第263話 半地下の使用人
ジブラルタル海峡から丸二日かけて大西洋側に回り、ヨーロッパの西海岸に沿ってフランスに上陸。パリを中心に陸路でメイオールの殲滅を行うのにさらに二日。さらにイギリスとフランスの間にあるドーバー海峡を抜け、北海に入りイギリスの島東部を北上するのに丸一日。かくして五日をかけ、私たちはイギリスに到着した。
イギリスの中でも主となるイングランドではなく北部スコットランドの中心地、エディンバラ。フォース湾という入り組んだ沿岸の港に船を停泊させ私たちアステリズム七名は揃って上陸した。
単にその地域のメイオールを倒すだけなら能力者だけが行けばよいのだが、ドバイのときと同じで奥に何らかの目的地がある場合は全員で移動した方が安全だし、カナタたち天才の頭脳を活用することができる。
「へぇ、イギリスなのに首都のロンドンじゃなくてエディンバラに実家あるんだ」
港から屋敷に向かう道中、蔓延るメイオールを二十人まとめて重力でひれ伏させながらミザールが呟いた。その点は私も同意見だ。ロンドン橋とか、時計塔とか、博物館とか、名探偵が住んだと言われるベーカー街とか、イギリスといえばロンドンのイメージが強い。
地面に手をつけ土を鋼鉄の青槍に物質変換させたセレスはメイオールの大群に向かって槍を力任せに投擲しながら答えた。
「メイオールがエネルギー探知を利用して落下場所を選ぶんじゃないかっていうのは兄貴もアタシもティアたちから予測を聞いてたからね。去年、最低限の利便性を確保しつつできるだけ人口が少なくてエネルギー消費の少ない街に屋敷ごと越したんだ」
「エネルギー探知……たしかカルダシェフスケールだっけ。その星の文明がどれだけ高度かのレベルをエネルギー消費から割り出し分類するっていう。アルコルから聞かされたけど忘れちゃった」
付け加えるように『どうせメイオールを殺しまくるのには変わりないし』とあっけらかんと言い放つミザールにアルコルは苦笑いを浮かべる。
あれ、能力者組はシリウスがいなくなってもしかして全員脳筋になった……? さっきからとりあえず見かけたメイオールを殺しまくっているセレスとミザール。たしかに頭脳労働や作戦立案はカナタたちの担当かもしれないが、とはいえせめてリーダーの私だけはシリウスのように理知的に振舞わなければ……と無駄に気が引き締まってしまった。
イギリスはムーアという湿原が多い国なので土地も柔らかい。舗装された道も多くはなく、曇天の下、柔らかい地面を私たちは歩いて進む。ただし妊婦のティアがいるのでペースはゆっくりだ。ティアには負担を強いてしまうが無防備な船に一人残しておく方がリスキーである。それは彼女も理解してくれていた。
あちらこちらにエディンバラの住人の遺体が転がっており、建物は碌に残されていない。ネズミやウジが湧き、刺激臭で鼻がひん曲がりそうになる。屋敷へと歩いているとそんな光景ばかり続いてついつい会話が途絶えて静かになってしまう。
「むごいのう。この世界に妾たちが救うべき生き残りは本当におるのかのう……」
「一九九九年時点での世界の総人口はおよそ六十億人。メイオール一人が人間を百人殺すとして、メイオールは六千万人送り込まれないといけない。……っていうのは単純計算だ」
カナタが悲痛な面持ちで続ける。
「聖ちゃんが救った東京エリアはまだマシさ。あの場のメイオールは殲滅したからね。他にもニューヨークやラゴスはいち早く対応した。でも他の僕たちアステリズムが足を運びきれなかった地域は、ピンピンしたメイオールたちが際限なく殺戮を続ける。それは一人で百人を殺す、なんて次元じゃあない。もっと大量に。正直、ミザールちゃんがラゴスで食い止めたおかげでアフリカ全土は比較的人口が残っているけれど他は……。無事なのはアジアの内陸、中南米の一部地域、アメリカ東海岸、その他小規模な島国。メイオールの性能と分布もふまえて統計的に考えると世界人口はとっくに十億人をきっているだろう。経済規模だけで言えば十八世紀頃の産業革命以前に逆戻りってところかな」
「なるほどのう……。おぬしたちがポッドを調査研究しておるのは乗っているメイオールの人数を割り出し、万が一追加でメイオールが放たれた場合人類の総人口が絶滅するタイムリミットを測る意味合いもあるということか」
「どうだいアルコルくん。聖ちゃんはどこかの誰かさんと違って知的だろう?」
