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第317話 ここにいるたしかなあなたを認めて

「その……あなたが私のことそんな風に思ってたなんて……」



 ばつが悪そうにノワールは視線を逸らす。たしかにパリ天文台で讐弥にはナンパされた。好意は持たれていたのだろう。でも、まさか催眠の能力が効いていなかったとは。にも拘わらず協力してくれていたのは自分のことをそこまで深く愛していたからだったとは。

 讐弥の好意を利用し、弄んでしまった。もちろんそれは結果論だ。それどころか讐弥自身が利用されることを望んでさえいた。しかしノワールは讐弥の想いに清廉さを感じてしまっていた。


 それは自らの浅ましさとの対比でもあった。ノワールはナツキに重すぎるほどの愛を抱いている。その想いはナツキと関係のある女性たちを不幸にするという形で結実しつつあった。

 夕華の大切な簪を壊し、見せつけるように教室でイチャついてメンタルを砕いた。碓氷火織を殺害しようと大学まで足を運んだ。ナナのいる星詠機関(アステリズム)日本支部に秋葉原の人々を送りこんだ。排除すべきお邪魔虫リストには他にもスピカや美咲などナツキと懇意な女性たちの名前が載っている。


 好きな人の大切な人を傷つけた自分。好きな人の大切な人との恋愛を手伝った讐弥。どんな理屈があれこの事実は覆らない。讐弥に対しては申し訳なさを感じると同時に顔から火が出るほどの恥じ入る気持ちも膨れ上がる。



「ごめんなさい。あなたの気持ちを弄んで、あなたを利用して。それからナツキくんも。本当にごめんなさい。ナツキくんの大切な人たちを私はきっとたくさん傷つけた」


「……ククッ、まあそれは俺じゃなくて本人に言ってくれ」



 ナツキと讐弥の戦いをノワールとともに地上から見ていた夕華と英雄。ナツキは夕華に視線を向ける。夕華は冷たい表情のままノワールの真正面に立った。

 ノワールによって休職にまで追い込まれ、自暴自棄になって酒に溺れていたほどだ。ノワールは夕華に殴られたって仕方がないと思った。痛みを堪えるようにキュッと目を閉じる。


 しかし、いつまで経っても頬をビンタされる感覚はない。何かもっと酷いことをされるのか? 凶器でも構えている? 震えながらおそるおそる片目を薄く開ける。夕華はそんなノワールを温かく抱きしめた。



「ばつの悪そうにしたときの顔。綺麗な金髪。思い出したわ。あなた、あのときナツキを怒らないであげてって言うために待ってくれていた子よね」



 ノワールは優しい夕華の声音を聞いて田中ナツキという少年に恋をした在りし日の記憶を思い出した。



『私、いつか立派な先生になるわ。イジメなんて絶対に許さない。あなたやナツキみたいな目にあう子が出てこないように優しくて強い先生に。だからそれまであなたも絶対に負けちゃダメよ。もし負けちゃいそうなときは独りで背負わないで、信頼できる人に相談しなさい。きっとその人たちはあなたを守るために戦ってくれる』



 あの日イジメられていた自分に優しい言葉をかけてくれた女性がいた。

 恋は盲目とはよくできた言葉だ。あのときのノワールはナツキのことばかり考えていて、ナツキの保護者の顔まではよく覚えていなかった。


 膝を折ってまで小学生の自分に目線を合わせてくれた女性の顔のおぼろげな輪郭が徐々に鮮明になっていく。そう、そうだ。同じだ。



「うっ……ひくっ……ごめん……なざい…………ごめんなざぁぁぁぁい……ッッ!!!!」



 ノワールは堪えることができずに滂沱の涙をこぼす。一つには自分の身勝手と嫉妬によって、かつて親身になってくれた人を傷つけてしまったこと。二つ目に、イジメを許さない教師になると誓ってくれた夕華が本当に教師になったというのに休職に追い込んでしまったこと。夕華はイジメを許さないと本気になってくれたのに、ナツキに同情し庇ってもらうためだけに自作自演のイジメを今回起こしてしまったのだ。これほどひどい裏切りはない。


 夕華の胸で子供のように泣きじゃくるノワール。振り絞るように何度も何度も謝罪の言葉を口にする。夕華はそんなノワールの背中を優しくさすりながら『大丈夫よ』と穏やかな声をかける。その表情は心なしか柔らかく笑って見えた。



