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第293話 イカロスの翼

 ノワールはナツキの通う中学校に転校してきただけあって家はさほど離れていなかった。ナツキと同じ学区内だ。街の中心街である駅を挟んで反対側ではあるものの、とびきり背の高い高層タワーマンションなのでまず間違うことはない。

 ナナから送られた位置情報のデータを見るまでもなく目的のノワールの住処へと走る。これ以上の被害者を出すわけにはいかない。善は急げだ。


 帰宅中のサラリーマンや酔っ払いたちを避けながら駆け抜ける。黒いマフラーがなびく。さながら今のナツキは夜の黒い疾風。



「ククッ、俺は(カラス)だ。自由に夜を飛翔()ぶ濡羽色の翼が舞い上がる!」



 両腕を後ろに向けて姿勢を低くし走る。走る。走る。

 そのときだった。普通の街では決して聞くことのない爆発音が夜空を震わせた。通行人たちは空を見上げてどこかで花火大会でもやっているのだろうかと首を傾げるばかりだ。


 ナツキはすぐに音の発生源へと目を向けた。今まさに向かっているノワールの住むマンションから黒煙が立ち昇っている。火の手は最上階から上がっていた。遠目からでも不自然に穴だらけになっているのが見て取れる。

 そして次の瞬間、目を見張るほどの眩いビームが視界を横切った。



「あれは……荷電粒子砲!?」



 ノワールの能力ではない。そして実用化された兵器でもない。ということはノワールとは別に能力者がいる。

 夜が書き入れ時な居酒屋や歓楽街の灯りがパっと突然立ち消えた。スマートフォンも圏外になった。


 星詠機関(アステリズム)は基本的に犯罪者であっても能力者を殺害しない。結果的に殺すことはあっても最初から殺すという選択肢はないのだ。世界の平和と秩序のために情報を抜き取れるだけ抜き取るため、或いは人道的な観点による更生への期待から、生きたまま捕縛することになっている。

 ナツキも当然ノワールのことはまず生かして捕えることを前提にしている。



(だが……今の攻撃は当たれば一発で死ぬぞ!?)



 さらに数度の荷電粒子砲が放たれた。ノワールの正確な能力は把握できていないもののあれだけの高出力の攻撃を全ていなしきれているかどうかは怪しい。既に死んでいてもおかしくはない。

 でも。

 もし万が一生きているのなら、このままみすみす殺させるわけにはいかない。



「ちょっと強引だが、使うか」



 赤い右眼が淡く光る。ナツキの夢想を現実に変える能力。イメージするのは実在と非実在を往復する悪魔の姿だ。



「ククッ、悪魔の証明。いないことは証明できない!」



 ナツキがあの高層マンションの最上階にいないことは誰にも証明できない。現実は観測によって存立するが、観測は常に誰かの主観である。ナツキが今ここにいることは目で見える。でもそれは見えているだけで現実とは限らない。

 詭弁である。屁理屈である。しかし覆せない論理でもある。存在確率の針が正に振れたの利用して因果律に干渉し強引に身体を送り込む疑似テレポート。

 そこにいないことを証明できないのなら、そこにいる。かつてクリムゾンと戦ったとき大気圏にまで飛ばされたナツキが地上へ帰還するのに使った能力だ。


 地上一三〇メートル、高層タワーマンションのすぐそばに転移したナツキは鏡のような青い窓ガラスを地面代わりにして垂直に着地した。包帯が、髪が、マフラーが、吹きすさぶ夜のビル風に煽られる。

 ちょうど向かい側のもう一棟のタワーマンションの屋上から青白く光り電撃が迸るのを視界に捉えた。間違いない。ノワールのマンションにバカスカ荷電粒子砲を撃っていた人物だろう。


 電撃を纏いこちらのマンションへと跳んだ。おそらくノワールにトドメを刺しに行くのだろう。そうはさせまいと再びナツキは赤い右眼を淡く光らせる。



「その黑は夜より暗く。その黑は闇より深く。晦冥の濡烏が世界を裂き誇る。来いッ!」



 虚空に手を伸ばすと、まず黒い柄が出現した。次に黒い鍔が。そしてそこから黒い刃が生成され、一本の黒い日本刀の形を成した。夜空よりも深い色で夜空を斬り裂く夜の剣。ナツキの夢想する最もカッコよく最も優れた武器が現実となったのだ。


