼住居としている地下室に到着するまで五時間を要した。ナツキとスピカが三十分程度で歩いたのと同じ道を、だ。
そのことに不満はない。むしろ解析結果から算出した時間通りに到着したことに恍惚とさえしていた。
扉を開けるとすぐそこには椅子がある。背もたれが直角な、まるでかつてのアメリカの電気椅子のような。
グリーナーは迷うようにわずかに逡巡した後、男子中学生の方を地下室の床に放り投げ、女子中学生を椅子に座らせた。二人とも意識はない。彼にしてみれば鼻から吸入させて人間一人眠らせる薬剤など百均の商品しかない場所でも可能だろう。
さて、グリーナーは壁際のテーブルにある何十ものおどろおどろしい試験管から数本選び出し、また別の空の試験管に入れた。軽く揺らして混ぜ合わせ反応を待つ。
「我の解析通りならば」
青、蛍光緑、ショッキングピンクなど様々な色の溶液が混ぜられて、黒々とした液になる。
グリーナーは再び椅子の前に戻った。
その黒い液体が入った試験管を女子中学生の口に強引にねじ込み全て飲み干させた。そして彼女の頭に手を置き、シナプスの反応の解析を開始する。
そもそもの話。彼が中学生を連続して狙っていたのは彼の趣味ではない。その点で多くのマスメディアは分析を誤っていた。
単に、中学生が最も自己形成の意識が強いというだけ。多かれ少なかれ理想の自己への欲求が強いだけ。
誰しもが大なり小なり中二病なのだ。それが思春期というものだ。
部活動で活躍したい、親の言いなりになりたくない、異性と仲良くなりたい。こうした感情が大きな大きな揺らぎとなって身体的にも精神的にも不安定にさせるのが中学生という時期である。
ナツキのように中二病に振り切れればいい。しかし大半の中学生は周囲の環境、身体の変化、理想と現実のズレ、それらの狭間で悩んで悩んで、悩みぬいた先で成長していく。
グリーナーがつけこんだのはそうした揺らぎ。中地半端な大人と子供の心の過渡期。狙って中学生を選んだのではない。大衆を解析し、その中から心に揺らぎのある人物を街で探索し昏睡させて拉致したところ演繹的に中学生ばかりだったのだ。
「完了。我の解析に問題なし」
女子中学生の頭から手を離すと、彼女は目を開いた。生気のないとても虚ろな眼だ。口の端からだらしなく唾液が垂れている。
「なりたい自分になるがいい。そう、たとえば特殊な異能で戦う自分。超能力に目覚める自分。能力者となって羨望の的になる自分」
彼が調合した薬剤の効果は一種の催眠に近い。
例えば。
黄色い紙に赤い文字で『青』という漢字が書かれていたとしよう。このとき、『これは何色か』と問われてなんと答えるか。当然、人それぞれ答えは違うはずだ。
しかし、もしこれが眠たくて意識が混濁している時に横から『赤と言え』と囁かれ続けたら。本人にその気がなくともついつい『赤』と答えてしまうだろう。
つまり数多ある選択肢から都合のよいものを抽出して実行させるのというのが彼の人体を対象とした研究だ。催眠や自己暗示である。狙い通りの動きをさせるという意味では、卑近な例で言えばスポーツ選手のルーティンワークもそうだろう。
使い方次第では、たとえば常人を超人的な兵士にすることもできる。だが、こと今回に関してはグリーナーは『非能力者の能力者化』という難題に挑戦していた。すべては、父のために。
依然として能力者と能力の関係性には謎が多い。これは星詠機関であれネバードーン財団であれ研究者たちの意見に相違はない。
一つわかっているのは、能力の発現は生命の危機やそれに匹敵するほどの強烈な心理的要請を必要とする、というものだ。
火事に巻き込まれた者が火を操る能力に目覚めるように。高いところから落ちた者が重力操作の能力に目覚めるように。
故に一度、仮死に近い状態に陥らせることで危機を再現する。その上で自己実現欲求を刺激し、催眠で誘導し、能力の発現条件を整える。
並みの研究者でも、長い時間と成果の積み重ね、閃きや偶然で、似た手法にいずれ辿り着いていたであろう。しかしグリーナーの能力は『全知解析』だ。能力の発現プロセスを解析、そのときの脳神経信号の特異な反応を解析。
あとは同じことを非能力者に施すだけのこと。
理論的には可能なのだ。しかしまず能力者を生む出すのが難しく、次に何人目かで能力者化に成功してもその能力規模が貧弱であった。実際に能力を使って軽く暴れさせてみたが、明らかにパワー不足だったのだ。
廃工場を利用していたのもこの能力強度の実験のためである。
結局、その日の素体、男女の中学生はともに能力に発現せずグリーナーによって失敗作として処分された。
理論は正しいのにどうして。その焦りがグリーナーの神経をすり減らす。
研究者でこのステージに到達しているのはグリーナーくらいのものだろう。しかしただ一人、星詠機関の研究者でもあるハダルだけは独力でグリーナーより上のステージにたどり着き、なおかつグリーナーのミスにも気が付いていた。
科学で最も大切な『再現性』が彼の実験に欠けている理由、個体によって能力発現に有無がある理由。
それはハダルがアルタイルに話した通りであり、同じことをシリウスもまた把握しているのだった。