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第352話 死に物狂いのその先

 大規模かつ連鎖的な水素爆発の爆風はカナリアの華奢な身体を呆気なく空中へ放り出した。

 吸い込む空気は燃えていて肺の内側は隙間なく焦げている。黄色い縦ロールは煤で黒く汚れ、金のドレスもズタズタに千切れていた。

 

 雨は止んでいた。嫌味なほどに眩しい太陽が戦いの終結を象徴しているようで恨めしい。陽の光がやけに霞んで見えたので、ようやく顔の右半分が爆発で吹き飛ばされてなくなっていることに気が付いた。

 爆風に飛ばされた身体は重力に従いズドンと地面に落下する。立ち上がろうにも身体に力が入らない。辛うじて左の眼球を動かし、顔の右半分だけでなく下半身までもなくなっているのが見えた。


 痛みはあまり感じなかった。それは脳までも焼かれて痛覚が機能不全に陥っているからなのか、或いは傷口が焦がされて出血を止めているからなのか。


 どちらも正しいが、正確ではない。カナリアは虚ろな瞳でじっと真上を見つめる。不気味なバオバブの木がのっそりとカナリアの醜態を見下ろしているようだった。

 カナリアは、そのとき自分の死を悟った。瞼が重たい。なるほどたしかに死に際ならば今更痛みを感じることもあるまい。


 霞んだ視界が少しずつ瞼に暗闇に侵食されていく。狭まる世界の景色に別れを告げる。その間際、走馬灯のように幼少からの記憶が迸った。

 夏の終わりに路上でひっくり返って動かない蝉に近づくと突然バタバタと暴れて最後の力を振り絞りジリジリと鳴く。カナリアの脳はまさに最期の仕事を果たそうと彼女の記憶の残滓を吐き出した。



〇△〇△〇



 人類居住不可能地域アネクメーネは氷山や氷河に囲まれた広い平地だ。そこに西洋の古城を思わせる赤茶色の建物があった。


 上部は二本の塔になっていて等間隔に設けられた窓が見える。そして城を中心とし、三六〇度に空中回廊がのびている。自転車の車輪のようにハブ型に広がっていて、空中回廊はさらに別の小さな城や塔につながっていた。


 こんなクラシックなナリをしているが、ここはネバードーン財団の本拠でありネバードーン家の『実家』である。

 一歩中に足を踏み入れれば世に出ていない最先端テクノロジーの宝庫だった。


 たとえば運動能力測定装置。酸素濃度を高山の頂上と同等程度にされた無菌室のような真白の部屋で、チューブが大量に繋がれたマスクを口につけ身体には多くの電極をつなげられ、ランニングマシンを走らされる。

 部屋の壁はマジックミラーになっており研究者らが数値を記入しながら観察していた。


 ここはブラッケスト・ネバードーンが住まう城。同時に、世界中に数多いる彼の子女のうち特に選ばれた三十名弱が集められた実験施設でもあった。

 カナリアもまた物心ついた幼少期からここで暮らしていた。カナリア以外の者たちも同様だった。彼女たちにとって親とは父親であるブラッケストのみであり、母親の顔も名前も知りはしない。


 大方、ブラッケストは優れた能力でも持った女性を多種多様に孕ませてきたのだろう。カナリアは幼いながらにそれくらいの頭は回った。きっと母親は自分たちを産むための道具にされたのだ。ブラッケストの後継という最高の椅子に座るに相応しい人間を選別するための。


 少なくとも、ネバードーン財団の本家である人類居住不可能地域アネクメーネに集められるほどの子供たちは幼少期からそうした事情を察するだけの知能があった。

 能力に覚醒していない者もいくらか見られたが、大半は既に能力に目覚めていたエリートだ。


 さて、三十名弱の子供たちはその後どのようなプライオリティによって選別の格付けをされるのか。

 こうした運動能力調査をはじめ、IQテストのような一風変わった知能テストや座学、実践的な人心掌握術、そして能力に既に目覚めた者は能力の等級などを検査される。


 共同生活と呼ぶには大げさで互いに干渉することはないが、三十余名の未成年たちは同じ土地の同じ建物に住み、同じようなカリキュラムをこなしていた。



(目ざわりですわ……)



 十歳程度だったカナリアは隣のランニングマシンで走る紫色の髪の少年、ウィスタリアを横目に汗を流していた。

 当時から人類居住不可能地域アネクメーネにおいて年齢が近いということで、二人揃ってカリキュラムを受けることが多々あった。


 運動能力測定にしろ、学力測定にしろ、スコアでは基本的にカナリアが勝っているのだ。それは数値からも明らかである。 

 しかしこのウィスタリアという少年、いつも測定が終わった後にケロリとしている。疲れた素振りなど見せない。まるで『最低限これくらいならギリギリ許されるんだろう?』と研究員を、ひいては偉大なる父親にしてネバードーン財団当主のブラッケストを試し嘲るかのような態度。


 それがカナリアは腹立たしかった。勝っても勝った気がしない。空虚な勝利に苛立ちが増す。

 カナリアはウィスタリアだけでなく、もっぱら誰と競い合ってもスコアは他の子供たちよりも上だった。才能に恵まれていたことに加え、そんな自分を誇る前向きな自意識や努力を怠らない性分が合わさり、次期当主争いとしては一歩抜きん出た存在だったのは間違いない。


