第295話 必勝団子剣
しばしば日本と西洋の建築を比較して、空間の分け方が言及される。壁によって部屋を区切る西洋建築は日本人にはどこか息苦しい。柱と梁を使い、取り外し可能な襖や障子で部屋を任意に分ける。
夏は高温多湿、冬は極寒。四季が極端な日本では扉でも壁でもなくスペースが内と外とを区別した。すなわち、縁側の日陰が部屋を熱波から守り、或いは庭に積もった雪との距離を取る。
「せやから僕ら日本人にとっては縁側がふるさとみたいなもんって言っても過言じゃあらへんのよ」
軽い天然パーマのマッシュヘアが夜風に揺れる。飴色の着物の上に、夜は冷えるからと熨斗目花色の羽織りを纏った青年は、縁側であぐらをかき細目で満月を眺めながら桃白緑の三色団子を一口に頬張った。
食べ終えて串を投げる。盆の上には既に串が十や二十ではきかないほど雑多に並んでいて、背が高いとはいえ細身な身体のどこにそれほどの食欲があるのか彼を知る者たちはいつも疑問に思っている。
「お、やっと帰って来たみたいやね」
見上げる空、満月のそばを流星が駆ける。青白い雷光の流星が自分に向かって落下してくる。星が徐々に大きくなって近づいてきて……。
縁側に面した庭園に少女、ではなく少女のような見た目をした少年が降り立った。いわずもがな結城英雄である。
「おかえり英雄クン。どうやった? ちゃんと殺せた?」
「……すいません心宿さん。ちょっと邪魔が入っちゃって……」
「ふうん。まあええわ。英雄クン、座って団子でも食べようや」
にこやかに笑って手招きする青年の名は心宿讐弥。英雄は三色団子の串を受け取ると彼とは二、三人分ほど空けて縁側に腰掛けた。すると讐弥は距離を詰めて英雄に密着し肩を組むように腕で肩を持ち耳元に顔を近づけて囁く。
「でもなぁ英雄クン。力不足で勝てへんかったならともかく、力はあるっちゅうのに心で負けてしもうたんはよくないなぁ」
英雄は図星をつかれビクリと身体を震わせる。揚羽ノワールを殺害するという任務はたしかに果たせそうだった。それを可能にするだけの能力を英雄は有している。にも拘わらず帰ってきたのはナツキに止められたからだ。敬愛する親友に自分の行動を否定されたショックのせいで。
「で、でも心宿さん。本当に人の命を奪っていいんでしょうか。ボクは大好きな親友のために……大切な人たちを守るためにこの力を振るうと誓ったんです。それなのに抵抗もしてこない女の子を殺そうとするなんて……。あれ、ボク何やってたんだろう……荷電粒子砲が直撃してたら彼女は即死で……そしたら、そしたら、あれ……? あれ……」
「僕は言うたよ。人殺しを許しちゃあかんよって。揚羽ノワールが殺した二人は英雄クンも世話になったんやろ? ほな揚羽ノワールを殺さな二人も浮かばれへんで。英雄クン、キミはなーんにも悪いことなんてない。犯罪者を殺すんは正義や。みんなが英雄クンを褒めてくれるんよ。自分らの大切な人を殺されずに済んだ、ありがとうなぁって」
じっくりと、じっとりと。讐弥は刷り込むように英雄の揺れ動く心の隙間に巧みに言葉を送り込む。揚羽ノワールと違って彼が行っているのは能力でもなんでもない。ただの彼の特技であり趣味。英雄のように優しくて不安定な思春期の心はこのように正義として肯定されると正常な判断を失う。
元々、英雄がグリーナー・ネバードーンによって能力者化させられたときも心の隙をうまいこと利用された。もっと捻くれた性格をしていたり確固たる意思を持っていたりしたら。たとえば中二病の田中ナツキのように。そうすれば他者の言葉に惑わされることもなかっただろう。
しかし今の英雄は讐弥に言われるがままにそれを正しいと刷り込まれている。相手が殺人犯とはいえ、少女の命を奪うことに抵抗がなくなっていたほどに。
「だけど……揚羽ノワールさんが死んでしまうことで悲しむ人だっているんじゃないですか? 大切な人を守るためのボクの力で悲しみの連鎖をつないでしまうのだとしたら、それってむしろ悲劇の火種を広げているってことじゃないですか!」
「英雄クン。ときに質問なんやけど、どうして二十八宿って僕ら当主とは別に後継っていうのがおるんと思う? というか、聖皇はんはどうしてそないな面倒な形態を採用してはると思う?」
大日本皇国の異能力組織である授刀衛には二十八宿という幹部集団は二十八の家に別れ、それぞれが各家の当主という体裁を取っている。苗字も改名しており本名ではない。
心宿讐弥ならば心宿家の当主。鬼宿剛毅なら鬼宿家の当主。ちなみに、虚宿秀秋は虚宿家の後継。各家の当主と後継に実際の血の繋がりはない。言ってみれば隊長と副隊長のような関係だ。それでも聖皇は彼らに義親子や義兄弟の関係を強制している。わざわざ二十八宿などと名付けて『家』を強調する。
