第353話 物語の終幕
三十余名いる子供たちの中でカナリアは五番目。この三十名すらもブラッケストの血を引く子供の中で上澄みであることを踏まえれば、さらにその中で五番手につけているカナリアは大変に優秀だった。
序列としては、カナリアのすぐ上の四番手にウィスタリアが。そして三番手には敬愛するシアン。二番手には他の子供たちとは一線を画すクリムゾン。
そして、序列一位はカナリアよりも幼く能力にすら目覚めていない白銀の髪をした少女。名をアルカンシエル。いつもどこかオドオドしているし、他の子供たちよりも特段何か秀でているわけではなかった。
(腹立たしいですわね。悔しいですがわたくしより才能のあるウィスタリア、そして淑女のお手本のようなシアンお姉さま、さらに子供たちの中では恐らく最強にして最恐のクリムゾンお兄様。現時点でこの三名がわたくしより上にいるのは理解できますわ。ですがどうして序列一位があの幼女なんですの? わたくしに勝っているところなんて何一つないのに!)
そんな風に考えていたので、アルカンシエル・ネバードーンが結局能力にも目覚めず、子供たちの父親たるブラッケストによって『処分』されたと聞いたときは清々したものだ。
自分が死ぬときは天国に行けないだろうな。
それは常々カナリア自身が感じていたことだった。他者の不幸を願い、自分だけが世界に愛され得をすればいいと考えていた。当然、邪魔な人間は大勢手にかけた。
今回のマダガスカル島での騒動にしたって同じだ。メイオールを操り、島の人間を山のように殺害した。
後悔をしているわけではない。する気もない。地獄に落ちる覚悟はとっくに決めていた。
走馬灯が徐々に細く暗く静かになっていく。暗転していく舞台のように。充電の切れかけた電灯のように。
今度こそカナリアは息を引き取ろうとしていた。他者への嫉妬と憎悪を抱いて生きてきたカナリアが思い出せたのは最期までそんな暗くて悪意に満ちたものだった。
上半身だけしかない惨めなカナリアの遺体はバオバブの木の根元に無造作に転がっている。近くではく散らかしてやろうと野生の動物が様子を窺っていた。
そして拍動が止まり瞼は重たく沈む。若く美しいカナリア・ネバードーンは誰よりもみすぼらしい絶命を迎えるのだった。
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「ウィスタリア、私が能力で気圧に干渉してなかったら爆風に巻き込まれてた」
「いや、さっきの俺なら大丈夫だったぞ。なんせ二等級になった上位互換化能力で自分自身を強化してたからな。三等級のときよりも上位互換の振り幅が大きくなっているから、その状態の肉体なら常人が焼け焦げて四肢を失うほどの爆風でも耐えられる」
「……じゃあ、私の助けはいらなかったってことなんだ。ふーん」
「そ、そうは言ってないだろう!」
白いワンピースをひらひらさせ、後ろで手を組みながらジト目を送ってくるカペラ。怒らせてしまったとウィスタリアはあたふたする。
雨は上がり、太陽が燦燦とマダガスカルの大地を照らす。街はボロボロで建物の形を保っているものはそう多くない。
他にも海に近い街ではメイオールによってほとんどの住民が殺害された。腐敗臭が海の潮風に乗って漂ってきている。
それでも、ウィスタリアはマダガスカルを守った。それは紛れもない事実なのだ。
カペラは水色の髪をした頭をずいとウィスタリアの身体に押し付けた。
「だったらご褒美がほしい。……撫でて」
ウィスタリアはわずかに驚いた表情を浮かべて目を丸くする。そしてすぐに気が抜けたように笑ってぽんと頭に手を乗せた。
カペラの身長ではウィスタリアの胸のあたりが精々で、手の置き場にはちょうど良い。怒られそうなので口にはできないが。
ウィスタリアは躊躇うことなくわしゃわしゃと撫でてやる。カペラの髪からはふわりと幼い女の子特有の甘くてまろやかなヒマワリと太陽の香りが舞った気がした。
猫のように目を細めてされるがままに撫でられるカペラは気持ちよさそうな表情のままウィスタリアの腰に手をかけて抱き着く。顔をうずめて、しばらくじっとしていた。
カペラは顔をうずめた状態のままくぐもった声でゆっくりと口を開いた。
「でも、全員を守ることはできなかった。私はこの国の人が大好きだった。この街の風景が大好きだった。それなのに……」
