第347話 紫と黄
黒髪のポニーテールがなびく。円は両手に刀を従えて疾走した。
メイオールの一体に肉薄する。身体を半身に捻り、一方向から両腕を叩きつけるように刀を振るった。一刀目がメイオールの黒光りする固い表皮に当たり、続けて二刀目が同じ個所を追撃する。
一刀目の衝撃波がメイオールの体内に届く前に二刀目の攻撃の衝撃波が後追いで重なり、円の細い腕からは想像できないほどの膂力が発揮され二メートル超あるメイオールを簡単にのけぞらせた。
「やはり正攻法であの表皮を突破するのは難しいか……。それに刀へのダメージも尋常じゃないな」
メイオールに有効な二撃を与えた刀は中途半端な位置で折れてしまっていた。即座にハムザが能力を用いて刀を生み出し、ナースが念動力で刀を円の手元へと届ける。
再び二本の刀を手にした円は舞い踊るようにメイオールたちへと襲い掛かった。アブドールが光のロープを鞭のようにしならせて放り投げる。自動車よりも速く動けるメイオールは難なく躱して見せたが、回避先を読んでいた円から袈裟斬りをモロに食らった。
さらにフランチェスコが半透明の壁を生み出す。円の背後から迫っていた別のメイオールの爪を弾き返した。さすがに壁の方も無傷とはいかず砕け散ったが、すぐさま振り返った円はメイオールの口腔目掛けて刀の切っ先を突き刺した。
ガキン! と火花が散る。メイオールは歯で刀の刃に噛みつき受け止めたのだ。反射神経も身体能力もやはり人間の比ではなく、さしもの円も目を見張る。
そのまま噛み砕かれて刀が折れた。ハムザが刀を生み出しナースが念動力で届ける。
円は四体のメイオールがナースたちの方へ行かないように器用に立ち回り自身へ注目を集めるようちょっかいをかけ、なおかつ少しずつドクターのいる診療所から遠ざけるようにメイオールをおびき寄せていた。
右手の刀でメイオールに斬りかかり、襲い掛かる別のメイオールは左手の刀で受け流す。ナースたちは支援をしているだけなので事実上円一人でメイオール四体を相手取っているわけだが、防戦気味とはいえ充分に対処できていた。
ナースは円の戦う姿を見てまるで円が大人数いるようだと錯覚した。それほど戦いの流れに身を任せ攻防一体の軽やかな戦い方をする円の動きはなめらかで、洗練されていて無駄がなかった。
ナースたちの知るところではないが、円と同じ剣術を使う円の母、高宮薫は若かりし日に京都タワーを占拠した複数人の能力者たちを単騎で鎮圧している。
その意味では円の剣術は間違いなく母のそれに近いものとなっていた。
腕力で押し通すわけではない。強烈な必殺技があるわけでもない。ただ状況を見極め、相手の特性を見極め、そして戦いの趨勢を見極め、最適な動きを己の肉体で再現しているに過ぎない。
それは母を真似て同じ型の動きを繰り返し身体に染み込ませた円だからこそ会得できるものなのだ。
ナツキから言わせれば理想を目指す姿は中二病と同じ。ジャンルは違えど方向性は同じで、理想のために努力しているという点で円とナツキは似た者同士だった。
円にとってはこれは防衛戦である。カペラやウィスタリアが救援に来るまでの間、マダガスカルの国民たちがこれ以上傷つけられないように四体のメイオールを抑え込む。
よって勝利条件はメイオールを倒すことではなくカペラたちが到着すること。
かれこれ防衛戦を開始して十五分が経過していた。メイオールを誘導し、受け流し、時には自ら斬りかかり、円は頭と体をフルに使って四体を相手取った。
そんな彼女に、少女が声をかけた。
「メイオールの進行が停滞しているエリアがあるから見に来たら……抵抗している羽虫がいたんですわね」
「お前、この国の人間じゃないな」
アドレナリンが分泌され続けていた円はカッと眼を見開いて声のした方へ視線を向けた。
そこにいたのはカペラではない。彼女の落ち着きある水色の髪とは対照的に、ド派手な黄色い髪を振り乱し金のドレスを見に纏う姿は豪華絢爛。
「冗談でも不愉快ですわ。このわたくしが、カナリア・ネバードーンがこんな片田舎の島国に住むわけがないですわ! ……どこかの愚兄と違って」
「ほう、お前も『ねばーどーん』の人間なのか。ちょうどいい。聞きたいことがあったんだ」
「あら。でもわたくしはあなたに用なんてなくってよ。さあ、わたくしの家来たち! さっさと邪魔者は排除しなさいな!」
カナリアが両腕を広げて高らかに宣言をする。その紫色の瞳は淡く光っていた。
四体のメイオールは先ほどから様子がガラリと変わり、操り人形のように機械的な動きで円を囲んだ。
(さっきは感情のようなものが感じられたから私の方へ引きつけたり誘導したりして立ち回れたが、この様子ではそれも難しそうだな。……このバケモノどもをけしかけた下手人があの金ぴかの女か。あっちを狙った方が手っ取り早いか?)
