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第267話 ホワイトミルク・ホワイトオブジェクト

 船全体が祝福ムードの中、二日が経った。


 セレスが気合を入れて物質変換で作った完全抗菌の木製の揺りかご。他にもドアや壁の角などには無数のクッション素材が敷かれていて安全性を極限まで高めた部屋が出来上がっている。

 ベッドではまだティアが横になっていて、揺りかごには赤い顔をほやほやとさせたまま静かに寝息を立てている赤子。ティアの体調自体はもう悪くないのだが出産直後はまだ体が弱っているということで、一人息子と一緒にゆっくり過ごしていた。


 私は赤ちゃんを起こしてしまわないように音を立てずそっと扉を開けて部屋へ入った。こちらに気が付いたティアがたおやかに微笑む。本当は手を振るくらいのことはしたいのだが、現在私は両手いっぱいに段ボール箱を三段も乗せて抱えている。

 中身はティアの着替えや赤ちゃんのオムツ、清潔なタオル、他にも赤ちゃんをあやす玩具や、ティアのためのミネラルウォーターと栄養食の大豆バーなどなどだ。


 抜き足差し足で慎重に歩く。この重たい荷物をなんとか無事にティアのもとへ届けたい。絶対に荷物を落とさないようにしよう。大きな音を立てないようにしよう。そればかり意識していたためだろうか。私は自分が部屋のどのあたりを歩いているのかよく見ていなかった。

 部屋の壁の角に、右足の小指をぶつける。



「んあッッッんんんん!!!」



 柔らかいクッションがある分、指が変な方向に曲がったままグニャリと深く押し潰された。激痛が走り絶叫しそうになるが私はそれをぐっと飲み込む。よかった、赤ちゃんはすやすや眠っている。ティアが私を心配そうに見つめている。心配しなくても大丈夫、すぐに届けるから……。

 しかし私の右足小指は痛みのあまり感覚を失っていた。身体の左右のバランスを崩し、必死に体幹で維持しようとするも無残に転んでしまう。三段まで積まれた段ボール箱が宙を舞う。



(あ、やば……)



 このままでは赤ちゃんを起こしてしまう。私が手をつけず顔から床に激突するのはまだいい。だが赤ちゃんだけは……。

 走馬灯のように一瞬にしてそんな思考が駆け巡る。景色が不思議とスローモーションに見えた。

 赤い両眼が淡く光る。



(時よ止まれ!)



 中身を空中に放り出しながら三つの段ボール箱が宙に浮いている。



「ふげっ」



 私は結局顔面で床に突っ伏したが、幸い既に時間停止状態なのでティアも赤ちゃんも気が付いていない。

 色も音もない世界。空中で固定されている段ボール箱や散らばった荷物を片付けてしっかり詰め直し時間停止解除。


 あっ、と声を上げようとしている瞬間だったティアは何事もなかったかのようにしれっと歩いている私を見てくすりと笑った。能力を使ったのはバレているらしい。少し恥ずかしい。

 ベッドのそばに段ボール箱を置き、私は揺りかごを静かに覗く。頭の毛は生えそろっていない。手足はむちむちで、ほっぺたはむにむにだ。ちびちゃい鼻がすーすーと動いて寝息を立てている。


 ベッドのティアが上体だけ起こして私の隣で一緒に赤ちゃんを眺めている。数分、特に会話をするでもなく二人で無言でただ寝ているだけの赤ちゃんをじっと見ていた。どうして赤ちゃんはこうも私を惹きつけるのだろう。これが母性なのだろうか。私はまだ中学二年生なのだが。


 すると、赤ちゃんが首を左右にふりふりと振った。何事かと思った直後、顔を歪めてびぇぇぇぇぇんと大粒の涙をこぼしながらありったけの声で泣いた。



「お腹が空いたみたいです」



 ティアはすっかり慣れた手つきで赤ちゃんを抱き上げた。マタニティウェアをめくり上げて下着のつけていない乳房をあらわにし赤ちゃんの顔を近づける。赤ちゃんはティアの薄桃色のそれに力強く吸い付いた。嚥下を繰り返す。さっきまで大泣きしていたのが嘘のように笑顔になり、ティアの腕の中で幸せそうに抱かれている。


 乳を与えながら赤ちゃんを見下ろすティアの表情は本当に聖母のようで、私とたった五つしか年齢はかわらないのに包み込まれるような安心感がある。

 そのとき、私は無意識に涙を流していた。ツーと頬を伝い床に何滴も水染みを作ってしまう。



「聖ちゃんどうしたんですか!?」



 そう言われてやっと自分の異変に気が付いた。どうして涙が止まらないのだろう。袖で拭っても拭っても収まらない。

 ティアの幸せが自分のことのように嬉しい。それもある。だが、きっと、そう。私は母のことを思い出していた。赤ちゃんを優しく見つめるティアの表情に、メイオールから私を庇って私に逃げろと伝えたあの日の母を重ね合わせてしまっていたのだ。


 親が子を想う気持ちは私にはわからない。私は親になった経験がない。

 でもずっと私は母に想われてきた。最後の最後まで最期まで、愛されて、守られて、想ってもらえた。ティアの大人びた顔が私にそのことを思い出させてしまう。



「な、なんでもない。すまんのう、眼にゴミが入ったようじゃ。妾は、妾は……」



 そのとき、額に温かくて柔らかいものが触れた。不思議と落ち着くその感触の正体はティアだ。ティアが軽く当てるように私の額にキスをしたのだ。



「聖ちゃんも私にとって家族なんです。強がらなくていいんですよ」



 赤ちゃんに向けたのと同じ優しい笑顔でティアは私にそう言った。顔立ちも年齢も私の母とは全然違うのに、その穏和な表情はやはり私の胸を同じように包み込んだ気がした。



〇△〇△〇



 二カ月。その白い塊が宇宙空間を漂い続けている期間を人間の暦に直したものだ。

 他のメイオール、つまり黒い雑兵は巨大なポッドに大量に詰め込まれるが、その白い存在はたった一人だった。ゆえにポッドも小型だった。


 肉体はぶよぶよと安定しないが、意識だけは明瞭だ。地球周回軌道と大気圏突入予定時刻、さらには予定落下地までもがホログラムディスプレイとなって宙に表示されていく。

 白い塊の意識はわずかにデータの修正を行った。熱量探知によって黒いメイオールが著しく数を減らしていることを認識。その減った分布を道筋として表示。地球表面上においてどのように黒いメイオールが殺害されのかをホログラムディスプレイに反映させていく。


 メイオール減少の道順はそれを行った下手人の移動経路に対応するはずである。すなわち、()()に自分が排除すべき抵抗勢力が存在している。


 白い塊は後方の同類にも反映済みの新しいデータを送信した。彼らが目指す地はとある大陸。地球に住まう人間たちが南米と呼ぶ地域である。

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