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第272話 一握の砂

 サンパウロから東に四〇〇キロメートル。リオデジャネイロという街はブラジルの伝統ある旧都として依然文化的な中心地であった。

 上陸したセレスの目の前に広がるの一面の灰だけ。音楽とダンスの溢れる明るい街並みは消え去り全てが燃えてなくなっている。


 果てしない真っ白な灰の砂漠を歩き進む。こちらの心までも荒みそうだと顔を歪める。普通の黒いメイオールすらも見当たらない。方向感覚さえ見失いそうになるほど無味乾燥とした景色の中で、ただ一つセレスでもよく知っているものがあった。



「あれはたしかコルコバードのキリスト像だっけ……」



 リオデジャネイロを代表する、いやブラジルを、南米を代表する観光地こそコルコバードの丘だ。海辺の街を見下ろすように全長四十メートルほどのイエス・キリストの像が建てられている。まさにブラジルの象徴である。

 そのキリスト像も胴体や下半身は砕けてしまっている。上半身だけが斜めに灰の地面に突き刺さっていて辛うじて顔や腕の様子は面影を残している。随分と悲惨な姿だ。


 倒れて傾き空に向かって腕を広げているキリスト像。その腕の先端に白い人影がいるのを認めた。ちょうどキリストの手指の部分に腰をかけている。

 後ろ姿しか見えない。でもそれだけで充分だった。一度メセキエザと接敵した経験のあるセレスにはわかる。確信できる。あの白い存在こそが上位メイオールである、と。



「万物は流転する……!」



 セレスは青い両眼を淡く光らせ灰の地面に手を突く。バチバチと余剰エネルギーが火花となって散りながら大地の灰を青い鋼鉄の槍に物質変換。生成した青槍は手によく馴染む。それを強く握って後ろに引き、腰を効かせて捻りながら投擲する。ミサイルよりも速く。ライフル弾よりも鋭利に。

 セレスの投擲はドンッ! と爆発のような音を鳴らす。槍はジャイロ回転をしている。さながら空気を切削するドリル。空気を破る爆音を伴いながら槍はその白い人物の後頭部へと淀みなく突き進む。空気の摩擦熱で青槍の先端がオレンジ色に発光している。



(あのときメセキエザ相手に溜まった鬱憤、アンタの命で晴らさせてもらうから!)



 一般的に、音速がマッハ(いち)と定義される。戦闘機がマッハ二から三。短距離ミサイルがマッハ五から六程度。長距離ミサイルに至っては加速を続けるため最高速度はマッハ十を超えてくる。

 さて、セレスが投擲した青槍はというと。


 彼女の体感にしてマッハ二十。


 先ほどの投擲時の爆音はソニックブームだ。圧縮された空気の悲鳴がリオデジャネイロの地に降り注いだ。いわば必中にして必殺。幾度となくメイオールを屠ってきたセレスの経験をして当たれば確実に爆散。

 投げた後の隙が大きいので大勢のメイオールを相手取る普段の戦闘では使わないが、これだけ整った条件ならばまず即死だ。


 相手はメイオールの中でも白い上位種だという。だからなんだ。生物である限り反応速度には限界がある。

 ざまぁ見ろ。ここで死ね。さっさと死ね。


 セレスはぱっちりと大きな眼をギョロリとさらに見開き瑞々しいピンクの唇を高く釣り上げて狂笑を浮かべた。



 ──そして、そのメイオールは振り向くとにんまり笑って槍を歯で受け止めた。



 摩擦熱が急激に空気で冷やされて口元からは煙が立ち上っている。

 透き通るほど穢れのない白い体に白い顔。白い歯。そして白いおかっぱ頭だった。髪は毛というよりナイロン繊維のようで、胸元は平だが足元まで隠す二等辺三角形のシルエットは女性のワンピースを思わせる。足は裸足だった。人間と同じく左右の手足の指はそれぞれ五本ずつ。

