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第289話 校長の話は貴重である

『卒業したら校長先生の話を聞くことだってなくなるわけでしょう? 各学期の始めと終わりで二回、三学期制なら一年で六回。小中高の十二年で合計七二回。そう考えるとこれって貴重な七二分の一だよ。みんなが退屈そうにする気持ちがわからない』


(いや七二回はさすがに多いだろ)


『経験したことない僕からしたら尊い七二回だよ』



 体育館の壇上では校長が夏休みに起きた事故や事件の話をしたり、三年生に向けて受験勉強における九月の大切さを説いたりしている。その熱弁の割に、始業式のため集った全校生徒たちは右から左に聞き流していた。 

 表立ってお喋りしたり居眠りしたりする者はいないが、欠伸をする者やぼーっとどこか遠くを眺めている者が多い。


 そんな状況を憂いて、或いは羨ましそうにぼやいているのはナツキの周囲をぷかぷかと浮ている半透明の幼い自分だ。姉の田中ハルカの手によって、小学校に上がったばかりの頃にナツキが夕華への恋心を抱いたことで切り離された田中ナツキの元の人格である。


 幼少期、本来の田中ナツキは『夢を現に変える能力』という強力な一等級の能力を有していた。しかし精神も肉体も未熟であり、また、成長を遂げたとしても天井は知れていた。そこで姉のハルカは元の人格を能力ごと封じ込め、後に身体能力や知能において急激な成長を遂げることとなる現在の人格へと移行させたのである。


 以前ハルカがナナに話したナツキを過去を、ナツキ自身もこうして視界の端に現れる過去の自分から断片的に聞き及んでいる。

 異なる人格と言っても新たに作られた別人の人格ではない。言ってみればゲームのセーブデータのようなものだ。六歳ごろでデータが保存されてそのままになっているセーブデータその一と、ロードして異なるデータが十四歳の今日まで上書きされ続けたセーブデータその二。セーブデータが違っても同じ内容のゲームソフトであることに違いはない。


 それに二重人格ってかっこいいしな、とナツキは内心ニヤついてしまう。



『聞こえてるよ、(きみ)。別に二重人格なんてかっこよかないだろ』


(ククッ、普段は温厚で気弱な主人公が実は残忍な殺人鬼の人格を持っているというのは王道だろう? 不良に暴行を受けて意識を失うも、気が付いたときにはそいつらがボロボロになって転がっていた、みたいな)


『いや(ぼく)(きみ)も別に残忍じゃないし。なんなら性格については中二病かどうかくらいの違いしかないし!』



 性格以外の部分では運動能力や知力学力などあらゆる面において現在のナツキの方が優れていて、『夢を現に変える能力』もロシアにおいて身体の主である現在のナツキに一体化している。『その意味では自分は下位互換だな』とぷかぷか浮遊している幼いナツキは自嘲気味に苦笑いを浮かべてナツキを見下ろしている。決して口には出さないが。



(……いいや、そうでもないかもしれない。だって夕華さんへの想いが違うだろう?)



 体育館の端で背筋を伸ばし他の教員と並んできちんと校長の長い無駄話を聞いている夕華の姿を見つめた。



『そうだね。(きみ)にとっては恋愛や性愛の対象かもしれないけど、(ぼく)にとっては夕華さんは姉の友達で、幼馴染と呼ぶには年上すぎるけど家族みたいな感じ、もう一人のお姉ちゃんっていうイメージかな』


(まあ自由奔放な姉さんに比べたらよっぽど姉っぽいよな、夕華さん)


「えー、ですから本校の生徒としての自覚や誇りを持ち、日々の授業だけでなく自宅での予習復習といった自学習こそが学力の本質を底上げするということをしっかりと意識してもらうのがまさに勉学の最も基礎的にして最も確実な──」



 内容の薄い校長の話にも夕華は真面目に耳を傾けている。そんな真面目さが愛おしい。じっと見つめているとこちらの熱い視線に気が付いた夕華と目が合った。夕華は表情を変えずに『ちゃんと校長先生の話を聞きなさい』と目で訴えてくる。ずっと一緒にいるので言葉にしなくても通じてしまうのだ。



