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第359話 無能力者ができることは

 数多の氷山の間を青い氷河が流れる。豊かな土の大地は見えず一面が氷に覆われていて、周囲に動植物は一切存在しない。

 氷山が太陽を隠すため常に空はどんよりと暗く昼夜の区別はないに等しかった。漆黒の夜か、少しだけマシな明るさの伴った夜か。いずれにしろこの土地では光合成はできないだろう。


 生命の気配が消失している白銀の極寒、人類居住不可能地域アネクメーネ

 ネバードーン財団の当主であるブラッケスト・ネバードーンが財団の本拠をこの土地に構えたのは地理的な優位性や一般人を遠ざける環境だけでなく、ネバー(決してこない)ドーン(夜明け)の名に相応しいと考えたからだった。


 外の猛吹雪が窓を叩きガタガタと揺らし暖炉の薪はバチバチと炎を絶えず上げ続けている。

 ここはネバードーン財団当主の書斎。寒暖の音色をバックグラウンドに、ブラッケストは安楽椅子に腰かけて肘掛に頬杖をつきブラウン管テレビの画面を穴が開くほど凝視していた。


 画面ではちょうどカペラが気圧を操作して黒いメイオールの群れを一掃しているところだった。その奥ではウィスタリアとカナリアが戦っている。



「三等級では束になっても歯が立たず、二等級なら楽に勝てるくらいか。事前の予測からはそう外れていないな。その確認ができただけでもカナリアを(けしか)けただけの価値がある」



 重厚なブラッケストの声はちょっとした独り言すらも獅子の嘶きを思わせる。その迫力と威圧感にも慣れているセバスは顔をしかめて主に諫言を告げた。



「しかしながらカナリア様は本気でお喜びのご様子でしたよ。お父様のお役に立てる、と。それを実の父親であるブラッケスト様が嗾けたなどと……」


「フンッ。事実だからな。俺にとっては子は道具でしかない。その上でカナリアの能力は都合がよかった。いくらバタフライ・エフェクト持ちに組成を再現させても命がなければ動くことはなく戦闘能力は測れん。カナリアとてこのまま何も成し遂げずに寿命を貪り続けるくらいなら、未来のためにこうして捨て駒となって働く方が人類のためだろう」


「……それは、地球を守るためですか。そのためならば実の子同士が争うことになっても構わないと」



 セバスがカナリアに依頼に行ったとき、メイオールに命を宿すことだけでなくいくつかの条件を与えた。

 その中の一つが能力者の大勢いる場所に放つことだ。メイオールという人間より格上の生命体を相手にして異能力という特異な力を持った人間がどれほど対抗できるのかを観察する目的である。


 それによってマダガスカルの人間が皆殺しになっても構わない。

 実子であるウィスタリアとカナリアが衝突し、どちらかが死んでも構わない。


 ブラッケストは何も虐殺がしたいわけではないのだ。さらに言うならば星詠機関(アステリズム)が定義づけるような人類に仇なす悪ではない。むしろその逆。



()()()()()()()()()()()に対抗するためなら、俺はどんな悪にでも堕ちてやる。世界各国とのコネクションは得た。経済、政治、エネルギー、メディアやマスコミ、あらゆる権力がネバードーン財団の手にある。それどころか星詠機関(アステリズム)という能力者徴兵組織を正当化させるための共通悪にまでなってやったんだ。……俺に能力はない。だが無能力者でできる全てを行ったきたつもりだ。今更、子を喪うことくらいどうとも思わん」


「好きでもない大勢の相手と交わってまで優れた能力者をある種『生産』してきたのも、ブラッケスト様の覚悟である……。それは私とて重々承知しております。ですが、ブラッケスト様にとって()()()()が特別であるように、色付きの子供たち(カラー・チルドレン)にとってもあなたは特別な存在なのです。それをどうかお忘れなきよう」


「……一緒にしてくれるなよセバス。俺があの人に対して抱いている気持ちの大きさは決して他者の感情と比較され得るものではない。たとえ俺が老いぼれて死ぬときがきたとしても、この気持ちだけは衰えることなく鮮やかなままなのだから」



 怒気の孕んだ声が部屋の空気を震わせる。二等級のセバスが本気を出せば無能力者のブラッケストなど容易く殺せるはずなのだ。しかし彼我の実力差を感じさせないだけの『格』がブラッケストにはある。あらゆる戦意をセバスから奪い去るのだ。



(二等級の私すらも圧倒するブラッケスト様のこの『格』が全てたった一人の女性への感情に起因するものなのだとしたら、なるほどたしかに私などに比較されるのは腹も立つでしょう)


