第346話 時間稼ぎくらいなら
円がマダガスカルという小さな島国に立ち寄ったのはまったくの偶然だった。
ナツキに告白するも儚く砕け散った恋慕の情の破片を胸に抱き、聖皇に生きていると知らされた母・高宮薫に会うため世界放浪の旅に出た。
各地で情報を集めているうち、どうやら母は『ねばーどーん』という家名の者の下にいるらしい。カタカナに疎い円はひとまずこの『ねばーどーん』の名を頼りにして捜索を行った。
そうして辿り着いたのがウィスタリア・ネバードーンの支配する小国、マダガスカルというわけである。
「すごい……あの娘、六等級の能力者なのに一人でバケモノたちを倒しちゃった……」
感嘆の声を漏らすナースの美しい褐色の肌には泥や土汚れが飛び散っていた。それだけメイオールたちとの戦闘の激しさを物語っている。
だというのに円は突如として現れ、四体を一気にのしてしまったのだ。周囲からは『やったか』と安堵の空気が流れる。
しかしその中で当の円が首を横に振った。
「私が母から教わり、そして想い人ともに完成させた剣術は破壊力に長けたものではない。相手を観察し最適な攻撃を繰り出すという弱者の兵法だ。現に、あのバケモノたちに行ったのはちょっとした古武術と物理学の応用にすぎないからな」
メイオールの体長は二メートルを超える。そのため胴体を狙うよりも頭部や足元といった先端に近い部分へ攻撃した方が力のモーメントが働きやすい。
木の幹を殴ってもびくともしないが、ロープを先端にくくりつけて引っ張ると案外あっさり倒れるものだ。
大きな相手を倒す──やっつけるという意味ではなく文字通りに転ばせる──には、頭といった先のあたりを狙うといい。
加えて、円が日本刀の刃を叩きつけたメイオールはジャンプしてフランチェスコの光の壁に襲い掛かっていた。大地に足をつけていないために摩擦が働かず、もろに打撃を運動エネルギーに変換してしまったのだ。
円はそれらの道理を全て理解していて、的確にメイオールを倒す一撃を狙い通りに放ったというわけである。
円は女として己の非力を知っている。平安京にいたとき腕力では男に勝てず、能力では竜輝に何度も敗北してきた。それ故に優れた観察眼とそれに基づく分析、そして実行に移すに足る再現性の高い剣術稽古を頭と体に叩き込んできたのだ。
「おそらくバケモノどもはすぐに起き上がってこちらに戻って来るだろう。私は、一人で連中を屠れるなどと驕る気はない。あの水色の髪をした二等級の少女が来るまで時間を稼ぐのが精々だろうな。だけどやってみせるさ。私の剣は愛する母から受け継がれ、愛する男とともに完成させたものだ。そう簡単には折れはしない」
「と、いうわけじゃぁ。あのバケモノはこやつに任せるとしよう。ろくに戦闘経験もないくせに無謀にも挑んだ阿呆どもは全員ワシの診療所にぶち込むからのう。ほれ、退がった退がった」
「ドクター!? どこにもいないと思ったら……一体今まで何を?」
ナースは目を丸くした。高宮円と名乗った少女の陰から姿を現したのは他ならぬドクターである。
たしかに街中の能力者たちが国を守るために集まったというのに彼の姿は見当たらなかった。戦闘系の能力ではないので仕方がないと思っていたが、どこで油を売っていたのか。
「この東洋人のお嬢さんがカペラちゃんを探しておってのう。礼を言いたかったそうじゃ。そうこうしているうちに、あのバケモノどもが襲来したというわけじゃ」
ドクターが言い終えたちょうどそのとき、土煙が晴れて材木をおしのけながらメイオールたちが起き上がった。円が再び抜刀して構え、マダガスカルの能力者たちも色とりどりの瞳をそれぞれ淡く光らせる。
「なにをしておるんじゃあ。怪我をしとるもんは下がれ言うとるじゃろう。それに、大人数で固まっておっても的になるだけじゃあ」
ドクターの発言は正鵠を射ていた。普段は料理を作ったり雑貨店を経営していたり、農作業や工事をしている者たちがいきなり戦場に立ってもすぐに戦えるものではない。
少なからず怪我をしていたり息が上がったりしている。
何より、自分たちの低い等級の能力が通用しないことはいやというほど痛感させられてしまった。コックに、大工に、美容師に、農家に、店員に。様々な肌の色の老若男女が無力さに打ちひしがれて下を向く。
自分たちの国と自由を守るための戦いで力になれないことが歯がゆく、情けなく、もどかしい。
