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第333話 良い女

「今、誰かが高所から飛び降りて怪我をした私を馬鹿にした気がする」


「いや、誰がどう考えてもその行動はアホだろう。胸に行かなかった栄養が頭にも行っていないとは、なんと可哀想な……」


「うるさい。ウィスタリアは黙ってて」


「ちょ、蹴るな、いくら脚がもうよくなってるからって蹴るんじゃない!」


「すっかり元気になってよかったわ」



 わざとらしく泣いたフリをしてまで煽ってきたウィスタリアの脛をテーブルの下で蹴飛ばすカペラ。日が落ちて診療所も閉めたというのにナース服姿のままのナースは微笑みながら鍋を抱えておたまで皿に料理をよそっていく。スパイスの香ばしく食欲をそそる匂いがカペラを鼻をひくひくと動かす。



「住むところのない入院患者のコイツはともかく、俺までご相伴に預かってよかったのか?」


「ええ。ウィスタリアには、その……私の手料理を食べてほしいもの」



 そう言ってナースは顔を赤くする。ウィスタリアのことを直視できずに視線を逸らし、それでもやっぱりチラチラと彼の方を見ている。

 カペラはそんなナースの様子を見て、誰がどう考えたってナースはウィスタリアに恋していると確信した。自分だけでなく周囲の他の者たちもきっと気が付いているだろう。



「そうか。じゃあ、いただきます」



 ウィスタリアはタダ飯にありつけてラッキーくらいにしか思っていなかった。もちろんナースには感謝しているし人として好きなのだが、彼女が恋愛感情を向けているなんて夢にも思っていない様子だ。


 スプーンが粥の白い大地に突き刺さる。粥の上には豚肉と唐辛子にふんだんのスパイスとだし汁。それにクミンと玉ねぎが風味を添えている。ルー少なめで具材の主張の強いスープカレーのような見た目だ。

 食べれば食べるほど食欲を刺激する料理にウィスタリアの手はますます早くなり胃袋へと流し込んでいく。カペラは見たことのない料理だったが、どうやらこれが主食である。


 さらにもう一皿。こちらは主菜(メインディッシュ)だろうか。挽肉とトマトソースで作ったグラタンかドリアのような料理で、特徴的なのはたまご焼きが上に乗っていることだ。細かく刻んだパセリも見た目に彩をもたらしている。こちらもやはりカペラは見たことがなかった。



「ナースさん、これ何ていう料理なんですか?」


「ウィスタリアくんが最初に食べたのがジャレーシュで、今食べてるのがシャクシュカ。どちらも私の故郷で一番ポピュラーな料理なの」



 照れくさそうにナースは笑ってカペラに教えてくれた。日本風に言えば女性が肉じゃがで好きな男の胃袋を掴もうとするようなものだろうか。カペラは同じ二十一天(ウラノメトリア)に所属する、自分と同じくらい背の低い無能力者の日本人が教えてくれた知識をふと思い出した。



「さあ、カペラちゃんも冷める前にどうぞ」


「じゃあ、遠慮なく」



 そもそもの話。カペラとウィスタリアが夜分遅くにここ、ナースの自宅にいるのはナース自身が二人を招待したからだった。

 二人は夕陽を背にして落下した後に一度診療所に戻り、入院患者のカペラをその後どのような処遇にするかを話し合ったのだ。


 星詠機関(アステリズム)に追い返すのか、はたまた国外追放くらいで済ますか。それとも。


 昨日の昼頃にウィスタリアを捕まえにきたというのに、今日診療所で目を覚ましてから丸一日ここマダガスカルにいた。この国の街や人々を気に入ったカペラは直接的にそう言葉にすることはなかったが雰囲気を察したナースから『しばらくうちに泊まってはどうか』と提案を受け、それに乗った形になる。


 ウィスタリアもこの国にいたいなら好きなだけ居座れとカペラを受け入れた。



「美味しい……美味しい!」


「よかった」



 小さな口いっぱいに頬張るカペラの姿にナースは微笑む。ナースは緑色の両眼を淡く光らせ、鍋に手をかざした。鍋は輪郭を縁取られるように青く発光するとフワフワと空中を浮遊し数メートル先のキッチンの流しへと運ばれる。

