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第268話 男子校のノリ

 船内のエレベーターを降りたチャーリーはステンレス製の配膳カートを手で押していた。チャーリーは船の仕組みに疎く、まして豪華客船などまったくの専門外。蒸気を吹き出しながら駆動している機械音の出どころもわからければ、あちらこちらに設置されている計器の針の動きもわかりはしない。

 彼はあくまでこれを運べと言われただけなのだから。


 言われた部屋はそんな騒々しくものものしい通路を直進して二、三分程度の場所にあった。ノックをしても返答はない。しかしチャーリーはこれを運ぶように言った者から『たぶん返答はないです』とも言いつけられていた。だからこれも予定通りと言えば予定通り。

 チャーリーは許可なくスライド式のドアを開けて強引に配膳カートを運び込んだ。



「カナタさん、ヒイロさん、アルコルさん、食事を持ってきましたよ!」



 チャーリーが声を張り上げることでやっと白衣姿の男たち三人は研究室の来訪者に気が付いた。部屋の中心では台の上にメイオールの遺骸が五、六体並んでおり思わずぎょっとしてしまう。


 カナタは平たい洗濯機のような機械の前で椅子に座ってうつらうつらと船を漕いでいた。チャーリーは知る由もないがそれは遠心分離機である。


 ヒイロはモニターが縦横三×三で九つある席に座りパソコンのキーボードを叩いていた。その凄まじい打鍵速度はまるでピアノで音楽を奏でているようだ。上部のモニターには卵型やら球型やらいくつもの図が回転しながら表示されており、中心のモニターでは黒い背景によくわからない緑色の文字と数字の羅列が並んでいる。チャーリーは知る由もないがそれはシミュレーションプログラミングのコードである。

 

 アルコルはテーブルに試験管を何本も並べていた。中身はカラフルな溶液だ。赤に緑、黄色、青。光に照らしながら試験管をよく振って、或いは混ぜて、変化を確認している。チャーリーは知る由もないがそれはメイオールの髄液や能力者化の溶液を使った異能力分析の実験である。


 三人はげっそりと疲れた表情でチャーリーの方へ振り向き、代表してアルコルが尋ねた。



「ええと、俺たちに何か?」


「食事はちゃんと取ってください」


「俺はちょうど実験が佳境でしてね。食事は後でも……」



 アルコルが面倒くさそうに言ったのをチャーリーが遮って付け加える。



「……って、ティアさんが言ってました」



 そう、実験に没頭する三人に食事をきちんと食事をするように命じているのはティアだ。チャーリーはあくまでティアに頼まれて調理をし運んできたにすぎない。

 カナタたちはティアの名前を出されると弱い。特に今は彼女の体調や心身を刺激するのはよくないだろう。三人は互いに顔を見合わせて仕方ないと頷いた。それを見てチャーリーもにっこりと笑う。



「しっかり体力がつくようにスタミナ丼という料理を作ってきました。聖さんの故郷では気合を入れるときに作るそうで、レシピを教えてもらったんです!」



 チャーリー自身の分も合わせて四皿。脂の乗った豚バラ肉がどんぶりの上でテカテカと光り、中心の卵黄を囲むように刻みネギが躍る。日本風の味付けである醤油ベースのタレが白米を艶めくほどに化粧させ、ぞろぞろと配膳カートに近づいてきた三人の食欲を根底から刺激した。

 集中しているときは気が付かなくとも一度タレの香りを嗅いでしまったら最後食欲から逃れることはできない。スタミナ丼のパワーを利用して三人に強引にでも栄養を取らせようという聖のアイデアである。



〇△〇△〇



 米一粒も残さずに四人はスタミナ丼を平らげた。カナタとアルコルは白衣の上から腹をさすりながらコップの水を飲み、チャーリーは空のどんぶりを回収していく。洗い物や洗濯もまた料理と並んでチャーリーたち使用人の大切な業務である。

 その途中、チャーリーはふとヒイロに尋ねた。



「ええと、ヒイロ、さん。すごいですよね。僕とそう変わらないくらいの年齢なのに」


「さん付けは非効率的だから呼び捨てでいい。それから年齢は三九二日と十五時間二三分八秒だけ僕の方が年下」


「あれ、僕の誕生日って教えていましたっけ」


「……それくらい()()()。『天才』っていうのはそういう人種だから」



 仏頂面かつぶっきらぼうにヒイロは言った。カナタたちが食後の休憩をしているのに対してヒイロはすぐにパソコンと九つのモニターの前に戻りキーボードを叩き始めていた。

 チャーリーは自分よりも幼い少年──見た目は明らかに少女なので男だと言われても最初は信じられなかった──が素晴らしい頭脳を持ち聖たちとともに世界を救う組織の中心にいることについて素直に羨望の眼差しを向ける。



「本当にすごいです。尊敬します。僕は聖さんみたいな戦う力もヒイロみたいな優れた知能もないから……」


「何事も適材適所。各々が得意な分野で活躍するのが最も効率的。自分のできないことを無理にする必要はないし憧れる意味もない。戦闘も研究も料理も、その意味では対等」


「……そうは言っても……でも、でもですよ。もしヒイロの目の前で大切な人が傷ついていたらどうしますか? そのとき戦う力がないのは悔しいことだと思うんです」



 チャーリーにとっては何気ない一言だ。特定の誰かを指したわけではない。だが、ヒイロは無意識にセレスの姿を脳裏に浮かべていた。キーボードを叩く手がぴたりと止まる。

 もしも目の前でセレスがメイオールに殺されそうになっていたら。ヒイロは思う。非力な自分が戦いの場に出るのは非効率的だと。セレスを助けに行ったところで戦力には一切ならないと。


