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第256話 ヘンペルのカラス

 エメラルドブルーの水平線を真夏の透き通る日光がキラキラと照らす。観光客もいない。海の家もない。近隣住民もいない。人の手に触れられず足跡すら残されていない砂浜をヤドカリがのそりのそりと歩いている。ザザ―、ザザ―、と一定のリズムを刻むさざ波が押しては返しヤドカリを転ばせた。


 ごつごつとした焦げ茶色の岩場にはフジツボがところどころ固着していて、抜けるように澄んだ青空ではウミネコがにゃーにゃー鳴いている。海底が見えるほど純な海水を色鮮やかな魚が群れを成して進み、遅れてウミガメがゆらりと泳いできた。


 そんなありのままの自然を残したビーチに、複数の人影が現れる。



「ククッ、まさかシアンがプライベートビーチを持っていたとはな。金持ちの考えることはわからん」


「元々はラピスのために土地だけ買い占めていたのよ。人目が付かなくて、なおかつ人工的なものが近くにないという条件でね。ほら、自然療法ってあるでしょう。山で森林浴をするとか、空気の綺麗な田舎に住むとか。少しでもラピスの健康に役立つ可能性のあるものは粗方購入しているわ。まあ結局この海には一度も訪れることはなかったけど」


「お母さま、見て! 鳥なのに猫の鳴き声よ! きっとキメラに違いないわ! たしか黄昏暁の故郷の国には鳥を素材としたキメラがいたわよね!?」


「ああ、(ぬえ)のことか。あれは猫じゃなくてたしか虎だな。鵺の外見については諸説あるから猫のパターンも時代や地域によってはないわけじゃないかもしれないが……っていうかあれはウミネコだ」


「何を言っているのかしら黄昏暁。うちの娘があれはキメラだと言ったのだから今日からあれはキメラよ。ウミネコなんて動物はいないわ」


「ク、ククッ、母娘(おやこ)のすれ違いがなくなったかと思えば随分と親バカを発揮してるな……。そのうちカラスすらも白になりそうだ」


「あ、それってヘンペルのカラスね! 帰納法って現実的には用いる分には便利だけど本当に真理を追究しようと思ったら無茶なのよね」



 ナツキ、シアン、ラピスの三人がザク、ザク、ザクとビーチサンダルで砂浜を踏みしめる。波がくるぶしの高さまで濡らしサンダルの指の隙間を流れていく。

 白いワンピースに麦わら帽子をかぶったラピスは『うわぁー!』としゃがんで興味深そうに海水を触れ、つつき、そして指をぺろりと舐めると顔をしかめた。海水はしょっぱい。本で書かれていたことが真実だと確認できてラピスとしては内心ご満悦だった。



「ラピス、顔に砂が付いてるぞ」


「え? どこどこ」



 ナツキが指摘するとラピスは猫が毛づくろいするように手でごしごしと頬をこすった。瑠璃色の髪がさらさら揺れる。



「違う。そこじゃない」



 黒いパーカーのポケットからハンカチを取り出したナツキはラピスの鼻先に当てて砂を拭き取ってやった。ラピスはされるがままで、少しだけくすぐったかったのか拭き終わった後も鼻をひくひくさせている。


 そして、三人の背後から他に数名が遅れてやって来た。



「オイ、なんで俺がこんな重たいモン運ばにゃならねぇんだ?」


「まったくですよ……ぜぇ、はぁ……、あ、犬塚さんちょっと私の背中を冷やしてもらっていいですか。直射日光が焼けるように熱くて」


「ほらよ、兄ちゃん」



 両肩に大量の荷物の入ったバッグを抱えて歩かされている犬塚と秀秋。二人の前を軽快な足取りで歩くのは女性陣だ。スピカ、美咲、エカチェリーナ、火織、ベティ、薫。

 秀秋たちが持つバッグには海で遊ぶためのビーチボール、浮き輪、パラソル、他にもかき氷機やスイカなどなど、とにかく多岐に渡る。全員いつもの格好とは違ってサンダルにパーカーだ。


 ここはシアンが所有するプライベートビーチ。自由に遊べる海である。



〇△〇△〇



 パーカーを脱ぐと、下は水着。ナツキは黒いボクサーパンツタイプの水着で首にはゴーグルをひっかけている。ミラータイプのレンズになっていて表面が陽射しを反射する。



「ククッ、一時期ゴーグルを額につけて学校に通ったこともあったな。いつデジタルなモンスターが住まう世界に召喚されるかわからない以上はゴーグルは必須」



 太陽に向かって伸びをしたり膝の屈伸をしたりしながらそんなことを呟くナツキ。口ではわけのわからないことをのたまっていても海に入る前にきちんと準備運動をするあたりは、幼少期から夕華に厳しく言われてきた育ちの良さが出てしまっている。

 そのナツキを呼ぶ声があった。



「暁、ど、どうだろうか……私の水着は」


「ん? おお……カチューシャは軍人だけあって身体が引き締まっているな。それに白い水着はロシアの豪雪を思い出す。綺麗だ」



 上は健康的な純白のビキニ、下はジーンズのホットパンツ。ホットパンツのボタンは外されていて中に履いている水着がチラチラと見え隠れしており、エカチェリーナに自覚はないが無意識にナツキの劣情を煽ってしまっている。

 身体に余分な贅肉は一切ないというのに胸はいつにも増して大きく見える。辛うじて先端を布が覆っているが少し押したら今にもこぼれそうだ。エカチェリーナはナツキに綺麗と言われたのがよほど嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべ、そして切り揃えられた金髪を指でいじりながら照れるように言った。



