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第288話 二学期初日

 夏休み。それは思春期まっただなかの中学生にとって最も変化をもたらすイベント盛りだくさんの時期である。夏休みが明けて今日は九月一日。二学期初日の朝の教室は晩夏の余熱を残して異様な盛り上がりを見せていた。


 部活動に熱心に取り組んだのだろうか。日焼けして真黒になった男子生徒。恋人でもできたのか校則スレスレのナチュラルメイクを施したませた女子生徒。

 他にも急激に身長が伸びた者、髪型をセットするようになった者、スカートが短くなった者、なぜかもう冬服で登校して少しでも個性を出そうとする者。などなど。


 やれどこに行ったかとか誰と遊んだかとか。隣のクラスの誰々と夏祭りに一緒に行った後に告白されたとか。皆そわそわと浮足立ち、相手の変化を探ると同時に自分の変化をさりげなく自慢する隙を窺っている。

 

 左腕にぐるぐると包帯を巻く赤と青のオッドアイ、手の甲には黒のマジックペンで六芒星を描きポケットにバタフライナイフや投擲トランプを忍ばせている田中ナツキが霞んでしまうくらいには教室の熱気と個性の渦は中学二年生を狂わせている。

 

 ナツキは特にすることもなく頬杖をついて窓の外を眺めている。まだ生き残った蝉の鳴き声が耳障りでしかたない。春先は桜が舞っていた校舎の周囲の木々は緑一色に変化してからというもの、依然として真っ赤な秋の訪れは見られない。本当に初秋なのかと疑いたくなるほどに九月の初日はまだまだ夏だ。しつこく夏だ。


 教室はクラスメイトでうるさい。外は蝉でうるさい。ナツキは不興なる面持ちになる。しかしその内心は満足感に溢れている。こういう場面であえて騒がず、静かに孤高を気取る。ついでに景色を眺めておく。別に誰かに見せつけているわけではないのだが、そんな風にしている自分をカッコいいと思ってしまう。

 俺はお前らとは違うんだぞ、異質なんだぞ、そんな特別感を精一杯にアピールしているのだ。



(英雄は用事があって平安京の聖皇のところにいるから欠席。美咲はハリウッド映画の主題歌をレコーディングするためニューヨークに行っていて欠席。……我ながら狭い交友関係だな)



 その狭い交友関係に該当する二人すらおらずナツキはますます独りだ。そもそも英雄は他クラスで美咲は一個上の学年。クラスに友人がいないことに違いはなく、妙に教室で浮いているのも誰とも話していないのも覆らない事実である。


 中二病とはアニメや漫画のキャラクターの影響を受けるだけではない。

 あえて学校で友達を作らず自分には理解者などいないと孤高ぶる。興味もないのにクラシック音楽を聴いて流行りのポップスを馬鹿にする。普通の人が嫌がる危険な物やグロテスクな物を好きなフリをする。

 そういう斜に構えた態度もまた中二病であり、思春期の自己形成において自己同一性(アイデンティティ)という味付けを見出す涙ぐましい成長過程なのだ。


 現にナツキは学校一の有名人でアイドル歌手であった雲母美咲を出会った当初は知らなかったし、ナイフを持ち歩いている。刃物とか血とかはある種のファッションである。


 そんなナツキも教室の扉が開かれる音が聞こえるとただちにそちらに視線を向けた。おそらく他の誰よりも素早い動きだった。



(家で一緒に暮らすプライベートの夕華さんも綺麗だが、レディーススーツをきっちり着て凛とした姿で生徒の前に立つ夕華さんもかっこよくて素敵だな)



 クラスメイトたちはまだザワザワとお喋りしていて担任教師である空川夕華が入って来ても気が付いている様子はない。ナツキだけがすぐに気が付きその姿に見惚れている。

 思い返せば、夕華が攫われてロシアに連れ去られたのが七月下旬。一学期の終業式であった。ナツキは教室を見渡してみて、たぶんこの場の誰よりも特別な夏を過ごしたのは自分だろうと自己評価を下す。ロシアに乗り込んで能力に覚醒したり、京都に行って自国の国家元首である聖皇に会ったり、イギリスに行ったり。

 たくさんの能力者と出会い死闘を駆け抜けてきた。少し前の自分なら目を輝かせるほどに劇的で憧れる異能バトルだ。


 夕華は出席簿を教卓の上にパン! と置く。



「さあ、もう朝のホームルームの時間よ。席に着きなさい」



 それでも教室の熱は冷めない。そればかりか教室の真ん中で鈴生りになって喋っていたカースト上位陽キャ女子グループが夕華へとちょっかいをかけた。



「あれーー? 空川せんせ、(かんざし)なんてしてたっけえ」


「ホントじゃん。やば、超カワイイ。彼氏さんのプレゼント?」



 言われてみれば夕華はヘアゴムでまとめた後ろの髪を簪で留めている。ナツキはすぐに自分が京都から帰ってきたときに渡したものだと気が付いた。

 普段は肩下まであるベージュ色の髪を編み後ろはショートテールにしていて、サイドの髪は顔に沿って垂らしていた。対して今日は整った前髪だけをそのままに後ろはお団子のようにしていて、黒の簪が根本をしっかりと留めている。



(亜麻色の髪の乙女……はたしかドビュッシーのピアノ前奏曲だったか)



 ナツキは頬杖をついたまま仏頂面で音楽室に飾ってある肖像画に想いを馳せた。

 その実、内心は自分が渡したプレゼントを夕華がつけてくれてご満悦の様子である。人前でプレゼントを身に着けるのは独占欲を満たすし、教師と生徒という他者には言えない道ならぬ恋愛を精一杯世間に見せつける、そんなささやかな抵抗に思えて仕方ないのだ。