 さらにナースが掌をグーの形にすると蛇口が開かれ、使用済みの鍋の中に水がためられていく。油汚れはしつこいので事前に水に漬けて汚れを落としておくためだ。


 それからウィスタリアとカペラはナースの料理に舌鼓を打った。四人掛けのウッドテーブルで並んで座り食事をする二人の姿は兄妹みたいだ、とナースは優し気に笑った。彼女が座っているのはウィスタリアの正面で、時々熱っぽい視線を送っていた。



「いやぁ食った食った。俺の家は立地こそ一番立派らしいが、いかんせん狭苦しいからなあ。自炊もできないし食事をするにも下の街まで降りてこにゃならん。ナースの手料理は本当に助かる」


「……ああ、私が天井から突撃して壊したあの家。たしかに丘の上にあって標高は高かったけれど……」


「自然界では高所を征する生物は有利に立つんだ。進化の過程でキリンの首が伸びていくようなもんさ。そういうよくわからん価値観が蔓延ってるあたり、田舎だろう?」



 自虐的に笑ってみせたウィスタリアにつられてカペラもクスクスと笑う。この国の首脳なのにナースより家が狭いとはとんだお笑いである。

 ナースは再び能力を発動し、空になった皿を流しへと下げた。カペラは自分も手伝うと申し出るも『いいよいいよ、お客さんなんだからくつろいでて』とナースに言われてしまい、肩を落とした。


 が、ナースが能力で皿を浮かし複数のスポンジを同時に操って皿洗いをする曲芸じみた光景を見せられ、たしかに家事に慣れない自分が手伝うよりよっぽど早く終わるだろうと納得させられてしまった。



「ウィスタリアくん、お風呂もうできてるよ。お先にどうぞ」


「え、ウィスタリアも泊まる、の……?」


「まあ時々ではあるがナースの家には泊まりに来たことはあるからな。じゃあ風呂いってくる」



 リビングにあるタンスから慣れた様子でタオルを一枚取るとウィスタリアは自然な足取りで風呂場へと向かって行った。

 カペラは顔を真っ赤にしてぎこちなくナースを見つめた。



「ナ、ナースさんって、なんというかその……結構アダルトで肉食な傾向の方なんですね」


「違う違う。そんなんじゃないよ。泊まりに来るって言っても本当にただごはん食べて寝るだけ。あの人は私なんて何とも思ってないから」


「そうなんですか……?」



 キッチンにいるナースは手早く湯を沸かしブラックのホットコーヒーを二つ、カペラと自分の席に置いた。テーブルの端にあった角砂糖をカペラの方へ手でそっと押し出す。


 先ほどウィスタリアがタオルを取ったタンスの別の引き出しから衣服を適当に選び取り、白衣を脱ぐ。褐色で艶のある肌と黒い下着に包まれた豊かな胸の膨らみは同性のカペラすら思わず感嘆の声を上げるほど美しい。大量の砂糖を入れたコーヒーをちびちび飲みながらカペラはナースの着替えをこっそり視界の端で捉えた。



「でも、それでいいの。私はあの人の重荷にはなりたくないから。彼からしたらマダガスカルにいるのは過程であって目的じゃない。ここで暮らしてる人たちもそれがわかっているから、彼といられる一瞬一瞬を大事にするのよ」



 ナースが手に取った服はワンピースタイプのようで、スカートの側から頭を入れてかぶりすっぽりと全身を包み込んだ。黒を基調としつつ柄や模様はトラディショナルで、先ほどの食事同様彼女の故郷のものだろうとカペラは推測した。

 着替え終えたナースはカペラの正面に座り両手で包むようにしてコーヒーカップで手を温めた。ところどころ肌が透けていたり胸元は谷間が露わになっていたりと服装は少々扇情的だ。



「マダガスカルって赤道も近いし南半球だしサバンナもあるしすごく暑い地域なんだけどね、夜になるとぐっと冷え込むの」



 言われてみれば気温は昼間より低い気がする。カペラがここまでそれに気が付かなかったのはナースの用意したスパイス料理が身体を芯から温めてくれていたからだ。ウィスタリアのために風呂を準備をしていたのも彼女なりのそうした気遣いの一環なのだろう。