 ただ一点。その白いメイオールにはひとつだけ色があった。それは両眼。()()()な両眼。


 白いメイオールは首だけ振り返った姿勢のままセレスにしかと視線を合わせ、笑みを崩さぬまま青槍をペッと吐き捨てた。そう、まるで人間が駅前の道路に味のしないガムを吐き出してアスファルトに擦りつけるみたいに。

 

 ただし。彼女の口から放たれた槍の速度はマッハ()()



(や、やば)



 避けろ。避けろ。避けろ。セレスの脳が全細胞を緊急動員して回避行動を取らせようとする。しかしシナプスの伝達より先に槍はセレスの肉体に到達した。


 ボンッ! と紙風船を割ったようなシンプルな音だった。ただのそれだけで、セレスの左腕は二の腕から先がなくなった。



「うぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!」



 血の噴水を止めるため腕の断面を右手で押さえる。喉が枯れるほどの絶叫で痛みを紛らわすが立っていられない。両膝を突き、滂沱の涙が止めどなく溢れる。

 歯を食いしばったセレスは右手で地面から一握の灰を掴み取る。


 物質変換。

 灰を鉄に。それもとびっきり熱い鉄板に。


 熱されて柔らかくなりつつある鉄板が地面に生じた。セレスは左半身を傾けて腕の断面を鉄板に当てる。

 生肉の焦げる水っぽい音と乾いた匂いがセレスの五感を狂わせる。


 黒く凸凹で不格好な腕の断面。もはや再生の見込みはない。



「……それでも、血は止まった。これでまだアンタと戦える……ッ」



 震える足を黙らせて立ち上がる。そんなセレスを見てくすくすと笑う仕草を見せながらメイオールはキリスト像の手から飛び降りた。ゆっくりと歩いてセレスの方へと向かって来る。その手には何か黒くて長いものが握られている。



(あれってメイオールの頭じゃ)



 セレス自身幾度となく屠ってきた黒いメイオールの首。それを白いメイオールが手に引っ提げている。首よりは下はない。まさに生首だ。

 そしてこちらへ近づく道すがらなんてこともないように黒いメイオールの頭を口元に持っていき、そいつはかぶりつく。硬い頭部の外殻もものともせずにバリバリと砕き中身の脳を果物みたいにかじってすすって咀嚼している。


 ごくり。喉が波打つように動いているのをセレスの眼はしっかりと確認した。メイオールがメイオールを嚥下したのだ。



「ジリオンはバカだよねぇ。大気圏突入時の熱エネルギーをポッドの底部に集約して落下と同時に放出させろだなんて。まあやってあげたけどさ。うん、そりゃたしかにそこに殺害対象者がいてくれればいいよ? 確殺だろうし。でも現に殺害対象者は死んでいなくて私に槍をぶっ放すときた。意味ないじゃん! 結局大地は灰で真白になっちゃうし地球人は遺体すら残ってないし。辛うじて私たちの下等な同族は生き残ってたけどさ。あ、ハハ、もう私に食われて死んでるか。ところで金髪のそこのあなた、私たちのことはどういう風に呼称しているのかな?」


「なっ……」



 あまりに流暢に人語を発する様にセレスは唖然とする。そういえばメセキエザはミザールとアルコルと戦ったときに人語をトレースしたと言っていた。この白いメイオールも同様の技術を用いたのだろう。

 


「私の名前はエミット。それから、私が来た時点でここら一帯の地球人は死滅していたから正確には生者の言語トレースじゃない。こいつの脳を食べたおかげで、こいつがこの地で地球人を追いかけ回して殺しまくっていたときの記憶を見せてもらったんだ。そうすることで逃げ惑う地球人たちの言語を映像として認識できるから。本当は地球人の脳を直接食べた方が手っ取り早かったんだけど全然遺体が落っこちてなくてさ」



 黒いメイオールの生首を指でつまみながらエミットと名乗った白いメイオールはケラケラと笑った。楽し気な声音は少女のようだ。



(この白いメイオール、どうしてアタシの考えてることがわかるの?)