 ただ一つ、未だ能力の覚醒をしていないという点を除いて。


 思えば、ウィスタリアへの苛立ちの原因もそこにあったのかもしれない。ウィスタリアは髪と同じ紫色の瞳をしていた。三等級の能力の証だ。


 カナリアは敬愛する姉であるシアン・ネバードーンに相談したことがある。異母姉妹ではあったが、カナリアはシアンにだけは心をよく開いていた。尤もそれがシアンの類まれなカリスマ性と人望に起因することであるとカナリア自身気が付いていなかったのだが。



『シアンお姉さま、わたくしもお姉さまや他の兄弟姉妹ように能力に目覚めることができるのしょうか……』


『生まれつき能力者の人間なんて存在しないわ。カナリア、私が病気を持っているのは知っているわね?』


『え、ええ。たしか光過敏症や日光アレルギーと呼ばれる重度の免疫疾患だと……』


『そう。だから私は父上の指示で暗く光のない独房に閉じ込められていたわ。そこでまともな食料ももらえない環境下で、能力に目覚めた。影を操るという光を苦手とする私にぴったりの能力をね』



 シアンは屋内であってもいつも日傘を差し、サングラスをし、黒いドレスや腕全体を覆うレースのグローブを身に着けている。 

 肌も顔も隠しているというのにその美貌や大人びた身体は同性のカナリアをも魅了し、カナリアはシアンのようになりたいと金色のドレスを着るようになった。少しでも美しくなろうとケアは欠かさず髪型も工夫を凝らして毎朝時間をかけて巻いている。


 そんなシアンからの言葉は胸に溶けるようにスッと入ってくる。



『能力は死に近い経験をすると覚醒するというのが能力者の世界での定説よ。私の場合は暗闇やそこでの生活がトリガーになったわ。カナリアにも何かないのかしら? 明確に強烈に死を意識する瞬間が』


『……わたくし、死に物狂いで努力しておりますわ。他の子供たちに差をつけられないように、頑張って身体も知能も鍛えています。そして優雅に見せるために絶対に死に物狂いの努力しているところはひけらかしません。それでもまだ足りないんですの? 他人よりも何百倍も努力して、血反吐を吐いて、死んだ方がラクだと思うほど努力を続けるくらいのことでは能力は覚醒しないんですの!? だったら努力なんて、努力なんて!!!!』



 シアンはわずかに困った表情を浮かべる。続いて、手のかかる妹の可愛さに苦笑がこぼれた。

 シアンは日傘を持たない方の手でカナリアの頭を撫でて言った。



『大丈夫。あなたの努力を私は知っています。きっと父上も知っています。頑張っているあなた自身を貶めることは私が許しません。カナリア、よく聞いてちょうだい。私にできたのだからあなたにもできるわ。能力だって、きっとね』


『シアンお姉さま……!』



 そんな姉妹の会話から数日後。いつものように研究員に監視されながら知能や身体能力など様々な項目の測定をされているときだった。

 闇より深く暗い髪と瞳をした、初老の男。貴族の礼服の上から漆黒のマントを羽織い、歩くだけで空間が軋む錯覚を覚えるほどの風格を持っている人物が真白の測定室に入ってきた。


 彼女らの父親にしてネバードーン財団当主、ブラッケスト・ネバードーンその人である。



『ウィスタリアよ』


『なんですか? お父さん』


『今日だけでいい。本気でやれ』



 カナリアには目もくれずウィスタリアにだけ端的に二言そう告げた。ウィスタリアは面倒臭そうな顔をしながらもコクリと頷いた。

 

 その日。カナリアはあらゆる検査や測定で初めてウィスタリアに敗北を喫した。スコアはどれもこれも普段のカナリアをはるかに凌駕する値であることは、研究者たちのざわめきが嫌というほど教えてくれた。


 シアンが見ていると言って慰めてくれたカナリアの努力は、普段からけ要領よく手抜きをしていた同年代の少年の才能に劣る程度のものだったのだ。

 そのときカナリアの心の内側で何かが切れた。自分が命懸けで死に物狂いで努力をしたところで何の意味もないのだ。価値はないのだ。


 頑張るだけムダ。努力するだけムダ。ムダ。むだ。無駄。無価値で無意味で無味無臭。

 だったらやめてやる。命を賭して自分を高めることに意味がないのなら、だったら、だったら!



(わたくしは、()()()()()自分以外の全てを利用してやりますわ。自分以外なら何でも。その全てを!)



 死に物狂いの努力という正のエネルギーが同じ絶対値のまま負の方向を向いたそのとき、己の命を顧みないその覚悟がカナリアの中で暴発した。

 ウィスタリアに突きつけられた絶望が奇しくもカナリアの中にあった能力覚醒の背中を押したのだ。


 そうして手に入れたのが、あらゆる物体に命を吹き込み操る能力。カナリアは何もしない。ただ命令をするだけ。ただ守ってもらい、ただ外敵を打ち払ってもらう。

 これは孤独ではない。孤高だ。カナリアは一切の努力を放棄し、世界の全てから愛される権利を手に入れたのだ。


 それから数か月後、子供たちの序列が決定し、ブラッケストから色付きの子供たち(カラーチルドレン)の中から勝ち残った者を次期当主に据えると告げられることとなる。

 クリムゾンやシアンに続く序列が自分ではなくウィスタリアであったことに彼女が不快感を示したのは言うまでもないことだった。

ここで今章の冒頭、320話につながります。

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