(もう一人の俺とはこうして念じるだけでも会話できるから、周りからは静かに集中して聞いているように見えるはずなんだがな)


『いやいやあんな熱視線を送り続けたらバレるよ、集中してないこと』


(ククッ、それもそうか)



 幼い自分との対話は不思議な感覚だ。他人との会話のようで、自問自答のようでもある。問いかけているのに答えが既に自分の中にあるような、そんなイメージ。

 かつて古代ギリシアの哲学者たちは自身の思想を対話形式で著した。彼らの著作はたった一人の著者でありながら、複数人が意見を交わし合うという形なのだ。それは著者や実在の人物同士のこともあるし、架空の人間たちを用意することもある。



(プラトンなんて著作のほとんど対話篇だしな。他にも中国の孔子なんかも弟子が孔子に質問するって形式だし。ククッ、やはり俺のような異端は哲学者や思想家に向いているらしい)


『それはない』



 食い気味に否定してきた幼い自分の姿にむっとしつつ、ナツキは近頃抱いていた疑問を半透明の幼い自分へと投げかける。



(ところでもう一人の俺よ)


『なに?』


(京都の平安京に行ったときは姿を現していたが、イギリスではてんで出てこなかったじゃないか。それなのに今は再びこうして俺の視界の端にいる。どういう風の吹き回しだ?)


『あー、それね。別に大したことじゃないよ。なんというか申し訳なくなったんだ』


(申し訳ないって誰に)


『スピカや雲母美咲、エカチェリーナ・ロマノフに、だよ』



 そういえば京都で(まどか)に剣術指南をしていたとき『恋と愛の問題は円だけじゃない』と言われた覚えがある。恋愛に無頓着な自分よりもずっとデリケートに彼女たちの気持ちを考えてくれているようだ。

 ナツキはそんな幼い自分の妙な気遣いのようなものがむず痒く、同時に寂しくもあった。



(何を他人行儀に気を揉んでいるのかは知らんが、お前も俺だろう。変な気は回さなくてもいい)


『違う。違うよ。彼女たちが下着姿でベッドに潜り込んできたり胸を押し付けたりしているのは断じて(ぼく)じゃない。(きみ)だよ。(ぼく)(きみ)との間に引かれたその一線は決して超えちゃダメなんだ』



 声には固い意思が籠っている。でもその表情はやはりどこか寂し気で。遠くをぼんやり見つめる幼い自分の姿はいつもよりも小さく見えた。

 たしかに肉体の主導権は自分にある。でも幼い人格だって、見た目は幼いままだし価値観や人格も六歳のあの日のままだけれど、精神性(マインド)は経験を積んで成長しているのではないか。


 精神世界でこの人格と会うたび、いつも背中を押してもらってきた。自分以上に自分を知ってくれていた。それは彼がこの肉体を通して外界の映像を観ていたからだ。話し相手もおらず、たった一人で。

 悲しかったり悔しかったりしても何もできない。肉体の主導権を持たない人格にはその資格はない。人格が保有する意識の深層と表層の狭間に宛先のない感情が積み上がっていく。人格は幼いはずなのに(いや)おうでも孤独に大人びていく。



(──教室で孤高を気取っている俺なんかより、ずっと独りじゃないか。でもそれは──)



 大人びていくのではない。その達観の正体は諦観である。


 校長がつまらない話を終えて進行役の教頭が始業式の終わりを告げた。生徒たちは誘導に従いクラスごとに帰りのホームルームのため教室へと戻っていく。

 既に半透明の幼い自分の姿は見えなかった。勝手に出てきて勝手に消える。我ながら自分勝手で嫌になるなと心の中で吐き捨ててナツキもまた体育館を後にした。

おかげさまで100万文字を超えていました。皆さんも(作者自身も)内容を忘れつつあると思いますので前話と今話はおさらいっぽい内容にしています。次話から話が動きます。よろしくお願いします。

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