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第340話 白いワンピース

 スピカが座禅瞑想修業を一週間、聖皇や竜輝との実戦修業を一週間。合わせて二週間を京都で過ごしていた頃。

 

 マダガスカルの地へと降り立ったカペラも悠々自適な暮らしを開始して同じく二週間が経っていた。

 相変わらずお金はないので食事はウィスタリアにたかったり街の人たちに分けてもらったりし、寝床はナースに提供してもらっている。


 今までは病的に成果を追い求めて仕事にまい進していたが、この二週間、一度も星詠機関(アステリズム)と連絡を取っていない。

 それほどにマダガスカルでの暮らしはカペラにとって快適で自由で心地の良いものだった。


 人に恵まれ、食にも恵まれた。豊かな自然に、不便だが助け合う暮らしに、深呼吸したくなるほど美味しい空気にも心が満たされた。



「カペラちゃん、これさ、俺の娘が着てた服のお古なんだ。サイズ的にぴったりだからよかったら着てみれくれないか?」



 すっかり完治した脚でウィスタリアと街をぶらついていると顔馴染みの男からそんな提案を受けた。

 彼はマダガスカルではあまり多くないブティックの店舗を経営していて、お世辞にもお洒落とは言えない店構えだがこれでも街の女子たちからは人気があり、カペラも何度か店を覗いたことがある。


 カペラ自身この店主の男とも会話を交わしたのは一度や二度ではないし、ウィスタリアは言うまでもなく友達のように親し気だ。

 見たところ三、四十代といったところで、顔立ちからして東欧系。少し心配になるほど痩せているが本人はいたって元気だ。



「おっちゃんの娘さん、もうハタチくらいか? 俺とそんなに変わらなかったよな」


「ああ。今年で二十一だからウィスタリアの一個下だな。もう十年以上会っちゃいないが」


「寂しくないんですか……?」



 ハンガーにかけられた服を受け取ったカペラは真っすぐに見つめて尋ねた。その幼く穏やかで純粋な瞳にどこか懐かしさを感じながら、切なそうに店主の男は笑う。



「まあ、寂しくないと言ったら嘘になるな。だけどお金はこれ以上ないくらい残してきたし、嫁さんには新しい夫を見つけるように言ってある。あいつらが幸せなら俺はそれでいいんだ」



 どう答えたらいいのか、カペラは視線を泳がせる。気を遣わせてしまったかな、と店主の男は申し訳なさそうにもう一度小さく笑った。湿っぽい空気を払拭しようと店主の男は『茶でも淹れてくる』と店の奥へと戻っていく。


 カペラは試着室に入りカーテンを閉めた。上着のボタンを外し、彼女の髪と同じ薄水色のキャミソールが外気に触れる。幼児体型で胸が平なカペラにはオトナな下着はまだ必要なかった。



(娘さんに最後に会ったのは十年前で、今は二十一歳って言ってたよね。ということは娘さんのお古のこの服って少なくとも十一歳のときのなんじゃ……)



 残酷な現実に気が付いてしまったカペラはハンガーに吊るしたワンピースを眺めながら遠い目をした。

 続いて鏡に写る自分の幼児体型をギロリと睨みつける。両手で脇から押して胸に肉を集めようとするが、キャミソールの隙間にうっすらと線が浮かぶだけで谷間と呼べるものは到底現れなかった。


 スカートのホックを外す。床に落ちてファサリと音を立てる。そのとき、試着室の外で待っていたウィスタリアがカーテン越しに話しかけてきた。



「あのおっちゃんな、今はこんな可愛らしい服屋なんてやってるが、あれでも昔は殺し屋だったんだ。東欧にある小国の王族お抱えだったらしい。政敵を殺して、殺して、殺して。娘さんが一生食うのに困らないくらいの金は本当に残してるだろう」



 カペラは着替えの手がぴたりと止まる。自分に対して優しい視線を向ける店主の男の両眼は紫色だった。たしかに三等級の能力者なら、軍人や格闘家のような戦闘のプロフェッショナルが束になっても圧倒できるだろう。殺し屋稼業で成功するのも頷ける。


