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第269話 appears

 ティアが出産したのは船がカリブ海のカリブ諸島にいたときのことだ。ドミニカやプエルトリコは私も野球か何かで聞いたことがある気がする。

 そんなカリブ海を南下し、南米のてっぺんに位置するベネズエラの沿岸を通過。私たちは南米大陸の東側を下ってブラジルへと向かっていた。


 当面の目的地はブラジル南東部のサンパウロである。ブラジルの首都はブラジリアだが、人口最大にして大経済都市圏なのはこのサンパウロ。

 人口も経済規模も南米全体を通して抜きん出ており、隣には旧首都のリオデジャネイロも位置している。いわば文化と経済において南米を主導するメトロポリスなのだ。


 メイオールもおそらくそこに大勢集まっているはずだ。

 私は船の甲板に出て水平線の先にある南米大陸を眺めていた。夜風を浴びながら腰の刀に手を当てた。柄が随分とボロボロだ。昔はシリウスの能力で新品同然に直してもらえていたのに今となっては武器へのダメージもそのまま蓄積されていっている。


 私は刀を斬ることに使っていない。というか剣の達人でもたぶんメイオールの外装甲を刃物で斬ることはできない。むしろ叩き割ると言った方が近い。そういうパワー系で雑な戦い方なので武器の消耗も激しい。同時に、刀の損傷はそれだけ多くのメイオールを屠ってきたことも意味している。



「そういえばこの刀はカナタが妾に献上したものじゃったのう。母を亡くしたあの晩に……」



 赤道が近く夜でも暑い。その上ジメジメする。余計にしっとりとしたナーバスな気持ちになってしまう。

 そんなとき、甲板に出てくる足音が聞こえた。



「聖ちゃんこんなところにいたの?」


「なんじゃ、カナタか。ちょうどおぬしのことを考えておった」


「それは光栄だね。聖ちゃんみたいな綺麗な子に想ってもらえるなんて」


「調子に乗るでない」


「あ、そうそう。スタミナ丼美味しかったよ。一応僕も日本出身だからね。醤油の香りは懐かしかった」


「そうであろう? 安価に体力をつけられるんじゃ」


「でも聖ちゃんは栄養が胸には行ってな……」


「よし、おぬしがくれたこの刀の切れ味を人間相手に試してみるとするか」


「嘘嘘! 非力な僕に物騒なもの向けないでよ!」



 そんな冗談を言い合いながらカナタは私の隣に来た。柵に寄り掛かって満月の映る海面を見つめている。灰色の髪がさらさらと風に揺れていた。



「なんだか懐かしいなぁ。何度もこうして甲板に出て星空を眺めながら男同士語り合ったものさ」



 男同士。それがシリウスだということは明言せずともすぐにわかった。そして少しだけ小恥ずかしくもなる。私は無意識のうちに前リーダーと同じような行動をしていたらしい。責任感が大きくなるほどこうして夜は独りになりたくなるのだろう。一人で考え事をして、星天を通して憎たらしい宇宙を睨む。

 カナタは柵の手すりに肘を乗せて頬杖し続けた。



「そのとき言われたんだ。白衣の血を消してやろうか? って」



 たしかにカナタの白衣には血痕がついている。半年以上が経ち血は乾いているので黒茶色の模様のようだ。そう、あれはたしか私の心が追い詰められて部屋の鏡を叩き割って……。

 たった半年。されど半年。自分の心の弱さが思い出されて顔から火が出そうだ。



「どうして消してもらわなかったのじゃ?」


「これは僕の責任だから。聖ちゃんをこちら側に連れて来たのは僕だ。聖ちゃんが背負う苦しみの全ては僕の苦しみでもある。当然だろう? だから聖ちゃんの痛みの証を僕自身に残しておきたいと思った」



 私は改めてそっと刀の柄に触れた。私がバケモノじみた握力で振り回したためボロボロになった柄。私は戦うことで証を残した。直接戦えないカナタは自分自身に証を残した。全然違うようで、まったく同じ。

 積み重ねたきたものを、選択の責任を、或いは得られた成果を、全てを背負って生きる覚悟の証明である。成功も失敗もあった。でも全部受け止めて私たちは今ここにいる。今この瞬間の私たちがこれ以上ないほどの全てであって、それ以上もそれ以下もない。もしもなんてもっとあり得ない。