 二棟のタワーマンションの間に雷のごとき鳴動を伴い青白い閃光が走る。ナツキもまたこの先は行かせまいとマンションの窓ガラスを蹴り、加速した窓ガラスは割れ散りクレーターになる。

 黒い剣士と青白い閃光が空中で衝突した。ギイィィィィィィン!! という金属の擦れる悲鳴のような金切音が衝撃波となり一三〇メートル下のアスファルトをめくり上げた。



「やっぱり……あんなに大規模な電気系の能力を使えるのはお前だけだと思っていた! 英雄!」


「ど、どうして黄昏くんがここに!?」



 英雄が交差するように構えた二本の短刀とナツキの黒刀とが空中で斬り結ばれる。刃越しに顔と顔がグッと近づき、バチバチと周囲で散っている雷撃の火花が灯りとなって互いの顔を浮かび上がらせた。


 二人の逆方向の力が反発しあって互いに弾き飛ばされる。英雄は身体の周りに電気を流して磁場を発生させて身体を浮かせ、一方のナツキは地上一三〇メートルに放り出される。背中から自由落下しながらナツキは三度(みたび)赤い右眼を淡く光らせる。



「イカロスの翼! 蝋の羽は人を空へと舞い上がらせる!」



 ドロドロと白濁の蝋がナツキの背、ちょうど肩甲骨のあたりから吹き出し、それらが急速に冷却されて天使のごとき翼を形成した。ナツキの意思に従いバサリと両翼がはためくと空気を下へと押し込み揚力が働いて身体がふわりと浮遊する。

 滑空するように空中で助走をつけながらもう一度翼を動かして一気に地上一三〇メートルの高さへ復帰した。


 ギリシア神話においてイカロスの翼は技術によって天へと手を伸ばした人類を戒める役割がある。バベルの塔と同系統の説話だ。神話では蝋の翼は太陽に近づきすぎたことで溶けてしまうが、幸いにして今は夜。蝋が融解することはない。

 ナツキは翼を一定のテンポで動かしホバリングした姿勢で正面の英雄へと声をかけた。



「英雄、お前の狙いも揚羽ノワールなのか?」


「うん。そうだよ。催眠系の厄介な能力だって聞いててボク一人でも真正面から倒すのは難しいと思ってたけど、黄昏くんも一緒なら心配ないね!」



 英雄は安心しきって表情を緩める。心からナツキを信頼する様子はまるで少女だ。

 しかしナツキは険しい顔つきのまま。



「英雄、さっきの荷電粒子砲の連発はやりすぎだろう。揚羽ノワールは殺してしまうところだったんだぞ!?」



 もちろん揚羽ノワールの能力を考えれば倒す過程で結果的に殺すこともあるかもしれない。それほどに催眠系能力は対処が面倒なのだ。  

 それはナツキとて百も承知で、しかし最初から殺す勢いで大技を放っていた英雄の対応には違和感があった。



「ねえ黄昏くん。彼女は人殺しなんだよ。どうして庇うようなことを言うの?」


「それはそうだが……」



 英雄に悪びれる様子はない。それどころか心の底から疑問符を浮かべてナツキに問いを投げかけている。

 現に揚羽ノワールは二人を殺している。その事実は覆らない。



「あのね、彼女が入国早々殺した二人は京都でボクにすごく良くしてくれた人たちなんだ。一緒に剣の稽古をしたことも一度や二度じゃない。お前は能力が強いから、剣術も組み合わせたら無敵だなって。大切な人たちを守れるようになるぞって。そうやって笑ってアドバイスしてくれた人たちなんだ」


「だが、それは英雄が手を汚していい理由には……」


「黄昏くん、殺人犯に死刑を告げる裁判官は悪なのかな。死刑執行のときに絞首台のボタンを押す刑務官は人殺しなのかな。ボクはそうは思わない。だって、その人たちのおかげで救われる人がいる。守られる未来がある。だったらボクはこの身に宿る能力で……正義を為したいんだ」



 英雄は今にも泣きだしそうな顔で言葉をこぼす。ナナに見せてもらった映像ではたしかに刀を持った二人の男が殺害されていた。画面越しだが優れた剣士であることはナツキの目にもはっきりと伝わっていた。