「セバス。今回メイオール相手に現在の世界線の能力者がどれだけ通用するかという実験に際してバタフライ・エフェクト持ちは口を揃えて『メセキエザを刺激することになる』と言っていた。もしメセキエザが来たら、そのときはあの人を呼びに行け。マダガスカルに連れて行くくらいお前の能力なら一瞬だろう?」


「……お言葉を返すようですが、ブラッケスト様は愛するその人のために修羅にまで墜ちたのでしょう。それなのにその想い人を戦場に連れ出せなどと」


「遅いか早いかの違いだ。あの人は絶対にメセキエザが来たと知れば戦いを望む。それは俺でも止められない。……何より、中途半端な状態のメセキエザが相手ならあの人はまず負けないからな。セバス、俺は少し眠ることにする。メイオールが正常に動くかどうか気になってずっと観ていたが、もうここまで確認すればこの先はバタフライ・エフェクトの通りだろう。因果の論理関係に大きな変動は挟み込まれやしない。既定路線だ」



 そう言ってブラッケストは書斎を後にした。セバスは瞑目して思考に耽った。

 ブラッケストは可哀想な人間だ。セバスは主に対しても客観的にそう思っている。だが悲痛なまでの覚悟を背負ってなお逃げない姿は胸を打ち、自分を引き付けて離さない。だからこそセバスは彼の下で何十年も働いているのだ。



「あなたはとことん歪んでいますよ。実の父親が率いる組織をより強くより正しくするために悪を貫くところも。愛した女性の願いを叶えるために異星人の侵略者と戦うなんて思うのも。……到底無能力者の発想じゃあない。だからこそ私はあなたの力になりたいと思うのです」



 それから一時間ほどが経ち。ブラウン管のテレビには不気味なほどの白さを湛えたカナリアが映っていた。肉体を乗っ取ったメセキエザだ。と同時に、テレビ画面が砂嵐に代わる。念写の能力者はやられたらしい。


 セバスは重たい腰を上げる。自分はブラッケストよりも若くない。だが、彼のためなら老体に鞭を打とう。それが執事の役目だ。


 そうしてセバスはブラッケストの愛した女性を迎えに行くこととなる。

 青い両眼が淡く光り、白い手袋をした手刀で空間を円形に切り取ると、フラフープほどの大きさの黒い円が発生した。手をかざしたまま床に向けると黒い円は床のタイルに場所を移す。セバスは潜るように円の中の果てなき黒へと沈んでいった。



〇△〇△〇



「ダアアァァァァリャアアアア!!!!」



 鬼宿(たまほめぼし)剛毅は丸太のような剛腕で軽々と野太刀を打ち下ろす。

 相変わらず酔っぱらっていて顔は赤いがその手にはいつもの酒が入った瓢箪(ひょうたん)はない。流体を操るスピカ相手を相手にして、わざわざ液体を手元に置いておくのは悪手だろうと判断したからだ。


 スピカは剛毅の刃筋に対して直前まで動かないでいた。その青い両眼は未だ淡く光ってはいない。

 そして半身になると刃の側面に手を当て流麗に受け流す。野太刀に沿うように回転しながら剛毅の背後に回り込んだ。空を切った野太刀は地面を斬り裂き地響きとともに大地に亀裂を入れる。まともに受けたらただでは済まなかったろう。

 

 背中を取られた剛毅の判断も素早い。躊躇することなく己が野太刀の刃を握ると、脇の下から柄の先端をパイルバンカーのように突き出す。背中に目でもついているのかと疑いたくなるほど正確な刺突はスピカの鳩尾を狙う。


 スピカは目を見開いたまま飛び出てきた柄の動きも凝視していた。スピカはその場で膝をつき、上半身を後ろに倒す。ちょうどリンボーダンスに失敗したかのような格好だ。空を見上げるスピカの真上スレスレを太刀が通り過ぎ鼻先を掠めていく。

 さらにスカートがはだけるのも気に留めず地面を転がりながら野太刀の側面を蹴りつける。そして後転しながら立ち上がったところで、パン! と手を叩く音が響いた。



「そこまでじゃ。剛毅よ、手は大丈夫か? 自ら刀の刃を握って相手の虚をつくとは大した胆力じゃな」


「聖皇陛下に心配していただくたぁ畏れ多い。が、それには及びませんよ。戦っている最中に敵を気遣う余裕があるなんて、さすがはアイツの……黄昏暁の女だ」



 模擬戦の見届け人だった聖皇はスピカの方を見ると青い両眼が淡く光っている。そして剛毅の指からは出血していない。推測するに剛毅の攻撃を躱しながら彼の手を止血していたのだろう。