〇△〇△〇



 泣き止んだノワールは目元をメークではなく本当に真っ赤に腫れあがらせていた。眼を擦って涙を拭う。

 鈴虫の音が静謐な夜の空気を震わせる。木星の権能を使って身体の怪我を治癒した讐弥は立ち上がり、伸びをしながら身体の調子を確かめている。


 ノワールは改めて讐弥の前に立つと、真っすぐな視線でゆっくりと腰を折り頭を下げた。



「もう一回改めて言います。その……あなたの好意を利用するような真似をしてごめんなさい」


「ええんよ。そないにかしこまって何度も謝られたら嫉妬しかできひん負け犬は余計に惨めになるだけや。ノワールちゃん、きみはきみの人生を歩み。きみのその謝罪が僕の想いに対する返事であるとしても、僕は遠くからきみの恋路を応援しとるよ」



 力なく笑ってそう返した讐弥ははたから見ても痛ましかった。特に英雄は讐弥が本当や心優しい人間だと知っていて、その讐弥がこれほど入れ込んだ大恋愛から身を引くことの重たさを感じた。

 顔を上げたノワールもまた申し訳なさげにしている。明確に讐弥をフったわけではないが、讐弥の自虐じみた言葉に対して沈黙を続けていることがこれ以上ないほどの解答になってしまっていた。



「ほうら、笑い。ノワールちゃんは美人さんなんやから笑った方がええよ。女の子は笑顔が一番魅力的に見えるんやから!」



 空元気を絞り出した讐弥はノワールの背中をぽんと押した。ふらついて数歩進んだノワールは今度はナツキの前へと躍り出る。

 神田明神の本殿に寄り掛かっていたナツキは居住まいを正し二人は向かい合った。



「あの、えっと……ナツキくん。私ね、やっぱりナツキくんが好き。大好き。ナツキくん以外は何もいらないっていうのは私の本気の気持ちだよ! だけど、だけどね……」



 最後にクロアゲハの姿となったナツキを思い出す。そしてナツキには二つの人格があるという夕華の言葉。様々な想いが溢れては消えを繰り返してぐるぐると頭の中をかけめぐる。

 そんな様子のノワールにナツキは一つ質問を投げかけた。



「揚羽ノワール。今日のデートは楽しかったか?」


「え……?」



 今日の秋葉原デート。ノワールからすれば、なんとなくナツキのアニメやゲーム好きを聞き及んでいたから選んだに過ぎない。見たい場所があったわけでも思い入れがあるわけでもない。

 だけど。改めてノワールは今日という日を振り返る。初めてのゲームセンターでたくさん遊んだ。


 カバンに押し込んでいたクマのぬいぐるみを取り出す。ノワールにプレゼントしたいから。そう言ってナツキは必死になってUFOキャッチャーに挑戦してくれたっけ。

 クマのぬいぐるみの首に巻いてあるリボンには写真のシールが貼ってある。プリクラだ。幸せそうにナツキにキスをする自分の姿がそこにはある。


 他にもハンバーガーを食べて、コスプレをして、たくさんたくさん街を散策して色々な経験をした。そのすべてが……。



(楽しかった、な……)



 ノワールは中学生離れした胸の膨らみに手を当てる。とても温かい。胸の内側でじんわりと広がる温もりがある。

 思えばデートはスムーズだった。ゲームセンターも一番大きいところだったし、人気のお店は一通り見て回れた。少し遠くにはなるが神田明神も教えてもらわなければ行きつくことはなかっただろう。いや、そもそも電車の乗り換えだって周到に準備されていた。



「もう気が付いているだろうから言ってしまうとな、俺の人格交代が起きたのは二週間前のあの晩だ。つまり、揚羽ノワールを庇ったあの瞬間。そのときから今日までずっと俺は俺ではないもう一人の俺だった」



 いまだ心の整理がつかない様子のノワールに対してナツキはさらに助け船を出す。



「ククッ、もう一人の俺は律儀でな。土曜日丸一日使ってスマホとにらめっこしながら秋葉原の名所を調べてたよ。時刻表も確認して正確なルートを作って、お前を飽きさせないための最善のデートコースを考えようとずっと頭を悩ませていた」



 そしてナツキはたった一つへの答えとハシゴをかける。



「揚羽ノワール。二週間という短い期間だったかもしれない。だが、その間にお前()全力で愛しお前()全力で愛していたのは間違いなく俺ではないもう一人の俺だったんだよ」



