第305話 アキバズデート
出会いの話を聞いてからさらに数日。ナツキの人格交代が起き、ノワールとの生活が始まって二週間が過ぎようとしていた。相変わらず英語の授業は自習続きで夕華は姿を見せない。
今日は日曜日だ。大抵の中学生は部活動で土日も学校だが、帰宅部のナツキたちは普通に休みである。
「ナツキくん、遅くなってゴメンね。待った?」
「い、いや、今来たところだよ」
駅の改札付近でナツキはなぞるようにテンプレートな返事をした。そもそも同じ家に住んでいるのだから一緒に家を出れば良かったのでは? と内心思いつつもノワールは一度これをやってみたかったということでわざわざ時間をずらして家を出たのだ。
デートをしたい、とノワールから提案されたのが金曜日の夜。面食らうナツキに対してノワールは秋葉原に行ってみたいと言い出した。
長年外国に住んでいたノワールからすれば日本っぽい場所のイメージは秋葉原なのかなぁ、などと思い、土曜日を丸一日使ってナツキは計画を練ったり街について調べたり電車の乗り換えや時刻表を調べたり……と準備を重ねた。そして今日が日曜日、当日だ。
「それじゃあ行こっか」
「うん」
ノワールは自然にナツキの腕を取って肩に頭を乗せた。ピンク色のブラウスと黒いサロペットミニスカートが可愛らしい。ブランドのマークをかたどった大きな金色のバックルがワンポイントになっている黒いベルトは高級感がありゴージャスだ。ゴールドとブラックの取り合わせは髪色と同じで、本人とファッションの全体の調和がとれている。
ノワールの愛らしさと上品さを両立させた格好は道行く人たちの視線を一身に集めている。
こういうとき相手の私服を褒めればいいんだっけ、とネットで見かけた知識を実践しようとするが、緊張しているとうまく頭が回らない。
「そういえばどうして秋葉原に来たかったの?」
「ナツキくん、アニメとかゲームとか好きだったでしょ? どうせデートするならナツキくんが楽しい場所がいいなって。私はナツキくんと一緒ならどこにいても幸せだしね」
どこでどうやって調べたのかはわからないが、それは田中ナツキという人間に関して正しい認識である。ただし人格は黄昏暁の方だけれども。
なんだ、ノワールが来たかったからではないのか。ナツキは小さく下唇を噛んだ。ノワールの優しさは結局のところ自分ではなく黄昏暁に向けられたものである。隣で彼女のはにかんだ笑顔を見ていると近くにいるのに遠く手が届かないような気分に襲われる。
(だめだめ、せっかくのデートで後ろ向きなことを考えている場合じゃない! 今はノワールを楽しませることだけ考えよう)
気持ちを切り替えてノワールをエスコートすることに徹する。駅を出ると目の前に数階建ての大きなゲームセンターがあり、有名なゲームメーカーのロゴが掲げてある。日曜だけあって人通りは多くどの店舗からも騒がしい音が漏れ出ていて、はたと辺りを見上げれば黄昏暁の好きな作品の広告がビルの壁に大きく設置されている。
歩行者天国なことも相まって街全体がそういったサブカルチャーの雰囲気を持っている。男性だけでなく意外と若い女性も多く他にも海外の観光客も見受けられた。
まずはメインの大通りを二人で見て回る。特にほしいものがあるわけではないがフィギュアやポスターなどのグッズショップだとかゲームや映像作品のショップだとかを覗いてみた。
あのキャラが持ってるステッキが可愛い、このキャラの剣がかっこいい、と、よく知りもしない作品について二人で談笑する。作品のファンからすればレベルが低く浅い会話なのかもしれないが、ただ共通の話題を話すだけでナツキとノワールは幸せだった。
「ノワール、あそこのゲームセンター行かない?」
「うん。行こ行こ!」
実のところ今の人格のナツキはゲームセンターという場所を知らない。名前くらいは見聞きするが足を踏み入れたことはないのだ。
まるでノワールと冒険しているような気分を味わう。見るもの聞くものがどれも新鮮なのだ。そう、新鮮。どれもこれも幼い人格にとっては目新しく、好きな女の子と一緒ならどんな景色も色鮮やかに写る。ドキドキと高鳴る胸の鼓動を形容するにはその言葉が最も相応しい。
「うーん……これ難しい! えい! えい!」
「すごいノワール、全部押せてるよ!」
ピカピカ光る洗濯機のようなリズムゲームをしたり。
「きゃぁぁぁぁぁぁ助けてナツキくん!!」
「うん! 狙い撃つよ! あ、屋根の上にもいる!」
