第265話 マイアミで食べるフレンチ
イギリスを出発してはや一カ月も経った。現在私たちはカリブ海にいる。
当初は大西洋を北東から南西へと斜めに突っ切る最短ルートの予定だったが、海流に逆らいながら海を横断するのは危険と判断したため航路変更。一度北米へ西進してから安全に沿岸部を南下する遠回りのルートを選んだためだ。
その間にあった変化と言えば、セレスの使用人たちだろうか。頭脳労働を担当するカナタたちやメイオールとの戦闘を担当する私たちと違って、彼女たちには特に仕事がない。
だが、海上の船という閉鎖空間において役割なく留まり続けるのは心理的な負担になる。そこで私が彼女たちに依頼したことが二つ。一つ目は妊婦であるティアの補助だ。歩くときに付き添ったり急な体調の変化に対処したりする。お腹の中の子供の父親が亡き主シリウスだと伝えたこともあって、使用人たちはティアを手助けしようとそれはもう一生懸命になってくれている。
そして二つ目は。
「さあ聖さん、昼食ができましたよ。今日はバターナッツカボチャのスープとロブスターのボロネーゼです」
エプロンを着たチャーリーが配膳してくれたのはパセリのまぶしてある鮮やかな黄色のスープ、それから身がいっぱいに詰まった巨大なロブスターの足が二本添えられたパスタだ。ロブスターの生臭さがキツくならないようにオリーブオイルやワインをふんだんにかけていて、挽肉だけでなく玉ねぎやセロリなど香りの強い具材が多くなっている。
「クックックッ、神仏が住まう国の割烹か。良い香りじゃ」
ナプキンを二つに折り膝に敷きながら私はすんすんと鼻をひくつかせた。
私がセレスの使用人たちに与えたもう一つの役割は調理だ。これまでセレスの能力によって物質を変換し料理も作ってきたが、毎食人数分それをしてもらうのは手間。事前に大量の食材を物質変換で用意してもらって貯蔵しおき、後から調理した方が効率が良い。
それに料理なら彼女たちも存分に腕を振るえるということでセレスも大賛成をしてくれた。
「神仏が住まう国……?」
フォークとスプーン、それからワイングラスに注がれた飲料水をテーブルに置きながらチャーリーはキョトンとした顔で尋ねた。
「妾の祖国ではフランスを仏国、すなわち仏の国と書くんじゃ。まあ漢字自体に深い意味はなく、音に合わせたただの当て字に過ぎんがのう」
「そうなんですね……。僕、もっと聖さんの国のことたくさん知りたいです。もっと、もっともっと!」
紅潮した顔でチャーリーが興奮した様子でそう言った。私としては外国の出身者に母国への興味をもってもらえるのは嬉しいのだが、ちょっとだけ不思議だ。そんなに日本好きだったのだろうか。
するとナンニーが厨房から出てきた。皺だらけの顔をもっとしわくちゃにして豪快に笑い、チャーリーの背中をばちんと叩く。
「あんたが知りたいのは日本のことじゃあなくて聖さんのことだろう?」
「なっ……そ、そんなんじゃありませんよ! 僕は本当に日本のことが知りたくて」
「はいはいわかったよ。ああ、そういえば聖さんや。この子ね、今日こそは手作りの料理を聖さんに振る舞うんだーって息巻いとったんですよ? 他の人の料理は私に担当させてるクセにねぇ。生意気だけど、味は厨房に立って六十年のこの私がしっかり保証しますともさ」
「そうだったか。チャーリー、妾のために腕を振るってくれて感謝するぞ」
微笑みながら感謝を伝えるとチャーリーはただでさえ赤かった顔をさらにリンゴのように真っ赤にし、あたふたもじもじと落ち着きない素振りをしたかと思えば『ど、どういたしまして!』と上ずった声を上げて走り去ってしまった。
せっかくならば冷める前にいただこうとスープをスプーンで掬い、そのときにはナンニーも厨房へと戻ってしまっていた。
「それにしても聖さんは罪な女だねぇ。艶やかな黒いロングヘアにぱっちりと大きな赤眼。透き通るような肌やどこか陰のあるミステリアスな表情。自分が美人であることは自覚しているようだけど、男を狂わせてしまうという自覚がない。ありゃ末恐ろしい女傑になるよ」
ナンニーの呟きは洗い物の音に掻き消され、誰にも聞かれることはないのだった。
〇△〇△〇
カリブ海にほど近いアメリカ南部のリゾート大都市、マイアミ。海岸沿いに作られたタワーホテル群は倒壊し、瓦礫には大勢の人間たちの血液が乾いて赤黒く付着している。ニューヨークやワシントンDCはシリウスとセレスが飛来初日にメイオールを殺し尽くしたためある程度の生存者が見込まれるが、はるか南部のマイアミにはまだまだ多くのメイオールが残っていた。