「そ、そうか! ふう……よかった。緊張していたんだ。我が国には人が泳げるほど温かい海はないからな。人生で初めての水着で、似合っていると言われるかどうか……ふふっ、だが、そうか、綺麗か。暁、これからも私の初めてをもっとたくさんもらってくれ!」


「ちょ、ちょっと! それどういう意味! 暁を誑かさないでよ!」



 笑顔の花を咲かせながら際どい発言をするエカチェリーナの背後から美咲が喚く。タッ、タッ、タッ、と砂浜を走って来た美咲はナツキの正面に立つと上半身をかがめ、胸を強調するポーズを取りながらウインクをして言った。



「クスクス、さあ暁。私に悩殺されちゃいなさい!」


「……ええっと」



 ナツキは応答に困る。黒いビキニは美咲にとてもよく似合っている。鮮やかな赤い髪は黒いビキニと相性抜群だ。ナツキは多少攻撃力が低くとも青い眼をした白い龍より赤い眼をした黒い龍が好きなタイプだったので赤と黒という色の組み合わせに弱い。そういう意味で美咲の水着姿に魅了されている。

 さすがはアイドルだけあって自分がどう見られているのかを理解していて、ポージングも素晴らしい。

 ただ、あまりに胸が大きく……。



「な、なによ」


「いや、その、大人っぽすぎて目のやり場に困るというか……」


「そう、そういうことなのね。つまりあんたは私の大人な色香に悩殺されちゃったってこと!」



 嬉しそうに胸を張る美咲。そのたびにぶるるんとたわわに実った果実が揺れ、ナツキは目を逸らす。エカチェリーナが苦笑いをしながら『本当にまだ中学生なのか……?』と呟くのもさもありなんだ。



「いやいや、黄昏暁。所詮は彼女も子供ですよ。本物の大人の身体を味わってみたくはないかい?」


「なっ!?」



 ナツキを背後から抱き着いたのは、火織だ。耳元に口を近づけて息を吹きかけるように甘く囁く。ナツキは赤面しながら咄嗟に火織を押し退けて、つい尻もちをついてしまう。

 お団子ヘアにしていた黒髪は下ろされていて、前髪は青紫色のメッシュになっている部分でヘアピンで留められている。真っ赤なビキニに、下は同じく真っ赤なパレオ。パレオにあしらわれた緑色の装飾は植物のようで、全体的に南国を思わせるコーディネイトだ。



「ちょっと! 暁から離れなさいよ! ていうかあんなに暁のこと倒そうと躍起になってたのに誘惑するなんてどういうこと!? まさか何か企んで……」


「違う違う。違いますよ。大ハズレです。私は彼との死闘、そう、文字通りの死闘を通して他の皆さんより深く互いを交わし合ったわけで? 最も近くで彼の大きく広い心と触れたのです。ええ、犯罪心理学者的には最も興味深く、そして最も魅力的な精神をしているってことで、まあ私も女としての生物学的欲求がふつふつと湧くのは自然の摂理。当たり前でしょう?」



 ナツキと火織の間に割って入るように美咲が立ちふさがった。美咲はナツキが火織のオトナな水着姿を目にしないように視線を遮ったつもりなのだが、砂浜に座り込んでしまったナツキの視界には美咲の黒ビキニに包まれた尻が至近距離で迫っている。

 その後も美咲と火織は口論をするのだが、テレビのニュース番組で凶悪事件のコメンテーターを務める学者の火織に口で勝てるわけもなく美咲は言いくるめられ続けている。


 美咲が躍起になって火織に言い返すたびにナツキの目の前で柔らかい尻がぷりんと弾む。水着からはみ出る肉が果たして太ももの延長なのか尻肉なのか、どちらなのか……と考えたあたりで、ナツキは噴水のように鼻血を吹き出して後ろに倒れた。幸い地面は砂浜なので後頭部に打撲はない。



「暁!」



 すぐさまエカチェリーナが能力を発動してナツキを治療し、美咲もあたふた慌てている。火織はナツキが熱中症にならないように氷嚢を取りに行った。


 そして、ナツキたちからやや離れたパラソルの下、日陰。まだパーカーを羽織ったままのスピカが体育座りをしてその様子を眺めていた。じっと、静かに。



「隣、いいかしら」


 

 シアンが声をかけるとスピカは視線をわずかに向け、特に何も言わずにまた視線を元に戻した。それを肯定と受け取ったシアンは隣に座る。スピカは騒いでいるナツキたちの方を眺め、シアンはベティと水遊びをしているラピスを眺め、互いに口を開かない。

 すると、ラピスが砂に足を取られた。。『わぷっ!』と不思議な音を立てながら顔から転び、波がゆらゆらとラピスの身体に打ち付ける。ベティがただちに『ラピスお嬢様ぁぁぁぁ!!』と叫びながら起き上がらせに向かい、シアンはその光景を見てくすりと笑った。



「……黄昏暁があのとき私たちに使った能力。あれのおかげで私たちの病気は露と消えたわ。私はもう日光に怯える必要はないし、ラピスだって自由に外出して自然と触れ合える。私たちは親子の間にあったすれ違いを解消して本当の幸福を一緒に手に入れることにしたわ。きちんと面と向かって言葉を交わして、手を取って、抱き締めて。あの子がしたいことは全部してあげるつもりよ。……でも、そんな幸福の景色の中に浮かない顔をした人がいるのは気になってしまう。どうかしたの?」


「……別に」


「そう。そうよね。少し前まで敵だった相手に心の内をさらけ出せっていう方が無茶だったわ。でもねスピカ。いいえ、アルカンシエル。腹違いとはいえあなたは私の妹よ。家族なの。家族を心配するのっておかしなことかしら?」



 視線を泳がせた逡巡の後、スピカは徐に口を開く。

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