銃の形のコントローラーでゾンビを撃ちまくったり。
「ほうら、ナツキくん。もっと近づいて」
「う、うん」
「これね、おえかきしたり文字スタンプ入れたりできるんだよ。ハートマークいっぱいつけちゃうね」
「うわ、僕の目がこんな巨大に……」
密着してプリクラを撮り、何回目かのシャッターのときいきなり頬にキスをされ、そこに派手なピンク色のハートを描かれたり。
「あのクマさんかわいい……」
「任せて。僕が取るから」
「あぁ……惜しい。アーム弱すぎだよね」
「よし、もう一回!」
「ちょ、ちょっとナツキくん、それでもう五千円目だよ。もういいから、ね? 他のところ行こうよ」
「大丈夫大丈夫。もう少し待っててね。絶対あのクマのぬいぐるみプレゼントしてみせるよ!」
たぶん普通に買った方が安く済んだだろうと後悔しそうになるほど大金をUFOキャッチャーにつぎ込んだり。
「ありがとうナツキくん。これをナツキくんだと思って大切にするね」
「どういたしまして」
クマのぬいぐるみを抱いてノワールは嬉しそうに微笑んだ。この笑顔のためなら一万円弱くらい安いものだ。とはいえ財布は素寒貧になってしまった。ナツキは本来の人格である黄昏暁に向けて心の中でごめんと謝罪をする。
ゲームセンターを出てからも二人で散策を続けた。昼過ぎには駅前のファストフード店に入りハンバーガーを食べ、フライドポテトをあーんされた。毎日のように学校でされているのでつい反射的に口を出してしまったが周囲の客からの視線が痛い。
「ナツキくん、手にソースついてるよ」
「ああ、本当だ。大きめのハンバーガーって持ちにくいし強く握りすぎると中身飛び出ちゃうし食べるの難しいね」
ハンバーガーを食べるのだって数年ぶりなわけで、ナツキはなかなかに手古摺ってしまっていた。パテがぬるりと滑り、包み紙で持っていても指先にソースやケチャップがついてしまう。
席に置いてある紙ナプキンで手を拭こうとしたところをノワールがちょっと待ってと制止した。そして、パクリ。ノワールはナツキの指を咥えた。
「ん……はむぅ……ちょっとしょっぱいけど美味しいね……」
ぴちゃぴちゃと唾液とソースの水っぽい音を立てながら生き物のようなノワールの舌がナツキの指を舐め回す。頭を前後に動かし舌を巻きつけ吸い上げるように口をすぼめ、最後にはちゅぽんと引き抜いた。
「はいナツキくん。綺麗になったよ」
「あ、ああああありがとう」
ノワールは火照った顔で上目遣いを向けてくる。涙袋が大きく目元を赤いラメ入りアイシャドウで塗っているので瞳がうるうると潤んでいるように錯覚する。
ぬらぬらと唾液で照っている自分の指を見てナツキはあからさまに動揺し視線が泳ぐ。ナツキはその後もノワールがストローで飲み物を飲んだり食べるために口を開いたりするだけでもドキドキと不思議な昂りに襲われ、そうこうしているうちに二人とも完食した。
「午後から行きたいところある?」
「ええっとね……あ、見て! あのお店楽しそうだよ」
ファストフード店を出てからしばらく歩いた先にある店舗を指差しノワールはナツキを引っ張っていった。
道にまではみ出る形でマネキンが立ち並び、それぞれ浴衣を着ていたり豪奢なドレスや古いローブを纏っていたり、中には甲冑やビキニアーマーなど到底現代社会ではお目にかかることはない服まである。
「ブティック……じゃないね。それとも僕が知らないだけでああいう服装が流行ってるの?」
「コスプレショップじゃないかなぁ。ほら、レンタル可って書いてあるよ」
アニメやゲーム好きな日本人はもちろん幅広く日本文化全般に興味がある外国人観光客向けのショップなのだろう、とナツキは考えた。浴衣や和服など日本人は興味がなくても海外の人が着たがるし、コスプレも国内外で人気だ。
店に入るとすぐに若い女性店員たちが目を輝かせてノワールを取り囲んだ。
「可愛いお客様キターーーーー」
「ほら、みんな早く奥のドレッシングルームにお連れしなさい!」
ノワールはあれよあれよと着替えるために店の奥に連れて行かれた。残されたナツキがカウンターで料金を尋ねたら鼻息の荒い店長がカーテンから顔だけ出して『むしろこちらがモデル料をお支払いしたくらいです!』と声をかけてきたので、ナツキは支払いをせずに済んだ。
ノワールのクレジットカードを使えば金銭的な心配はないのだが、やはりデートでは男の自分が全部払いたい。時代錯誤だと言われようとも好きな女の子の前ではカッコつけたくなるのが男である。
