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第296話 凡庸な人格の物語

 その言葉に対して正確な知識も個人的な印象もない。あるのは本来の人格の自分が使っていたときの記憶だけだ。記憶の映像データを再生するように形だけでも再現する。

 人格が違っても同じ田中ナツキという人間なのだ。できないはずはない。そうやって自分に言い聞かせて。



「ええと、たしか……テセウスの船。部分を置換しても本質は維持される」


「うわぁ、すごい! さっきまであんなにボロボロだったのに!」



 荷電粒子砲の連射を受けて穴だらけになっていたマンションにナツキが手をかざし、赤い右眼が淡く光らせる。するとまるで何事もなかったかのようにマンションは傷ひとつない姿に戻った。

 続けてナツキはノワールの足首に手をかざし『アスクレピオスの杖。蛇の螺旋は生命を司る』と呟くと青白く発光したヘビが現れて怪我を治療した。痣も痕も残さず白い肌の足首をノワールは驚いた顔でさすさすと触っている。



(やっぱり黄昏暁の中二知識や妄想力を抜きに僕の付け焼刃の知識で能力を使うのは厳しいな……)



 見よう見真似で能力を使っている。一応能力は不具合なく発動しているが、精神的に体力を使い一気に疲労感に襲われる。脂汗が止まらない。

 あくまで現在の主人格は切り離された幼少期のナツキであって本来のナツキではない。『夢を現に変える能力』は本人の強い意思と創造力や想像力、いわば現実になり得るほどの強固な夢想が必要だ。どこまでいっても凡人な幼いナツキの人格では本来のナツキの真似事をするのが精いっぱいだった。



「すごい……怪我が一瞬で治っちゃった……!」



 立ち上がってその場でびょんびょん飛び跳ねたりくるりと一回転したり。足の調子をたしかめた。そしてノワールはナツキの手を包むように両手で握り顔の前まで持ってくると愛おしそうにうっとりと見つめた。



「ありがとうナツキくん。……私を守ってくれたナツキくんの手、あったかいなぁ。うふふ、()()助けられちゃった」


「ど、どうかした?」



 いきなり手を握られて緊張し声が上ずってしまう。元々田中ナツキという人間は本来の人格であっても女性経験はなくすぐに鼻血を出すほどに異性の魅力に耐性がなかったが、こちらの幼い人格のナツキは輪をかけて弱い。


 恋愛。すなわち誰かを好きになるという経験をしないまま肉体の主導権を譲ったのだ。それなのにナツキの肉体の内側からたくさんのことを見聞きし、精神や知識は少しずつ成熟してしまう。でも肉体的接触はない。まるでテレビの映像を眺めているみたいに、この人格のナツキは本来のナツキの経験を眺めてきた。


 たった六歳である。異性を意識する思春期という時期を迎えることすらなく途切れた人格。そんな幼く未熟な方の人格のナツキにとってノワールの言葉が、温度が、瞳が、彼女のリアルな質感の全てが新鮮で鮮烈なのだ。



(ああ、そっか。わかった。なんで僕があのとき黄昏暁に怒ったのか。落ちぶれた人格の僕が肉体の主導権を奪ったのか)



 ノワールはナツキの手を長い胸の前で大事に握っている。潤んだアメジストの瞳が一番星みたく煌めきウェーブのかかった黄金のツインテールはまるで天の川だった。



「ナツキくん、私を守ってくれるんだよね」


「う、うん」


「本当に?」


「本当に。絶対に。僕がきみを守る。それだけは神に誓うよ」


「そっか。やっぱりナツキくんは優しいね。そんなナツキくんが、好き。大好き。だからね」



 背の低いノワールはつま先を立たせてナツキの唇に触れた。今朝のようにディープなものではない。存在を確かめるために。そこに大好きな彼が()るのだと自分自身にわからせるために。

 ほんの一秒。離す瞬間にノワールの瑞々しい唇がぷるりと揺れた。たったそれだけの時間なのに唾液の橋が架かり二人を繋げていた。



「また私を狙って能力者の刺客が送り込まれてくるかもしれない……。私、怖いの。ねえナツキくん。今晩は一緒にいて、ほしいな」



 断られたらどうしよう。また強力な能力者に命を狙われたどうしよう。そんな不安がいくつも重なって小さく震えている

 ──ようにナツキには見えた。


 どっちでもよかった。彼女を守れるなら、彼女と一緒にいられるなら、その根拠も理由もこれ以上必要ない。ナツキはついにこの感情を自覚する。

 本来のナツキはこれまでたくさんの女性から好意を寄せられてきた。たくさんの愛を向けられてきた。幼いナツキはそれを心の内の内の内側の、最も深いところから独り眺めてきた。未来も身体もない自分には一生縁のない感情だと決めつけて忘れていたもの。



(僕、揚羽ノワールに恋をしてるんだ)



 頷いたナツキの手をゆっくり引くノワール。二人はマンションへの吸い込まれていく。

 親友の英雄とも対立し、所属する星詠機関(アステリズム)からの指令も無視し、夕華とはケンカ別れをしたままのナツキ。そして殺人犯として星詠機関(アステリズム)からも授刀衛からも命を追われるノワール。


 周りに味方はいない。敵だらけの二人ぼっち。状況は最低最悪で世界中のどこにも逃げ場なんてない。それなのに笑っていた。ナツキもノワールも、そんな二人きりの孤独を悦んでいた。


 二人を見て誰かはきっとこう言うだろう。歪んだ共依存だと。しかし当人たちは大いに満足している。求める少女と応える少年。二人の想いの間にある赤い糸が互いに出会い、結び合い、捩じれて螺旋を描く。

 

 これは田中ナツキの物語。黄昏暁はいない。中二病はいない。かつて不要と姉に切り捨てられ未来の芽を摘まれた凡庸な人格の物語である。

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