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第338話 修業は実戦形式へ

 内裏には南庭という広場がある。紫宸殿の正面に位置し、地面には白い小石が隙間なく敷き詰められている。元々は儀式を行う目的で作られているので、小石と言っても砂利のようなものではなくそのまま座っても痛くない程度のものだ。柔らかい砂浜の地面にイメージは近い。

 

 九月も下旬に差し掛かり秋も深くなってきた。だというのに聖皇の時間停止の能力により桜の木は枯れることなく薄紅色の花弁を吹雪のように舞い散らせている。

 日光がじりじりとスピカの肌を差す。紫宸殿の中で行った座禅・瞑想の修業を終えてからさらに一週間が経ち、ここ最近は聖皇が直々にスピカと手合わせをしていた。



(やっぱり修業の前よりも空気の流れや空気に含まれる水分の重みが手に取るようにわかるわ。能力を発動したときの負担も少ない。悔しいけど一人で闇雲に努力するよりも的確で効率的ね)



 左右の人差し指と親指の指先をそれぞれくっつけて三角形を作り、その中に聖皇が収まるように狙いを定める。

 今はまだこうして知覚認知の補助が必要だが、両掌で作った三角形の前にはボウリング玉ほどの水球が突如出現した。空気中の水分を抜き出したのだ。


 水球は捩じれながらドリルのように先を尖らせ、美しい青色の三角錐を形成して聖皇へと射出された。



「良いイメージじゃ。空気という目に見えぬ流体から水分を抽出し、水という不定形の流体に対して最も合理的な形を与えておる。そしてそのプロセスも日に日に早くなっておる」



 聖皇の赤い両眼は光を宿さない。能力など使うまでもないとばかりに半身の姿勢になって三角錐の水の先端を躱すと側面を刀の刃で撫でるように優しく叩いた。

 それだけで軌道が逸らされる。金属すら削り取る水の力も当たらなければどうということもない。

 聖皇はさらに地面を蹴ってスピカに接近し刀を上段に持ち上げる。



(能力を使わずにこの脚力、いくらなんでも常人離れし過ぎでしょ!)



 スピカは振り下ろされる刀に対して空気を操り軌道を無理矢理に変更させた。刃はスピカの身体の横を通過し白い砂石の地面を叩きつけられる。


 互いに相手を即死させかねない大技は放たない。ゆえに地味な戦闘が続いており、どちらも相手の攻撃を最低限でいなしている。

 一見すると地味な絵面でありながらその実態は二人の高度な読み合いと聖皇の繊細な刀捌き、そして使い方の幅が広がったスピカの能力という三つ全てが奇跡的に噛み合うことで完成する芸術の様相を呈していた。



「ならばこれはどうじゃ?」



 聖皇の赤い両眼が淡く光る。次の瞬間、今まで目の前にいたはずの聖皇が消え去り背後から刀の風切る音が聞こえる。スピカを試すと言ったときと同じ戦法だ。



「同じ攻撃を二回も喰らうのはナンセンスよ。 私はそんな無様を晒す私を許さない!」



 スピカは振り返りながら聖皇に向かって腕を鞭のように振るう。そのモーションの過程で腕に空気中の水分が集められ、細長く引っ張った雪の結晶のような形をした半透明の青い盾が現出した。

 刀がスピカの脳天をかち割る直前に盾を滑りこませて受け止める。さらに腕をしならせた勢いそのままにスピカは身体を半回転させて聖皇の側頭部へとハイキックを見舞った。


 聖皇の身体が吹き飛ぶ。空中で身軽にバク宙しながら難なく着地した。



「咄嗟に刀の柄で受け止めるなんてさすがね。たしか、柄頭(つかがしら)っていったかしら? 刃は私の盾に受け止められているからすぐに防御に回せない。だけど柄の先端なら少し傾けるだけで私の蹴りの間に割り込ませられる。あってる?」


