第257話 めでたしにはまだ早い
「最後の五試合目。私と高宮薫の対決はドラゴンが乱入してきて中断になったわ。あれが無効試合だって言うのなら二勝一分け一敗で私たちの勝ち越しね。……でも、当事者だからこそわかってしまうの。もしもあのまま続けていたら間違いなく私は高宮薫に敗れていたと」
スピカの視線の先では砂浜にシートが敷かれ丸々実ったスイカが置かれている。ふんどし姿の秀秋は目隠しをして木刀を振っているが、スイカには見向きもせず狙っているのは高宮薫だ。薫も同じように木刀を持ち、ふんどし姿で、胸にはさらしを巻いている。
スイカ割もそこそこに秀秋は視力を封じた状態で薫と手合わせをしたいと申し込んだのだ。彼の能力は視力以外の五感も強化する。聴力で相手の心音を聞くことで攻撃のタイミングを図ったり、空気の流れを肌で感じることで相手の動きを察知したりといった具合に。
秀秋が鋭く連続上段斬りを試みるも、その悉くを薫は片手で弾き返した。砂浜で土煙を巻き起こしながらチャンバラを続ける二人をよそにベティがスイカを遠ざけ、ラピスに目隠しをし小さな棒きれを持たせた。
「ベティ、私たちの絆があればスイカ割なんて余裕よ!」
「もちろんですお嬢様! あ、もう少し左に……行きすぎです、そっちじゃなくて、あ、ちょっとラピスお嬢様ぁぁぁ」
ラピスはスイカとは反対に向いてしまい何もない砂浜に思い切り腕を振り下ろす。わずかな静止の後、振動が腕に伝わったようでラピスの目隠しがじわりと濡れた。
「……ベティ……いたい……」
「だ、大丈夫ですお嬢様! ラピスお嬢様の優れた見識をもってすればスイカの攻略など朝飯前にございます!!」
シアンは娘のスイカ割を眺めながらスピカの言葉に耳を傾けていた。
今度もラピスは見当はずれの場所に棒を振り下ろそうとしたが、ベティの紫色の両眼が淡く光り、手から糸を出してスイカを引っ張って棒の軌道上に滑り込ませた。見事にラピスの棒はスイカに命中する。ザクッ、バカッと瑞々しい音が鳴り、唐紅色の果肉が姿を現す。さっぱりとした甘い香りが浜辺に漂う。
「そうかもしれないわね。客観的に見て、最初はあなたが優勢だったけれど途中からは高宮薫が圧倒していたわ」
「……違う。最初から優勢だったわけじゃない。彼女、手を抜いていたのよ」
セバスから薫へ指示が与えられていたことをスピカは知らない。だが、実際に立ち会うことで皮膚感覚で実感してしまっていた。自分は遊ばれていると。
「その後も。アカツキを水竜の背に乗せてラピスのドラゴンとまみえたときだって私は何もできなかった。その後あなたに引っ張られて地上に降りるときも、結局アカツキ一人を危険に晒して私はただ見ているだけだった。……はっきり言って、今回一番の役立たずは私よ」
俯くスピカの横顔に白銀の髪がかかり影を差す。シアンがクーラーボックスからビンを一本取り出しスピカの頬へ当てた。
「ひゃっ!?」
ひんやり冷えていて表面には水滴が張っている。突然のことに驚いて変な声を上げたスピカはむっとした表情をしながらもビンを受け取った。シアンも自分の分を取り出す。キャップを開けるとぷしゅっと空気の弾ける音がした。中身はサイダーだ。
「だったらもっと強くなりなさい。黄昏暁に置いて行かれないようにね」
「……無理よ。能力が後天的に変化することはないもの」
「ええ、そうね。変化はしないのかもしれない。でも現時点の能力が全貌とは限らない」
「どういうこと?」
「私はラピスに能力の覚醒をしてほしかった。私がそうであったように大病を克服する能力が得られる可能性があったから。能力に関する研究資料はかなり集めたわ。グリーナーをはじめ、それはもうたくさん。それで少しだけ疑問に思ったことがいくつかあるの」
ベティの能力を用いて糸を糸ノコギリのように使いスイカを切り分け、ラピスがそれを薫たちやナツキたちなど遊んでいるグループにそれぞれ運んでいる。皆、礼を言いラピスの頭を撫でてやっていた。
「ひとつ。能力の詳細はいかにして確かめるのか? という点。さっきラピスが言っていたわ。帰納法は現実的には限界があると。私たちは能力に目覚めると、ある程度何ができるのかは直観的に理解できる。それに実際に使ってみて、どんな能力なのかを理解する。でもそれは帰納的な結果よ。現に私は単に光の陰影を操る程度の能力だと自分では思っていたけれど、実際には影という概念そのものを操る能力だった。影の触手を出せるようになったのは能力に覚醒してからしばらくのことだったわ」