 いや、メイオールは何かしらの異能力を持っている。エミットもまた例外ではないはず。



「まあまあ。つまらんことを考えなさんな。そっか。私らはメイオールって呼ばれてるのか。へぇ。おっと、思考を閉ざされるとまったく何も見えやしない。やっぱり直接あなたの脳を食べちゃうほうが話は早い! ……って、いやいや。この金髪の子が殺害対象者なら情報収集なんてせずにさっさと殺しちゃえばいいか。残りはジリオンたちに任せればいいし。少なくとも一人は殺っとけばサボりの謗りも受けないで済むし。にひひ、というわけでさ、死んでよ」



 エミットが手を向ける。エネルギーの奔流が爆熱の渦となってセレスを襲う。



「させない!」



 セレスが地面に右手をつくと物質変換が行われた。構造は単純でいい。それより物質の変換速度を上げていけ。セレスは自分にそう言い聞かせる。地面から新雪のようにキラキラと光る白い物質の壁がずんと生えた。高さにして一メートルほどだ。しゃがんでいるセレスを覆うには充分。


 エミットが放った爆炎のエネルギー砲を壁が受け止める。煙を上げながら熱エネルギーを吸収する。運動エネルギーまでは受け流せておらず数秒で白い壁は砕け散った。しかし。セレスの足元には果てない灰がある。それを片っ端から白壁に変換。エネルギーが分散されて逓減し完全にゼロになるまで何十何百と壁を生成し続ける。

 セレスは壁ごと灰の上を滑るように圧されて後退を強いられてしまったが、それでも未だ無傷。



「へぇへぇ、すごいや。私の攻撃をこうもあっさりと無効化するとはね。あっさりってほどでもない?」



 エミットはニヤニヤ笑いながら呟いた。セレスは命懸けで能力を連発しなんとか生き残ったというのにエミットにとっては戯れに過ぎない。その力量差にセレスは冷や汗をかく。



「いいや。あっさりで合ってるよ。アンタのクソみたいな攻撃はアタシにとってもなんともない」



 嘘だ。半分は強がり。もし調子が悪くて一秒でも能力の発動が遅れたら死んでいた。

 でも半分は事実。あの熱波のエネルギー砲を受け止めた白壁の正体はただの炭酸水素ナトリウム。中学生でも知っているNaHCO3である。身近な例を挙げるなら重曹。その内部にダイヤモンドの粒子を混ぜてコーティングした。



「アンタの攻撃が膨大な熱量を持っていることは肌を焦がすような温度感覚ですぐにわかった。だからまずは炭酸水素ナトリウムなの。わかる? 加熱すると二酸化炭素と水が生じる。それが燃焼に必要な酸素を邪魔してダイヤモンド粒子、つまり炭素との結合を阻害する。炭素は全ての元素の中で最も融点が高い。だから」



 セレスはエミットを睨み上げ挑戦的な笑みを浮かべた。



「炭酸水素ナトリウムの熱反応で熱エネルギーを消費させて、余熱は炭素で受け止める。まあ物理攻撃には弱いから運動エネルギーへの対処は不十分だったけど……。それでも理論上は一万度までの熱なら受け止めきれた。太陽の表面温度ですら六〇〇〇度だし。つまりアタシが作った壁は対恒星防壁。のこのこ遠くの星から地球にやって来たただの宇宙人様じゃ一生かけても届かない……! 地球を、太陽系をなめるなッ!!」



 片腕を失ったセレスは残った右手をエミットに突きつけて獰猛な笑みを浮かべる。地球式の宣戦布告の証。まっすぐ立てられた中指が蒼穹を指す。


 セレス。

 セレスティン・ネバードーン。


 セレスティンとはラテン語で晴れ渡る天空の澄んだ青色を示す言葉である。

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