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第325話 能力者の人数を知っているか

『***、もちろんあなたが一番になってくれるわよね』



 ピアノの発表会の朝、着飾った幼い少女に母親がそう告げた。カペラがカペラと名乗る前に使っていた名前にはノイズが走り聞き取れない。

 自宅にはグランドピアノがある。毎日のように高名なピアニストが指導に来てくれる。他者よりも恵まれた環境で生きてきた少女はその小さな両肩に並ではない重荷を背負った。

 少しでもミスをすると、終わった後にヒステリックを起こした母親に頬をぶたれた。



『どうしてこんな問題を間違るの?』



 クラスで一番になったとき、母親は九五点と書かれたテストをぽいと捨てた。褒めてもらえると思った少女は顔を曇らせた。


 きっと世の中の大半の人間よりも物質的に恵まれていたと思う。コース料理以外は食べたことがなかったし、何でもない日に着ていた服が友達の父親の月収よりも高いことなんてざらだった。

 しかし、その分だけ母親からひしひしと感じる重圧は苦しかった。テレビは見せてもらえない。門限を一分でも過ぎて帰ってくると髪を引っ張て持ち上げられ怒鳴りつけられた。


 ピアノや勉強だけではない。社交ダンスもテーブルマナーも、乗馬もテニスも語学も。常に結果だけが求めらてきた。母に暴力を振るわれるかもしれないというプレッシャー。そんな母親でも親は親、褒められたいという子の情がそのプレッシャーに拍車をかけた。


 怖い。痛い。苦しい。重たい。重い。重い。重い。


 親からのプレッシャーと自分で課したプレッシャーの両方が圧し掛かり、ある日、少女は──。



〇△〇△〇



 パチリと音が聞こえるのではないかというほどくっきりと目を開いた。カペラは見知らぬ天井と鼻を通り抜けるエタノール臭に顔をしかめる。

 掛け布団の感触からベッドの上だということはすぐにわかった。上体を起こしてキョロキョロ周囲を見渡すと、そばでは白衣の背中が見える。何者かが机に向かって書き物をしているようだ。



「起きたかね」



 白衣の人物はカペラに背中を向けたままそう言った。しわがれた声と髪の少ない頭から彼がかなり年老いた男であることは容易に想像がつく。



「今ちょうどきみのカルテを書いておった」



 振り返った男は好々爺といった様子だ。ただでさえシワだらけの顔はくしゃりと潰れるような笑顔でさらに深く刻まれている。

 しかしカペラが注視したのは彼の両眼だった。トパーズのように澄んだオレンジ色をしている。



「橙色の瞳は六等級の能力者……まさか敵!?」



 ベッドの上で跳び上がり身構えようとするが、脚に激痛が走って声にならない悲鳴をあげる。ベッドの上で(うずくま)るカペラに対して白衣の老人は優しく声をかけた。



「ここは病院じゃぁ。そんなに警戒せんでもきみを害する者はどこにもおらんよ。まあ医者一人看護師一人の小さな診療所に過ぎんがのぅ」



 カペラは警戒を解く。ふと見下ろすとたしかに自分は患者服だ。両脚にはギブスがはめてある。

 自分がいるベッドと少し離れたところにベッドはもう一台。二床しかないので本当に小規模な地域の診療所なのだろう。白衣の老人のデスクのそばにはぐらついて使い物にならない身長測定器が風に揺れてキーキーを音を立てていて、錆びつつある手術道具が消毒液に浸されている。


 真っ白に染まっている髭を撫でながら老人は口を開いた。



「それにしてもお嬢ちゃん大したもんじゃぁ。あれだけの複雑骨折をしたというのに、二十時間ほど寝込んだだけでもう骨がくっつき始めとる。無意識に能力を発動しとるとしか考えられん現象じゃのぅ」


「……どうしてそこまでわかるの」


「これじゃよ、これ。ワシの能力は相手のケガや病気の状態がわかるだけのちっぽけな能力じゃぁ。医者としては便利で大助かりじゃよ」



 そう言って老人は微笑みながら淡く光る橙色の瞳を指差してみせた。



「そういえば、ウィスタリア・ネバードーンは……」



 カペラが尋ねる声に応えるように部屋の扉がガラガラと開く。咄嗟に反応を示すカペラとは裏腹に、入ってきたのはウィスタリアではなくナース服の女性だった。体つきはグラマラスだが、化粧っけがなく地味な顔つきで幸の薄そうな、褐色の肌の女性。色気はないが身ぎれいにしていて長い黒髪には艶があり言い寄る男も多そうだ。


