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第332話 空から飛び降りて怪我をする奴は二流

 はっきり言ってスピカは不愉快だった。明らかに全力を出していない聖皇に対しても、彼女にそうさせてしまう自分の未熟さも、何もかも。

 聖皇が言う通りこれはテストだ。そもそも二等級のスピカでは逆立ちしても一等級の聖皇には勝てない。でも、スピカは手を抜く気は微塵もなかった。


 どうせ一等級に勝てるわけない。だから諦めて、怪我をしない程度に頑張ろう。

 たとえ一等級が相手でも勝てるかもしれない。諦めず、何重にも策を張り巡らせわずかな可能性に賭けよう。


 

「どっちが美しいかなんて、一目瞭然、よね……」



 スピカは整った西洋的な顔立ちを苦悶で歪めながらバタンと前のめりに倒れ込んだ。新雪のように白い肌は不健康なほどに青白い。血を流しすぎたようだ。肉を切らせて骨を断つ作戦の代償は当然大きいものだった。

 ゴロリと仰向けになり紫宸殿の天井を見上げる。練香の甘い香りに混じって鉄っぽい血の匂いが漂いむせかえりそうになる。



(流れ出て行っちゃった血は酸化してるから体内には戻せないけど、少なくともこれ以上の失血は能力で防げそうね)



 青い両眼が淡く光り、スピカの流体を操る能力が血流を整えた。肩がざっくりと裂けているというのに血は一滴たりとも滴り落ちることなく体内を循環し始めた。たとえ心肺機能が停止してもスピカならばしばらく活動できるだろう。



「あとは聖皇をどうするか、ってところね。水龍ははるか数千メートル上空にいる。聖皇は水龍に咥えられているからその場で放り出されたらひとたまりもないはず」



 いくら時間停止の能力が強力とはいえ、足場も何もない空中ではどうすることもできまい。それがスピカの狙いだった。

 相手の能力を分析し即座に弱点を見つけ出す観察眼や思考力が非常に高い。これは星詠機関(アステリズム)で戦闘要員として生きていくには必須に技能であり、以前ナツキが日本支部の筆記試験を受けたときにもこうした戦闘の疑似思考回路を試す問題が多く出題されていた。


 スピカは聖皇を殺害したいわけではないので、水龍をそのまま降ろすことにした。聖皇には無事に戻ってきてもらおう。青い両眼が淡く光る。天井に向かって腕を伸ばし、その向こう側はるか上空にいる水龍を操作した。

 水龍の方向を転換したその瞬間。



「……え?」



 水龍の感覚が消えた。能力の不具合かとも考えたが、身体の血流を操る力は正常に機能している。

 ということはつまり。



「水龍が、やられた……?」


「すまんが、手刀で斬らせてもらったぞ」



 背筋が凍るとはこのことか、とスピカはどっと冷や汗が吹き出した。仰向けに寝ているスピカの頬に水滴がぴしゃりと数滴付着した。眼球だけ動かし後方へ視線を向けると、手を振り払う黒着物の美しい女性の姿がある。



「そんな……どうして、たしかに雲の上まで」


「うむ。天晴じゃ。あの水龍は鴨川の水かのう? それと堀川小路か。クックックッ、妾に悟られることなく時間を稼いでいたのも水をかき集め、最後の最後で妾を捕える算段だったというわけじゃな。己の弱さを知りそれを利用する賢さをもっておる。誇るがいい。おぬしは妾が出会ってきた二等級の能力者の中で、二番目に強い」



 一番強いのはおぬしの大叔母にあたる空色の眼をした金髪の少女だが、という言葉を聖皇は喉元で飲み込む。


 鴨川は京都最大の河川で、正方形をした平安京の周囲をなぞるように一直線に流れている。平安京の玄関口である羅城門から内裏をまっすぐつなぐ朱雀大路と平行で、内裏側から見ると左手に位置する。

 堀川小路というのは平安京内を流れる人口河川だ。河川というより実体は水路で、物資の運搬や生活用水などにも活用されている。


 スピカは目を閉じると、小さく溜息をついた。そして呼吸を整えてから口を開く。



「教えて。一体どうやってここに戻ってきたの?」


「ん? なぁに、水龍を手刀で斬り伏せた後、時間を止めて飛び降りただけじゃ」


「でもそれじゃあ身体が粉砕されるはずよ。いくら一等級の能力者でも空の上から飛び降りて無事なわけがないわ」


「クックックッ、高所から飛び降りて怪我を負うなど二流じゃ。妾は時間停止の能力を己自身に付与しておる。人体の劣化、老衰、病気、怪我、そして死。それらは全て変化の過程と結果に過ぎん。いずれ花が枯れ落ちるというのならばそれすらも止めてしまえばよい。ゆえに妾の肉体には時系列的な因果関係に基づく変化は生じ得ん。腹も減らぬし汗もかかんというわけじゃな」


「そんな、デタラメな……」


「出鱈目こそが一等級よ。おぬしも見ておろう?」



 たしかにナツキもシリウスもクリムゾンもそれくらいの無茶苦茶はやりそうだ。スピカは自分と一等級との間にあまりに大きな隔たりがあることを改めて痛感した。絶望にも近い現実だ。



「聖皇。単刀直入に聞くわ。二等級の能力しかもたない私があなたに鍛えてもらって、彼の……黄昏暁の隣に立てるくらい強くなれる? 足を引っ張らないくらいにはなれる?」


「クックックッ、何を言うかと思えばそんなことか。足を引っ張らずに済むか、じゃと? 安心せい。一等級の能力者など()()()()()くらいにしてやろうぞ」


「はぁぁぁ!?」



 スピカはここへ来て初めて素っ頓狂な声を上げた。一等級の能力者を倒すなど夢物語だ。それを聖皇は簡単にできると言ってのけた。

 聖皇が虚言を言っている様子は少しもない。それどころかある種の確信めいたものすら感じる。その血のような紅の瞳に魅入られていると本当にできるかもしれないと力が湧いてくる。


 聖皇とて伊達や酔狂でこんなことを言っているのではない。身体に一切の傷や変化を起きさせないはずの聖皇にスピカは先ほど手傷を負わせた。それが単なる能力の不具合だったのか、また或いは別の……。

 そこに何か特別な可能性がある。聖皇にとってはその直感こそ根拠にするには充分の代物だった。



「まあ、何はともあれ治療じゃ。おぬしの最初の修業は身体を休めて万全の状態を作ること。よいか?」


「え、ええ」



 聖皇は頷くスピカを見下ろし、時間を止めた。再び音も色もない世界が訪れる。スピカは血を流しすぎているので、下手に誰かに運ばせると身体に障る。時間が止まった世界ではスピカの体調が悪化することはない。

 スピカを担ぎ上げて紫宸殿より奥にある清涼殿へと歩みを進める。いわゆる京都御所、聖皇が普段の日常生活を営む区域である。



「来るべき運命の時は近い。()()()はもうすぐそばにおる。一等級くらい倒せるようになってもらわんとのう。……少なくとも、二等級だったセレスは命をかけて一等級の能力をもっていた()()()の一人を倒したんじゃから」



 肩で担がれるスピカの顔にちらりと目を向ける。ダイヤモンドやプラチナを思わせる白銀の髪は祖母のティア譲りだが、力強い瞳は祖父であるシリウスの妹、セレスの方によく似ているかもしれない。



「見せてやりたかったのう」



 誰に対して誰を見せたかったのか。聖皇がこぼした言葉は誰かに聞かれることもなく、停止した世界に溶けて消えてなくなるのだった。

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