 もし逆の立場だったらどうだろうと想像をしてみる。自分がお世話になった人が無残に殺されたとしたら。そう、たとえばナツキにとって身近な世話になった大人である夕華やナナ。もし彼女たちが殺されたとして、自分はその相手を許せるだろうか。

 軽い気持ちで想像しただけなのに背筋が凍った。黒刀を握る手が割れそうなほど痛む。ドス黒い感情が血液に乗って全身を巡る。この感情の正体が怨嗟であり憤怒であり、何より殺意であることに疑う余地はありはしなかった。


 殺人事件が起きたら被害者遺族が涙を流す。遺族だけでなく親しくしていた人たちが哀しみに打ちひしがれる。死刑になってくれと願う彼らの気持ちを否定できる者はいない。



「でも……そうだ、俺の能力なら! 死者すらも蘇らせることができる!」


「優しいね、黄昏くんは。ううん、優しすぎるよ。きっと黄昏くんは泣いている人がいたら助けるんだと思う。だけど、じゃあ黄昏くんは世界中の大切な人を亡くして泣いている人のために生き返らせるの? 病死した人、事故死した人、殺された人、単に老衰の人。どんな死に方でも遺された人は悲しむんだ。黄昏くんはそういう人たちのところを一件ずつ回って、蘇生して、誰も死なず人口が永遠に増え続ける楽園を創るの?」


「それは……」


「ボクも偉そうに言えた口じゃないけどね、たぶん、命って軽々扱っちゃダメなんだと思う。奪うのも、取り戻すのも。わかるんだ。だってボクは一度黄昏くんの命を奪っているから……」



 英雄の頬をツーと涙が伝う。澄んだ美しい涙だった。止めどなく溢れる英雄の涙を見てナツキは記憶を辿る。そう、そうだ。あれは初めての異能力との邂逅だった。六月、スピカがグリーナー・ネバードーンを捕まえるために来日したときのこと。

 能力者にさせられた英雄の暴走を止めるため立ち向かったナツキは一度殺されている。英雄は今でもそのときの生々しい肉の感触や血の匂いを覚えている。



「黄昏くん。ここを通してくれないかな。ボクだって人殺しなんてしたくないよ。でも彼女を殺さなくちゃいけないんだ。これ以上ボクと同じ気持ちになるような人を生んじゃいけない。もう誰も悲しい想いをする必要はない。この国のみんなの幸せをボクは守りたい!」



 悲し気に、それでいて決意に満ちた英雄の言葉に合わせて身体の周りを電気の火花がバチバチと踊る。眩しい。あまりに眩しい。英雄の想いが義憤に基づく正義であるとナツキも心の中で頷いてしまう。

 もはや英雄の覚悟を邪魔する理由はなかった。



「……英雄の気持ちはわかった。だったら俺も行く。俺なら催眠能力も一時的に無効化できるからな。リスクは可能な限り減らした方がいい。それに、大切な友が手を汚すというなら……その(カルマ)を俺も一緒に背負いたいんだ」


「ありがとう。へへ、やっぱり黄昏くんには敵わないや。とっても優しくてとっても強い。ずっとボクの憧れで、ボクの一番の親友。そんな黄昏くんがボクは大好きなんだ」



 月明かりに照らされる目元の涙がラメのようにキラキラ光る。懸命にナツキへ笑いかける英雄は道路のアスファルトを押しのけて咲き誇るコスモスのように可憐で力強い。 


 短刀を携えて加速する英雄を追うようにナツキも白い蝋の翼をはためかせた。マンションに大量に開いた荷電粒子砲の穴を二人して通過し、生活感の残る部屋を通り抜ける。

 マンションの共用廊下に降り立つと最奥に金髪の少女がくずおれているのが見える。突き当りで蹲っていた。



「ナツキくん……!」



 揚羽ノワールはナツキに気が付くと苦悶の表情をパァっと明るくさせた。殺意を撒き散らす隣の結城英雄など興味もなくナツキにだけ熱い視線を送る。

 ナツキの青い左眼が淡く光る。現を夢に変える能力がノワールの能力を一時的に封じ込めた。ただの少女と化したノワールに一歩ずつ迫る英雄はその両手に短刀を携えていて、柄を握る手は震えるほど力が込められていた。

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