 手には水のたまった桶とタオルをもっていて、カペラを見るとにこりと微笑んだ。



「あら、ウィスタリアくんだと思った? ごめんなさい。彼、さっきまでいたんだけれど。ドクター、これからこの娘の身体を拭くから席を外してくださる?」



 腰の曲がった老人は『散歩でもしてくるわい』と言い残して病室を出て行った。ナースはカペラの患者服に手をかけると肩からはだけさせ、水で濡らした清潔なタオルをよく絞る。



「その足のケガじゃお風呂にも入れないだろうし、女の子は清潔にしていないとね。後ろ、向いてくれる?」


「は、はい……。……ひゃっ!?」



 わけがわからず言われるがまま後ろを向いたカペラは背中にひんやりと冷たい感触が走り思わず上ずった声を出してしまう。濡れたタオルで背中をこすられるとサッパリと気持ちが良い。冷たさにも慣れたカペラはへにゃぁと頬を緩めてしまう。

 

 今度は前を向き、お腹や腋を拭いてもらう。正面から見るとナースの女性はエメラルドのような緑色の瞳をしていた。緑は五等級の能力者の証だ。ここにも能力者がいるのか、とカペラはじっと彼女の両眼を見つめた。その視線に気が付いたナースはフフ、と穏やかに笑った。



「心配しなくても物騒な能力じゃないわよ」


「あ……すいません。そういう意味じゃなくて」



 せっかく親切に看病してもらっているのにその相手をあからさまに警戒するような真似はしたくない。ばつの悪そうなカペラに対してナースは年上らしく『わかってるわかってる』と微笑んだ。

 ナースはタオルをもう一度桶に浸してしぼると今度は胸のあたりを拭き始めた。カペラはナースの豊かな胸と比べて凹凸の少ない自分の胸部を見られるのが恥ずかしく顔を赤くし、ナースは可愛らしい小動物を見るかのように柔らかい笑顔を浮かべている。



「あの、ナースさん」


「なあに?」


「どうして私にここまでしてくれるんですか? 皆さんウィスタリア・ネバードーンのお知り合いですよね? だったら私が彼を……」


「殺しに来た?」



 身体を拭いてくれるナースの優しい手つきや穏やかな声音に似つかわしくない物騒な言葉。カペラは殺すつもりはなく捕まえるだけだと言い返しそうになったが、ナースが彼の身内だとしたらそこに大差はないと身がすくむ思いに駆られる。

 もちろん最終的な世界平和や秩序維持のためにはそれらを乱して次期当主争いをするネバードーンの人間が敵なのは間違いない。能力者を束ねて従え、私利私欲に利用している点は否定し得ない事実なのだ。


 ゆえに彼を捕まえようとする自分は圧倒的に正義。だというのに、いざこうして彼の知人を前にすると放つ言葉が見つからない。



「そんなに辛そうにしたらせっかくの整った顔が台無しよ? フフ、そう深刻にならないで。私だって彼のことを手にかけそうになったことがあるんだから」


「ナースさんも?」


「ええ。もちろん故意じゃないけどね。私、能力に覚醒したばかりの頃に暴走させちゃったの。所詮は五等級の念動力だったけど、それでも周囲の能力をもたない人たちも大勢巻き込んで……。そんなときにウィスタリアくんが私を救ってくれた。自分の身を挺してね」



 思い出すようにゆっくりと言葉を紡ぐナースの表情はとても温かく幸福に満ちていた。カペラは自分自身に経験がないので断言できなかったが、きっとこれが恋をしている女性の顔なのだろう。



「カペラちゃん、世界中に能力者ってどれくらいいると思う?」


「えっと……」



 増加の一途をたどった世界総人口は現在一〇〇億人の大台に乗った。能力者の中でも希少と呼ばれる二等級がおよそ一〇〇人なので大体一億分の一程度の確率だ。一等級ともなると観測されている能力者はわずか数名。

 しかし等級の低い能力者となるとその数値の知識をカペラは持たない。研究者でもあるハダル──田中ハルカ──あたりならばパっと答えられそうなものだが、比較的武闘派なカペラは今まであまりそういった知識を得ずにここまで来た。