円が思考を巡らせているときだった。『ぐああああぁぁッッ!!』と男たちのうめき声が響き渡る。
フランチェスコ、ハムザ、アブドールの三人は脇腹から止めどなく血を流し地面に倒れていた。彼らの脇腹から生えているのは地面に散らばった折れた刀の刃だ。円が対メイオールの防衛戦の中で使い捨てていた日本刀の残骸が突き刺さっていたのだ。
今度はナースの悲鳴が円の耳をつんざく。地面に転がっていた刀の破片がナースの顔を目掛けて飛んできたのだ。
ナースは能力を発動し念動力を使う。ひとりで動き出した折れた刃を止めようとした。しかし動きは止まらない。走馬灯のように思考が加速する。ナースは念動力者だからこそその一瞬で理解した。
(あのカナリア・ネバードーンっていう人、私と同じ念動力者だ……)
それも自分より格上の念動力である。刃の加速は止まらない。このまま刃が顔面に突き刺さって自分は死ぬ。ナースは医療従事者として致命傷になり得ることが冷静にわかってしまった。
(ふふ、でもどうしてだろうなぁ。こんなときも私、ウィスタリアくんのこと考えてる。あのカナリア・ネバードーンっていう人はウィスタリアくんの親戚さんだよね。血縁者同士で殺し合うなんて狂ってる、とは思うけど……。それでも私はウィスタリアくんの力になりたかったな。やっぱり私みたいなモブキャラじゃあの人の人生の助けになるなんてできっこないよね)
目を閉じる。たぶん、切っ先が眉間に当たって即死だろう。でも後悔はない。自分が死んだところできっとウィスタリアは悲しまない。それすら乗り越えて大きな事を成し遂げるだろう。
自分は都合の良い女でいいのだ。彼がマダガスカルという国で過ごしたほんの数年間、少しだけ彼の生活の役に立った女がいた。それだけでいい。そんな風に時々思い出してもらえるだけでいい。
(バイバイ、ウィスタリアくん……)
そうして折れた刀の切っ先が突き刺さる。不可避の運命である。
〇△〇△〇
ただし。突き刺さった物が本当に刃物とは限らない。
刀だったものは赤茶色に錆びてボロボロに崩れ、粉々になって地面に舞い落ちた。
「退化・下位互換。東洋の鋼鉄には錆びて腐食した鉄くずになってもらった」
ナースは目を開ける。彼女を庇うように左手を伸ばす青年の姿に、ナースは無意識にポロリポロリと涙がこぼれた。
ずるい。どうして一番あなたを想っているときにあなたは私を助けに来るのか。
ナースは溢れる想いをなんとか抑えて、ガラス細工を扱うみたいに大事に彼の名を呼ぶ。
「ウィスタリア、くん……」
「すまないなナース。俺の代わりにこの国を守ってくれてありがとう。もう大丈夫だ。ここから先は、マダガスカル大統領の出番だ。そうだろう?」
「ふふ、ウィスタリアくん今まで一番大統領らしいよ。飄々としてるけど仲間想いで、カッコよくて、みんなから頼られる存在。それがウィスタリアくんだもんね」
ナースは嬉しくて気が抜けて、つい笑みがこぼれる。メイオールはまだ四体全て健在。自分より格上の念動力者もいる。だというのに、ウィスタリアがそばにいるだけで安心しきってしまう。
彼は周囲の人間を安心させる不思議な魅力があるのだ。だから世界各地の道を外れた能力者たちがマダガスカルには集まった。ウィスタリアの周りには人が自然と集まり、そして自然と笑顔が溢れる。太陽のような男だ、とナースは思う。
「ナース、他の連中は?」
「この街の能力者はほとんどあのバケモノに挑んだけど全然歯が立たなくて、今はドクターに連れられて診療所に下がってる。他の街はもう既に……」
