第345話 一宿一飯の恩
総勢四十名のマダガスカルの能力者たちは二手に分かれた。武器を生やす能力者のハムザと光の鞭を操るアブドールのグループ、半透明の壁を出現させるフランチェスコのグループ。四体のメイオールを二体ずつ相手する格好だ。
黄色い両眼が淡く光る。コックの男は鳩のように胸を膨らませて口から火炎を放射した。四等級の能力ではそれほどの出力はないが、それでも空気をちりちりと焼きメラメラと揺らめかせるほどの熱量がメイオールに襲い掛かる。
メイオールは特に何の動きも見せなかった。太く勢いのある火炎放射が直撃し、メイオールの体表で炎は放射状に広がっていく。
コックの能力は息が続く間しか炎を出せない。肺を絞るようにして腹の底から空気を出し切る。息を切らして最後まで炎を絞り出したコックの男は『まずは一体、やったか!?』と期待のまなざしを向ける。
だがしかし。豚肉やピザなら一瞬で焼き焦がせてしまう彼の能力でも、メイオールの身体に火傷ひとつつけることすら叶わなかった。
炎などまるで効いていない様子のメイオールは歯をカタカタ鳴らしながら動き始めた。コックの男へと走って鋭い爪を振りかぶる。海沿いの街では幾人もの命を屠った致命的一撃。
そしてメイオールの攻撃は、当たることなく空を切る。それどころかつんのめって転がり顔を地面へと打ち付けた。
「どうだバケモノめ! あまり人間を侮るなよ。俺たち人間は他の動物と違ってこの脳味噌で生き残ってきたんだからな」
数少ない三等級の能力者であるハムザが能力を発動していた。先ほどは大量の剣や槍を地面から生やしたハムザは、今度は柔らかく撓った剣の刃部分を丸くアーチ状にしてメイオールの足を引っかけたのだ。
足がちょん斬れていないのはメイオールの表皮が黒く金属のように固いからだ。普通の人間ならば足首の下がなくなっている。
「潰れちゃえ!」
ナースはサイコキネシスで巨大岩を持ってくると転んで倒れているメイオールの上に叩きつけた。自重とメイオールの表皮の固さによって岩が砕け散る。
また別のメイオールは光のロープによって尻尾を掴まれていた。アブドールの能力が生み出す光のロープはメイオールの筋力でも引き千切れない。
さらにアブドールはロープの長さを調節しながら自在に引っ張って操り、メイオールを何度も地面に叩きつけた。
腕が翼になっている男や空中浮遊で仕事をしていた大工はメイオールの爪に気を付けながら空中を舞ってナイフの刃を突き立てる。八百屋の店主が能力で生み出したナイフだ。ヒットアンドアウェイならば反撃されるリスクも少ない。
だが、ナイフは折れるばかりで一向に突き刺さることはない。
マダガスカル国民たちの戦術はまずメイオールの機動力を奪うことにあった。時間がかかってもいいので確実にダメージを蓄積させて敵を打ち倒せればそれでいい。
だというのに。
「おい、こいつら傷ひとつ付いてないぞ!」
「俺の火炎放射を受けてもケロリとしてやがった」
「ナイフも全然ダメだ!」
盛んに声を上げながら口々に情報共有を行うが、明るいニュースは一つもなかった。
大小様々な能力を持ったマダガスカル国民たちは息のあった連携で攻め立てているというのに、傷一つつけることもできていない。
彼らの知るところではないが、かつて聖皇──時任聖が生きていた世界線では自衛隊が八九式アサルトライフルを一斉掃射してなおかすり傷すらつけられていない。
それを思えば、少し人よりも特殊なことができるに過ぎない低等級の能力者では歯が立たないのも仕方ないだろう。
時々テレビでは胡散臭い超能力者が姿を現す。しかしスプーン曲げができたって、透視ができたって、虫一匹殺すこともできないのだ。無力な能力などびっくり人間コンテストと大差ない。
そんな残酷な絶望感が、言葉にしなくても彼らの間でうっすらと流れ始めた。この国を守るという想いで繋がっていなければとっくに恐怖でバラバラになっていたはずだ。
それはもう片方の戦場でも同じだった。
髪の毛を自在に操る能力者の少女は髪を軽く引き千切られ、手の爪から小さなエネルギー弾を放った中年の男の攻撃は固い表皮に阻まれる。メイオールたちはまるで飛び回る虫を振り払うかのようにマダガスカルの能力者たちを軽くあしらっていく。
メイオールはこの程度なのか、と嘲るような態度で歯をカタカタ鳴らして笑った。まるで自分たちを試していたかのようだ。見た目は醜悪で暴力的なバケモノだというのに知性があるのか、とナースはさらに険しい顔をする。
そして、二体が同時に蛙のように跳び上がった。
「ワシの後ろに隠れるんじゃ!」
フランチェスコが紫色の両眼を淡く光らせ能力を発動させる。両手で構えると高さ三メートルほどの半透明の壁が出現した。しかし上空から落下してくるメイオールは二体分。フランチェスコは『ふんぬっ!!』と息んで老体に鞭を打つ。
メイオールの両手両足が半透明の壁に食い込む。グロテスクなバケモノと壁越しに向き合い、目が合ったフランチェスコは生理的な嫌悪感に襲われた。だがフランチェスコの後ろには二十人近い仲間たちがいる。彼らをバケモノの毒牙にかけるわけにはいかない。
それでも壁は軋み、小さな罅が入っていく。それが少しずつ大きくなり。そして。
「ぬァァァァァ!!!!」
壁が割れた。半透明の壁はガラスのように飛び散った。
三等級の能力者は決して弱くない。現にフランチェスコの壁を生み出す能力も戦車くらいなら相手にできる。
だがメイオールは、かつて時任聖をはじめとした一等級や二等級の能力者が戦っていたバケモノだ。それほどの敵を前にしてはやはり力不足という現実が露わになってしまう。
ここまでか。フランチェスコの背後に隠れた二十名も、離れた場所で戦っていたナースたちも、これから生まれる凄惨な現場から目を背けるように顔を伏せた。
……。
刹那、メイオールが二体同時に姿を消した。
否。さながら三遊間を抜ける白球のようにバウンドしながら転がっていったのである。
その二体のメイオールはナースたちが応戦していた二体を巻き込み、四体が丸ごと全員転がっていった。ボロボロになった民家や飲食店を何件か貫通し砂埃があたりに立ち込める。
「本当は出て来る気はなかったんだ。自分たちが住まう国や街を守るために立ち上がる気持ちはわからないでもない。これでも私は一応護国を目的とした組織の端くれにいた身だからな。だったら部外者の私に出る幕などない。そう思っていた。……でも、きっと私の愛したアイツなら、目の前で誰かが傷つくところをみすみす見逃すはずがない」
砂埃が晴れた先にいたのは一人の少女だった。艶やかな黒髪をポニーテールにし、赤や桃色を基調とした女性らしい袴と主張の激しい豊かな胸。
そんな可憐な姿には似合わない鈍く光る日本刀を鞘に納刀した少女はわずかに笑みを浮かべて言った。
「水色の髪をした小さな少女が言っていた。この街では誰しもが自由だと。誰かを助けるのもまた、私の勝手だと。だったら一宿一飯の恩、ここで返させてもらおう。この高宮円の名に懸けて」
夏バテと体調不良により更新が滞っておりました。すいません。