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第302話 排除すべきお邪魔虫リスト

 乗り換えは在来線で二回。合計で一時間弱電車に揺られてノワールは目的の駅に降りた。若者たちが行き交う駅前はまさに学生街で、遊びに行く者や食事をする者でごった返している。


 ほとんどの大学は自由に出入りができる。警備員は立っているものの高校生などと違って年齢に幅のある大学生を一般人と区別することは難しい。それどころか大学によっては食堂を名物施設とし一般に開放している例すら決して少なくはないのだ。


 明慶大学と刻まれた碑の横を通り過ぎ、スマートフォンで学内地図を確認しながらノワールは大学のキャンパス内へと歩みを進めた。制服であることは元よりノワールの美しい容姿は周囲の大学生たちをも引き付けてやまない。



「ふーん。あそこの部屋かなあ」



 キャンパスの敷地内にいくつか点在する校舎の中でも特に古めかしい木造の建物がどうやら目的地のようだ。大まかに学部ごとの教室やゼミ室、その他教授室や教務室などによって校舎は分かれており、その木造校舎は主に文学や社会学等の系統の学部学科が集まっていた。


 学生の姿はあまり多くない。建て替えられたばかりで小奇麗な校舎は絶えず人の出入りがあったがこちらの校舎はキャンパス内をしばらく歩く必要があり、どうも人影がないのだ。


 石でできたアーチ状の玄関をくぐり抜けると少し埃っぽくてジメジメした印象を受ける。

 講義で使われる番号の振られた通常の教室は素通り。ノワールの目的は別にある。


 そこは教授室。理系であれば実験室も兼ねることがあるが、文系学部においてはちょっとした人の集まれる広さの書斎といったところか。


 間取り自体は通常の講義教室に近い。学生の机の部分が本棚や大きなラウンドテーブルに置き換わっているだけだ。

 本棚といっても図書館のような整然と並べられたものではなく縦に立っている本の上に横で平積みしていたりメモやコピー用紙が端々に強引に押し込まれた形跡があったりと、この部屋の主以外が使うことは基本的に想定されていない様子だった。


 部屋の最も奥、通常の講義教室で言うところの教壇に相当する場所には木の長机が鎮座しており、キャスター付きの椅子に後ろ向きに座っている一人の女性がいる。長い黒髪をお団子ヘアで後ろでまとめていて白衣を纏っている。


 ノワールは制服のスカートのポケットから本革の細長いケースを取り出した。黒い取っ手部分をケースから抜くことで十五センチメートルほどの美しい刃が露わになる。どの家庭にもある調理包丁である。

 包丁を持った手をだらんと下ろしてふらふらと本棚の間を縫う。ノワールは女の後ろ姿に声をかけた。



「フランスでもケーブルテレビならイギリスの番組を受信できるんですよ。そこで随分面白い番組を放送していました。私の大好きな大好きなナツキくんに好きだなんだと戦う前にほざいていて、そのくせナツキくんを殺しかけた女が出てくる、そんな番組です」


「初めまして揚羽ノワールちゃん。その番組なら私だってよく知っているとも。だってこの私が出ていたからね!」



 ゆっくりと歩いて近づくノワールに振り向くこともせず椅子ごと後ろを向いたまま白衣の女はあっけらかんと言い放つ。

 目に光のない不気味なノワールは包丁を両手で逆手に握って振り上げる。電球がきれかけていてチカチカ点滅している薄暗い電灯が鈍く刃を照らす。



「じゃあそういうことですから、ナツキくんに色目を使う女は死んでください。ね、碓氷火織さん」



 ブスリ。

 包丁が火織の首に突き立てられる。


 ゴトリ。

 首が床へと転がり落ちる。



「な、なにこれ……!?」


「どうだろう、驚いてもらえたかな?」



 碓氷火織だとノワールが思っていた人間は碓氷火織ではなかった。否、そもそも人間ですらなかった。

 床を転がるマネキンの頭から黒髪のウィッグが落ちる。ノワールがキャスター付きの椅子の背もたれをひったくるように回してこちらに向けると白衣を着たトルソーがラジカセを抱えていた。



「たぶん今頃、全部バレただろうねぇ。どう? びっくりした? 私的にはぶいぶい、というわけです。ちなみにこの録音音声は揚羽ノワールちゃんの言動を全て予測した上で、黙っている()も含めてノーカット無編集の……」



 ノワールは包丁を突き立て椅子ごとラジカセを破壊した。スピーカーからジジジとノイズが混じり完全に音を停止させる。どうして誰にも話していない今回の襲撃を火織は知ることができたのか。ノワールは不可解に思いながらも状況が悪いことは間違いないので一旦退却しようとした。


 そのときだった。部屋の隅に置いてあった液晶モニターの電源がつき、前髪に青紫色のメッシュを入れた白衣の女が映し出された。碓氷火織その人である。



「ああ、帰ろうとしているところゴメンね。実は事前に大学の警邏には明後日……いや、ノワールちゃんからしたら今日、午後五時一五分にこの部屋を外から施錠しておくように頼んでいたんだ」



