第312話 鏡の世界
黄昏暁が帰還した。人格交代を起こしていたナツキは中二病としての性質を取り戻す。讐弥へ宣戦布告をしたナツキがまず最初に行ったのは攻撃ではない。まして防御でもない。問いかけである。
「と、その前にだ。ククッ、ときに心宿讐弥。一つ確かめたいことがある。質問をさせてもらおうか」
「なんやろ。僕に答えられることならええけど」
つかみどころのない軽薄な笑みを浮かべた讐弥もまた能力を使う素振りは見せずナツキの言葉に応じた。ノワール、英雄、夕華の三人に見守られながらナツキはある確信をもって、疑問を解消するというより自身の中のこの確信を全員に明らかにさせることを目的として言葉を発した。
「お前、揚羽ノワールの催眠になんてかかってないんだろう? 最初から」
「さて、どうやろね」
「海王星の力だったか。あれを先に使うことができれば催眠の能力は防げる。そして揚羽ノワールの催眠は一旦好意を持ってもらうという条件があるだろう? そのタイムラグがあれば事前に海王星の力で対策はできていたはずなんだ」
「そんな……!?」
当のノワールは驚きの声を思わず上げてしまうほどナツキの指摘は突拍子もなく、英雄もまたそんな馬鹿なと唖然としている。夕華だけはどこか納得した表情だ。
たしかにナツキが能力を使って生み出した枝での攻撃を讐弥は無効化していた。海王星の力は外部からの能力による干渉を無力化する。その点で似た力を保有する夕華はナツキの言う通りだろうと感じていた。夕華本人に自覚はないが、現にノワールが転校してきた際に一度催眠能力を無効にしている。
ノワールとしても讐弥がナツキへ攻撃したのは催眠の指示ではない。能力の不調かと思っていたが最初から能力にかかっていなかったと言われた方が辻褄は合う。
ただ一点、英雄だけは困惑に近い感情が胸に広がっていた。状況証拠を揃え、ナツキの下に駆け付けた際には讐弥が催眠下にあると伝えたのは自分だ。そして、もしも讐弥が催眠による支配を受けていないとしたら自主的にノワールに協力していたということになる。その矛盾が英雄に違和感を抱かせていた。
「そうかもしれへんしそうやないかもしれへん。仮にここで僕がイエスと答えても、それすら催眠による指示で言わされてるだけかもしれへんやろう?」
「そんなことをさせるメリットが揚羽ノワールにあれば、の話だがな。まあいい。別に俺としてはどっちでも構わない話だ。ただ、もしもお前が催眠にかかっていないのだとしたらお前の行動に対して揚羽ノワールが責任を感じる必要はなくなる。それだけのことだよ」
「……あっそうかいな。……ほな、お喋りはここまでにして。やろうか」
「ああ」
英雄は殺気立つナツキと讐弥の仲裁に入ろうとした。が、その足は寸前で止まってしまう。やはり違和感が解消できない。讐弥は催眠にかかっているのだとしたらナツキに対して金星の光線を撃ったのがおかしい。催眠にかかっていないのだとしたらノワールに協力しているのがおかしい。
それでもこのまま大切な二人を衝突させたくなかった。英雄は懸命に声を振り絞る。あるいはこの違和感への解答を求めて。
「どうして……どうして二人が戦わないといけないんですか!? ボクには全然わかんない……わかんないよ。大好きな黄昏くん。お世話になった心宿さん。ボクは二人が傷つくところなんて見たくない!」
英雄の慟哭が夜空に響く。ナツキは英雄を見、同じく讐弥はノワールの方を見、そして二人は口を揃えてこう言った。
「私怨だ」
「私怨や」
赤と青のオッドアイ。青の双眸。それぞれが淡く光り夜の暗闇に浮かんで眩惑させる。妖しい月明かりの下で最強の少年とかつて最強と呼ばれた男は互いの能力を発動し、ついに二人の能力者は拳を交える。
〇△〇△〇
「ほな小手調べからいくで。……金星──嫋やかなるヴィーナス」
再び讐弥の掌に光の塊が玉状に集まった。キュィィィィィィィィンと甲高い音ともに熱量を上昇させ、玉からビーム状へと形を変え光線となって射出。速度は文字通りに光速である。
対してナツキも赤い右眼が淡く光り、『夢を現に変える能力』を行使した。
「ククッ、クリムゾンといい碓氷火織といいやたらと俺を撃ちたがるな。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いてくるものだ。天照らす照魔鏡、反射する無限世界、──八咫鏡」
ナツキの身体全体を覆い隠すように真円の巨大な鏡が召喚された。光線は鏡面に触れると貫通することなく鏡の内側へと吸収され、まったく同質の光線が鏡面から讐弥へと方向を変えて発射された。
反転して自分の方へと攻撃が返されたというのに讐弥は顔色ひとつ変えず大地に両手をつく。
「土星──慥かなるジュピター」
地面が抉れてめくれあがり壁となって光線を受け止めた。爆散した土壁の向こう側には既に讐弥はいない。
「天王星──厳かなるウーラヌス」
砕けた土壁の破片の輪郭が青く光って空中に浮遊する。いくつもの破片を何段もの踏み台にして高く跳び上がった讐弥は夜空を後ろに背負ってナツキを見下ろす。
真正面が鏡で反射されるなら、上から叩けばいい。シンプルだが的確な判断を素早く下した讐弥は指をナツキに向けて手を銃の形に模した。
「水星──清かなるマーキュリー!」
パンッ! パンッ! パンッ! と指先から水弾が雨のように降り注ぐ。その一つ一つが実際の銃の九ミリ弾よりも高い貫通力を備えている。
「ククッ、水を扱うスペシャリストが知り合いにいてな。それに比べたらまだまだ甘い。こい! 迸る亜空の魔弾!」
金の装飾が施されたマスケット銃がナツキの右手に現れた。ナツキは身体ごと仰向けに倒すように傾けながら銃身を空へと向ける。
引き金に指を添えると銃口に紫色の魔法陣が描かれた。そして引き金を一度引くと同時、魔法陣を通して一発の銃弾が複数に分散し讐弥が撃った水弾を一発残らず捉えて対消滅を起こす。
讐弥は水弾を全て撃ち落とされたのを見るや、空中に浮遊させている土の破片の上で抜刀し眼下のナツキへと飛び降りた。そのまま重力すらも利用して斬りかかる。
ナツキはマスケット銃をぽいと投げ捨てて放棄すると、慣れた詠唱をそらんじる。
「その黑は夜より暗く。その黑は闇より深く。晦冥の濡烏が世界を裂き誇る。こいッ!」
使い慣れた黒い刀が右手の中に召喚された。真上から斬りかかる讐弥の一刀と交錯するように黒刀で受け止め、金属同士の擦れる音とともにオレンジの火花が散った。
「なめてもらったら困るわ。こんなんまだまだ序の口やで?」
「ククッ、そうこなくっちゃな」
互いに私怨だと言い放ってから始まった戦いは、武器に能力にと手札を存分に切りながら展開していく。そして二人ともどこか楽し気であった。強者とは孤独だ。その意味では加減することなく能力を使って競り合える体験は黄金のように貴重なものに感じられた。
言葉にする気はさらさらないが、剣を交えることで似た昂りをナツキも讐弥も抱いていたのだ。