 ノワールはわずかにハッと驚いた顔をし、そしてすっきりとした表情でゆったりと笑顔を浮かべた。意識せず自然と作った笑顔だった。



「……うん。そっか。そう。その通り。私のナツキくんへの初恋はきっと始まってもいなかったんだ。だって日本に戻って来てから私のそばにずっといてくれたナツキくんは私が初恋を捧げたナツキくんじゃないんだから」



 フラれてすらいない。この二週間ノワールが恋愛していたナツキは初恋のナツキとは違う。

 それでも喪失感はなかった。むしろ不思議な満足感があった。二週間の同棲生活でノワールは無理も我慢もしていなかった。ひたすら楽しくてワクワクする毎日だったのだ。


 料理をすれば目を輝かせて美味しい美味しいと連呼してくれた。どれだけ誘惑しても一線を超えないように我慢する様子はいじらしかった。目的もなくダラダラと過ごす休日も心地良かった。つまらないテレビ番組も二人一緒ならアカデミー賞作品より眩しかった。



「ナツキくん。もう一人のナツキくんに伝えておいてほしいことがあるんだけど……」


「ククッ、だったら直接言えばいいだろう。……夕華さん、少し気を悪くするかもしれないからあまり見ないでほしい」



 夕華を慮ってのナツキの言葉に対して夕華は優しく頷いた。既に夕華の中では二人のナツキのことは割り切れている。たとえもう一人のナツキが何を言い誰と何をしても、今のナツキは自分を愛してくれる。その確信だけがあれば充分だった。

 

 ドクンと身体が跳ねた。青い左眼が黒くなり、右眼だけが赤い状態になる。



「ノワール……」


「ナツキ、くん」



 身体に変化はない。精々、精神性の変化に引っ張られて些細な声音や口調の変化があるくらいだ。しかし夕華はもちろん、ノワールですらこのナツキが今さっき話していたナツキとは別人だとわかった。



「ナツキくん。あのね。私はナツキくんが好き」


「でもそれは……僕じゃなくて彼なんだろう? きみをイジメから救ったヒーローは僕じゃない」


「ううん。違うの。私の自作自演ではあったけど……最初に殺されそうになったとき。それからここで襲われたとき。いつだってナツキくんは身を挺して私を守ってくれた。他の誰でもない。今、まさにこの場にいて呼吸をしている目の前のあなた。私はこのナツキくんに言ってるの!」



 ノワールはナツキの両手をギュっと握り顔をグッと寄せる。鼻がぶつかりそうなほど近づく。星明かりがノワールの金髪をきらきら照らす。



「もう一回言うね。好きだよナツキくん。ここにいるナツキくん。今、私と一緒に生きているナツキくん。好き。大好き! 愛してる!!」



 はっきりと強く言い切った。ナツキが何かを言い返すより先にノワールは唇を押し付けて黙らせる。

 

 黄昏暁はノワールの感情の正体を見抜いていた。だから夕華に断ったのだ。ノワールがもう一人の田中ナツキを好きになっていたことはわかっていた。こうしてキスをすることも。


 この二週間、何度もノワールはナツキにキスをした。でもそれはナツキを通して初恋のナツキ、黄昏暁を重ね合わせて見ていただけだ。同じ一つの身体に二つの心。そうとも知らずにノワールは盲目的に黄昏暁にキスを捧げていた。

 でも。このキスは違う。正真正銘、ノワールは目の前にいるたった一つの心に捧げた口づけなのだ。


 あなたはここにいる。愛を通してそれを証明してみせる。


 実の姉から不要と切り捨てられた無能の人格は、たとえ報われなくともノワールを守り切ると誓った。それが今は。ノワールはナツキを切り捨てることなくたしかな一人の人間として愛を捧げた。


 ナツキは笑った。ノワールからのキスを喜ぶ資格を初めて得たと思えたからだ。温かく瑞々しく柔らかい、女の子だけがもつ特別な唇の質感。ナツキはそっとノワールの背に手を回して抱き締める。重なった身体が互いの形を確かめ合う。


 でもどうしてだろう。なんだか今日のキスはしょっぱいな。


 田中ナツキ。わずか六歳という物心もつかない幼少時に棄てられた人格。短い人生だった彼にとって涙とは悲しいときに流すものだった。無意識に流れる嬉し涙にも気が付かず、二人は顔をびしょびしょに濡らしながら互いの全てを送り込み合う。そして夜が明けて陽が昇り、朝焼けが祝福の炎を大空に灯すのだった。

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