第279話 ヒドゥンラブ
白と黒の閃光が縦横無尽にぶつかり合う。地上だけでなく空中においても私の日本刀とジリオンの八本の腕が鎬を削っていた。
能面のようにのっぺりとした無表情のジリオンに対して私はひどく険しい顔つきをしていることと思う。
私が手にした時間停止の能力は贔屓目に見てもなお強い。メセキエザのように根本的に無効化されない限りはまず相手の攻撃を喰らわない。でも、勝てない。勝ち筋が見えない。
ジリオンはメセキエザと同様に白い極光の光線を放ってくるし、再生力が高いので斬っても斬ってもバラせないし、ギロチンのような腕がたくさん生えてるし。その上、身体能力も非常に高い。私たち能力者は副作用として高い身体機能を獲得しているが、体感としては模擬戦のときのセレスよりもパワーやスピードは上だ。
高い再生力で絶対に負けないジリオンと、時間停止で防御も回避もできるので負けない私。
互いに負けない者同士が物理的な削り合いを繰り返しているので膠着状態に陥っているのだ。ただ、私は人間なので体力だけでなく心理的な疲労もたまる。じれったい展開が続けば気を急いてしまうしイライラもする。集中力が途切れたらミスもする。その点では機械みたいに正確無比な攻撃を繰り返すジリオンの方が長い目で見たら有利なのかもしれない。
(どうやって勝てばいいんじゃ。斬り刻もうが叩き潰そうが立ち上がってくる相手をいかにして攻略する? 妾の時間停止の能力とこの刀一本で一体何ができるんじゃ)
地面を蹴って空中へ跳ぶ。両手で握った私の刀がジリオンの腕の一本を斬り飛ばすも、そんなのお構いなしとばかりに逆側の腕が攻勢に出てくるので私はすぐに防御態勢を取らねばならない。その間に斬り飛ばした腕の断面が泡立って無傷で生え変わってしまう。
斬っては生え、斬っては生え。首も腕も胴も斬り飛ばしたのに生えたりくっついたりして殺せない。
──超人的な戦闘能力を有する二人のぶつかり合いは二時間にも及んだ。刃と刃が斬り結ぶ余波で灰だらけになってしまったサンパウロの地形はさらに大きく変わった。時間停止を連発する聖の戦闘は見かけ上空間を瞬間的に移動するため常人の眼で追えるものではなく、ジリオンの白極光線に対応し続けられるのもこの星で聖たった一人であろう。
そんな二時間の戦闘は一時的な中断を迎える。否、聖が戦いを止めざるを得なくなる。
それは援軍。でも、聖しか対等に渡り合えない敵に対して援軍にどれだけの価値があるのだろうか──
〇△〇△〇
「聖さぁぁぁん!!!! 大丈夫ですかぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「なっ……どうしておぬしがここに!?」
天然パーマのくすんだ金髪にそばかすまじりの幼顔。くたびれたグレーのハンチング帽子をかぶっているその声の主はチャーリーだ。灰に足を取られて転びそうになりながら私に向かって手を振って走って来る。
私がチャーリーの声の方へ振り返った一瞬の隙を見逃さずジリオンが急加速してギロチンのような腕を私に叩きつける。対応が遅れた私は間に合わないと判断し時間停止。身体とギロチンの腕の間に刀を差し込んで致命傷は避けたが、衝撃までは殺しきれず吹き飛ばされて転がった。
「ひ、聖さんッ!?」
ちょうどチャーリーの足元まで転がったようだ。仰向けになって空を見上げる私を覗き込むようにチャーリーの心配そうな顔がある。
「ど、どうして来たんじゃ……。ここは危ないと知っておろう……!!」
ジリオンの攻撃の痛みがじんじんと腹部に響くが、私は精一杯の強い口調でチャーリーに注意した。ここで私が嫌われるのは構わない。でも私の目の前でまた仲間が死ぬのはもう絶対に嫌なのだ。だから怒る。怒鳴る。早くこの場から立ち去って安全なところに行ってくれ、と。
「聖さん、わかってます。危ないのはわかってるんです。敵はシリウス坊ちゃまを殺したのと同じようなヤツなんですよね。でも、だったら、僕は大好きな聖さんが殺されるなんて絶対に嫌だ!」
