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第301話 寄り道

 始業式から一週間が経過した。激しい夏の残暑が秋の柔らかい空気に押し出されたのに合わせて浮かれていた中学二年生たちも落ち着きを取り戻しいつも通りな学校生活のルーティーンに馴染みきっている。


 あれからナツキはずっとノワールのマンションで生活している。制服をはじめ学校生活で使うものは持ち出したので問題はなく、特に授刀衛や星詠機関(アステリズム)から能力者の刺客が送り込まれることもなく、平和な日々が続いていた。


 毎日のようにノワールと二人で手をつないで登校し、お揃いのお弁当を食べて、家に帰ったら温かい夕食を二人で囲む。一緒にお風呂に入ろうとタオル一枚で誘ってくるノワールを追い返したり土日はレンタルした映画を夜遅くまで観たりして過ごす。


 慣れとは恐ろしいもので、ナツキはこの幸せなひと時を享受してそれが至極当たり前のことのように錯覚しつつあった。敵が来ないので気を張る必要はなく、自分の無力さを痛感することもない。自分が何をしてもノワールは全て肯定してくれるので自分自身の人格や存在を不安に思う瞬間もない。


 ただ一つ気になることと言えば。一週間というそれなりの長さの期間、夕華は体調不良という理由で休職届を出しており英語の授業は全て自習になっていたことだろうか。


 自習を喜ぶクラスメイトを尻目にナツキは少し心配になっていた。黄昏暁と違って恋愛感情はもっていないが小さい頃から世話になっていたのは自分だって変わらない。生まれてから六歳になるまでは黄昏暁も自分も共通の記憶である。


 しかしそれを口にするとノワールはいつも話題を逸らす。豹変して据わった目になり、『他の女の話はしないで』と言ってくる。静かだがじっとりと重たい口調で。うっ血するほど強く腕を掴み。

 ナツキとてノワールの機嫌を損なう気はないので話題を変える。そうすると突然ノワールは元の明るい様子になり甘えた猫のようにべたべたと引っ付いてくる。


 結局、わずかな瞬間の夕華への心配もそうやってノワールの身体の質感や香りを浴びると頭から消え去ってしまうのだ。自分自身の人生を生きる経験の浅いこの人格のナツキにとっては他者への心配よりも自分の幸福を追求する方が重要……とは言わないまでも、それが精いっぱいだった。


 中学校の勉強は難しい。体育だって黄昏暁と違って苦手だ。それでもそうやって苦しむ時間すら尊いものに感じていた。今まで自分が諦めていた生活。諦めていた時間。人並みの学校生活を平凡に送ることが今のナツキの何よりの満足だった。



〇△〇△〇



「こういう傲慢な態度の上意下達が嫌だからアタシは日本を出てったのにさ……」



星詠機関(アステリズム)の日本支部。その私室で北斗ナナはぐりぐりとこめかみを押しながらパソコンの画面を睨みつけていた。

 送りつけられた一通のメール。差出人は『結城英雄』となっている。だが文面や言葉遣いからして英雄本人でないことは少しでも彼を知る者からすれば明らかだ。


 曰く、揚羽ノワールの能力を用いた殺人行為は被害者が授刀衛であること、事件発生場所が京都の空港であったこと、この二点を根拠に管轄は自分たちであるから星詠機関(アステリズム)は関わるな、とのことだ。



「まあこういうときにアタシらを抑えつけられるから英雄はお飾りでもうちのトップってことになってるんだろうからね……。今回はそれを存分に活用されちゃったってとこかな」



 書類上は星詠機関(アステリズム)日本支部の支部長は英雄である。日本に支部を作る最大の条件こそがトップは平安京から派遣するというものだった。

 実際の業務では副支部長の北斗ナナと同職の牛宿充が指揮を取っているので二人が支部長のようなものなのだが、それでも書類の上では権限は英雄の方が上にある。


 この関係性は省庁のようなものだ。省庁内部の官僚はどれだけ出世しても事務次官にしかなれない。次官、つまりナンバーツーである。あくまでも省のトップは政府メンバーである政治家の大臣であって、官僚ではない。官僚組織のトップが官僚ではない矛盾。同じく、星詠機関(アステリズム)のトップが星詠機関(アステリズム)ではない矛盾。


 幸いと言うべきかナナが対処を命じたナツキからはその後の報告はない。彼のことなので仕損じるということはないだろうから心配はしていないが、何も連絡がないということは揚羽ノワールの捕縛および殺害には及んでいない。つまり授刀衛の領分はまだ侵していないのでセーフ。

 

 ナナは部屋の掛け時計を見て『この時間はまだ暁は学校だな』と思案し、直接中学校にテレポートするのも迷惑だろうということでスマートフォンを取り出して手早くメールを打った。揚羽ノワールの件は完全になしだ。



「でもあの二人、同じクラスだもんね。いくらあちらさんが手を出すなって言っても揚羽ノワールの方が暁に接触しちゃうのは仕方ないと思うんだけど……」



 まあ、それはそれか。仕方ないものは仕方ない。ナナは頭を切り替えて大量に溜まっている他の仕事へと手をつけた。



〇△〇△〇



「ねえナツキくん、ちょっと寄りたいところがあるんだけど……」



 ノワールがそう切り出したのは下校中のことだった。夕陽がナツキとノワールの二人分の長い影を作っている。

 快く頷いたナツキはどこにでもついていくと伝えた。一応、建前としてはナツキは護衛ということでノワールと一緒にいる。だったらノワールがどこかに行くときもそばにいなければなるまい。断じて下心ではない。ナツキは誰に対してというわけでもなく内心そんな言い訳をこねまわす。



「ううん、ナツキくんは先に帰ってて」


「でも……」


「大丈夫だよ。だってこの一週間なーんにも起きなかったでしょ? すぐに帰って来るし危ない目にあったら連絡もする。あのねナツキくん。女の子には男の子と一緒じゃ行きにくい場所もあるんだよ……?」



 ノワールの上目遣いに顔を赤くしたナツキは言われてみればそれもそうだ、と思った。いくらノワールが自分のことを好いてくれているとはいえ私生活を端から端まで監視されるのは息苦しいだろうし、むしろ自分を好きでいてくれるからこそ知られたり見られたりしたら恥ずかしいと感じることもあるのだろう。


 ここは男性として、紳士として、しつこくつきまとってはならない。本当に危ないときは黄昏暁がしていたように悪魔の証明による疑似転移を使えば駆けつけることもできる。



「うん。わかった。じゃあスーパーで夕飯の材料を買って待ってるから、ノワールも気を付けてね」


「うん。今晩も頑張って腕を振るうから楽しみにしててね、ナツキくん」



 つま先立ちになりナツキの頬に軽く触れるようなキスをするノワール。さすがはフレンチキス発祥の国だと妙な感慨にふけりながらナツキはノワールの唇の感触を堪能した。


 沈む夕陽に背を向けて駅の方角へと向かったノワールを見届けて、ナツキは逆方向のスーパーへと足を運ぶ。ノワールは料理上手なので頼めば嫌な顔ひとつせずなんでも作ってくれる。限度額のないクレジットカードもノワールに貸してもらっているので懐事情も気にせずに自由に買い物もできる。


 さて今日は何を作ってもらおうか、とヒモじみたことを考えているナツキはすっかり軽い足取りになっていた。

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