「クックックッ、観察眼も立派なものじゃな。して、大人っぽいおぬしに似合わぬピンク色の可愛らしい下着は黄昏暁の趣味かえ?」


「……観察眼はお互い様みたいね」



 ハイキックをかませば当然ながら太ももを半分ほどしか隠していない黒いミニのフレアスカートの中身は相手に丸見えになる。

 スピカは同性にパンツを見られたくらいではたじろがない。自分の美しさに自信を持っているので堂々としたものだ。いじり甲斐がないと聖皇は少しつまらなさそうにする。

 その代わりに戦闘訓練で楽しませてくれと言わんばかりに、赤い両眼を淡く光らせた聖皇は再び地を蹴った。



「くっ……この速度感には慣れない!」



 五メートルは離れていたのに一瞬で距離を詰められて斬りかかる聖皇。時間停止を使われてしまっては距離などあってないようなものだ。スピカは咄嗟の反応が要求され、腕の水盾で刀を受け止めるも徐々にほころびが見え始める。


 聖皇は正面から斬りかかり、盾に弾かれたら今度は右斜め後ろから。それを再びスピカに対処されれば左斜め下から掬い上げるように。真横から。真後ろから。時には真上から。

 時間停止を駆使し疑似的なテレポートのような戦法でスピカの四方八方、三六〇度から襲い掛かる。


 最初は盾で受け止めていたスピカも少しずつ反応が遅れ始めていく。聖皇は意図的にペースを上げているのだ。そうでなければ修業にならない。



「どうしたんじゃ! あのとき妾にわずかでも傷をつけたのは偶然か? 一手先で足らぬなら十手先を。十手先で足らぬなら百手先を読むんじゃ。選択肢の枝葉を増やすのはおぬし自身の能力の限界を超えた先にある! 妾におぬしの全力を見せてみよ!!」



 聖皇の連続斬撃を捌ききれず服やスカートに切れ込みが入っていき、さらにそのうちの何度かは皮膚にまで刃が届いてしまっている。スピカは奥歯を噛みしめながら戦闘脳のアクセルを踏んだ。

 近くの川や用水路といった水脈を利用することはできない。試験のときのように自爆特攻をし自分の血液で攻撃することもしない。どちらもスピカが鍛錬のため自身に課した枷である。


 息が切れる。脳がショートしそうになる。身体には傷が増え続ける。



(今ある手札でなんとかしないと。でもどうやって? 空気を操っても聖皇はすぐに移動するから無駄になる。水の盾を作ったのはいいけど私の反応が追い付かない……)



 スピカの端正で美しい顔が苦悶に歪む。出血が増えるたびに透き通る肌は不健康に青くなる。最初の試験の時と同じだ。徐々に追い詰められるのはスピカの方。


 これはあくまで修業である。聖皇も殺す気で戦っているわけではない。だからここで諦めたって、スピカは別に死にはしない。苦しいならやめればいい。



(……だめ。そんなみっともない私は私じゃない! 全神経が焼き切れるまで考え続けなさいスピカ。私はいつかアカツキの隣に立つのに相応しい強さをもった女になるんでしょう! だったら諦めるなんて論外! 彼に背中を預けてもらえるように。大好きな彼の力に少しでもなれるように。もう二度とクリムゾンと戦ったときや高宮薫と戦ったときのような無様で弱い姿は……)



 そのとき、スピカは聖皇の刀を水盾で受け止めながらふと思い出すことがあった。そうだ、同じ日本人で刀を使う女と戦った経験があるではないか。

 イギリスでシアンサイドにいた高宮薫と戦ったとき、スピカは鉄扇を一枚ずつに分離させビット兵器として活用した。あれを利用すれば聖皇の全方位斬撃にも対応できるはずだ。



(でも鉄扇はもってきてない。何か代わりになるものを使って……)



