第328話 責任を負うヤツはバカだ
スピカが平安京に入ったのと時を同じくして、マダガスカルの街でも一人の少女が静かに感嘆の声を上げていた。ウィスタリアに車椅子を押され、カペラは病院を出て下町へと出ていたのだ。
「すごい……こんな場所があるなんて」
舗装された道路もあるし僅かではあるが自動車も走っている。街というより小都市と呼べるほどの規模はある。だがコンクリートの建築物はほとんどない。大半はレンガ造りで、高くても二階建てまでだ。
これはアフリカ特有の灼熱の太陽や、インド洋とモザンビーク海峡に挟まれることで吹きすさぶ潮風等で腐ったり崩れたりしないための生活の知恵である。それに大々的に土木や建築を行えるほどの物資も資金もマダガスカルにはない。基本姿勢は自然との共生なのだ。
さて、カペラが感心したのはそんな街並みのことではない。そこに住まう人々である。
ある意味で京都の平安京とマダガスカルの街はよく似ていた。それは活気。それは人の営み。そして、それは能力者と無能力者の共存。
「ケバブをおひとつくださいな!」
「あいよ! お嬢ちゃん、ちょいと離れてな!」
露店ので小さな女の子が小銭を手渡すと、コックの格好をした体格の良い男の黄色い両眼が淡く光った。深呼吸するように息を吸い込んで胸を鳩みたく膨らませ、金属棒に突き刺さって立てられているブタ丸々一匹に向かって息を吹きかける。
ゴウッ! というコックの火炎放射の荒々しい吐息がブタを香ばしい丸焼きにし、青空に向かってジュゥゥと白煙を上げている。
「おい、ナイフを貸してくれ!」
コックは隣の露店で果物を売っている別の男に大きな声で呼びかけると、リンゴやバナナが陳列された棚の後ろで木椅子に座っていた店主の男の緑色の両眼が淡く光った。
手から銀色の刃物が出現し、手首のスナップを効かせて放り投げる。直線の軌道を描いたナイフはブタに突き刺さった。コックは慣れた手つきで肉を削ぎ落し、皿によそい、塩コショウとタレで味付けをし、しゃがんで少女の頭を撫でながら手渡してやる。
別の場所では腰の曲がったヨボヨボの老人が宙に浮き、建物の屋根を修理していて。また別の場所では鋭利な針のように尖った髪の毛を切ってもらっている人がいて。手をかざすだけで本のページをめくる者や腕が鳥類の翼のようになっている者もいる。
まるでビックリ人間コンテスト。驚くべきは、それだけの数多の能力者の中に何の能力も持たない普通の人間がともに暮らしていることだろう。
彩豊かな瞳の人々と普通の黒い瞳の無能力者たちが分け隔てなく暮らしている。誰一人として争うことはなく、偏見の眼を向けることもない。
「……彼らは、力を持つことに何の責任も感じていない。何にも縛られていない。それってまさに……」
「自由。そうだろう?」
ウィスタリアは車椅子を押してやりながら得意げに答えた。後ろに立っているのでカペラの表情までは見えないが、きっと驚いているのだろうということは彼女の声音から容易く想像できる。
人々の生気に満ちた声の溢れる大通りを押して進み車椅子の車輪がカラカラと音を立てて回る。興味深いものを見るようにカペラはゆっくり流れる左右の景色を繰り返し眺めている。
「責任なんてものはな、わざわざ背負うのはバカがすることだ。損でしかない。力を手にしたヤツは口癖のように責任責任って言ってやがるが、責任なんて負わずに美味しいところだけ最後にかっさらう方がはるかに賢い。違うか?」
ネバードーン財団という異能力、経済力、統率力、あらゆる『力』のバケモノの巣窟の中において、さすがは要領の良さだけでここまで世の中を渡ってきた男。ウィスタリアが浮かべる笑みは狼ほど獰猛ではないが大型犬くらいは凶暴で、鷹や鷲ほど鋭くはないがカラスくらいには強かだった。
「……わからない。私はお金持ちの家に生まれたから、音楽も語学も社交界も、ずっと成果が求められた。それが恵まれた生まれの責任だと教わってきた。それは星詠機関に入ってからも変わらない。私は能力が強いんだからより多くの悪を排除しないといけない……」
「だから上空数千メートルの飛行機から飛び降りて俺のところに来るのも平気だって? ハハッ、お前はバカだな。おっとオッサン、ありがとうな!」
ウィスタリアが鼻で笑うと露店の店主がリンゴを投げてきた。ウィスタリアは片手で難なくキャッチする。さらに歩き進んでいると恰幅のよい妙齢の女性が『持っていきな!』と紙袋いっぱいの卵を手渡し、他にも生臭い鹿肉やラム肉、よくわからない民族模様の手芸品が押し付けられる。ウィスタリアの周りには自然と人が集まっていた。
彼が持ちきれない分は、車椅子に座っているカペラの膝の上にも積み上げられていった。目を丸くするカペラをよそに街の人々は朗らかな笑みでウィスタリアへと元気な声をかけていった。
「おい大統領、デートだなんてアツいねぇ~! この国もようやっとファーストレディの誕生か!」
比較的年齢の若い男がウィスタリアに肩を組み話しかけてきた。その男は大きく口を開け楽しそうに笑い、ウィスタリアは耳元で大きな声を出すなと言わんばかりの苦々しい表情だ。だが決して満更ではない様子。後ろを振り返ったカペラはきっとこの二人は友人なのだろうとすぐに察した。
視線に気が付いたのか、男はウィスタリアから離れてカペラの正面に行くと片膝をつき車椅子に座るカペラに目線を合わせた。手を出して指をこするような動作をすると、煙が立ち上り、一輪のチューリップが出現する。
「些細なものではありますが、私からのプレゼントです。レディー」
「なにをキザったらしくバカな真似をしているんだお前は」
ウィスタリアが呆れた顔で言い放った。困惑しながらもカペラは赤いチューリップを受け取り、目線を合わせる男の瞳が橙色であることからこれがマジックの類ではなく能力の産物なのだろうとあたりをつけた。
やはり不思議な感覚だった。彼女にとって能力とは武器であり、道具である。断じて誰かを楽しませるようなものではない。そんな能力の使い方をする者もいるのかと今日何度目かの驚きに駆られる。
「はぁ~。こんなバカは放っておいてもう行くぞ」
ウィスタリアは再びカペラを乗せた車椅子を押して歩く。大通りにいた大勢のマダガスカル国民たちは『いつでも遊びに来いよ』『末永く幸せにな!』などと様々声をかけながら笑顔で手を振り見送った。
カペラの薄い水色の髪に手芸品の髪飾りをつける。この国の不思議で驚きに満ちた感覚も存外に悪くないと思った。足を怪我していなければスキップのひとつでもしていたかもしれない。
「……ちょっと待って。私、ウィスタリア・ネバードーンのお嫁さんだと勘違いされてなかった?」
「ああ。まあ、そうだな」
特に照れるでもなく喜ぶでもなくあっけらかんと首肯するウィスタリアを見上げ、カペラはやっぱりこの国は嫌いだと顔を赤くした。それは膝いっぱいに乗せたリンゴのようで、大事に握ったチューリップのようだった。