第254話 ドラゴンスレイヤー
まず薫と秀秋は二手に分かれた。メインストリートの大通りを挟んで両サイドのビルの屋上や骨組みの鉄骨をパルクールのように駆け抜けていく。空中に浮かんで自らの尾の先を噛み円をかたどっているウロボロスは薫たちの殺気に満ちた気配を感じ取り、また尾から口を離した。
そしてウロボロスは宙に浮遊したまま尻尾を地面に叩きつける。ゴォォォォンッッ!! という大きな衝突音を皮切りに地鳴りや地響きとなって薫たちがいるエリアまで伝播してきた。
最初の熱風によって脆くなっていたビルなどの建造物はウロボロスが起こした人為的な地震に耐え切れずグラグラと揺れて一階から順に潰れて倒壊していく。薫も秀秋も自由落下する建物の破片を足場とし飛び移りながら少しずついウロボロスまでの距離を詰める。
崩れる建物が巻き起こす土煙の中に紛れることでウロボロスに正確な位置を知られないようにした。ウロボロスは再び自らの尾を持ち上げて先端を咥えた。
「自分でボクを送り届けるなんてマヌケだね!」
ウロボロスの顔の目の前に、跳び上がった薫がいる。表情筋のない生物なのでウロボロスの顔に変化はないが、脳の中では間違いなく困惑と驚愕が生じていた。
薫は土煙に紛れてウロボロスの伸びきった尾の先に乗り、尾を持ち上げる動作に合わせて跳んだのだ。シーソーのようなもの。ウロボロスが伸びた状態から尾を咥えた円形に戻るまでのエネルギーが大きければ大きいほどレバレッジが効き薫は高く跳ね上がる。
地上数百メートルを跳ねた薫はウロボロスの顔に着地した。身長より大きい巨大な眼を目の前に薫はニタリと笑う。
「上がって来たのはボクだけじゃないよ」
円の形となっているウロボロス。顔や尾が時計の十二時の位置にあるとしたら、六時の位置が腹となる。その腹の真ん中で秀秋は刀を抜いて肩に担ぎ立ちすくんでいた。
「繊細な剣術は私の方が得意でしょうから適材適所ですね。この鱗を真正面からかち割るのは私たちただの人間では少々分が悪い。でも、鱗の隙間ならどうでしょう」
腕を引く。紫色の両眼が淡い光を宿す。限りなく強化された視力は鱗の一枚一枚のわずかな境界線を適切に捉えていた。
「……千丈の堤も蟻の一穴より崩れる。どうです? 痛いでしょう」
秀秋が放ったのは突きだ。斬撃では到底傷ひとつつけることができないだろうが、突きならばわずかなウィークポイントを逃さず撃ち抜ける。
想定外の激痛に悶えたウロボロスは絶叫とともに尾から口を離してしまう。
「うわ、彼ほんとにボクの動きについてきてウロボロスの身体に乗っかったんだね。かなりやるじゃん。それにしても良い景色だ」
ウロボロスの鼻先に立った薫は遥か下方のウロボロスの腹のあたりにいる秀秋を見下ろした。秀秋の攻撃の痛みでカッと見開いた眼球。薫は高度数百メートルから望むイギリスの光景を味わいながら、琥珀色の巨大な球体に片手間でザックリと刀を突き立てた。
吐息だけで街を焼き尽くした。そんなウロボロスが絶叫をあげると、口からは灼熱が放たれる。薫は手首を返し刀の刃を傾けた。
「刀剣類は刃は細いから圧力が強くかかって対象を斬ることができる。でも側面を振るえば、斬ることはできないけど……」
団扇と同じ要領で風を巻き起こすことができる。
ウロボロスの熱波は薫の一振りによって霧散される。さらに薫はその隙を狙って開かれた暗い口の中に飛び込んだ。
「こういうパワー系の動きはボクの剣術ではないんだけどね」
そう言って、落下の勢いを利用し分厚いウロボロスの舌を両断した。あまり長居するとウロボロスの熱い吐息を至近距離で喰らうことになる。舌を切り落とした薫は舌の断面に立ち、ウロボロスの牙や口腔を踏み台に死ながら二段、三段、四段とジャンプし、すぐに口の中から脱出した。
身体、目、舌と立て続けに日本刀で斬られたウロボロスは経験したことのない痛みのために身体をよじらせ空中に浮いたままじたばたと暴れた。
顔に乗る薫という小さな侵入者を追い払いたいが、ウロボロス自身と比較して小さすぎるために攻撃の手段がない。顔から振り落とそうと空をのたうち回ることしかできない。
「おっと」
ウロボロスの鼻先という不安定な足場にいた薫は、多少の揺さぶりなら持ち前のバランス感覚で耐えられる。だが空中で顔を一八〇度もひっくり返されてしまっては重力に従って落下してしまう。さしもの薫も自然の摂理に抗えるほどではない。
地上数百メートルに放り出された薫は焦ることなく空中で刀を抜いた。ウロボロスは円環を描く都合で尾が顔の高さまで上がってきている。必然的に秀秋が立っている身体の中間の腹部分が底となり、下半身は上半身と線対称になっており位置は高い。
薫は尾から数メートルほど下の胴体に刀の先端を突き刺した。秀秋と同じように鱗の隙間を縫ったのだ。秀秋と同じことを秀秋の能力なしで再現してみせたのは天性の才である。
刺さった刀は抜けず、かと言ってウロボロスを切り裂くこともない。突き刺さったままだ。薫はサーカスのブランコや体操競技の鉄棒のように両手で刀の柄を掴み、落下の勢いを利用して半回転した。そして刀を引っこ抜きながら上へと跳ね上がる。
