第323話 オモチャの銃
星詠機関は国連の一機関である。ゆえに国連に属する国々は星詠機関の超法規的行為を認める国際条約に批准している。一般市民はもちろん、各国政府中枢の中でも王族や首脳など一部の人間にしか星詠機関や異能力の存在は知られていないのだ。
そんな彼らの仕事は能力に覚醒した人間の犯罪を取り締まるとともに、暴走や事故を防ぐために保護をすることにある。超常の能力によって世界秩序が乱されぬよう常に監視しており、特に民間組織であるネバードーン財団は天敵であった。
公権力に対して民間企業という私団体。互いに能力者を抱え込み兵力として運用している。それどころか当主ブラッケスト・ネバードーンは跡継ぎに自分の当主の座を争わせるゲームの舞台として世界の全てを利用している始末。
「つまり、私はそんなネバードーンの人間を捕まえる義務がある……ってこと」
静かな物言いでカペラは銃口をぐっとウィスタリアの額に強く押し当てた。
(知っている……知っているとも! 星詠機関と俺たちネバードーン家はまさに犬と猿、ハブとマングース、月とすっぽんだ!)
いや月とすっぽんは違う意味だったかな。ウィスタリアは引き金ひとつで殺されるというのに、やけに冷静に再び極東の島国へと思いを馳せていた。
そんなジョークを考えていられるくらいにはウィスタリアには心の余裕があった。仮にも異母妹であるアルカンシエル・ネバードーンことスピカが星詠機関に所属しているというのに、ウィスタリアの理解はあまりに乏しい。
しかし重要なのはたった一つ。カペラと名乗る少女に自分は殺されそうだということだけだ。それ以外のことを今この瞬間に考えても仕方がないし事態は好転しない。どうせ意味がないならリラックスすることに脳を使った方がマシである。
ウィスタリアはクリムゾンやシアンに比べると全てに劣っているが、ここぞという場面での肝の据わりっぷりは間違いなくネバードーンの血筋であった。
(このカペラとかいう女、パッと見は十四、五歳ってところか。身体も貧相で体重も軽い。俺の好みじゃないな)
俺はセクシーで乳の大きい年上お姉さんが好きなんだ。騎乗位で跨がられているのに色気の一つもないと悪態をつくウィスタリアの邪念にまみれた思考は一秒にも満たない時間で整理された。この場で異性の品定めをしたのではない。
そう、どれだけジョークと邪念が混じっていたとしても。最低限なんとか生き抜くだけのアイデアが浮かんでくる。なにせこのウィスタリア・ネバードーンという人間は【色付きの子供たち】の中で最も要領よく生きてきた男なのだから。
(反射神経や格闘センスは未知数。だが女ということもあって筋力と体格は並未満。……まあ、これなら俺の方が速い)
ウィスタリアの紫色の両眼が淡く光る。それを目にしたカペラは能力の発動だとすぐさま判断し引き金にかけた指を動かした。
しかしカペラは銃口を額から肩へと動かそうとした。公的組織なので基本的に星詠機関は不殺でもって相手を捕えることになっているのだ。額に銃口を当てていたのも脅しの側面が強い。
ウィスタリアは銃を左手で掴む。同時、カペラは彼の肩へと発砲した。
パンッ! という乾いた破裂音が鳴り、こぼれ落ちた薬莢からはニトロセルロース火薬の酸っぱく焦げ臭い匂いが立ち昇る……ことはなかった。
「退化・下位互換。おこちゃまに銃はちと早いだろう? 子どもは子どもらしくオモチャで遊んでいればいいんだ」
カペラは焦った表情で銃を確認するとジャラリと粒感のある音が銃身から鳴った。普通の銃では鳴るはずのない、まるでプラスチック弾が入っているかのような……。
繰り返しウィスタリアに発砲してもオレンジ色のプラスチック四ミリ弾が射出されるだけだ。
「何これ、エアガン……!?」
ウィスタリアは脚を開くと下半身を捻らせて回転する勢いで馬乗りになっていたカペラの華奢な身体を蹴り飛ばす。すかさず立ち上がったウィスタリア。弾かれたカペラは部屋の壁へとぶつかって肺の空気を全て吐き出した。
(油断した……。仮にも相手は三等級の能力者。あそこで殺されててもおかしくない)
尻もちをついたカペラはウィスタリアに反撃しようと青い両眼を淡く光らせながら立ち上がった。カペラの能力発動の気配にウィスタリアも警戒を最大限に引き上げる。
「痛っ……!」
しかし、何も起きない。それどころかカペラの両眼から淡い光が消えて通常の青い瞳に戻る。そして倒れ込むように再び尻もちをついた。
壁に寄り掛かるように座り込んでしまったカペラは脚をM字に開いている。正面から相対しているウィスタリアからは白い綿の下着とそこから伸びる細く柔らかそうな太腿が露わになっていた。
(こ、子どもの下着なんぞに興奮する俺ではない! 俺の好みは背も高くて胸も大きな大人な女性だからな。コイツはちんちくりんだし胸も小さいしどう見ても中学生くらいだし正反対だ。大体、二十一天と言ったら星詠機関の中でも極少数のエリート幹部じゃないか。ネバードーン家期待の【色付きの子供たち】である俺を捕まえたくて躍起に違いない。つまり!)
