第30話 勘違いが生む温かい視線
幅三メートルほどのアスファルトの道。それに両側を挟まれるように水が流れている。水路の幅は陸地の倍はあるので向こう岸に渡ることはできない。
「匂いはないな。上水の用水路か」
ここが下水道であれば耐え難い激臭がするはずだ。水の勢いこそ激流だが、水質に人為的な汚れはなく悪臭もないので上水道だと推測できる。
「やっぱりあの部屋へアクセスするルートはもう一つあったわね。これだけの道の広さなら数人引きずっても余裕をもって通れそうだわ」
先の部屋ほどではないがこの用水路もしっかりと電気が通っていて足元がしっかりと見える。工場跡地やその一帯に電気が通っていないことを踏まえれば、電源や水源はやはり別の地域から接続して融通しているのだろう。
現に水道は見当たらなかったが試験管には何か溶液が入っていた。水はこの用水路から採取していた考えられる。
バックグラウンドの激しい水音が間を埋めてしまって歩く二人に会話はほとんどない。同時に、無理にそうせずとも居心地が良く妙にふわふわとした安心感があることに気が付いた。二人とも口には出さないが、信頼という目に見えない糸が結ばれている感覚がある。
三十分、三十五分と歩いた。二人ともそこらの成人男性よりも歩くスピードが速く、障害物や曲がり角もなく平坦な道だったため軽く四キロメートル進んでいた。
「あれは……」
ナツキが呟いたのは、小さな光が遠くに見えたからだ。それは二人が歩き進むにつれ大きくなる。
数十メートル進み、二人の視界に飛び込んだのは外の景色だ。
「街を流れる用水路と繋がってたんだな。それにこの場所は……」
ナツキはこのあたりの景色に覚えがあった。ちょうど英雄と行った公園の近くだ。たしかにここまで歩いた距離の体感からしても例の工場からであれば納得がいく。
「でも私たちかなり深くまで潜ったわよね?」
街中で用水路の上には橋が架かっているがその高さは二メートル程度のもので平地と大差ない。
工場の床からハシゴを使って地下深くへと潜った距離とは深さが合致しない。
「水の流れが強かった。ということは……」
「言いたいことはわかったわ。そもそもこの辺の土地の方が海抜が上だった。真っすぐな道だったからわかりにくかったけれど、たぶん私たちは緩やかな上り坂を三、四十分も歩き続けていたってわけね」
「そういうことだ」
それから二人はトンネル状になっていた用水路から出た。天井が無ければたしかに街を巡るただの小川のようだ。おそらく水道業者用であろうアスファルトを削って作った階段を上って地上に上がる。
「うーん、久しぶりの太陽ね」
「ククッ、太陽は苦手だ。俺を燃やし尽くしてしまうからな」
「……そうね」
腕を空高く上げて伸びをするスピカの胸から目をそらすようにナツキは言った。
それに対してスピカはナツキが本当に太陽ほどの高温を操る能力者と交戦した経験があるのだろうと推測してしまった。目をそらすナツキの態度が、辛い過去を思い出しているように見えてしまったのだ。
(それほどの能力者となると三等級から二等級。まだ幼いのにアカツキも色々な経験をしているのね……)
「ん? どうかしたか?」
何やら温かい視線を感じたナツキはチラリと視線を戻して尋ねた。
「いいえ。なんでもないわ。……ところで、アカツキって何歳なの?」
「ククッ、肉体年齢という意味では、まあ十四歳といったところか」
「ふーん、十四歳か。じゃあ私の方がお姉さんなのね。私は十七よ」
「そうか。だったらスピカ姉さんとでも呼んだ方がいいか?」
「なっ……」
夕華にしろ姉であるハルカにしろナツキにとって周りにいる異性は年上ばかりなので『姉さん』という呼び方自体に抵抗も違和感もないのだが、年下の異性と関わった経験がほとんどないスピカは雷に打たれたかのように『姉さん』呼びの破壊力にやられていた。
(なんて尊いの……。私が……お姉ちゃん、スピカお姉ちゃんって……ふふ)
ところどころナツキの発言から改竄されているのだが、年下から姉扱いをされたスピカに走った衝撃といったらない。顔には出さないが心の中のスピカは緩んだ顔でいやらしい笑みを浮かべているに違いない。
(……悪くないわね。アカツキなら本当に私のことスピカお姉ちゃんって呼んでくれそうだもの。アカツキは嘘や冗談を言ったことないんだから、今のだって本気よね)
腕組みをしながら真剣に思案し始めたスピカ。両腕に挟まれて黒いブラウスの下で彼女の大きな胸が形を変え、むぎゅりと押し上げられる。本人は無意識なのだろうがすぐ近くにいるナツキはたまったものではない。
再び、ナツキは鼻血を垂らす。今日で二度目だ。ハシゴを降りているときの鼻血で鼻内の粘膜が傷ついていたのかもしれない。
その後、噴水のようにブシャーッと鼻血が噴き出た。突然の失血にナツキの意識が飛ぶ。
「アカツキ!」
出血しながら倒れたナツキを見て、白銀のロングヘア―を揺らしながらスピカが焦るように駆け寄る。
青い瞳がうっすらと光った。能力を行使しているのだ。ナツキの上唇のあたりに手を置き、垂れる鼻血に触れる。
人体の六十から七十%は水分である。スピカの能力をもってすれば簡易的に治療行為を行うことができる。
似たことをスピカは先日ナンパ師たちにも行ったが、実態は治療とは真逆だ。あれは意識を奪う目的で脳をかき回すように半ば害意を込めていたからだ。
スカートやニーハイソックスが汚れるのも気にせず地面に両膝をつき太ももにナツキの頭を乗せていた。
まるで逆再生映像のように見る見ると出血がナツキの鼻の中へと戻っていく。人によってはその有様を気持ちが悪いと思うのかもしれないが、スピカはそんな感情まったく湧かなかった。
この人を助けたい、その一心でスピカは二等級の能力という人類に至宝を躊躇うことなく行使するのだ。
(さっきもアカツキは鼻血を出していたわよね。ただの体質なのか、それとも……)
能力に代償がある例を星詠機関のデータバンクで読んだことがある。彼もそうしたパターンなのかもしれない、とスピカは推測した。
それだけではない。スピカは心配そうに目を瞑ったナツキの顔を見つめた。
(十四歳、か。私よりも幼いのに、私より大きな力を持って生まれて、きっと大変な思いもいっぱいしてきて……)
これはスピカの勘違いだ。ナツキはただの中二病であって、それはもちろん修羅場の経験がないわけでもないが断じて能力者に関係するようなものではない。
同様にナツキは勘違いしている。スピカは中二病などというものではない。正真正銘の能力者で、発言はすべて真実だ。
しかし、すれ違うだけだ。離れて遠のくわけではない。すれ違うことで接近するというある種の撞着。
これには決定的な理由がある。お互いに相手を強く思いやっているということだ。事実に勘違いがあっても、二人のその気持ちに嘘も偽りもない。
スピカはナツキを抱えて、自身の拠点へと向かうのだった。
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