「こ、これは、その……まあ、そうね、そんなところよ……」



 彼氏からのプレゼントなのかという女子生徒の質問に対し、頬を紅に染めて語尾を濁しながらも小さく頷いた。普段は怜悧で冷淡で厳格だと生徒たちからもっぱらの評判である夕華の珍しい姿に女子たちはワーキャー声を上げて色めき立つ。女子中学生にとってコイバナほど盛り上がるものはない。ましてそれが大人の恋愛なら興奮もひとしおである。



「ねえねえ先生、彼氏さんどんな人なの!?」


「いつから付き合ってるの!」


「キスとかデートとかした? 夜はやっぱり高級ディナー?」



 ドラマと少女漫画で仕入れた恋愛知識を基に女子生徒たちは夕華を質問攻めにした。女性は男性よりも共感力が高いと言われている。いつもは勉強が苦手で夕華から冷たく無表情で叱られているヤンチャな女子生徒らも、このときばかりは興味津々で首を突っ込んでいる。


 答えに窮している夕華を横目に、他方で男子たちはつまらなさそうにしていた。



「はぁ……やっぱり空川先生にも恋人くらいいるかぁ」


「え、なに、お前先生のことそういう目で見てたの?」


「だってそりゃお前さ。あんなにおっぱい大きくて、お尻むっちむちで廊下ですれ違うとき良い匂いのするスタイル抜群の美人を好きになるなって方が無理だろ」


「あ、実は俺も……」


「俺も俺も」



 駄弁っていた男子生徒のグループでは、一人が白状したのを皮切りに雪崩のように恋慕の情を持っていたことをバラしはじめた。なんとなくこの年頃の男子は好きな女性がいることを他人に知られるのは恥ずかしいが、誰か一人でも最初に言い出しっぺになってくれると後が続きやすい。それに今は全員が敗者ということでどこか傷の舐め合いムードにもなっている。



「で、でも先生って年上だぜ?」



「たった十くらいじゃん」


「そうそう。テレビによく出るような若手女優と変わらないくらいの年齢なんだから、アリ寄りのアリだろ」



 多勢に無勢のなか否定気味だった男子生徒も、他の連中からそう言われると『たしかに……』と納得しつつある。

 女子の方はともかく、男子たちの様子をナツキは鬼の形相で睨んでいた。



(こいつら俺の最愛の人をどんな目で今まで見てたんだ……)


「でも先生の彼氏ってたしかにどんな人なんだろうな。女子どもが気になるって気持ちもわかるぜ」


「んー、先生のあの感じだと年下じゃ彼氏は務まらないだろうから年上じゃね? 医者とか弁護士とか、どっかの社長の息子とか」


「いいよなぁ。だって先生と毎晩ヤリ放題なんだろ?」



 そう言って男子の一人が指で輪っかを作り指を出し入れする。『ちょっと男子、下品よー』と女子たちから大顰蹙を買い非難の声があちらこちらから上がった。

 ふと教壇の夕華と目があったナツキは互いに顔を赤くしてすぐに目を逸らした。二人はロシアで互いに想いを曝け出し合い晴れて恋人となったが、まだ手を繋いだりキスをしたりしただけだ。デートにも行けていない。ましてその先なんて。


 教師と生徒。大人と子供。どれだけ気持ちが昂り合っても社会的な体裁と世間の目が邪魔をしてしまう。誰も見ていないとわかっていても深い一歩は踏み出せない。

 自分たちのペースで歩めばいい、とありきたりな言葉で夕華は自分を慰めるが、ナツキの周りには彼に年齢が近くて可愛らしい少女たちがたくさんいる。皆、ナツキを慕い愛している。それを夕華自身も理解しているのでどうしても気が焦ってしまうのだ。



「コ、コホン! そういう話は皆さんにはまだ早いです。それに教員のプライベートは学業には一切関係ありません。さあ、出欠を取って急いで体育館に向かいますよ。今日は始業式なんですから」



 わざとらしく咳払いをして場を強引に仕切る。自分の胸の高鳴りを切り替える。

 そうだ、自分は教師だ。中学生を教え導く立場だ。いくら恋人になったからといってナツキとそういうことをするにはまだ早い。夕華は自分を無理に納得させた。


 ナツキはナツキで、もちろん照れくささもありつつ、それよりも恋人がいること自体の優越感が勝っていた。普段のクラスメイトはアホな言動や格好を繰り返す中二病だと小馬鹿にしてくる連中だ。その憧れの女性と自分は付き合っているのだ、という心のアドバンテージが同じ男子中学生としての優越感になっている。


 出欠を取り終えて欠席者がいないことを確認し、夕華が促すまま生徒たちは教室を出て体育館へと向かった。喋りながらのらりくらり教室を出ていくなか、ナツキだけは最後まで自分の席に座っている。



「田中くん、早くしなさい」



 夕華は感情を押し殺し、あくまで学校では教師と生徒として接する。これは恋人になっても変わらない。学校関係者にバレてしまうリスクを取るくらいならば、我慢できる。


 ナツキも事情はきちんと理解しているので体育館へ向かうため席を立った。教壇の前を通るとき、ぼそりと夕華に言葉をこぼす。



「簪、似合ってる。綺麗だ」



 二人きりになった教室で、廊下の喧騒に掻き消されそうなほど小さなナツキの言葉。それでも夕華の耳には最愛の恋人の少年の声が心を震わせるほど深く届いていた。

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