 カペラは恋愛経験がない。そもそも他人を好きだと思ったこと自体がほとんどない。それでも、これがいわゆる『良い女』なのだろう。ナースを見ていると自分にしては珍しいそんな感想が湧き出てくる。



「ナースさんは本当にウィスタリアが好きなんですね」


「えへへ。まあね」



 自分よりもずっと年上の女性なのに、照れ笑いを浮かべるナースはうら若い少女の面影があった。あまりにまっすぐで純粋な恋心を目の前にしカペラは自分が恋愛すらせずに抑圧されて生きてきたのだと再確認する。



(でもウィスタリアはもっと自由に生きろと言ってくれた。何にも縛られず、責任も負わず、重圧なんて無視していいんだって。私にとってそれは本当に……)



 救済? 解放? いいや違う。あえて名前をつけるなら、真に自分が生まれた日。カペラがカペラ自身として生きるアイデンティティを手に入れたということに他ならないのだ。



「あの、ナースさん」


「なあに?」



 カペラは緊張をほぐすようにコーヒーで喉を潤す。別に今からナースに聞きたいことは緊張するような内容ではないが、人によっては地雷かもしれないので。



「ナースさんは、その……本名じゃないですよね。だってナースは職業だし。せめてウィスタリアには本当の名前を教えても……あの、別に深い意味はないです。そのなんというか、好きなら、そういうのもあるのかなって」



 余計な気を使った結果しどろもどろになったカペラを可愛らしいと感じたナースは微笑みながら答えた。



「カペラちゃんの言う通りナースは本名じゃない。自由なこの国で職業や役割に自分を縛るなんて馬鹿みたいよね。でも……もし私が私という一人の女として彼のそばにいたら、きっと彼の足枷になってしまう。彼が大きな夢の最果てに向かおうとしているときに行かないでって引き留めちゃうと思うの。だから、私は彼にとって人生の一時期を過ごした国のとある診療所のとあるナース。登場人物の一人で構わない」



 切なそうに。でもどこか誇らしげにナースは笑顔を浮かべた。コーヒーの湯気が立っては消える。木板の床に触れる足裏が汗でベタつく。カペラは目を伏せた。



「そんな……そんなの、あんまりです。絶対に報われない……その……恋、じゃないですか」


「そうね。絶対に報われないわ。でもね。好きな人のために生きて死ぬ。そんな人生、とっても自由だと思わない?」



 ナースが誇らしそうにしていたのはそれが彼女自身の選択だからなのか、とカペラは胸がすく思いに駆られた。


 人は誰しも生きる理由や意味を求めている。たとえばかつての自分は親からの重圧(プレッシャー)に応えるためだったし、他にも善行を積み重ねるために生きる者、私利私欲を追求するために生きる者。きっと十人十色の人生の意味がそこにある。

 その中でナースは誰にも縛られず、命じられることもなく、自分の意思と想いに殉じることを選んだだけのこと。



「……現に、星詠機関(アステリズム)からは私がウィスタリアを捕まえにきました。彼がネバードーンの直系である限り、星詠機関(アステリズム)はもちろん他のネバードーンも彼を狙う……」


「もしも。もしもの話だけど私が晴れて彼の恋人になれたとして。彼の大切な人になれたとして。きっと弱い私は人質にでもなっちゃって、彼の決意や判断を鈍らせる。そんなの絶対に嫌だもの」


「弱くなんかないですよ。ナースさんは」



 カペラの心の底からの言葉だった。母に見てもらいたくて認めてもらいたくて成果を出すことだけが全てだと思って生きてきたカペラにとって、大切な人に認めてもらわないための人生をあえて選ぶなんて。

 カペラは今日一日、ナースはウィスタリアに恋をしていると思っていた。たしかにそれも部分的には強ち間違いではない。が、根本的には違う。大切な人のために決して報われない修羅の人生を歩むナースのそれは、そう、きっと。



「愛している人のためなら、女はどこまでも強くなれるのよ」



 ウィスタリアが風呂から上がると、ナースは私は最後でいいからと告げてカペラに先を譲るのだった。

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