「アカツキの女って……ほ、褒めても何も出ないわよ! それにこれが実戦だったら私だってこんなことしないわ」


「まあ実戦なら俺が流した血を使って攻撃されてただろうからな」


「それはお互い様よ。あなたがもしも透過の能力を使っていたら私の攻撃は基本的に無力化されるわ」


「両者が本気でぶつかったら長引いて泥沼じゃったろうな。能力禁止にした妾の英断よ」


「私たち二等級は一般的に単騎で一国の軍隊を軽く圧倒する力があると言われているけれど、ゴウキやロシア帝国のエカチェリーナみたいに非戦闘系の能力の方が実は厄介よね。『どれくらい勝てるのか』という軸で測るより『どれくらい負けないか』の方がはるかに得難い能力だわ。ゴウキ、貴重な体験をさせてもらってありがとう」


「そりゃあこちらこそだぜ。つい最近すばしっこい相手に負けたばかりだったからな。俺としても良い訓練になった」



 そう言って剛毅とスピカは握手を交わす。聖皇への挨拶を終えた剛毅は昼間から日本酒を煽りながら千鳥足で内裏を出ていった。

 聖皇は模擬戦を終えたスピカを試すようなまなざしで問いかける。



「スピカ、妾が模擬戦の前に言ったことは覚えておるか?」


「ええ。たしか『流れを掴むように』だったわね。漠然としていてわからなかったけど……」


「クックックッ、最初はそれでいい。あえて抽象的な概念だけを伝えておったからな。戦いの流れ。相手の呼吸や身体の流れ。武器の流れに、風や空気の流れ。そして運気のようないわゆる流れ論のような流れ。一口に流れを意識せよと言っても挙げていけばきりがない。……が、しかし。それは間違いなくおぬしの血となり骨となるじゃろう。等級という枠組みのその先のな」


「二等級の私でも、一等級の能力者であるアカツキと隣に立てる……。ええ、そのためなら私はなんでもするわ。もう足手まといになるのは御免だもの。そんなのって、美しくないじゃない」


「その調子じゃ。……それに、強き能力者が増えることは妾にとっても都合が良いからのう……」


「何か言った?」


「いいや。なんでもない」



 ひと汗かいたスピカとともに湯浴みにでも行こうかと聖皇が踵を返したそのときだった。

 内裏の空中に黒い円が現れる。フラフープ大の円。光をどこまでも吸収してしまいそうな底知れない暗さだ。


 そして黒円から一人の男が飛び出た。燕尾服に整った白髪の老人。が、背筋はピンと伸びていて老いぼれた様子は少しも見られない。

 スピカは彼に見覚えがあった。当然だ、元々スピカの生家はネバードーン家であり、彼こそ当主ブラッケストに付き従う執事なのだから。

 名をセバス。範囲や質量にほとんど制限なく自在に空間を行き来させられる空間系能力者の最高峰で、ブラッケスト直属の能力者組織漆黒の近衛騎士団ダークネスガーディアンの筆頭でもある。


 スピカは自分を狙ってきたかと身構えた。星詠機関(アステリズム)とネバードーン財団は世界の能力者勢力を二分していて敵対している。用があるとすればきっと出奔した自分だろう。そう考えたのだ。

 しかしセバスはスピカには一瞥もせず聖皇の前で膝をついた。



「ご無沙汰しております。聖皇陛下」


「……うむ。久しいのう。あやつは、その、元気か?」


「ええ」



 大日本皇国はネバードーン財団の対立しているのではなかったか。そもそも何故セバスと聖皇が初対面ではないのか。

 スピカの内心に湧きあがる。疑問を無視してセバスは続けた。



「ブラッケスト様よりご報告があって参りました」


「申してみよ」


「ただ一言。『メセキエザが来た』と」



 その瞬間、スピカは眩暈に襲われた。意識を刈り取られそうになるほどの重苦しい威圧感が聖皇を中心に広がっていた。

 何か能力を発動したわけでも、動いたり喋ったりしたわけでもない。ただそこにいるだけで辺りの生命体を平伏させてしまう生物としての根本的な強さ。言うならば『格』だ。

 かつてクリムゾン・ネバードーンをはじめスピカも他者の『格』を目にしたことはあるが、聖皇のそれは文字通り別格であった。



「セバスよ、場所は知っておるのか」


「ブラッケスト様からは案内せよと」


「クックックッ、ならば話は早い。連れて行ってもうらかのう」



 セバスは恭しく頭を下げた。手刀で円を描くと空間が切り取られて黒い円がぽっかりと浮かぶ。

 聖皇は硬直して動けなくなっていたスピカの襟首を掴み、三人はマダガスカルの地へと転移するのだった。

ブラッケストの書斎の描写:27話

剛毅がすばしっこい相手と戦った:158話

漆黒の近衛騎士団とは:210話

カナリアに与えた人工メイオールの残骸をセバスが南極に取りに行っていた:224話~228話

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