ラピスがスイカをふたきれ持ってこちらのパラソルにとことこ歩いてやって来た。
「お母さま、どうぞ」
「皆に運んで偉いわね」
「えへへ。はい、スピカお姉さまもどうぞ」
「あ、ありがとう」
三角形のスイカの先端を小さく齧ると甘い清香が口いっぱいに広がり果肉は舌の上で踊るように溶けていった。スピカはつい『おいしい……』と言葉を漏らしてしまう。
「さぁお嬢様、あちらへ行きましょう。さきほどピンク色のクラゲがおりましたよ」
「ピンクのクラーケン!」
シアンが目配せをするとベティは主の意を汲み取りラピスを連れて海の方へと手を繋いで歩いて行った。
スピカは顰笑を浮かべて言った。
「お姉さま、か。血縁的には叔母にあたるのにね。ラピスは良い子だわ」
「十ほどしか離れていないのだから充分にお姉ちゃんでしょう。それで、ふたつめ。まさにそう。私たちネバードーンに血筋について」
「それがどうかしたの?」
「妙だとは思わない? 能力は遺伝しない。誰だって能力は覚醒し得るし、逆に能力者の両親を持っていても子供が能力者とは限らない。現に京都の平安京がそうよね。二十八宿は仮初の義親子関係を結んでいるし、能力者の子供は無能力者であっても街に残って一般的な業務に従事している。旅館をやったり料理人をしたりね。……でもブラッケスト・ネバードーンの子供はタイミングの差こそあれ全員が能力者となっている。それも等級が高い場合が多い。偶然や環境要因だと言えばそれまでなのかもしれないけれど、統計的に見ても不自然さは有意よ」
「……つまり二つを総合すると、私の能力はまだ全貌が明らかになっておらず、なおかつ能力の由来は特別である可能性が高い。よって何か秘められた力がまだあるかもしれない、そういうこと?」
「あくまで蓋然性の話よ。普通、あなたの能力は『水を操る能力』だと思うはずよね。水か、或いは液体全般。後から気体を操れることも知って自分は『流体を操る能力』だと判断した。違う?」
「違わないわ」
「そう。やっぱりね。だったらもっとその先よ。あなたが液体ではなく流体を操る能力だったように、私が陰ではなく影を操る能力だったように、流体ですらない何かを司っていることは確率的に充分にあり得ることでしょう?」
「楽観的な観測ね」
「いずれにしても、気体を操ることに不自由しているなら能力に特化した特訓をするのは必須なのではなくて?」
「それは、まあたしかに……」
「姉として私がアドバイスできるのはこんなところよ。悩むのも落ち込むの構わないけれど、だからって諦めることは許されないわ。諦めずにあらゆる可能性を試し尽くす。その結果として一番大好きな人とすれ違うことになってもね」
最後はシアン自身とラピスのことを言っているのだろう。シアン本人もちょっとしたジョークのつもりだったのか、微笑を浮かべている。スピカはこの数日間で初めてシアンが心から笑っているところを見たのでつい呆気に取られた。
「ほら、行ってきなさいな。一番大好きな人のところへね」
シアンは視線をナツキたちへと向ける。簡易的な二本のポールにネットを張りビーチバレーをしているようだ。
スピカはパーカーのジッパーを下げ、深紫色の水着をあらわにした。美咲やエカチェリーナにも負けないほど胸は大きく、二つの果実が作る深い谷間は互いに押し合い水着の紐を今にも千切ろうとしている。
「あら色っぽい。黄昏暁もいちころね」
冗談めかしてシアンが言うと、顔を真っ赤にしたスピカはさっさと立ち上がりシアンに背を向けた。その背中に向かってシアンはさらに茶化すように声をかける。
「ああ、もう一つ。姉としてのアドバイスよ。子育てはかなりハードだから、もっと心身ともに落ち着けるようになるまではちゃんと避妊しなさい」
「なっ……ばかっ!」
茹で上がるほど顔を真っ赤にしたスピカは振り返って上ずった声で怒鳴ると走り去ってしまった。だがその顔はナツキとの家庭生活を想像して緩み切っている。
「ほら、ちゃんと笑えるじゃない」