 スピカは心の中で首を横に振った。違うだろう。そうじゃないだろう。

 聖皇も言っていたではないか。能力の限界を超えていけと。その通りだ。陳腐な表現だとしても、己の限界を超えることこそが修業の本懐である。


 スピカの青い両眼が淡く光る。



「スピカよ、耐えるだけでは妾には勝てんぞ!」



 スピカの左後方、八時の方向から刀が横薙ぎに振るわれる。

 刀とスピカの間に菱形の青いシールドが割り込んだ。宙に浮かぶ半透明のシールドは表面が波打っており刃を受け流す。


 続けて聖皇は真上に跳び、刀の切っ先で脳天を穿とうと身体ごと落下した。しかし今度も青い菱形のシールドに防がれる。

 さらに続けて背後から、横から、上から下から左右から斬りかかるものの全て水のシールドに遮られる。浮遊するシールドは優に二十枚を超えていた。



「先ほど腕に展開しておった水の盾といい、この幾つものシールドといい、ただの水に妾の刀撃が防がれるはずがないんじゃがのう」


「ダイラタンシー現象よ。ここの地面、細かい石や砂でしょう? その破片を空気中の水分と混ぜ合わせて粘度のある非ニュートン流体にしたのよ。普段はただの液体だけど、外部から力が加わったときだけは液内の粒子が固まって固体の性質を示す。だから相手の力が強ければ強いほど強固な壁となるってわけね」


「リキッドアーマーじゃったか。液体を使った防弾チョッキの研究も進んでおると耳にはしておったが……。クックックッ、空気中の水分を操れるようになったおぬしがここまで厄介とはのう! それに水に含ませる粉末や粒子は空気を操ることでいくらでも供給できる。間違いなく数週間前のおぬしでは辿り着けなかった境地じゃ!」



 スピカは目にしたことはないが、ダイラタンシー現象は日本では片栗粉を含ませた白濁液の上で素早く脚を動かすことで水の上を走れる、という形で頻繁にテレビ番組等々で紹介されている。

 今回は普通の人の走る脚力ではなく、聖皇の重たい刀の一撃。その分だけ液の硬化も強くなる。


 スピカは凛々しい視線で聖皇を射抜く。まだまだこの程度ではない、と眼が語る。



「行くわよ聖皇。防御ばかりじゃ勝てないっていうのはその通り。だから私は逃げない! 折れない! 立ち止まらない!」



 菱形の水のシールドはパネルを並べるように空中で辺と辺を繋ぎ合わせた。小さな一個の菱形が二枚並べば細長い菱形になる。それらが二十枚以上次々と連なり、三メートル近い巨大な平行四辺形を形成した。

 薄く細い平行四辺形はまるで一本の(つるぎ)である。半透明で青色なその大剣は側面を振動させている。いわばウォーターカッターのチェンソーだ。



「この数週間の集大成よ。今の私だから放てる全力全開、乾坤一擲の一撃!」



 スピカが右手を天に向ける。空気が操られ水が操られ、水の大剣も上を向いた。そしてスピカが腕を振り下ろすのに合わせて大剣も聖皇へと振り下ろされる。


 聖皇はふっ、と小さく笑った。弟子が凄まじい速度で成長するのを喜ぶ師としての顔だ。短期間ではあるもののスピカに修業をつける中で聖皇なりに情や愛着が湧いていたのだ。まして、親友によく似た孫娘なのだから。成長が嬉しくないわけがない。


 時間を止めれば避けるのは簡単だ。まあ、スピカはもちろんその後の策も用意しているのだろうが。聖皇はそこまで考えた上でなお、あえて受けてみたいと思った。

 日本刀を中段に構える。自分の剣とスピカの剣。どちらが上か試すのも面白いではないか。


 二人の全身全霊を賭した剣が斬り結ぶ。互いに笑っていた。そして、その衝突の結末は──。



「水星──(さや)かなるマーキュリー」



 スピカの水の大剣が溶けるように空中でほどけ、地面へと零れ落ち雨になって降り注ぐという呆気ない結末を迎える。



「何を荒ぶってはるんやそこのお二人さん。衝撃波で内裏どころか平安京ごとぶっ壊す気かいな」



 飄々とした声が戦いに水を差す。軽めの天然パーマのマッシュヘアで飴色の着物を着ている青年が呆れたように言い放った。

 身体のいたるところに包帯を巻いている彼の名は、心宿(なかごぼし)讐弥。授刀衛最強の男である。

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