 でもどうしてだ。頭ではそう理解しているのに胸が熱く苦しい。

 さらにチャーリーはそばかすまみれの頬をかきながら続けた。



「イギリスで皆さんが地下に来たとき扉を開けたのは僕でしたよね。セレスお嬢様の声を聞くまでは、もしかしたらシリウス坊ちゃまが以前話されていたメイオールというバケモノかもしれない。そんな考えもよぎりました。でもあの場で男は僕だけ。どんなに怖くても、非力でも、あの場は僕が応答すべきだったんです。非力でも役割があって、そうしたいという想いもありました。だから、その……あれ、ハハ、うまく言えないや。変なこと言ってすいません。忘れてください」



 照れ笑いをしてチャーリーはあたふたとヒイロの前でかぶりを振った。そのチャーリーの肩をアルコルがぽんと叩く。

 


「まあ、俺はチャーリーくんの言ってることわかりますけどね。こんな船の下層のむさ苦しい部屋で男が集まって研究してて、そんでもって地上では()()()()()()()()()()が身を挺してバケモノと戦ってるんですから。情けないと思うことがないわけじゃあない」


「な……一緒にしないで!」



 アルコルの言葉に珍しくヒイロが激昂した。あまり感情を表に出さないヒイロが声を荒げたので横で聞いていたカナタも少し驚いている。

 そんなヒイロの態度が余計にアルコルの疑いを確信に変えた。



「俺の見立てではヒイロくんはセレスちゃんのこと大大大好きなはずなんですけどね。違いました? あ、ちなみに俺は実はミザールのことが好きですよ」



 アルコルはしれっと自分の好意を暴露しながらヒイロをいじる。ヒイロは顔を真っ赤にしたまま何も言えずに俯いてもじもじしている。とはいえヒイロはこの場では最年少なのでカナタやアルコルの視線も温かい。チャーリーは興奮気味だ。



「そうだったんですか! ヒイロ、僕は応援しますよ! セレスお嬢様は素っ気ないけど情に深くて、本当に素晴らしいお方なんです。きっとヒイロにお似合いだと思います!」


「……そう。セレスは優しくて、いちごミルクを用意してくれたこともあったし、実は気遣いが一番できて……って、違う! 別に好きじゃない!」



 ヒイロは必死に否定するが手遅れだ。アルコルはみなまで言うなという態度でニヤニヤと頷いている。



「そう。だからこそ惚れた女性を俺たちは守りたい。でも能力の研究をしている俺からするとそれは難しい。能力者化の薬品は作れても、能力者になれる素質は希少ですからね。だから俺たちにできるのは研究だけ。少しでも戦闘で、或いは長期的にはこの対メイオールの戦いで彼女たちを助けられるように俺たちはやれることやるだけなんですよ」



 アルコルはビーカーに溜まっていた赤い液体をふりふりと揺らしそう言った。聖やミザールも注射した能力者化の薬品である。それを茶色の小瓶に移して棚に片付けながらアルコルはそれだけ言い残した。

 カナタもヒイロも同じ気持ちだ。できることなら自分たちが代わりに戦いたい。大好きな彼女たちに傷ついてほしくはない。それでも戦う術がない。だからやれることを精一杯にやるだけなのだ。それこそ食事すら忘れてしまうほどに没頭して。


 チャーリーはそんな三人の姿勢や生き様をカッコいいと思った。自分はこの船で料理ばかりしていて本当に役に立っているのか疑問に感じていた。時任聖という恋慕の情を向けている女性は、最前線で戦い作戦の立案までしているという。それなのに自分は厨房で調理しているだけ。それが恥ずかしく後ろめたいとすら思っていた。だけど。


 自分のやれることだけを精一杯にやる。それが少しでも戦う彼女たちの助けになるように。


 アルコルの考え方はチャーリーの胸にすっと収まった。徐々に思春期に近づく悩みの多いチャーリーにとって、同性の年上がいるこの研究室は意外と居心地が良い。同僚の使用人たちは女性ばかりであまり素直に悩みを打ち明けることはできなかったのだ。


 チャーリーはそれが自分の重要な仕事だと意識しながら手際よく残りの空どんぶりも配膳カートに乗せて、『ありがとうございました!』と元気よく三人に頭を下げて部屋を後にした。

 再びカートを押してエレベーターへと向かっている途中、ふとした疑問が湧く。



(ヒイロはセレスお嬢様が好きで、アルコルさんはミザールさんが好きで。……でもアルコルさんは『それぞれの好きな女性』って言ってましたよね)



 自分は聖のことが好き。ナンニーにも世話を焼かれながら少しずつこの恋心を自覚しつつある。だからチャーリーにとって不思議だった。



(僕、聖さんのことが好きだっていう話をアルコルさんにしましたっけ?)



 あの場に聖のことを好きだと思っている者がいないとアルコルの『それぞれの好きな女性』という言葉は成り立たない。



(ううん、きっと天才と称される人たちなら僕の恋心くらい一瞬で見破ったに違いない)



 それはそれで何だか照れくさいな、とチャーリーは鼻をこすった。彼の頭の中にあるのは聖のあでやかな横顔だけである。

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