第245話 美しく舞い美しく刺す
腰に手を当てているだけで、刀の柄にすら触れない高宮薫。対してスピカは二十一天のメンバーの証である黒いジャケットの胸ポケットから一本の棒を取り出した。
よく見ると、それは棒状であって棒ではない。スピカの髪と同じく白銀色のそれは、扇子だ。それも色からして、木や和紙で作る普通の扇子ではなく鉄扇。金属の扇子である。
「私の想い人の故郷の産品よ」
「ボクの故郷でもあるんだけどね」
鉄扇はそもそも武士が使っていたものである。儀式の場や上官の家など刀の携帯を許されない場所で最低限の護身ができるようにと発明された。日本刀を持った敵に襲われても受け止められるだけの強度がある。
鉄扇をばさりと片手で広げたスピカは、その場で舞うように回る。そして鉄扇を持つ腕をぶんと振り薫に向ける。
次の瞬間、薫の背後の壁からドンッッ!! と轟音が鳴り壁のは穴が開いて砕けて瓦礫がばらばらと床にこぼれた。
薫は首をほんのわずかに傾けている。もしそうしていなかったら今頃彼女の頭が吹き飛んでいただろう。
「まあ当然これくらいは避けるわよね」
「ふーん。水芸か。面白いことするね。それがキミの能力か」
そう言い放った薫をスピカは淡い光を宿した青い両眼で見つめる。水芸とは日本の伝統的な和妻だ。和妻とは手品や奇術のことで、今風に言うならばマジックやトリックである。水絡繰とも呼ばれ、扇子や手から水を噴射するという不思議さを売りにした芸能である。
スピカは美しくあることを重んじる。彼女の流体を操る能力は特に水に特化しており、海やプール、或いは水道が整備された場所で戦うのが一番良い。そうでなくともタンクに水を入れて持ち歩けばベストなパフォーマンスを発揮できる。
しかし、それは美しくない。まず見た目。重たいタンクを背負って運んだり引きずったりするのはみっともない。次に姿勢。常在戦場だからと言って、自分が一番戦いやすい状況にするためにタンクを持ち歩くのはまるで周囲をビクビク恐れているようだ。もっと堂々としているべきである。
常に優雅に。常に洗練されていて。常に圧倒的に強く。そして常に心の煌めきを失わない。これがスピカの考える美しい戦い方だ。
伝統芸能の水芸は相性が良い。水を持ち運んでいることは誰にも気が付かれないし、さらには水を扱うときの身体の使い方や動きは非常に美しい。まさに舞踊である。
そしてさきほどスピカは水を操り、高速で射出した。完全に見切りその場から動かず最低限の首の動きで回避した高宮薫が異常なのだ。
「ただまぁ、ボクとしては面白いものを見せてもらったお礼をしないとね」
腰を落とした薫。稲妻のような速度で抜刀した。数メートルの距離を一瞬で詰める。
ガキィィィン!! と金属同士の擦れる音が響き火花が散った。薫の肉迫に反応したスピカが刀を鉄扇で受け止めたのだ。鉄扇本来の用途である。
それでも扇子は扇子なのでリーチは短く隙も大きい。当然のように薫は鋭い刺突を放とうとした。しかし薫はぴたりと動きを止め、刀を引いてバク転しながら後退する。さっき壁に衝突した水が先端の鋭利な槍のような形となって背後から飛来したのだ。
「私の能力は多少の距離があっても作用するわ。遠距離攻撃に使った水を呼び戻すことも、それを近接武器に用いることだって可能!」
二メートルほどの水の槍を手にしたスピカ。彼女としては薫とできるだけ近距離で戦いたくない。その上で彼女のレンジを無視した柔軟な能力は使い勝手がいい。
距離を取った薫に対してスピカは槍投げの要領で大きく振りかぶり腰を捻って、全身全霊を込めて投擲した。
「面白い!」
笑ってそう言い放った薫はただ刀を振り下ろした。別に極端に振るう速度が速いとか、腕力が強いとか、そういうことは一切ない。力を抜いて自然に振るう。ただし、槍の先端に刃を当てる角度、タイミング、力のかけ方が全て究極に適切だった。
水の槍は砕けて水滴となりあたりに散らばる。だが、スピカからすればむしろ好機。
スピカが命じると床の水滴はぶるぶるとスライムのように震え、一滴一滴が針のように全方向から薫に迫った。
(さすがにこれは避けられないでしょ!)