尾の先端に着地した薫。ウロボロスはこれを好機と見た。ウロボロスとは尾を食んでいる形状のドラゴンだ。このまま薫ごと口に含み、そして彼女を胃袋へと振り落とすことは容易い。
薫は迫り来るウロボロスの深い暗闇のような口に対して臆せず恐れず、ただ刀を構えた。
「その口から放たれる熱波は脅威。でも自分の尾を噛む通常の姿勢に戻るときには発さないはずなんだ。だって自分の尾が火傷するからね。つまり尻尾の先ごとボクを喰らおうとしているこの瞬間だけは一切の警戒が不要!」
尾の先端をダンッ! と蹴って加速した薫は口の中へと再び飛び込んだ。舌を最初に斬ってどけておいたおかげで視界は良好、障害物はない。高宮薫という小さな弾丸はウロボロスの口腔を貫通し、ちょうど脳があるであろう頭のてっぺんの鱗をぶち破って外へと出てきた。
ウロボロスの腹のあたりに突っ立っていた秀秋は鱗を踏み台にして胴体を駆けあがった。今度は秀秋が薫の真似をして刀を鱗の隙間に突き刺し、抜かずに取っ手代わりにして、右手で柄を掴みぶら下がる。そして左手で宙に放り出された薫の手を取った。
クライミングでもしているかのようにぶら下がる秀秋の手に引かれてぷらぷらと薫が掴まっている。
紅白の縁起の良い巫女服はウロボロスの体液と血液によって赤一色になっていた。顔まで血で濡らした薫はにっこり笑って言った。
「あーー楽しかった! やっぱり神話のドラゴンは強い!」
秀秋は呆れて何も言えない。だが、自分が惚れて憧れた剣術はこうした狂いきった戦闘思想の果てに生まれた純度の高いピューレなのだとう思うと不思議と嬉しくなる。
二人して揺られている間、ウロボロスは絶叫を繰り返し空に熱波を放つ。雲に大穴が穿たれた。そして数分ほどそれを続けて、ウロボロスはついに絶命した。薫によって脳を貫かれたため生存は困難だったのだろう。視力も奪われウロボロスは最後までわけがわからなかったに違いない。
浮力を失った巨大なウロボロスの遺骸は自由落下を始めた。秀秋は薫に対して当たり前の質問を投げかける。
「あの、このままだと私たちは東京タワーより高い場所から地面に叩きつけられるんですが」
「ボクと死ぬならキミも本望じゃない?」
「ほんとに考え無しだったんですか!?」
角度九〇度の直角ジェットコースターに乗っているようだ。真下へと落下する最中、秀秋は間近で高宮薫の生きた剣を見られたのだから死んでもいいかもしれないな、と本気で考えた。まさか死んだと思っていた人間と共闘できるとは思わなかった。充分に満足できた。人生で最も幸福な瞬間を経験できたのかもしれない。
目を閉じて走馬灯が流れているとき、下で掴まっている薫が『ちょいちょい』と腕を引っ張って話しかけてきた。
「ねえ、なんか来たよ」
「なんかって何ですか」
秀秋が地面を見下ろすと、たしかに青白い何かがせり上がって来る。能力を発動し視力を強化してわかった。あれは氷だ。
氷山のようなものが地面から生えてきている。それは徐々に大きさを増していき、落下中の秀秋たちに追いついた。氷山と言っても尖った針山ではなく表面のツルツルした山。傾斜に着地した秀秋は山を滑り落ちる。そう、それはまさに。
「滑り台じゃないですかァァァァァァァァァァァァ!!!」
「あひゃひゃ、これお尻が焼けちゃうね。ボクは平気だけど」
全長一〇〇メートル近い巨大滑り台を秀秋と薫が落ちて行く。ただ、薫の橙色の眼は淡く光っている。摩擦をわずかに操る彼女の能力によって氷の滑り台との接地面の摩擦を減らしたのだ。結果的に摩擦熱は軽減され、さらに滑りが良くなって先に着氷していた秀秋を追い抜いていく。
地上では二人を眺める四人の人影があった。
「オイオイ、ありゃ尻が摩擦熱で焼けるんじゃねぇのか?」
「犬塚牟田。あなたが疑う気持ちもわかるけど、私の計算に狂いはないよ。高宮薫が能力で操れる摩擦係数の変化量はスピカとの戦いでの一瞬の使用だけで分析済みだから。……高宮薫は少なくとも無事だ」
「それって秀秋は無事じゃないってことじゃない!」
ドヤ顔で犬塚に言い返した碓氷火織に対し、すかさず美咲がツッコミを入れた。エカチェリーナが美咲をなだめながら言った。
「大丈夫だろう。私の能力なら摩擦熱で焼けたやつの尻も完治させられる」
「え、あんた好きでもない男の尻を見るの?」
「は、はぁぁ!? さすがに服の上からだろう!」
「いや服も焼けてるって」
美咲が真顔で尋ねてきて立場逆転。エカチェリーナの方があたふたと焦り始めた。
「そりゃうら若ぇ乙女なら男のケツなんて見たくねぇわな! 黄昏暁に頼んだらどうだ? あいつなら尻の火傷だってなかったことにできちまうだろう?」
犬塚は冗談めかして言ったのだが、美咲とエカチェリーナは真剣な眼でたしかにと呟いた。尤も、ナツキの能力を用いても構わないのならここで何もせず秀秋と薫が死んでもすぐに蘇生することすらもできるのだろうが。
そんな会話を交わしているうち、四人の目の前で氷の滑り台のゴールにやって来た秀秋たちの姿が現れた。スキージャンプと同じように勢い余って二人は遠く飛んでいく。薫だけはケラケラと笑い、秀秋は尻を押さえている。
やっぱりか、と四人は苦笑を浮かべ頭を抱えるのだった。