それから十五分ほど経ちノワールが奥の着替室から出てきた。
「ど、どうかなナツキくん?」
「かわいい……」
「えへへ、そうでしょ」
嬉しそうにはにかむノワール。ナツキは思わず感嘆の言葉が漏れて零れ落ちた。黒いマントに黒いブーツ、黒いニーハイソックス。肩から手甲にかけて鎧が覆い、ピンク色のヒラヒラとしたスカートを真っ赤なベルトが留めている。
一メートル長はある大きなステッキ。腰には変身アイテムと思しきハート型のアイテム。
「うお、すげぇ! 本物の魔法少女マジカルパンジーがいるぞ!」
「本当だ! あの金髪ウィッグじゃなくて地毛かな」
「再現度高ぇなおい!」
店員に押し出される形で店の外へ出ると通りすがりの男性たちがノワールの前で足を留め、カメラを構え始めた。レンズの部分の筒が長い立派な一眼レフもいればスマートフォンもいる。
自分が知らないだけで有名なアニメのキャラクターの格好だったのか。ナツキは店の中からアニメ好きが熱狂しているのを眺めながら、少しだけ嫉妬した。ノワールを撮影してほしくないと。同時に少し優越感もあった。それほど美しい少女と自分は一緒に暮らしているのだと。
「ステッキ構えてポーズ取ってもらっていいかな! そうそういいカンジ。うん、右手を前に出して左手は腰ね。上半身は前に若干倒すイメージで……ナイス! みんなシャッターチャンスだぞ!」
車道を挟んで向こう側の歩道にまで人が溢れるほどの人だかりができていた。ノワールを中心に大勢の男たちがカメラを向けている。
ノワールが着ているキャラの服装は胸元が開いているので上半身を倒すと谷間が大きく露出する。カメラのフラッシュが飛び交い鼻の下を伸ばす者だらけだ。
その後もポーズの要望があればノワールはにこやかに答え、話しかけられればちょっとした雑談もしていた。男たちの視線は基本的に胸の谷間に吸い込まれていたが。
店内にいたナツキはむっとして、いてもたってもいられず店を出た。そして人混みをかき分けノワールの手を取る。
「もう行こ」
引っ張って強引に連れ出す。すたすたと無言で、大きな歩幅で早足で。ナツキがノワールを連れて行くと撮影していた連中は『なんだ男いたのかよ』と悪態をつきながら散り散りになっていった。
「ねえナツキくん、嫉妬した?」
「え?」
ナツキは立ち止まって振り返る。そこにはイタズラっぽい笑顔でこちらを見つめるノワールがいる。そうか、あれはわざと見せつけていたのか。それを瞬時に理解したナツキは思わず天を仰ぐ。なんて小悪魔だ、と。
ノワールは人目も憚らず真正面からナツキにハグをし、胸を押し付け、つま先立ちになって耳元に顔を寄せて囁く。
「ナツキくん、あの人たちね、ずっと私のおっぱいばっかり見てたんだよ。女の子ってそういう視線に敏感なの。私まだ中学生だから犯罪なのにね。ナツキくんどう思った? 自分の女に手を出すな―って思ってくれた? でもでも大丈夫だよ。怒らないで大丈夫なの。だって私の全部はナツキくんのものだから。ナツキくん。私のたった一人の王子様。好きだよ大好きだよ一生好き。ねえナツキくん子供何人ほしい? サッカーチーム作れるくらいの大家族になっちゃったりして。名前はどうしようか。私ね、百個くらい考えてノートに書き出してあるから今度一緒に決めようね。あ、だけど赤ちゃんできちゃったら授乳しないとだから私のおっぱいはナツキくんものだけじゃなくなっちゃうよね……。それでもナツキくんがどうしてもって言うなら粉ミルクだけにしてもいいよ。だって私のカラダはナツキくんのためだけにあるんだから」
早口で、まくしたてるように。思考の隙すら与えずに。ハイライトのない据わった目でノワールはナツキを堕とそうとしていく。
「わ、わかったから! そういうのはまた後でにしよう! ね!」
ナツキは顔を真っ赤にしながらノワールの肩を掴んで遠ざけた。わずかに残った理性がここは公共の場だと教えてくれた。
「もう、ナツキくんってば本当に照れ屋さんだね」
フフフ、と笑うノワール。ナツキはこれ以上見つめていたら暴走してしまうので視線を逸らす。
それ故に気が付かなった。これほどの至近距離にいながらナツキは見逃していた。ノワールはカメラで撮られているとき、紫色の瞳に光を灯していたのを。能力を発動していたのを。
(大好きなナツキくんにアピールもできる。キモい男たちも有効活用できる。私っててーんさい)
ナツキの腕を取りにこにことしているノワールの真意を彼は知る由もない。