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第33話 通り名とか異名とか二つ名とか

「ククッ、月が俺を狂わせる」



 右眼に手をかざし空を見上げていた。まるで普段つけているナツキの眼帯のように、満月はところどころ雲に覆われていた。



「ごめんなさい。待たせたわね。行きましょう」



 ホテルのチェックアウトを終えたスピカも姿を現した。言い換えれば、今晩で決着をつけるという意思が固まっているということだ。今日で事件を解決し日本を出るという。



「行きましょうって言ってもアテはあるのか? とっくに船なり飛行機なりで出ている可能性は?」


「その可能性が高いって私が答えたらアカツキはどうするの? 諦めて這い蹲ってみじめに咽び泣くのかしら?」


「ククッ、冗談はよしてくれ。誰が諦めるって? 必要なら俺は空でも飛んでやる。イカロスの翼を携えてな」


「イカロスの翼って溶けちゃうから途中で落ちるわよ」


「ククッ、だったらそうならないようにスピカが俺を支えてくれ」



 キュン。

 からかったつもりが不覚にもスピカは心を震わせた。ハートが締め付けられる音が聞こえてきたほどだ。


 元々、スピカは独自の美学の持ち主である。細かく見ていけば多岐にわたるが、その中でも彼女にとって特に重要な価値観があった。それは大半の人間が諦めてしまうような状況にあってもなお全身全霊を賭して掴み取るという意地、覚悟。諦めずに前進し続けようとする人の精神こそが最も尊く、敵に回ったとき最も恐ろしい。

 

 もしも、とスピカは想像する。



(あの時アカツキがバーバラの立場だったら私は勝つことができたのかしらね)



 能力の大小ではないのだ。ナツキと同じ心を持っているスピカにはわかる。ナツキがもしもバーバラのような低位の弱い能力を持っていたとしても間違いなく強敵になっていただろう、と。


 スピカはいくつもの点でナツキのことを気に入っている。しかし上辺だけの仲良しこよしだけではそうもいかない。根本的な部分で彼女が彼を心の深いところまで受け入れたのは、まさに先の問いで『諦めるわけがない』と言いきれてしまう強さ。

 同じ価値観を共有するからこそスピカはナツキに対して信頼や友情とはまた別種の好意を抱く。



(……実のところ、私は今回の犯人の目星がついてきている。だからこそ日本からそう簡単に出られそうにもないってこともね。そしてその予想は地下室で読んだレポートで確信に変わった)



 俯いたスピカの顔に月明かりが影を差す。



(でもそのことを伝えるには……私と財団の関係を話さなきゃならない。でないと、私の主張から信用がなくなっちゃうもの)



 雲が風で流れると月の光量は変化し、それに合わせてスピカに差す影も大きく深くなっていく。



(私は自分の家名が嫌い。大っ嫌い。でももっと嫌なのは、私と財団の関係……私の本名を伝えてアカツキに軽蔑されること)



 星詠機関(アステリズム)二十一天(ウラノメトリア)は星の名前を冠される。すなわち、本名はまた別にあるのだ。『スピカ』も『アルタイル』も『レグルス』も『ハダル』も皆、称号やコードネームのような意味合いに近い。現に二十一と言いつつ二十一名きちんといるわけではない。

 無論その名前での生活が長くなると愛着や慣れが本名を上回る者はスピカをはじめ多く存在する。むしろその方が二十一天(ウラノメトリア)では多数派ではないだろうか。


 スピカは、今回犯人と目される人物が日本を出られない理由を、いいや、そもそもなぜ日本に来たのかを知っている。それはブラッケスト・ネバードーンが十年前子供たちに発したある宣言。他ならぬスピカもそれを聞いた一人なのだから。


 故に、犯人が誰なのか、ないしはどうしてここに残っているのかをスピカがナツキに説明し信じてもらうにはそうした諸々の事情を話す必要がある。

 星詠機関(アステリズム)からもたらされた情報だ、と誤魔化すことは容易い。ナツキにそれをたしかめる術はないのだから。だが、そうやって誰かを、特にナツキを騙すような真似は決してしたくなかった。そうした嘘がつけないのもまた彼女の価値観である。


