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第247話 誰も死んではならぬ

 ネバードーン家の莫大な資金と研究成果を結集して設立されたこの医療施設は、研究施設としての側面が強い。そもそも怪我人が運び込まれる数が少ないのだ。大半の人材は替えが効くし、能力者のような貴重な人材は絶対数が少人数。


 東南アジアのとあるジャングルの奥地に位置するこの施設は熱帯雨林やマングローブを用いたアナログなカモフラージュだけでなく、南極拠点と同じく色や温度を調節する迷彩で覆われているため視覚はもちろん熱探知にも引っかからない。

 ベティはイギリスから航空機に乗せられ一晩かけて搬送されていた。従業員は医療行為ができるだけでなく研究者としても優秀な者ばかりで、白衣を纏い、常に大好きな研究に没頭している。ネバードーン財団に雇われているだけあって彼らはベティの治療も片手間に行っていた。


 真白の壁や床や天井を埋め尽くすほどコンピューターやサーバー、それらの冷却機器があり、医療施設のはずなのに集中治療室で寝かされているベティの方が異質にすら見える。生かすための場所なのに生きている気配がない。ひたすら画面でシミュレーションをし、遺伝子マップを解読し、ゲノムを読む。そういう場所なのだ。

 それでも彼らはネバードーンの人間なので、とある来訪者の存在にはいち早く気が付いた。



「ああ、セバスさん。お疲れ様です」


「ええ。お疲れ様です」



 セバスがブラッケストの執事で側近、なおかつ【漆黒の(ダークネス)近衛兵団(ガーディアン)】のメンバーであることはここにいる誰もが知っている。雇い主であるブラッケストに代わって財務をはじめとした諸般の業務の責任者でもあるので、彼らからすれば給料の権限を握った上司に当たるとも言えるだろう。

 セバスがベティの方に目配せすると、彼らは頷いた。彼らの本懐は自身の好奇心を満たす研究と探求であって、病人や怪我人を治療するというのは二の次でしかない。たとえシアンから何があっても救えと言われた患者であっても、直属の上司であるセバスからの頼みならば断われないし断る気も別にない。


 セバスの青い両眼が淡く光る。治療室のベッドを囲うように床に黒い穴が開いた。そしてベッドごとベティは黒い空間に落ちて行った。追いかけるようにセバスも穴に飛び込む。

 穴はすぐに閉じた。しかし彼らは見向きもしない。まるで患者など最初からいなかったみたいに。


 結果論ではあるのだが。もしもシアンがベティを治してくれとナツキやエカチェリーナにお願いしていれば、『()()()()()』にはならなかったのだろう。



〇△〇△〇



 ラピスは使用人に囲まれてテレビ画面を見ている。高宮薫がスピカと戦っている映像だ。菌やウイルスが移らないように外から来た人物とは基本的に会わないようにしているので薫のことは名前しか知らないが、母であるシアンからは自分のために集まってくれた人物の一人だと聞いている。ラピスとは年齢が離れているものの薫には娘もいるようで、その点で境遇はシアンに近い。



「頑張って、薫さん……!」



 日本刀一本で水を操るスピカ相手に圧倒している薫。ラピスは両手をぎゅっと合わせて祈っている。そのときラピスの部屋の扉をノックする音が響いた。使用人の一人が何事かと思い扉を開けると、扉の向こうに立っていたセバスが奥のベッドに座っているラピスに向けて恭しく頭を下げた。

 使用人たちも応じるようにセバスに対して頭を下げる。セバスからすればラピスは主の孫娘。使用人たちからすればセバスはネバードーンという巨大な一族の全使用人のトップ。互いの上下関係を正しく理解しよく統制が取れている証だ。



「少々二人にしてもらえますかな?」



 セバスがそう頼んで断れる者は、やはりここにもいない。使用人たちはラピスとセバスを残して部屋を出た。テレビ画面ではちょうど水壁ごとスピカをぶった斬る薫が映し出されている。



「ラピスお嬢様、お久しぶりです」


「ええと、おじい様の執事の方の……」


「はい。セバスでございます」


「おじい様の執事ということはベティたち使用人のリーダーということね」


「はい」


「私に何か用かしら。ベティは昨日から見当たらないのだけれど……」


「なに、今からお目にかからせてさしあげます」



 部屋の天井にぽっかりと黒い穴が開く。そしてドスン! とベッドが落下してきた。そして、そこには眠っているベティの姿が。

 正確には、ネバードーンの専門医療施設に勤める非常に頭の良い優秀な研究者たちから『後回しにしても余裕で治せるから放置しておこう』と判断され、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ベティの姿、なのだが。