「クックックッ、カナタにしては良いことを言うではないか」


「にしては、は余計でしょ」



 二人して顔を見合わせケラケラと笑った。軽口がすらすらと言い合えるこの関係性が少しだけ特別なものに思えて仕方ない。私はこの船の仲間たちが好きだ。守りたいと思っているし、頼りたいと思っている。かっこつけたいとも思うし、弱みを曝け出すことができるとも思っている。

 でも、その中でもカナタだけはちょっとだけ違う。他の仲間たちとも違うし、中学校にいた仮初の友人たちとも違う。ましてや親とも違う。


 何かをしてあげたいとか何かをしてほしいとか、そういう目的が一切なく腹の底から言葉が出てくるのだ。ゴールに向けて走り出すのではない。まるでアテのないドライブのように、意味もなくふらふらとするだけなのにその時間が愛おしい。

 月明かりで半分だけ照らされているカナタの顔。なんとなく手を伸ばしたくなった。指が彼の頬に触れる。寝ぐせなのかセットしてあるのか判然としない髪が風に揺られて私の指をくすぐる。カナタは何も言わずにされるがまま。ただ、ほんの少しだけ微笑んでいるように見える。


 胸が高鳴る。脈打ち、想いが全身を迸る。



「妾の人生の責任、おぬしに取ることができるか?」


「取るよ。取ってみせるさ。僕の頭脳が取れると言うんだから間違いない。『天才』としてはね」


「そうではない。男として、じゃ」


「ハハ、まあやれるだけやってみるってところかな」



 はにかむように小さく笑ってみせたその姿は相変わらず頼りなく、それなのにどうしようもないほど近づきたい。そばにいたい。私の背中を預けたい。

 そう思ったときには既に彼の胸に頭を押し付けていた。彼を潰してしまわないようにそっと腕を回す。私の血がべっとりとついた白衣を丸ごと包む。


 わずかに躊躇った気配があった。ほんの少しの間を置いて決心したようにカナタも私の背に手を回した。顔を上げるとカナタはどこか困ったような複雑な表情をしている。



「どうしたんじゃ、変な顔をして」


「いや、ほら、僕は女の子と抱き合ったのなんて初めてだし……。二、三歳とはいえ聖ちゃんより年上なのに緊張してるとこ見られたら恥ずかしいじゃん」



 目を逸らして顔を赤らめながらそんなことを言うカナタがたまらなくいじらしい。お互いの形も匂いもわかってしまうほど近くで触れあっているのに年齢なんてちっぽけなことを考えていたのか。男の見栄はよくわからない。

 私は彼の顔を両手で挟み強引にこちらを向かせた。そして思い切り唇を当てる。勢いあまって歯がぶつかってしまった。そんなことを気にする余裕は私たちにはなかった。


 月と海と風だけが私たちの秘め事を見ている。月の輝きも、海の深さも、風の冷たさも、繋がった私たちをわかつことはできなかった。


 真っ白な頭のまま顔を離す。自分はなんて大胆なことをしたのだと自戒するより先にカナタの呆気に取られた顔が飛び込んできた。それが面白くて、私が勝った気分になって、嬉しくて。



「妾も口づけを交わすのは初めてじゃ。しかし緊張も恥ずかしさもないぞ?」



 嘘だ。めちゃくちゃ恥ずかしい。緊張もした。でもそれを上回る明るくて温かい感情の渦が私の心を目一杯にかき混ぜた。


 それを聞いたカナタは目を見開き、続いて深呼吸をし、ゆっくりと口を開いた。



「聖ちゃん」


「なんじゃ」


「好きだ」


「妾もじゃ」



 見つめ合って、再びクスリと吹き出してしまう。あんな衝撃的な場所で衝撃的な出会いをしここまで衝撃的な生活を半年以上してきたのに、なんだかごく当たり前の男女のような言葉を交わしている。普通じゃない世界の真ん中で普通の感情が育っている。そのギャップがお互いにおかしかった。



「聖ちゃん、携帯電話って持ってたよねたしか」


「持っておるが……基地局のない今のこの地球ではただのメモ帳にもならんぞ?」


「いいから。出して」



 セーラー服のポケットから出した携帯電話をカナタに渡した。ああ、たしか最後の受信は私が書いたライトノベルの落選通知で、最後の送信は母への──。

 カナタは自身の携帯電話を取り出すと手際よく赤外線通信をさせ連絡先を交換させた。返却された携帯電話を閉じる私はその意味を図りかねている。



「もしも僕たちが世界を救って、メイオールを全部追い払って、人類が再び地球で繁栄して……。そしてまた携帯電話が通じるようになって。そのときに僕と聖ちゃんがどれだけ遠くにいても再び会えるように、今の内に連絡先を交換しておくんだ」