言われてみれば不思議だと英雄は思い、唐突な讐弥の問いかけへの答えに窮して押し黙ってしまった。そんな英雄の肩を撫でながら讐弥が続けた。
「それはなぁ英雄クン。聖皇はんはこんな風に考えてはるんよ。人が最も力を発揮するんは家族を喪ったときや、ってね。二十八宿は当主が死んだら自動で繰り上がって後継が次の当主になる。ごっことはいえ親子やからね。でもそれでええんよ。家族ごっこでも世話になった人が殺されたっちゅうことになったら怒りが湧くんは自然やろ?」
「そ、それに何の関係が……」
「僕が聖皇はんのこの施策から感じたことシンプルや。ええか? 英雄クン。悲しみの連鎖なんてもんは止まらへん。それを受け止めて自分の力に変えるんや。きっと聖皇はんは大昔に家族や家族みたいに大事にしとった人を喪った経験があるんやろうなぁ。みーんな同じや。英雄クンは大切な人を守るって言うとったね。でもそんな風に思うんようになったきっかけには守れへんかったことへの怒りや悲しみがあったんとちゃう?」
怒りや悲しみを力に変える。かつて能力を暴走させ憧れであり親友であるナツキを手にかけた。間違いなく一度、田中ナツキは生物学的に死亡していた。
あのとき自分に対して抱いた感情は讐弥の言う通りだ。そんなことをしてしまった自分への怒り。ナツキが亡くなったことへの悲しみ。
それを乗り越えて今の自分がある。グリーナー・ネバードーンに強引に与えられた能力だけれど、大切な人を守るために使おう。そう誓った。
「大丈夫や。英雄クンならできるで。正義を為して平和を守る。そのために異能の力を振るう。な、簡単な話や。せやろ? うん、あれやな、英雄クンちょっと疲れとるんよ。団子食ったらはよ帰り。今日の稽古はなしでええから。そうやなそうしよう」
讐弥は勝手に話を進め、英雄の背中をポンポンと叩いた。英雄は団子の串を盆に置き、浮かない表情で『おやすみなさい』と頭を下げると再び全身に雷光を纏わせ夜空へと飛翔した。
十四歳という心身が不安定な年ごろだけに動きが読めない部分もあるが、操縦もまた簡単だ。貼り付けたような笑顔で讐弥は英雄を見届けた。
細目がわずかに見開かれる。その眼は青い。讐弥は夜空の方に視線を向けたまま口を開いた。
「普段は御簾の向こうから出てこんのに、どういう風の吹き回しで?」
「クックックッ、姿が見えないというのはミステリアスで乙であろう?」
「だからっていきなり背後に現れるなんてそないな真似はせんといてくださいよ。僕、心臓縮みあがって死ぬかと思ったやないですか。いくら僕が二十八宿で最強やからって、あんたには手も足も出ぇへんのやから。そうでしょ、聖皇はん」
「おぬし、妾について随分と知ったような口を利いておったな」
「えへへ、おおきに。これでも長いこと平安京で世話になっとりますから」
「くだらん問答は抜きじゃ。おぬし一体何を企んでおる?」
「けったいな言いがかりされても困りますわぁ。僕はただこの国の平和を守っとるだけですよ。ほら、僕は黒幕ってガラでもないやないですか。企むなんてそんなそんな」
「身を滅ぼすでないぞ」
「それは助言? 忠告? どっちなんやろうなぁ」
「両方じゃ。先人の言うことはそう外れんからのう」
「……」
背中越しに黒髪姫カットの和服女性──聖皇──の容喙を聞いても讐弥は振り返らない。視線を合わせない。唇を引き結ぶ。庭園の池から蛙の鳴き声がいくつも重なってこだまする。茂みからは鈴虫とコオロギの声がする。
讐弥はその手に三色団子を持ち、意を決して声を振り絞った。
「聖皇はん、食べます?」
「もらおう」
気が付くと讐弥の手から串の感覚が消えていた。聖皇は団子を受け取ったようだ。背後の気配も消えている。立ち去ったのだろう。ふと見遣ると盆の上が空になっている。団子を食べ終えた大量の串が処分されていた。
讐弥にとっては団子を食べるか提案してからこの現象が起きるまで一秒も、コンマ一秒すらも経っていない。串がなくなっていたのは聖皇なりに団子の礼として後片づけをしてくれたということなのだろう。大層な身分のくせに妙に義理堅いところは庶民的だと讐弥は引き攣るような乾いた苦笑いを浮かべる。
「いやぁ、さすがの僕でも時間停止には敵わへんわ……」
能力はもちろん滾らせるオーラや剣気のような雰囲気も並大抵ではない。背後に立たれているだけで生きた心地がしなかった。首を飛ばされても対抗できなかっただろう。
だとしても。讐弥は後ろに倒れて縁側にごろんと寝ころぶ。天井の木目に吸い込まれそうになる。
「僕は立ち止まらへんよ」
庭園をひらひらと舞っていたアゲハ蝶は蛙の伸ばす舌に巻きこまれ丸呑みにされた。ゲコ、と小さく鳴いて池に飛び込む。讐弥は立ち上がると和室の中に入りぱたんと襖を閉めきった。
心宿讐弥:初出は第286話