「そうか。大方アイツの報告通りだな」
ウィスタリアを連れてきた、親友のキザ男はフランチェスコたちの腕を肩にかけて抱えて診療所の方へと向かっていた。ナースと目が合うとキザったらしくウインクしてみせた。言外に『ちゃんとウィスタリアを連れて来たぜ!』と言っているのが面白いほど伝わってくる。
そしてウィスタリアがいるということは、もう一人も。
「……空腹で倒れてた人。あなたが皆をここまで守ってくれたの?」
「まあな。一宿一飯の恩には報いよというのが私の祖国の考え方だ。お前には食べ物を恵んでもらった。これくらいのことはするさ」
「……ありがとう。ここが、今の私にとっての祖国だから。私はカペラ。あなたは?」
「円だ。高宮円。……で、カペラ。さっきからバケモノどもが這い蹲っているんだが?」
「ああ、これ。私の大切な人たちを傷つけた報いを受けさせようと思って。ちょっと局所的に気圧を上げてぶっ潰してる」
マスコットみたいな小さくて可愛らしい姿から物騒な言葉が飛び出た。カペラは表情豊かな方ではないが、円はすぐに『あ、カペラはブチ切れてるんだな……』と察した。カペラの青い両眼は既に淡く光っている。
円が防戦一方で精一杯だったバケモノを四体同時に一瞬で鎮圧した。やはり二等級は二等級未満の能力者とは一線を画す。
「カペラ、私はこいつらを倒すところまでは到達できなかった。後は任せていいか?」
「……うん。ここまでありがとう。代わりに、みんなのことを守ってあげて」
「ああ。まずは彼らをドクターのところまで運ぼう」
キザ男の後に続き円もハムザらを抱えた。ウィスタリアに促され、ナースも同じようにドクターの下へと向かった。
こうしてボロボロに破壊された街には三人の人間と四体のメイオールが残った。
黄色い縦ロールを指でくるくるといじるカナリアを、カペラとウィスタリアが睨みつける。
カナリアはどこ吹く風で毒を吐く。
「ご機嫌麗しゅう、お久しぶりですわね、お兄様。わたくしの大大大嫌いな、おにいさま!!!」
「カナリア、お前が俺の国の仲間たちを傷つけたのか?」
「そうだと言ったら?」
「……別に。俺はネバードーン家の次期当主になる男だ。どうせいつかはお前を倒す予定だったからな。それが前倒しになっただけだ」
「減らず口は相変わらずですわね。その割には手が震えている様子ですけれど?」
カペラは隣に立つウィスタリアの横顔を見る。震えているのはカナリアを恐れているからではない。まして武者震いでもない。
怒り。大切な友人たちを、マダガスカル国民たちを傷つけられた怒りがウィスタリアの拳をプルプルと震えさせていた。
カペラは何も言わずに小さな手でそっと彼の拳を包む。
ハッとしたウィスタリアはカペラへ視線を向け、カペラはただ何も言わずに頷く。それだけのアイコンタクトで意思疎通をし、ウィスタリアは冷静さを取り戻した。
「カナリア、俺は正々堂々とお前を倒すことにするよ。……【紫色】のウィスタリアがな」
「みすぼらしい口上、感謝いたしますわ。【黄色】のカナリアが謹んでお相手申し上げます」
カナリアはウィスタリアを見下すように慇懃無礼な言葉とともに不敵に笑う。
ここに、ネバードーンの【色付きの子供たち《カラーチルドレン》】の直接対決がついに始まるのだった。
色の名乗り口上、【無色】が83話、【赤色】が123話、【青色】が213話となります。