起き上がった私に対して熱っぽい視線でチャーリーは語った。言っていることは嬉しい。だけど気持ちだけでどうこうできるほどメイオールは甘くない。
人なんて簡単に死ぬ。私たちは特殊な異能力を持っているし運動能力や身体機能まで強化されているので張り合えるが、普通の人間では世界一の軍人が世界一の武器を持っていても呆気なく殺されるだろう。
そういう相手と私は戦っている。一瞬も気を抜けない。どれだけ悔しくても普通の人間では弱すぎて勝負にならない。危ないから逃げて。船に戻って。
と、伝えようとした私の目線が、チャーリーの手に握られているものをはっきりと捉えた。血の気が引き青ざめる。
「チャーリーよ、おぬし、それをどこで……」
「聖さん! 僕は安全なところでぬくぬく待っているだけのカナタさんやアルコルさんやヒイロとは違います! 他の男たちは怖くて、危ないことは聖さんに任せきりなのかもしれません。でも僕は! 僕ならやれる! 僕なら聖さんの力になれる! 聖さん、僕だけを見ていてください!!」
「ダメじゃ! チャーリー!!」
ジリオンの攻撃への対処で時間停止を使い、まだインターバル中。連続使用ができない。チャーリーの暴挙を止めることはできない。
チャーリーは、赤い液体の満ちた注射器の針を自身の首に刺した。
「僕だって戦えるんだぁぁぁぁぁががががががががががばばばばばばばばばばば」
まず首すじの血管が太く浮き出た。次に白目が充血し真っ赤になった。自身の全身を抱え込むようにうずくまり、立ち上がりながら背筋が肥大化した。隆起した肩甲骨が衣服を破る。続いて脳が風船のように膨れ上がりハンチング帽子が千切れる。
腕が曲がってはいけない逆方向に曲がり、他にも腰や股関節、膝などが球体関節人形みたくぐにゃぐにゃと四方八方に曲がっている。
さらに腕や太腿の筋肉も膨張を始めた。巨大化した脳に追いつくように顔もパンパンに腫れあがり、さながら肉ダルマ。
絶叫が途絶えた。正確には、チャーリーだったそれは気管が筋肉で押しつぶされてしまっていた。こうしてわずかな気管支の隙間を空気が通るヒューヒューという音だけの残して沈黙してしまったのだ。
「ひゅー……ひゅー……ゲボッ、ひゅー……ひゅー……ひゅー……び、び、び、ひじり、さんっ、んぐっ、ゲボッ、ひゅー……ひゅー……ひゅー……」
泣いていた。醜く潰れた顔で私を見つめるそのバケモノは、私の表情を見て泣いていた。
じっとこの光景を眺めていたジリオンは小首をかしげた。
「それはどちらなのですか? 私たちなのか、あなたたちなのか、どちらですか?」
「ひゅー……ぎきくゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
ジリオンの問いかけに応えるようにバケモノとなったチャーリーは唸り声をあげた。ひどく切なげなその声は威嚇というより悲鳴のようだった。
「待つんじゃ! チャーリー!!」
私の声を無視してチャーリーだったものはジリオンへと飛び掛かった。膨れ上がった図体や頭部からは想像もできない敏捷性だ。それだけ筋肉や身体能力も向上したということなのだろう。
充血した赤い眼から血の涙を流して全身の血管を浮き上がらせながら丸太のように太い右腕を振りかぶる。ジリオンを殺そうという意思だけはバケモノの姿になっても失われていない。
「ぼがっひゅー……ぼぐがっ、ひゅー……ひゅー……びびびびび、び、ひじりさん、を、ひゅー……守るん、がばばばばばばばばば」
「どちらつかず。中途半端。それは中性を意味せず相互への不足のみを指します」
ジリオンは静かに呟いた。そして先端数十センチメートルがギロチンになっている八本の腕を残像が見えるほどの速度で振るう。剣圧が風となって私を通り抜ける。
「チャーリー! 時よ止まれ!」
私は時間停止をした世界でジリオンを蹴飛ばして遠ざけチャーリーだったものを受け止める。
再び動き出した時間の中で、首より下を薄く何百枚にもスライスされたチャーリーだったものが横たわっている。辛うじて固形を保っている頭だけが膝をつく私に抱えられている。