「ひっ」



 思わず引きつった声を喉から絞り出すラピス。しかしその無残な姿は、昨日テレビ越しに見た母であるシアンと会話しているベティの姿と重なり一致する。間違いなくこのよく焼けた肉塊はベティである。

 次にラピスは、姉のように慕い甘えてきた大好きな人に対して気味悪がった自分を恥じた。(いか)った。引きつった声を出したのはラピス(じぶん)。でもベティはそんなラピス(じぶん)のためにこのような姿になるまで戦ったのに。



「セ、セバス。ベティは生きているの、よ、ね……?」


「ええ、今のところは。あと数時間もすれば亡くなるでしょうが」


「亡くなる……?」


「死ぬということです。ラピスお嬢様、理解されてください。姫君の呪いを解くために姫君の母親を含めた五人の力自慢は森に行き、魔女の手先の五体の怪物を倒し魔女を捕えます。そうして呪いは解けるのです。……でも無傷だったのでしょうか? ええ、最後に王子様と結ばれるシーンに五人は登場します。しかしながらトレントと戦ったときに腕を切り落とされたやもしれません。全身を魔法で焼かれたやもしれません。姫君を助けるためならば、という風に。ラピスお嬢様を助けるためこの地にやって来た碓氷火織は一度死んでおります。犬塚牟田は片腕を失いました。そしてベティは今にも命の灯火を消そうとしております。ああ、今まさに戦っている高宮薫もどうなることか」



 しわがれた声で滔々とセバスが語った直後。スピカの鉄扇がビット兵器のように宙を舞い、薫の肩を水流で穿った。血が吹き出し刀を落としそうになる薫。そのショッキングな映像がラピスの心にまざまざと焼き付けられる。

 セバスの言葉に、現実味が増す。



「ここで高宮薫が勝っても延長戦。そうなれば各陣営のトップである黄昏暁と、ラピスお嬢様の母君であらせられますシアン様がぶつかることになりましょう。ラピスお嬢様の大切な母君とご友人は、ラピスお嬢様を救うために命を失うやもしれませぬな」


 

 毛布を握るラピスの小さい手は小刻みに痙攣している。瞳孔が開き目の焦点は合わない。元々外出しないので美しく白かった肌は見ている者を不安にさせるほど血の気が引いて真っ青になり、誰に対しても天真爛漫で感謝と笑顔を忘れない明るい表情は影も形もなく鳴りを潜めている。脂汗がダラダラと溢れ呼吸はぜえぜえと荒くなる。



「死ぬのですよ。ベティも、シアンも、そして、あなたも……」



 過呼吸になり吸気が気管で引きつる。床に黒い穴が開くとセバスは沈んでいなくなってしまった。

 部屋で一人になったラピス。頭の中には大切な人たちの顔が浮かぶ。大好きな母親、大好きな使用人。最近できた、話の合う友達。


 みんなみんな死ぬんだ。大好きな人たちが死ぬんだ。そして自分も死ぬんだ。絵本のようにはいかない。お姫様は救われたけれど自分が救われる保証はない。みんな死ぬということは、自分も死ぬ。



「ハァ、ハァ、ハァ、死ぬ、私も、お母さまも、ベティも、黄昏暁も……」



 思考がぐるぐると回り酔って気持ち悪くなる。吐かないように胸を押さえ、息を整えようと試みるが過呼吸なので息が出ない。胸や喉で呼吸がつっかえて壊れた笛のようにひゅーひゅーと甲高い音が気管から漏れる。


 だめだ。物語は再現されないといけない。みんな生きないといけない。絵本では、魔女は殺されない。お姫様の呪いを解かせた後に結局お姫様の母親も一緒に戦った仲間たちも魔女を殺すことはしなかった。

 そうだ、この物語に死者がいてはいけない。誰も死んではならない。もちろん、当事者たる自分も。


 テレビではスピカの放った十数枚の鉄扇の扇パーツが宙を舞い、ビーム兵器のように水を射出している。水の龍が蜷局を巻いてスピカを守護している。

 毛布から這い出たラピスはベッドから転げ落ち、ベティの手を取る。ある部分は表皮が燃え尽きて真皮が晒され白くすべすべつやつやしていて、またある部分は黒く焦げきってしまってザラザラしている。ラピスが触れるとわずかに残っていた表皮がぼろぼろと剥がれ落ちた。



