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第307話 それでも僕が

 ノワールを庇うように一歩前へ出ながら右眼の眼帯を左手で引っ張って外す。最高ランクの能力者、一等級を示す真紅の瞳が外気に晒された。既にその赤い眼は淡く光っている。

 今の人格のナツキに、黄昏暁ほどの思考力はない。多彩かつ繊細に(うつつ)にできるほど豊かな夢想は叶わない。それでも最低限、噴射された爆炎を防ぐくらいはできる。万能であるがゆえに彼の『夢を現に変える能力』は一等級なのだ。



(なんか適当に炎を受けきれる壁!)



 神田明神の本殿を丸ごと覆えるほどの範囲で、半透明な水色のバリアが展開された。横幅にして十メートル。高さ十五メートル弱。縦長な長方形の壁だ。紫色の炎がバリアに衝突し勢いのまま四方八方に分散していく。

 しかし継続的に放たれ続ける爆炎のエネルギーに耐え切れず徐々に壁は軋み罅が入っていく。



(ああ、もう! くそっ! 僕に彼くらいの……黄昏暁くらいの逞しい想像力があれば!)



 悪態をついても仕方がない。少なくとも今の『田中ナツキ』は自分なのだから。ノワールの肩を抱き思い切り横っ飛び。狛犬の背後へと隠れると同時、半透明のバリアはガラスのように砕け散り細かな水色の粒となって降り注いだ。



「ノワール、ここに隠れてて」


「う、うん」



 狛犬の台座の陰でノワールはしゃがんで頷いた。ナツキは陰から出て本殿の前に立ち、門の上に立つ和服姿の男を睨みつける。

 二人の間に敷かれた石畳は先ほどの炎でところどころ焦げ付き、周囲にはいまだ煤が舞っている。煙たい匂いが鼻につく。


 男は腰の刀を落とさぬよう手でおさえて門から飛び降りた。数メートルの高さをものともせずふわりと羽根が舞うように着地。鋭く光る青い細眼と三日月のようにニンマリとつり上がった口は今にも破裂しそうなほどの凶暴性を孕んでいる。



「いやぁさすがは一等級、聖皇はんと同格の能力者だけのことはあるっちゅうことやな。小手調べとはいえ傷一つつけられへんとは思わんかったで?」


「お前は誰だ。狙いは僕か? それとも……」


「そないに怖い顔せんでぇや。僕はね、ケンカをしにきたんとちゃうよ? ただ一方的にそこのお嬢さんを殺しに来ただけやから。僕は二十八宿、東方青龍が一人、心宿(なかごぼし)讐弥。きみが現れるまで日本最強やった男や」


「最強……?」



 そんな大物がノワールの命を狙っている。ごくりと生唾を飲み込む。向こうはどうやら田中ナツキという人物を知っているらしい。しかしそれは黄昏暁の人格の自分だ。今の田中ナツキは本来の半分にも満たない力しかない。

 

 不利? 弱い? ピンチ? そんなこと、自分が一番よくわかっている。だとしても後ろにいるノワールを見捨てるなんて選択肢にありはしない。二週間前、月が美しい晩に、人格の主導権を奪い取ったあの瞬間からたとえ世界が敵に回っても──たとえ自分の主人格が敵に回っても──ノワールを守ると誓ったのだから。


 まあええわ。讐弥は吐き捨てるように呟くと、右手を高らかに掲げ掌を天に向けた。



「水星──(さや)かなるマーキュリー」



 掌に青い水の渦が生成されていく。水が回転して流れながら形をなしていくので渦のようだとナツキは判断したが、薄く鋭い形状は渦というより円盤に近い。

 水の円盤は回転の速度を絶えず上げていき空気を切り裂く甲高い音が鳴る。空気との摩擦で生じた熱により円盤の中心から遠い部分は飛沫が蒸発して白い煙のごとき蒸気を吹かす。