「どうして……どうしてじゃチャーリー……。料理が得意だったおぬしがどうして戦おうなどと……」
「ひゅー……ひゅー……び、びびびびびびび、び、ひ、ひ、ひじり、さん……ぐぼぉぇ、ぐぼぉぇんなさ、い……」
「妾の祖国に行くのではなかったのか!? どうしてじゃ! こんなところでおぬしが死ぬ必要はない! どうして、どうして、どうしてじゃぁぁぁ!!!!!!」
膨張し充血し腫れあがったバケモノの顔に十歳のそばかすの少年の面影はない。
彼の顔はびしょびしょだった。私は、泣いていた。大粒の私の涙が彼の血涙を洗い流した。
「ひゅー……ひゅー……ひゅー……げぼっ……ぜ、ぜぇ……ぜおわぜで、ぜおわせてじまって……ひゅー……ぐぶぉぇ……ひゅー……ご、……ごめんなさい……」
背負わせてしまって、ごめんなさい。
チャーリーは勝手にここに来たことでもジリオンに挑んだことでも、まして死んだことでもなく、ただ私へ背負わせたことを謝った。
私の手の中で脂肪の塊が冷たくなる。
最期まで私のことを考えていた。自分のことなんてこれっぽちも考えちゃいない。自分がどうなろうと関係なく、私にだけ命懸けの戦いを背負わせていることを憂いてくれた。いいや、この戦いだけでなく地球を救うための旅の全てを。
私はリーダーだ。背負うものがある。救える命を救うためにいくつもの選択をしてきたし世界各地を旅してきた。
その舵は重たかった。でも、辛くはなかった。私がその重みを背負うことで救える命があるなら充分だった。
私が本当に悲しいのは、私のために大切な人が命を失うことだ。
あの運命の晩に私の母は私を庇って殺された。もううんざりなのだ。目の前で大切な人が亡くなるのは。
私は誰かを救うための重みは苦しみは背負えても、愛する人たちの命や想いまでは背負いきれない。
私の分はセレスやカナタたちが一緒に背負ってくれる。そう言ってくれた。だからいくらか軽くなる。チャーリーが私に背負わせる申し訳なさから命を懸けることを選んだのなら、それもまた一緒に背負う形なのかもしれない。
私にはわからなかった。どうしてチャーリーはそこまでできたのか。命を懸けるのは言葉で言うほど簡単じゃない。気が狂うほどの覚悟と強い心がなければ逃げ出したくなるはずだ。それなのに、チャーリーはどうして。
これではまるでチャーリーが私のことを愛しているみたいではないか。
「ああ、そうか……。そうだったんじゃな。チャーリー。おぬしは……」
できることなら、その想いはずっと生きて形にしてほしかった。これでは振ることもできないではないか。
自分だけ私のために命を擲って死に逃げるなんて、そんなの、そんなのあんまりだ。
チャーリーの眼から光が失われた。私はそっと手を当てて彼の瞼を閉じてやる。
今は埋葬する余裕もないけれど。でも。
時間を止める。世界から色も音も失われる。
ここは私だけの世界。チャーリーの頭を地面に置き、目を閉じる。
彼と私の二人しかいないこの無限と永劫の世界で私は祈る。
どうか安らかに。
──……。
「さて、ジリオンよ。わかっておろう? 妾の大切な者をおぬしらメイオールは幾度となく奪ってきた。妾はおぬしらを絶対に許さん。絶対にじゃ。おぬしが血反吐を撒き散らして許しを請おうとも絶対に許すことはない。妾の全身全霊を以てしておぬしを殺す」
時間が動き出した世界で私は立ち上がりジリオンに告げた。いつになく私の身体は熱かった。視界が滲んでジリオンのことはよく見えないのに、怒りの矛先はしっかりと向いていた。
こんな想いはあの晩以来だ。脳が焼き切れそうになるほど回転し沸騰しているのかと疑うほど血管が熱い。燃えるように熱い。
私は刀を握り直す。真っ赤な両眼が、淡い光を宿す。
白いメイオールと黒い羽織の少女が再び激突する。
決着は、近い。
第188話より
「しかし注射を打てば誰でも能力者になれるわけじゃない。二重螺旋のDNAを三重螺旋構造に置換するには遺伝子レベルでの適性が必要だ」