 ナースは再び桶の水にタオルを浸して絞りながら口を開いた。



「全ての等級の能力者を合計した人数は五〇〇万人前後。総人口の〇.〇五パーセント程度と言われているわ。偶然にもちょうど各国が定める希少疾患の人口比率と同じくらいね。それくらいの人数がいると、誰もが誰も星詠機関(アステリズム)に保護されることを望むわけじゃない。ましてネバードーン財団に高給で雇われたいわけでもない」



 もちろんそうしたい人たちを否定する気はないけどね、とナースは付け加える。


 カペラも、たしか日本に星詠機関(アステリズム)の支部を作ると決まったとき日本国内の多くの能力者が試験を受けにきたと耳にした。

 日本では授刀衛という聖皇直轄の異能組織に入るか、或いは資産や銀行口座、購買履歴など、日頃の行動を監視され続ける人生を死ぬまで送るか、どちらか選ばないといけないという。当然ながら国外に出るなど許されない。


 能力者は、能力に目覚めたその瞬間から人生を限定される。それが幸福か不幸かは各々異なるだろうが、少なくとも一つの事実として人生を曲げられた人間が世界には五〇〇万人存在しているのだ。



「ウィスタリアくんが統治するこの小さな国はね、そういう能力者の中でもただ普通に暮らしたいっていうはみだし者が集まっているの。戦いたくなんてない。悪用してお金儲けしようとも思ってない。でも家族や友人を傷つけたくはない。そういう、当たり前の幸せを望む人たちをウィスタリアくんは拒むことなく受け入れてくれたのよ。私もドクターも、それ以外にこの街の大勢の人たちも、そうやって彼に救われてきたわ」


「普通に、暮らす……」


「ごめんなさい、ちょっと一気に喋り過ぎちゃったわね。ええとね、私はカペラちゃんにウィスタリアくんの命を狙うのをやめてって言いたいわけじゃない。誰もカペラちゃんの行動の自由を縛ることはできないからね。でもね、彼のことをよく知ってほしい。彼が守っているもの。背負っているもの。それをカペラちゃん自身の目で見て、その上で判断してほしいの」



 ナースは真摯な瞳でカペラを見つめると、心から慈愛の籠った言葉を大切に選び取ってカペラにそう告げた。


 カペラは視線を落として静かに思考を巡らせる。自分は成果を上げるためにここに来た。今までだって多くの能力犯罪者を捕まえてきたし、世界平和に貢献するために身を粉にしてきた。

 その指標は常に成果であった。どれだけ多くの悪を捕まえたのか。どれだけ等級の高い能力者に勝利したのか。常に数値という客観的な評価を成果と見做して生きてきたのだ。


 難しい。普通に生きたいと考える能力者の気持ちも、ウィスタリア・ネバードーンという青年が何を背負っているのかも、そしてどうしてドクターやナースは自分に対してこんなにも親切にしてくれるのかも。

 成果に囚われない彼らの気持ちがわからない。でも不思議とそのわからなさは拒絶感というよりも好奇心に近い。あまり悪い気持ちはしない。カペラ自身、この気持ちの正体がわからない。



「さあ、カペラちゃん。今度は腋を拭くから腕をあげてもらえる?」



 ナースは空気を明るくさせようとパンと手を叩いて微笑んだ。カペラも頷いてバンザイのポーズを取った。その格好がどこか滑稽でカペラもつい吹き出してしまう。 

 そんな弛緩した空気を吹き飛ばすように、バンッ! 扉を強く開ける音が鳴り響く。



「意識を取り戻したようだな! このウィスタリア・ネバードーンが直々に見舞に来てやったぞ……って、え? な、ななな」



 なんでお前は上半身裸なんだ。ウィスタリアがそれを最後まで言うことはできなかった。

 子ども体型とはいえ胸も腋もさらして両腕を上げていたカペラは涙を目尻に滲ませてぷるぷる震え、青い両眼を淡く光らせる。



「み、見るなぁぁぁぁぁ!!!!!!」



 カペラは片方の手で両胸を覆い隠しもう片方の手をウィスタリアの方へと向ける。すると突風が巻き起こりウィスタリアを扉ごと部屋の外へと叩きつけた。廊下の壁にめり込むウィスタリアは両腕両足を広げて大の字だ。



「ど、どうして俺がこんな目に……」


「フフ、カペラちゃんって大きな声も出せるのね」



 少しだけ的外れな感想を述べるのほほんとしたナース。その後ろに身を隠したカペラは涙目でウィスタリアを睨みつけた。

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