 火織が言い終えてから間髪入れずにガチャリと鍵の閉まる音が部屋の唯一の出入口から鳴った。苦い顔をしているノワールに向かって火織は続けた。



「揚羽ノワールちゃんの能力は一言で表すなら催眠。或いは暗示とか洗脳とか、まあそこらへんはボキャブラリーの違いなのです。さて、つまり私はいかにノワールちゃんと直接顔を合わせないかというのが最重要タスクになっていて、当然警邏のおじさんもノワールちゃんとバッティングしないように他の校舎内の状況や学生の人の流れを操る等々していたわけで……」



 ノワールは本棚から分厚い論文集を荒く掴み取るとモニターへ思い切り放った。画面は罅割れ光源が歪んで映像の中の火織に三原色の線が走った。

 そしてドアまで走ってドンドンと叩く。ドアノブをがちゃがちゃ捻っても内側から開錠することはできない。



「まあまあそんなに暴れないでおくんなさいな。私たちみたいな人種からしたら多少の能力者も『バタフライ・エフェクト』で対処できるってことね。やろうと思えばノワールちゃんが大学の敷地に入って二六五歩目に頭を撃ち抜かれるよう茂みの中にタイマー付きの銃を隠しておくことだってできたし、そもそもこの部屋に爆弾を仕掛けておくことだってできたんだからサ」



 天井に設けられた学内アナウンス用スピーカーから音割れしながら火織の声が降り注ぐ。ノワールは憎悪で表情を歪ませて暗い瞳で天井を睨みつけている。



「だからそう睨まないでおくれよ。私は別に星詠機関(アステリズム)にも平安京の授刀衛にも恩を売るつもりはないし、ノワールちゃん個人に恨みがあるわけでもないし、ただ退屈しのぎに遊んだだけなんだから。繰り返すけどこれは全部ノワールちゃんの行動や発言を予測した上で録音録画して喋ってるだけなので。ノワールちゃんが今いるリアルタイムの時間では私はとっくに仕事を終えて大学を出てるよ。恋する乙女にこんな忠告するのは酷かもしれないけど、あんまり危ないことしてると痛い目見るよ、って年上のお姉さんからのアドバイスね」



 二時間経ったらノワールちゃんから見て手前から二番目の本棚の最上段の右端にある小箱がタイマー式で開いて、この部屋の鍵がそこに入ってるはずだから、がんばってね~。

 そう言い残して火織の音声はぶつりと途切れた。言われた通りに場所を探すとたしかに小さなアタッシュケースのような箱があり、留め具にはデジタル数字のタイマーがついている。



「アアアアアアアッッッ!」



 ノワールは箱を床に叩きつけた。ナツキと一緒にいる時間を我慢してまで彼を誑かす女を殺しにきたのに完全に弄ばれた。怒りも後悔も憎しみもやり場がなく胸の内でぞわぞわと渦巻いている。


 ポケットから一枚の紙きれを出す。そこには数名の女性の名前が書かれいてた。既に一番上の『空川夕華』の文字の上には横線が二本引かれている。その一個下の碓氷火織という四文字を忌々し気に見つめた。


 リストに載っている女性たちのうち日本国内にいる者は少なく全て回るのは時間がかかる。だからまずは近場の碓氷火織を狙ったのに。

 ノワールは自分で手書きしたその『排除すべきナツキくんのお邪魔虫リスト』の紙きれをぐしゃりと握りつぶした。



〇△〇△〇



「や! オッドアイの少年。いいや()のきみはちがうね。なんて呼ぼうか。うん、きっとそのままでいいはずです。というわけで改めて、田中ナツキくん。久しぶりではじめまして。うーんどっちでもいいか!」



 ナツキがスーパーでカゴを乗せたカートを押しながら生鮮売り場を見ていると白衣の女に話しかけられた。ナツキも覚えがある。イギリスで戦った碓氷火織だ。彼女に殺された黄昏暁が精神世界にやって来たのでこちらの人格のナツキもよく覚えている。


 一度は敵対し、その後は一緒に海で遊んだ仲だ。別段味方でも友人でもないが敵というわけでもない。一体何の用だろうか。そして彼女の口ぶりは自分の人格の交代に気が付いている。警戒するナツキの視線に対し火織は敵対の意思なしと言わんばかりに両手を挙げた。



「ああ、勘違いしないで。別に取って食おうっていうんじゃないし、それに私らは三次元世界での出来事を四次元的に知覚しているから認知が寄るんだ。つまり田中ナツキの姉の田中ハルカが何をしているのかはおおよそ把握していて、もっと言うとあっちの人格のきみ、つまり黄昏暁は将来的に私たち側に足を踏み入れる予定の知能と認知をもっているからこそ気が付けるというわけだ」



 よくわからない。何を言っているんだこの女は。そんな風に顔に書いてあるほど訝しむナツキの様子を楽しそうにハハハと笑いながら火織はぽんぽんとナツキの頭を撫でた。



「まああれから日本でも会いたかったのは事実で、ちょっとしたイタズラも成功したから私は今とても気分が良いのです。さぁ、今日は私のおごりだぞー」



 それから火織はナツキの買い物に付き合い、カウンターで会計するときには本当に支払いをしてくれた。スーパーを出たところで空はかなり暗くなっていて火織はばいばーいと手を振り駅の方へと帰っていった。

 一体なんだったんだ。なんなんだ彼女は。黄昏暁はあんな女にも目をつけられて大変だな、とナツキは本来の主人格に同情しつつ、重たい買い物袋をもってノワールのマンションへと帰宅した。


 それからノワールが帰ってきたのは二時間以上も後のことである。

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