「……ああ、そうだな。だけどな、これは弔い合戦じゃない。これ以上の犠牲者を出さないための未来へ向けた戦いだった。それに、カナリアの狙いはどうせ俺だったんだ。そもそも俺がこの国にやって来なかったら被害は生まれなかったはずなんだ。だから……本当の責任は全て俺にある」
「そんなことない! ウィスタリアは一生懸命だった! 皆を守ろうとした! それは事実。ちゃんと自分を誇って。でないとウィスタリアを信じて任せた私や他の皆の気持ちが浮かばれない」
顔を上げて目元を赤くしていたカペラは声を張り上げた。ウィスタリアはカペラの涙を指で拭ってやりながら笑って答える。
「ははっ、ありがとな。お前がそんな風に理解してくれているなら俺としてはそれで充分だ。それだけで救われる。報われた気持ちになる。カペラがいてくれたから……」
「いてくれたから?」
「……。なんでもない! ほら、ナースたちのところに向かうぞ! 怪我人の治療をしているはずだ。この国はこれからまだまだ大きくなってもらわないと困るんだ。俺のためにもな。だから手始めに、国の最大の財産を保護する!」
照れて顔を背ける。カペラはウィスタリアがマダガスカルに住まう人たちのことを本当に大切に思っているのだとわかって自然と笑みがこぼれた。
ネバードーン財団のウィスタリアと元は星詠機関のカペラ。相反する組織の二人は最悪の形で出会った。
だけど、今は。一緒だったらずっと笑顔が溢れる。お互いにそんな風に感じ通じ合っていた。
ドクターやナースがいる診療所へと歩を進めるウィスタリアの後ろをとことこと追いかけて腕に抱き着く。カペラはがっしりとウィスタリアの腕を組んだ。
二人の男女の背中を太陽が見送る。
かくして、カナリア・ネバードーンが行ったマダガスカル島侵攻作戦はウィスタリアたちによって阻まれたのだった。
物語の幕が下りる。喪ったものも多いが、守れたものもきっと多い。此度の物語はひとまずここを一区切りとし、ウィスタリアたちは新しい未来を目指して歩み続けるだろう。
マダガスカルの大自然がウィスタリアたちの新たな門出を祝福し、スパンコール飛び交うエンドロールを迎えたのだった。
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「って、綺麗に丸く収まると思うわよね。普通はそう信じて疑わない。しかと見果したわ。だからかな。ちょっとだけ、壊したくなっちゃう」
暗い闇夜の海を思わせる茫洋とした空間で、無機質で淡泊な声が響き渡る。言葉は明るく軽やかなのに口調は平坦。そんな矛盾を孕んだ声は、声というより音声情報がそのまま空間に解き放たれているようだった。
そんな暗闇の中で目を閉じて漂う女がいた。カナリアだ。一糸纏わぬ姿はここが物理的な空間ではないからだろう。あえて名前をつけるなら、それはカナリアの魂とか霊体とか呼ばれるものだった。
平坦な声はさらに続ける。
「この星の人間は私たちをメイオールって呼ぶらしいね。それをここまで精度高く作り出したのは筋が良い。まあ、ガワはそっちで勝手に再現して作り出したものでこの子は命を吹き込んだだけなんだろうけど。でも、発想はやっぱり良いよ。私の好みね」
仰向けに漂うカナリアの身体を白い糸が何重にも巻き付く。ナイロンのようであり、ケイ素のようであり、美しさとは程遠い不気味で無機質な純白がカナリアを包み込む。
「だからそう、これは報酬。ううん、さっき目にしたあの女の子の言葉を借りるなら、ご褒美。なのかな」
カナリアの縦ロールが美しい黄色い髪が身体を包む白糸と同質同色に変化する。肌はさらに白く、病人というよりもマネキンのような冷たい白さを獲得した。
「ハッピーエンドなんかでは終わらせない。だって、その方が楽しそうだもの。私はね、知ってるの。この星の生物はつつけばつつくほど面白いって。絶対に勝てない私にも無様に挑んでくれるって。そう、不自然で、不合理で、不可思議な生命体。それが人間」
そのとき、現実世界のカナリアの遺体にも変化があった。白いナイロン繊維のような糸が上半身の断面や砕けた顔面の一部など身体の全ての傷口から現れ、絡み合いながら肉体を修復していったのだ。
「さあ、さあ、かき乱すわよ。本当は予定よりも随分と早いけど、また聖やセレスみたいな弱いのに私に立ち向かう子に会えるかしら! そんな無謀な子に会えるといいわね。このメセキエザに立ち向かう大馬鹿者に!」
暴力的な純白を基調とした色合いに姿を変えたカナリアの遺体。その指が、ぴくりと動く。
人類最大の敵は、カナリアを媒体として呼び寄せられたのだ。
193話「暴力的純白」