 初対面時の口ぶりからしてナツキは財団と良好な関係とは言い難いものだった。それに能力者のコミュニティにおいて財団の悪評の大きさはもはや常識である。

 


(本当のことを話してアカツキに嫌われるのは怖い。でも……そんな彼だからこそ私も誠実でいたい)



 意を決して口を開く。



「あのね、アカツキ。こんなときに言う話じゃないかもしれないけど、実は……私のスピカっていう名前は……」


「本名じゃないんだろう」


「え……」



 スピカの思考を先読みするようにナツキが答える。



「そんな辛そうな顔をするな。俺まで辛くなるだろう。もしも言いづらいなら、まずは俺の話を聞いてくれ。……スピカは俺のことを黄昏暁の真名()で呼んでくれている。だが戸籍に登録された名前は別にある」


「それって……」


「スピカが自分の本名を言いたくないのなら、言わなくていい。そんな負い目を感じる必要はない。それでも、もしも申し訳ないと感じたときは思い出せ。『この眼帯男は私に本名を教えてくれなかった大馬鹿野郎だ』ってな!」



 スピカに不安を吹き飛ばすようにナツキはニカッと笑った。

 スピカの目に涙が浮かぶ。



「……でも、こうしないと今から私が言うことをアカツキは信じてくれない。根拠のない発言で相手を弄んで、誑かして、自分だけは情報優位に立って、そんなの卑怯じゃないの……!」


「ククッ、クククハハハハッッッッ!!!!」


「何がおかしいのよっ……!!」



 ナツキはスピカの頭にポンと手を置き笑って言った。



「根拠? 信じない? ククッ、馬鹿め。俺はスピカ(おまえ)の言うことなら信じるに決まっているだろう。そんなにも根拠が必要なら教えてやる。いいか、スピカ(おまえ)スピカ(おまえ)であることが俺にとってはこれ以上ないほど信頼の根拠だ」


「アカツキ……!!」



 スピカはナツキを抱き締める。


 もしもナツキがスピカと同じ十七歳だったなら、きっとナツキの胸に飛び込む形となっただろう。しかし二人は三歳差。身長もスピカとたいして変わらない。そうなるとスピカの頭がナツキの肩のマフラーに乗ることとなる。

 スピカの目には光るものがあった。そして泣き顔を見せまいと思うほどナツキを抱く腕はぎゅっと強くなる。


 昨日の夕華さんもこんな気分だったのかな、とナツキは苦笑いしながらスピカを抱き締め返し、後頭部をぽんぽんと優しく叩くのだった。



〇△〇△〇




──本名じゃないんだろう


──え……


──(だって中二病はもれなく全員通り名やら異名やら二つ名やらもってるからな! 俺の場合は『神々の黄昏を暁へと導く者』という口上まであるぞ)



 実際のナツキの胸中はこのような感じだ。スピカの発言を予期したわけではない。スピカは勘違いしているが、そもそもナツキは星詠機関(アステリズム)とやらもネバードーン財団とやらも知らないのだ。


 だからナツキは、てっきり中二な名前を名乗っていることで周りの人から注意を受けたか馬鹿にされたかして同じ中二病の自分に相談しようとしているのだろうと推察した。どうして今、と思わないでもなかったが、とはいえそれ以外には考えられなかったからだ。


 そう、この二人の関係は勘違いから始まって、勘違いしたまま何も変わっていない。

 それでもスピカは真剣に悩んだし、ナツキがその後スピカに言ったこともまた真剣だった。

 スピカの彼への好意は本物でナツキの彼女への信頼も本物だ。

 勘違いという偽りの関係であっても二人の結びつきはほどけない。名乗った名前が二人とも本名ではない? そんな些細なことを吹き飛ばすくらいに二人は強固な本物で繋がっている。


 風に雲は流される。隠れることなく光る満月が、抱き合う二人をスポットライトのように照らしていた。

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