メイオールの一人が瓦礫の山を宙に浮かべた。ひとつひとつが人間の頭ほどの大きさがあり折れた鉄筋が棘のように張り出ている。それが何十、何百と浮遊している。
「典型的なサイコキネシスね。変な能力を持ってるメイオールもいるにはいるけど、割合的にサイコキネシスが多い気がしない?」
「言われてみればたしかに」
ミザールの言葉に、彼女と背中合わせのセレスが頷いた。サイコキネシスのメイオールだけでなく他にざっと千人ほどのメイオールがマイアミの海岸一帯に巣くっていたのだ。
サイコキネシスのメイオールが尾をぶんと振ると、それを合図に浮遊していた瓦礫が弾丸のように射出される。
「私にはそれは止まって見えるけれど?」
ミザールの青い両眼が淡く光り、大量の瓦礫は引っ張られるように急に進路変更をして地面に垂直落下した。
さらにミザールは掌をそのメイオールに向け、拳をぎゅっと握る。それをグググと捩じると、遠く離れたところにいるメイオールは頭を地面に叩きつけ、両手両足も沈み込み、続いて這い蹲るように身体全体をべったりと地面につけた。
「やるじゃん」
セレスは笑いながら呟くとしゃがんで地面に両手を当てる。彼女もまた青い両眼に淡い光を灯らせた。アスファルトを物質変換し、先端に行くにつれて太くなる金属の棍棒を生成した。それを片手で持ちメイオールの群れの中へと単身駆けていく。
メイオールの一人が能力を発動した。カタカタと歯を鳴らしながら口から濃紫色の煙を吐き出す。それがただの色付きの煙なのか毒ガスなのかセレスにはわからない。でも、関係ない。
「たぁぁりゃぁッ!」
棍棒をぶんと振って一回転すると突風が巻き起こりガスを吹き飛ばす。その隙を狙うように別のメイオールが能力を発動。たちまち空に小さな暗雲が生じて一筋の雷が落下した。
セレスは咄嗟に手に持っていた棍棒を物質変換。銅でできた細長い棒に変化させ宙に放り投げる。雷は避雷針となった棒に吸収され、そのまま地面へと流れていった。セレスはすぐに地面のアスファルトを物質変換して棍棒を作り直し、大群へと駆け抜けていく。
その進路を遮るように氷の球や土の球、炎の球が数人のメイオールから発射されたが、全て棍棒で打ち返す。立ち止まらず群れの中に飛び込んだセレスはツーサイドアップの金髪を振り乱しながらジャンプし棍棒で近場のメイオールの脳天を殴打した。
「核兵器の熱波やアサルトライフルの貫通力にも耐えて、その上放射線耐性まである。でも、生物である限り潰れたら死ぬ!」
ミザールが重力を増やして圧し潰しているのを参考にしたセレスの作戦。それは巨大な棍棒でただ殴ること。ただし普通の棍棒ではない。
「アタシが手にしているのは世界で最も密度が高い物質、オスミウムでできた棍棒! アンタらなんて即スクラップにできる!」
原子番号七六、オスミウム。一辺が一メートルの箱に詰め込んだら、その重さはなんと二十二トンにも到達する。セレスが手にしている棍棒はそれよりは小さいが、ざっと十トンはあるだろう。それを能力者化して人間離れした膂力で振り回す。
助走をつけ、加速をさせ、自然重力にも手伝ってもらう。その結果。
べちゃごん。メイオールの頭は陥没し、首の筋肉はセレスの振るった棍棒の重さに耐え切れず頭はそのまま地面へと押し付けられる。そして潰れる。
メイオールはたしかに熱にも衝撃波にも放射線にも強い。だが鈍器で殴って殺せるし、頭を引っ張って首をねじ切ることはできる。
その後もセレスは獅子奮迅の活躍を見せ、返り血で身を汚しながらメイオールを数十人、数百人と殺していく。
「うわぁ……セレスって野蛮な戦い方もするのね。ちょっと意外かも」
ミザールも呑気にそんな言葉をこぼすが、彼女は彼女で重力をかけ別方面にいたメイオールたちを何人もまとめて圧死させている。身体がひしゃげて外殻が潰れ砕けるほどの重力を身体全体にかける。意識を残したまま抵抗できずに潰れて死ぬというのはある意味で鈍器で殴るセレスの戦法よりも残酷なのかもしれない。
そうした調子で二人でざっと千人以上のメイオールを殺し尽くした。もっと内陸へ歩いて行けばメイオールを見つけられるかもしれないが、そろそろ昼休憩中の聖と交代するため船へ戻ろうということになった。
まさにそうして二人で船へ向かって歩き出そうとしたとき。セレスがポケットに入れていたトランシーバーからザザザ……ザザザ……とノイズが流れた。通信が入った証拠だ。
セレスが取り出したトランシーバーをミザールと二人で耳を澄まして聞く。声の主はやはり聖。
『二人ともまだ戦っておるのなら戻ってきてくれんか! ティアに陣痛がきたようじゃ!』
顔を見合わせたセレスとミザールはメイオールと戦ったとき以上の勢いでダッシュし船へと帰投した。