「な……ミザールのせいで俺の面子が潰れるなんて」
わざとらしくショックを受けるふりをするアルコル。なんとなく落ち込んだ空気感だったがカナタとアルコルが努めて明るく振る舞ってくれたため少しは私たちの間に流れる雰囲気も明るく軽くなった。
そうしてさらに歩くこと数十分、先導するセレスがぴたりと足を止めた。屋敷の残骸、と思しき更地。火炎系の能力を使うメイオールでもいたのか黒く焼け焦げている。
「ここ。ボロボロになってわかりにくいけど、ここだと思う」
近くには森があり、自然に囲まれた落ち着きのある立地だ。セレスは屋敷の灰を払いのけもぞもぞとあたりをまさぐった。すると、一メートル四方ほどの真四角な金属が姿を現す。取っ手がついており手前に引くことができる。これが地下への扉なのだろう。
「よかった。メイオールの連中、気が付かなかったんだ」
セレスが取っ手を掴んで地下への扉を開く。土がパラパラと地下へと落ちる。薄暗く階段が続いている。まずセレスが階段を降りていき、私たちはその後ろに続く。
暗くじめじめとした石階段だった。滑らないように私とミザールでティアを両側から支えながら慎重に降りていく。万が一のときはミザールがティアの重力だけ軽減させて床にぶつからないようにはしてくれるだろうが。いや、私が時間を止める方が早いか。
出入口からはわずかに陽が差し込む。曇り空なのでそこまで明るいわけではないが、薄暗い地下ではグレーの分厚い雲も真四角に切り抜かれた白い景色として遠く手を伸ばしたくなる。
しばらくすると、地下の底からオレンジ色の明かりが漏れ出ているのが見えた。木の扉の隙間からは甘い良い香りの湯気が漂ってくる。楽しそうに話す複数人の声もする。
セレスがドンドン! と扉を拳で叩いた。話し声がぴたりと止む。私たちをメイオールかもしれないと思っているのだろう。
「みんな、アタシだよ。セレス。セレスティン・ネバードーン!」
重苦しい木扉が押し出され、錆びた蝶番がギィーと不協和音を鳴らす。少しだけ開かれた扉の隙間から顔を覗かせる者がいた。
「セレスお嬢様……? セレスお嬢様! みんな、お嬢様がお迎えにいらっしゃったよ!」
それは少年だった。ちらりと外を確認し声の主がセレスだとわかると部屋の中に伝え、わっと沸き立つように歓声のようなものが聞こえる。彼は扉を大きく開けてセレスに向けて頭を下げ、私たちを招き入れた。
「ありがとうチャーリー。みんなも元気そうで良かった」
「お嬢様もご壮健で何よりです。さぁどうぞ、ここは安全ですから。ちょうど食事時だったんです。皆さんも」
十歳になったばかりくらいだろうか。天然パーマのくすんだ金髪にそばかすまじりの幼顔。くたびれたグレーのハンチング帽子をかぶっている。私よりも幾分か年下に見えるその少年は私たちへの気遣いも見せるほどしっかりしている。
地下室と聞いたときは地下牢のようなものを想像していたが、実際はかなり広く快適な様子だ。天井が少々低いことを除けば大きな食堂の一室といった印象である。四十畳ほどはあるだろう。
床にはタイルが敷かれているし壁や天井も花柄の明るい黄色と水色の壁紙で覆われている。ガスや電気は通っていないのだろうが部屋の奥には竈がある。その横には薪が束になって積まれていて火には困ってなさそうだ。水源はどこかにあるのだろうか。
中心にある長テーブルにはシチューの入った大鍋が置かれている。チャーリーと呼ばれた少年以外に十人ほどの女性の召使もおり、席から立ち、並んでセレスにこうべを垂れる。その中の一人、背の低い老婆の召使がまず頭を上げ、今にも泣きだしそうな顔でセレスを見つめてしわがれた声で言った。
「お嬢様、ご無事で何よりです」
「ありがとうナンニー。みんなも顔を上げて。食事中だったんでしょう?」
「ああ、セレスお嬢様、再会できて本当に嬉しゅうございます。ですが、できたてのシチューを捨ててしまうのはいささかもったいない。ここから出る前によろしければ皆さんに振る舞わせてくださいな」
皺だらけの顔をくしゃっと潰すように笑ったナンニーの提案を受け、セレスはどうしようかと私の方を見遣った。目的を達するだけなら彼女たちを地上に連れて行き船に乗せればいいだけなのだが、せっかく良い香りを漂わせる温かい料理をいただけると言うのならその気持ちを無下にするわけにもいかない。
私が頷くとセレスはパッと顔を明るくしナンニーに食べさせてもらう旨を伝えるのだった。