これは罠。ウィスタリアはそう結論づけた。幼気な少女が痛みに苦しみ悶えているのは自分をおびき寄せて確実に仕留めるために違いない。
ウィスタリアは警戒を解くことなくいつでも能力を発動できる状態で構えている。
だというのに、一向にカペラは動かない。それどころかどんどん顔色が悪くなっていく。
(さすがに最短ルートが合理的だからって空から飛び降りたのは悪手だった。私の両足、粉砕骨折してる……)
能力とはイメージ、想像力である。それは黄昏暁こと田中ナツキの口癖だ。授刀衛において二十八宿の一人である心宿讐弥もイメージや想像力の補助線として技名を口にすることを奨励している。
今、カペラは思考力が失われていた。両足粉砕骨折の激痛は並ではない。先ほど急に立ち上がろうとしたことで脚の形を保っていた骨は皮膚の下で粉々になり位置もめちゃくちゃになってしまった。呼吸は荒くなり汗が止まらず痛みで気が狂いそうになるほどだ。そのような状態では能力を発動することは叶わない。或いは、発動したとしても暴発するだけだろう。
対するウィスタリア。カペラの下着を目にしてやや顔を赤くしていた彼は、いつまで経っても攻撃してこないカペラを訝しむ。
(ちょっと待て、このガキンチョまさか本当に……)
カペラはぼんやりと霞む視界の中で、敵対している紫髪の青年の両眼が淡く光るのを見た。
ここまでか。カペラは腹を括った。そもそもこの大怪我の原因は自分にある。自分の馬鹿なヘマのせいで殺されるなら仕方がない。納得もできる。
意識を失うことで激痛から解き放たれた。カペラは死を覚悟した苦痛の表情で瞼を閉じた。
〇△〇△〇
「進化・上位互換」
部屋の片隅に木の机と椅子が置かれている。仮にもマダガスカルの大統領なのでウィスタリアもそれくらいは持っている。よほど日本の小学生の学習机の方が多機能で立派だろうが……。
ウィスタリアは椅子を右手で乱暴に掴み取ると能力を発動させた。椅子が青白い光に包まれると、木製だった椅子は銀色に姿を変えた。さらに足元にはタイヤがついている。ホイールチェア。いわゆる車椅子である。
「ああクソ! どうしてネバードーン家次期当主最有力候補のこの俺がこんなことをせにゃならんのだ!」
意識のないカペラを抱きかかえる。お姫様抱っこというやつだ。
華奢な少女だと思っていたがいざ直接触れてみると柔らかく甘い香りがする。スピカも着ている二十一天共通の黒いジャケットに、プリーツの青いミニスカート。薄い水色のミディアムヘアは白いカチューシャで整えられていて前髪はヘアピンで留められており、残りの髪は重力に引かれてサラサラと揺れている。
強引に車椅子にカペラを乗せたウィスタリアはぜぇぜぇと肩で息をし呼吸を整える。
「小さな小さな島国だが、これでも俺は国のトップだからな。外からの客人に死なれたら寝覚めが悪い。まあ医者くらいになら連れて行ってやる」
天井の瓦礫まみれとなった部屋は扉も当然塞がれていた。ウィスタリアは両眼を淡く光らせて左手で瓦礫に触れ、『退化・下位互換』と呟く。大量の瓦礫は一瞬にして目に見えないほどの細かな埃に劣化し、道を開けた。えっこらせ、と二十代前半の若者にしては年寄くさい苦労の滲んだ声を上げて車椅子を押すのだった。