「円さん、と言いましたか。……お願いです。力を貸してください。この国を守るためには私たちだけじゃ足りないんです。だから、どうか……お願いします。この国は私の大切な人の居場所なんです」
ナースは深々と頭を下げた。顔や膝にできた大量の擦り傷や血がアフリカの強い日差しに照らされて痛々しく光る。
その姿を目にした他のマダガスカルの能力者たちも同じように頭を下げた。彼らとて国への、そしてウィスタリアへの想いは人一倍ある。だからこそ無力な自分たちにできることはこれしかないと冷静に悟っていた。
「気持ちは受け取った。お前たちにも大切な人がいるんだな。私にもいるんだ、そういう男が。孤独だった私に居場所を与えてくれた。生きる目的を与えてくれた。きっとお前たちも同じなんだろう」
「ええ」
顔を上げたナースは切なく微笑んだ。円にとってのナツキがそうであるように、ナースにとってのウィスタリアは居場所と生きる目的を与えてくれた人なのだ。そこにあるのは愛。
円とナースは視線を交差させ、お互い大変な恋路に身を置いているものだと共感し合い苦笑いを浮かべた。
「おそらく奴らの表皮の固さを私の刀では突破できない。眼球や口腔内、或いは関節の隙間あたりを狙ってはみるが望み薄だろう。だが、最低限あの水色の髪の少女が戻って来るまでの時間稼ぎはできる」
立ち上がったメイオールが走って円へと襲い掛かった。ドクターの誘導によってマダガスカルの能力者たちは建物の陰を通って離脱し診療所へと向かっている。
メイオールの鋭い爪が迫る。真正面から受け止めても吹き飛ばされるだけだと判断した円はメイオールの腕に刀の側面を当てて身体を回転させ受け流す。
さらに二体目のメイオールの尻尾が地面と平行に振るわれる。それをしゃがんでかわした円はジャンプし一体目のメイオールの後頭部を蹴ってさらに跳ぶ。
二段ジャンプで一体目のメイオールをつんのめらせ、さらに二体目のメイオールの背中に飛び蹴りをかます。そうして都合三段ジャンプをし、三体目のメイオールの頭上に飛び乗った。
虫のような気色の悪い複眼に刀を突き立てる。が、まるで金属でも刺したのかというほど眼球は丈夫で刀は火花を散らし刃こぼれして鉄粉が舞う。
「やはり効かないか……。さて、どうしたものか」
苦虫を噛み潰す円とは対照的にナースは円の蝶のような戦い方に惚れ惚れとしていた。動きは軽快だが、一つ一つに思考や根拠の土台があるのを感じる。攻撃と防御が一体となっていて、行動と行動とが独立せずに無駄なく繋がっているのだ。
きっと彼女の剣術はあらゆる特殊状況を想定したものなのだろう。自分より強い相手を屠るための洗練された美学のようなものを感じる。
「おい、刃こぼれが気になるならこれを使え!」
マダガスカルの三等級の能力者、ハムザが叫んだ。彼は武器を生み出す能力を持つ。さっきは闇雲に剣や槍を山のように生み出してメイオールを串刺しにようとしたり足をひっかけて転ばせようとしたりしたが、全てうまくいかなかった。
武器というものはそれを正しく使える人間に振るわれてこそ真価を発揮する。ハムザにとって円はぴったりな相手だった。
四体のメイオールを囲むコロシアムの塀のようにぐるりと日本刀が円形に地面から生える。円はメイオールの頭を蹴とばしながら距離を取り地面から生えた刀の柄に手をかける。
「ワシも加勢しよう!」
「俺もだ!」
さらにアブドールとフランチェスコも両眼を淡く光らせていた。アブドールは両手に光のロープを生み出しいつでもメイオールの身体を縛る用意はある。倒すことはできないが動きを止めるくらいはできることはさきほど実証済み。
フランチェスコもパントマイムのような妖しい動きを見せる。掌を空間に滑らせ、額に血管を浮かび上がらせながら叫んだ。
「ワシの壁でお前さんを守ってやる! 不意打ちを受ける心配はせんでいい!」
「わ、私も!」
比較的怪我が軽かった三等級の能力者三人に加えてナースも、円とともに戦うことを表明した。
数としてはメイオール四体に対して五人と先ほどより減っているが、円の戦い方に合わせるなら多すぎない方がいい。
円は軽く頷き、地面から生えた刀をさらにもう一本引っこ抜く。彼女は二本の刀を構えて改めてメイオールたちの方へと視線を向ける。
「アイツならきっとククッと笑ってこう言うだろうな。二刀流は最強だ、と」
マダガスカルにおける対メイオールのラウンドツーのゴングが鳴った。ウィスタリアとカペラの二人は未だ来ない。
円が告白しフラれて旅に出た話:163話