「ハァ、ハァ、これは、誰も死なない物語、なの……。絵本は、完璧に再現されないといけないの……生きて、みんな、生きて、生きてぇぇぇぇぇぇ!!!!!」



 ラピスの眼は、青色を宿す。



〇△〇△〇



 屋敷の屋根の上に立つセバスは空を見上げる。昼下がりの温もりもそこそこに太陽は隠れてしまって、分厚いグレーの雲がずっしりと重たく圧し掛かるように流れている。

 セバスはポマードで固めたくすんだ白髪をかき上げながら眉間に皺を寄せ溜息をつく。



「ふぅ……。主の命とはいえ子供を騙すのはあまり気分が良いものではありませんね」



 思い返すのはラピスの部屋でついていたテレビの画面。その中で、()()()スピカに押されている薫の姿だ。奔放なところのある彼女だが指示には従ってくれたようだ。



「ベティが絵本になぞらえてラピスお嬢様を励まそうとしたのは事実。その想いは尊ぶべきものです。しかし、シアン・ネバードーン。彼女の狙いは別にあったのでしょう……」



 セバスは主であるブラッケスト・ネバードーンからある推測を聞かされていた。



「病に伏せていた自分が影の能力によってまともに生活できるようになったのだから、娘にも何かの契機で能力が発動するように促すはず、ですか。いやはや、我が主ながら恐ろしい。事実その通りなのでしょう。シアン様の真の狙いは、ラピスお嬢様に病を乗り越えるような能力に覚醒していただくこと。そしてブラッケスト様はそれを利用し、意図的に暴走させ黄昏暁へ働きかけることをお考えになった……。シアン様は星詠機関(アステリズム)にブラッケスト様の情報を流すほど強かな方ですが、やはりブラッケスト様の方が一枚も二枚も上手(うわて)



 ブラッケスト・ネバードーンは長女であるシアン・ネバードーンの思考を完全に読み切っていた。本当の狙いは能力者の戦いを見せ、なおかつ人の死傷を見せることで能力に目覚めてもらうこと。今でも日傘を差したり長袖やサングラスだったりと万全ではないが、シアンは実生活を送れている。対してラピスは外出することすら許されない。


 それをブラッケストは利用する。シアンが想定していた以上の成果を求めた。奇しくも、グリーナー・ネバードーンが行った人工的に能力者を生み出す実験は父であるブラッケストに活用されることになる。すなわち、ラピスに対して『死の意識』を刷り込む。

 グリーナーの場合は拉致した中学生たちを仮死状態にし、催眠や暗示のように死を理解させた。中学生だったのは大人と子供の狭間であるために精神的に不安定だったからだ。


 ではラピスは? 仮死状態にせずとも病のおかげで常に死と隣り合わせなので条件を満たす。死は暗示などかけなくとも愛する者たちの死を意識させベティの焼かれた身体を見せることで条件を満たす。ラピスは中学生ではないが、圧倒的な読書量による大人顔負けの知識量に対して精神が幼いというアンバランスさが条件を満たしてしまった。



「ラピス様に死を意識させるためにわざとスピカ様に追い詰められるよう高宮薫に頼むのは気が引けましたが、案外そのあたりは忠実なようで助かりました。さて、そろそろでしょうか……」



 ゴゴゴゴ……とセバスの足元、つまり屋敷の屋根が振動する。そして眼前で黒く太い大木が生えた。否、大木のように見えたそれは屋根を穿ち、全身を表す。

 分厚いグレーの雲が、たった一回の翼の羽ばたきで吹き飛ばされ晴れ渡っていく。

 その背には、我を失ったラピスがいる。呼吸は荒い。


 セバスはある程度の目的は果たせたと考え、空間に円を描き、黒い穴に飛び込んで立ち去った。



〇△〇△〇



 さきほど、薫の猛攻をしのぐため空気を操り宙に浮いたスピカ。しかし、水と違って姿形を捉えられない空気の操作は集中力も体力も削られ脳が焼き切れそうになる。

 辛うじて水龍を生み出しその背に乗って薫への攻撃とする。しかし。



「ふむふむ、龍殺しか。面白い! それにボクならきっとできるしね」



 薫は余裕の笑みを絶やさない。

 水の龍が薫に迫る。

 そして。


 コロシアムの天井に穴を開けながら振り下ろされた足が水龍の小さな小さな頭を踏み潰した。


 床に放り捨てられたスピカは何が起きたのかと天を見上げる。



「グゥォォォォォォオァァァァァァッッッッッッ!!!!!!!」



 人間という劣った種を例外なく震え上がらせる咆哮は空気を、コロシアムを、激しく揺さぶった。


 スピカは眼の前の信じられない光景に唖然とし、無意識に言葉を紡ぐ。



「ド、ドラゴン……」



 物語を再現する。ラピスの強烈な意識が生み出したのは、彼女の中に蓄えられた書物の物語を現実へと昇華する能力。


 再現された本物のドラゴン。ただの息吹が炎球となり、コロシアムに降り注ぐ。

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