 だが、怖いとは思えなかった。カペラは少し世間知らずなところはあるが馬鹿ではないし鈍感でもない。店主の男が自分に娘の面影を重ねて見ていることくらいは気が付いていた。

 こうしてわざわざお古のワンピースを着てあげようと思ったのもそれが理由だ。



「……それがどうかした? 星詠機関(アステリズム)である私がおじさんを捕まえるんじゃないかって警戒してる?」


「まさか。今のお前がそんなことをする奴じゃないってのは俺が一番わかってるよ。ただ知ってほしかっただけだ。どうしておっちゃんが大切な家族を残してまで故郷を離れたのかをな。そういうワケありがこの街には大勢いる。お前がこの街に馴染んできたと思ったからこそ話すんだ。……なんというか、俺はお前にこの国を好きになってほしいと思ってる。綺麗なところもそうじゃないところも、丸ごとな」


「……そう。ありがと」



 何がありがとうなのかはわからない。ただ、カペラはそれをウィスタリアなりの信頼の証のつもりなのだろうと思った。そう考えたときに感謝の言葉が不意にこぼれたのだ。

 

 着替え終えたカペラが試着室のカーテンを開ける。ちょうどそのとき店の奥から店主の男も戻ってきた。ガタイが良いのに白いエプロンなんかして、お盆にはティーカップが三杯。



「よく似合ってるなカペラちゃん! ……娘の幼いときを思い出すよ。パパ、パパ、って後ろをついて回ってな。たくさん嘘をついてたくさん迷惑もかけちまったが、俺はあの子を幸せにできたのかな……。いいやなんでもない。すまないなカペラちゃん。変なことを口走っちまったよ。俺も歳だな。その服はやるから、ウィスタリアのデートに着てってくれや」


「おいおっちゃん、俺はこんなチンチクリンとはデートする仲じゃない!」


「ウィスタリアてめぇ! 俺の娘になんてことを! ……って、ちげぇちげぇ。ついカッとなっちまった」



 まるでカペラを自分の本当の娘かのように思ってしまっている店主の男は、恥ずかしそうに後ろ頭をかいた。

 カペラはその様子を見て、少し考えたからゆっくりと口を開く。



「ねぇウィスタリア。正直に答えて。今の私、可愛い?」


「それは……」



 チンチクリンだの何だといつものように軽口を叩きそうにあるウィスタリアは、しかしカペラの真剣なまなざしに覗き込まれて口をつぐんだ。


 白いワンピースはこれといった特徴があるわけではない。膝のあたりでスカートの裾がひらひらと揺れ、慎ましいレース柄が小さなアクセントとなっているが、その程度。

 実に地味だ。しかし余計な装飾がない分、カペラの顔がよく見える。完治した脚も、柔らかそうな腋や腕も、涼しそうな首元も。


 まるでひまわり畑の絵画から連れて来たような、太陽の香りを宿した妖精。ウィスタリアはカペラに対して抱いたこの感想を口にするのは恥ずかしくて躊躇われた。

 だから精一杯の言葉を辛うじて絞り出す。



「……ああ。すごく似合ってて、可愛いと思う」


「うん。知ってる。だっておじさんがくれた服だもん」



 ね? とカペラは店主の男の方へ振り向く。

 カペラの気遣いに気が付いた店主の男はただ感謝と愛情を湛えて頷いた。



「ほら、行くぞ」



 ウィスタリアがカペラの手を取り二人は店を後にした。

 せっかくなら観光名所でも行ってみたい。カペラにそう言われたウィスタリアは顎に手を当てて頭を悩ませる。マダガスカルに名所らしい名所はないのだ。



「ほんじゃあ、バオバブ街道でも行ってみるか。すごく背の高い木で、神秘の木って言われてるんだ。あと形が変」


「変? 何それ気になる」


「木だけにってか?」



 つまらないことを言ったウィスタリアにカペラは冷たい視線を向ける。二人は並んで歩いて大通りを抜け、街のはずれからさらに奥へ奥へと進む。


 黒い二十一天(ウラノメトリア)のジャケットを脱ぎ去り純真無垢な白ワンピース姿になったカペラはいつまで経っても新鮮で、ウィスタリアは隣で歩幅を合わせるカペラをチラチラと見続け、カペラからは不審がられるのだった。

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