「やっぱりそうなるかぁ」
今度は先ほどとは違う。薫はぐっと力を込めて回転しながら刀を振るった。
「エカチェリーナっていう子と秀秋っていう子。二人がしたのを合わせてみたらこんな感じかな」
「そんな馬鹿な……」
スクリーンを通して観戦していたナツキも薫の驚異的な動きに感嘆の声を漏らす。
「ククッ、カチューシャのリミッターを外す戦法と秀秋の全方向攻撃を順々に斬り払う戦法。その合わせ技か。それもノーリスクで。汗一つかかずに。能力を使っている様子はないということは、人間の通常の動体視力だろう? それに水滴のいくつかは身体を通り抜けたようにすら見えた。ミリ単位の繊細な身体操作で避けてるな。……バケモノか?」
「円さんを指導したあなたならわかっているとは思いますが、高宮薫の剣は基本的に『受けの剣』です。暴力の嵐のような力強さはない。その代わり、どれだけ強い能力者がどれだけ大勢で襲い掛かってもいなしきる。それを可能にする柔軟で素早い体捌きや足捌き、さらには観察眼」
たとえば円は脱獄した際に追手の複数の能力者と戦った。炎や雷を放ってきたり地面を液状化したりしてきた連中だ。全方向を囲まれても凌ぎきれたのは幼少期から母である薫の薫陶を受けてきたから他ならない。四方からの攻撃はむしろ彼女たちの剣術の真骨頂。
他にも円は剛毅の能力を分析し、そして相手の攻撃にタイミングを完全に合わせるという離れ業を披露したことがある。薫がさっきから常に最適な動きで最適なタイミングの剣撃を放てるのは同じ理屈なのだろう。
深く観察し正しく動く。言うのは容易いが実践するのは並の人間ではできない。観察という一点で秀でた能力を持つ秀秋だからこそその難しさを如実に痛感する。
ナツキは円を直接指導したり彼女が戦うところを何度も見たりしているので、その大元の根幹となる剣術を見てたしかに円の母親だと実感した。
「じゃあちょっと反撃してみたり」
薫は滑るように高速で走って移動し横薙ぎに刀を振る。スピカは鉄扇に仕込んできた水や床に散らばった水滴を全速力で集めて水のカーテンを作った。スピカの足元から頭の上まで全身を遮るように水色のカーテンだ。
(空間に対して水の相対的な位置を固定化すれば、刀の運動エネルギーを受け止めることができる……!)
薫は腕の動きを止めない。刃は水中に入って減速した。水のカーテンの厚さはほんの数センチメートルだが、スピカからすればそのわずかな猶予があれば回避行動へ移れる。コンマゼロ秒の中に駆け引きがあり、命を懸けた技と知恵と能力の応酬があるのだ。
それでも薫はにこやかに笑っている。その不気味な笑顔がスピカには鬼神に見えた。刀は水のカーテンを切り裂き、スピカの腹に切っ先が届いた。
「ボクの動きに目が追い付いているばかりか素早い判断に適切な押し引き。攻めるときと守るときとを弁えているね。キミ思ったより強いかも!」
(内臓にはまったく届いていないのは不幸中の幸いか……)
スピカは鳩尾を押さえながら薫から距離を取る。血液は液体なので血流は充分に操作することができる。止血は容易い。内臓や筋肉への損傷は軽微なので、ジャケットに少々赤黒いシミができてしまうことを除けばほぼ無傷。
薫はスピカを心から称えている。その余裕綽々な表情がスピカは鼻についた。だからこそ腹の痛みなんて気にせずに不敵に笑って言い放つ。
「あんまりナメてかかると怪我するわよ?」
その瞬間、細い水流が薫を背後から急襲し肩に風穴を開けた。