 讐弥は野球のピッチャーよろしく振りかぶりゴウッ! と重苦しい水の円盤を投げた。回転しながら豪速で突き進む円盤は大型の手裏剣を思わせる。



「いつもの黒い刀!」



 黄昏暁(かれ)が考案した長ったらしい詠唱は忘れた。中二病じゃない自分には詠唱なんていらない。とにかく、普段から使っていた丈夫で切れ味の鋭い漆黒の刀を具現化させた。

 両手で柄を固く握り迫り来る水の円盤に合わせて振り下ろす。この黒刀はただ刃に色を塗った刀ではない。絶対に折れない最硬の刀という夢のようなあり得ない性質を現実にした理論値の武装だ。どれだけ水の勢いが鋭くとも斬れぬ道理はない。



「はぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」



 自分だってこれくらいのことはできるのだ。あちらの人格でなくたって戦える。そも、『夢を現に変える能力』は彼ではなく自分の能力なのだから。

 と、自らに自信を与える思考をすることコンマ一秒。



「え?」



 黒い刀は藁よりも柔らかくすっぱりと折れた。折れたと表現するよりも刃そのものが切断されたと言う方が適切なほど美しい断面で真っ二つになった。わずかに軌道を逸らした水の円盤は狛犬の石像をスライスしなて空の彼方へと飛んでいく。斜めに斬られた狛犬の像はズレて地面へと落下した。



「土星──(たし)かなるジュピター」



 さらにナツキの足元の石畳が隆起し大地が先端の尖った山となった。十メートル程度の標高だが、一瞬にして跳ね上げられたナツキは受け身も取れず落下し、地上四階から飛び降りたのと同じだけの衝撃を全身で受ける。

 両足の骨が折れ、腰と背骨も一部が砕けた。激痛のあまり叫び声を上げそうになるが隠れるノワールを心配させまいと下唇を噛んで耐える。



「……アルクレピオスの杖」



 青白いヘビが出現しナツキの身体の周りにまとわりつくと全身の怪我が治癒されていく。しかし痛みを受けた事実は消えず、心理的なダメージもなかったことにはできない。

 心宿讐弥という強者への畏れは一方的に増幅していく。



「うーん……妙やなぁ。鬼宿剛毅から聞いていたよりもあまりに弱すぎひん? 僕、もっとやり返されると思ってたんやけど。あんな、強いんよ。たしかに()()は強い。万能やと思うし崩すのは並大抵やあかん。だけど能力を運用するきみ自身があまりにも……ショボいんよ」



 讐弥は顎に手をやり首を傾げる。震える脚に鞭を打ちナツキは立ち上がる。弱いなんてことわかっている。黄昏暁に何もかも劣っていることなんて嫌というほど知っている。唯一の肉親である実の姉から見捨てられたほどだ。本当にどうしようもない無能な自分。


 そんなちっぽけな自分にも、内側にはたった一つの美しく輝く光がある。

 それは恋。それは愛。それは情。そしてそれは誓い。黄昏暁にとって空川夕華を守ることがクリムゾン・ネバードーンという強者と戦う理由になったように、田中ナツキの自分にとっては揚羽ノワールへの想いこそが心宿讐弥に立ち向かう理由になる。


 恋愛なんて甘酸っぱい感情を知ることはないと思った。実体も持たずフワフワと浮いて形而上から黄昏暁を見下ろす存在だった。

 でも、初恋は劇的だ。劇薬だ。ドロドロと熱く煮えたぎる彼女への想いが燃料となり勇気を着火する。



「……それでも、それでも僕はノワールを守るんだァァァァ!!!!」



 青臭くてもいい。弱くてもいい。笑われてもいい。ただ大好きな女の子をたった一人守れたらそれで充分なのだ。田中ナツキは歯を食いしばって立ち上がる。

 奮い立つ少年の姿にうすら笑いを浮かべた讐弥は腰に佩いた刀に手をかける。結城英雄との稽古ですら絶対に抜くことのなかった日本刀を。


 勇気には敬意を。蛮勇には破滅を。夕陽は低く沈み大空は黄金と濃紺の狭間に訪れた。黄昏時、黄昏暁を否定した少年は京都最強の男へと牙を突き立てる。

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