誰に言うでもなくシアンは莞爾と笑い呟いた。暑い日差しの下、スイカの馥郁とした香りを乗せて涼しい潮風が通り過ぎていく。ガジガジと氷を削る音がする方へ目を向けると最愛の娘がかき氷機を回している。広げた折り畳みテーブルの上には赤青黄緑とカラフルなシロップのボトルがところせましと並んでいる。クラゲは早々に飽きたのだろうか。
「ラピス、ベティ、私も手伝うわ!」
シアンも立ち上がると手を振りながら大好きな者たちに混ざっていった。
ビーチバレーのコートではナツキのチームにスピカが加わった。ナツキ・スピカチーム対エカチェリーナ・美咲チームだ。
エカチェリーナが持ち前の身体能力でコートの隅にスパイクを打ち込み誰もが取れないと諦めるなか、スピカは海水を操ってボールを下から擦り上げ、力技で間に合わせるとダイビングヘッドをしてボールを弾き返した。
「あ、ズルい!」
怒った美咲は自分も能力を使っていいのなら、とボールを打ち返す瞬間に手とボールがぶつかる音を増幅させようとしたが、力加減を間違えてボールをパンッ! と割ってしまった。その場でへたりこみ『ごめんなひゃぁぁぁい』と泣きじゃくる美咲をあやすようにエカチェリーナが『まだ予備のボールがある』とバッグから持ってきた。
ナツキはバレーコートの近くにパラソルを差してぐったりしている犬塚と火織に声をかけた。
「なぁ、少し俺と替わってくれないか」
「おいぼれをこれ以上こき使うんじゃねぇよ」
「あ、私は運動は完全にNGですので……」
犬塚は砂浜に敷いたシートにうつ伏せのまま鈍い銀色の義手をぶんぶん振り、火織は純白のビーチチェアに座って大きなグラスにレモンを添えてストローを差しズズズと飲んでいる。
(ビーチバレーは三人とも胸が揺れるわ水着が取れそうになるわ下は食い込むわで俺の精神がもちそうにないんだが……)
「さあ行くわよ暁!」
三人の水着姿に見惚れていると美咲のレシーブが飛んできて、ナツキは思い切り顔面で受け止める。どへぇ、と聞いたことのない声を上げて倒れると、三人がすぐに心配して駆け寄って来た。一番近くにいたスピカが生の太ももにナツキの頭を乗せ、美咲とエカチェリーナがそれぞれ左右から柔い胸を押し付けるように腕を抱き込む。
「みんなーーかき氷できたよ!」
そこにかき氷を乗せたおぼんを持ったラピスとベティ、それからシアンが訪れた。倒れているナツキの姿にラピスはギョッとし、ベティは『ふ、不健全です!』とラピスに見せまいとしている。シアンだけは全体の光景を見渡し楽しそうに笑う。
シアンの笑い声につられてラピスも母を見上げ、目を合わせて一緒に笑う。怒っていたベティも毒気が抜かれて、なんだかおかしくなり一緒になって笑う。
ウミネコがにゃーにゃ―と鳴いている。最初は気になっていたそんな海鳥の鳴き声も笑い声に包まれたビーチでは掻き消されてしまった。
ラピスは笑いながら光の眩しい太陽を見上げて心の中で言葉を紡ぐ。
──影のお姫様、私もちゃんと幸せになれたよ。今、とっても楽しいよ。
自分なりのハッピーエンド。ううん、違う、とラピスは小さく首を振る。これがスタートなのだ。優しくて温かいこの場所で、自分だけの物語を歩んでいく。めでたしめでたしにはまだ早い。これからもっとたくさんの幸せを大好きな人たちと積み重ねていこう。
ラピスたちの笑い声は果てしない青空と大海にどこまでもどこまでも吸い込まれていき、それは陽が沈むまで続いた。黄昏が楽しい一日の終わりを伝える切ない最後の瞬間まで。
いつも読んでくださり皆さま本当にありがとうございます! 第六章はここで区切りとなります。
筆者はプロットを作ったことがないため分量が当初の予定の倍ほどになってしまいました。非常に長くダレてしまった気もしますが皆さまに読んでいただいてとにかく嬉しいです。
十話分ほどあったはずの書き溜めもすぐに尽き、書いてはその日に投稿するスタイルとなってしまっていました。
次話から次の章の予定なのですが、更新が途切れないように書き溜めはしっかり用意しておく予定です。そのため次話の投稿までは少しだけ期間が空くと思います。ブックマーク等をしてお待ちいただけると幸いです。
長くなりましたが、皆さまに読んでいただき、感想をもらったりブックマークやいいねをしていただいたり、本当に感謝しております。ありがとうございます!