「それはバタフライ・エフェクトで見た未来なのか?」


「いいや違う。僕らの頭脳でもメイオールに関する未来は未知のデータが多すぎてほとんど見えやしない。そうじゃなくてさ、なんて言うのかな。……願い。そう、願いだよ。願掛けって言ってもいい。全部がうまくいった後の明るい未来を思い描くんだ。ツーショットの待ち受け画面を他の人に見られたり、夜中までどっちが終わらせるのかわからないメール交換をしたり、デートの待ち合わせに遅れるって走りながら電話したり。そういう未来への希望と願いを僕は託したんだ。今は何の役にも立たないこの携帯電話にね」



 得意げに笑うカナタが話しくれた未来は何と尊くて美しいのだろう。眩しくて眩暈がするほどだ。私はポケットの上から携帯電話の形を確かめるように触る。ここには私たちの見えない未来が詰まっているのだ。



「ふふ」



 つい素の笑みがこぼれた。それをカナタは少年のように喜んだ。



「今の聖ちゃん、いつもの人前での感じじゃなかった!」


「なっ、違う、違うんじゃ! 妾はそんなわっぱのようには笑わん! ──。いいえ。……ふふ。違わない、かな。でも全部が私。どっちも私。妾は私で私は妾。それじゃダメ?」


「ダメじゃない。どっちだって聖ちゃんは聖ちゃんだから。僕は二倍の愛情を聖ちゃんに送るよ」


「クックックッ、よくもそんな浮ついたことを恥ずかしげもなく言えるのう。そういうところも、好き」



 嬉しくて頭がぐちゃぐちゃになる。母の前でだけ見せていた自分も、いつも私が作り上げている理想の自分も、どっちも私にとっては本物の私だ。ありのままに生きてほしいと願った母に今ならこう言える。私は私の全部をありのままに愛してくれる人に出会えた、と。

 幸せで目が回ってしまっていたが、それが少しだけ落ち着いて私はふとして疑問を投げかけた。



「そういえばカナタは私を探しておったんじゃろう? 妾に何か用件でもあったのか」


「ああ、そうそう。フランスやらイギリスやら、その後はアメリカやら、聖ちゃんたちがメイオールを倒しながらポッドのサンプルを集めてくれたおかげでかなり全貌が見えてきたんだ。そしてメイオールがどのあたりから地球に向けてポッドを射出したのかも」



 カナタは新しくわかったことを嬉々として私に話してくれた。言いたいことがたくさんあるのだろう。とても足早に。

 メイオールの母星を滅ぼす気は私たちにはない。メイオールが地球に来なくなりさえすればいい。そのためには、母星ではなく地球侵攻の本拠地を叩くことが主目的となる。そこを叩いて潰せば追加のメイオールが地球に送り込まれることはなくなる。

 さらにカナタは目を輝かせて続けた。



「母星から直接地球にワープしたわけじゃないことは元々わかっていたんだ。そして今回の研究と発見で地球出立への中継地点となる大居留地が逆算によってわかっ──」



 私たちは見てしまった。


 巨大な白光の帯が黒い星天を横切った。それは私たちにとって絶望の景色。あのクリスマスの日に雪の中見上げたのとよく似た情景。

 宇宙からの来訪者。地球への侵略者。ああ、呼び名なんてどうでもいい。私の大切な人たちを奪っていった暴力の権化。それがまたやって来た。


 血の気が引く。それなのに頭に血が上る。憎悪と恐怖と憤怒が膨れ上がる。

 その直後だった。


 爆ぜた。水平線の先。南米大陸は、たった一夜にして豊かな耕作地も発展したビル群も不毛の地へと変貌させた。


 メイオールが、来た。

星を睨み上げるシリウス:第9話『二十一天』

甲板で夜空を見上げながら会話するカナタとシリウス:第183話『船上の男たち、或いは夢寐を分け合う少女たち』

ガラケーへの想い:第126話『覚醒への兆しを掴め』

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