第238話 中二な小二と中二な中二
(あの赤と青のオッドアイ、暑そうな黒ずくめの格好、もしかして……)
「ん? こんな森の奥に家があるのか。いいや、家というより屋敷だな。大豪邸だ。……で、その透明の箱庭からジロジロ俺を見ているお前は?」
「あなた、トレントね!」
服や頭に落ち葉やら枝やらが刺さっているナツキはそれらを手で払いながら立ち上がり、ガラス張りのバルコニーのラピスと目があった。ラピスは、母であるシアンが行っている『悪い魔女の撃退』映像の中で初日にナツキのことを見ている。シアンやベティはラピスが気に入っている絵本の物語をなぞって今回の決闘を企画しているので、ラピスからしたらナツキたち黄昏暁陣営は悪い魔女の手先なのだ。
「トレント……樹木の魔物か。西洋のファンタジーではよく見かけるな。モンスターというよりは精霊信仰からの発展だろう。森への畏怖の具現、ククッ、なるほど森でまんまと道に迷った俺に相応しい」
「やっぱり!」
ナツキがのそのそと歩いてガラスのバルコニーに近づくと、ラピスは急に怖くなり身を強張らせた。大きな声を出せばベティが助けに来てくれるだろう。
だが声は出なかった。不思議なことに、ナツキから感じる雰囲気は優しくて落ち着くものだったのだ。害意は一切感じられない。ナツキはガラスの寄り掛かり座り込むとラピスに尋ねた。
「なあ、この森の出口わかるか?」
「知らないわ。私、お屋敷から出たことないもの」
「ククッ、深窓の令嬢、いいや囚われの姫君といったところか」
「そう、そうよ! 私はお姫様なの。ドワーフの騎士団にエルフの弓兵隊、火を吹くドラゴンを駆る騎兵隊、それから魔法使い! たくさんの家来が私を守ってくれているからあなたなんてケチョンケチョンなんだから!」
「くっ……だからか……さっきから俺の右眼が疼く。竜の気配や強烈な魔力の圧に当てられたみたいだ」
そう言ってナツキは右眼を抑えてうずくまる。袖が重力に引かれて下がると包帯の巻かれた腕が露出された。
ラピスはティーカップを放り、地面に膝をついてガラスに両手をべったりつけながら声を荒げた。
「まさかあなた、その眼に邪眼を封じているの!? 無茶よ、ただの人の身で……」
「ククッ、そうだ。俺の赤い右眼には邪神霊ツァラトゥストラが封印されている」
ナツキの赤い右眼に淡い光が宿る。左手を突き出すとボォッ! と黒い炎が現れた。夜風に揺らめく黒炎は掌に収まる程度の大きさだが、ラピスはそんな光景に目を輝かせる。
「ツァラトゥストラ……ゾロアスターね! 拝火教の名の通り炎を貴ぶわ。あなたのその黒炎、もしかして聖なる炎アータルなの!?」
「あまり近づくなよ。この炎は終末の世ですら消えずに残った炎だ。ただの人が触れれば灰燼すら残さずに燃やし尽くすだろう。ああ、それからお前のところで飼ってる竜を鎮めてくれないか? アジ・ダハーカを思い出して背中の痣が疼いてしまう」
「伝説の三つ首ドラゴン! あなた会ったことあるの!? ドラゴンはやっぱりいるのね!?」
「ククッ、当たり前だろう。俺たちが『ある』『いる』と強く信じ続ければ絶対に出会える。……現に俺は異能力と出会ったしな」
それは同じ中二病としてのナツキなりのアドバイスだった。
もしラピスが歳相応に幼く無知だったなら、ナツキの言っていることは少しも理解できなかっただろう。だがラピスは歪だ。空想を信じる無垢な純心は子供のままなのに、知識だけは大人顔負けとなっている。
そんなラピスにとって会話が弾むナツキは貴重で興味深かった。今も妙な高揚感がある。ベティのことは大好きだが、本の話をしても複雑な顔をするだけであまり楽しそうではない。それは他の屋敷に詰めている従者たちも同様だった。
ナツキの言葉を真剣に受け止め反芻する。心は混じりけのない同調を覚え、すっと胸に入ってくる。
「信じ、続ける……」
「ああ。周りの言うことなんて気にするな。苦しいことも寂しいこともあるだろうが、自分の信じるものを見失わないことだ。夢はいつか現になる。そうすれば現がいつか夢にもなる。夢現は表裏一体、理想と現実の狭間なんて最初からないんだ。どちらも俺たちの俺たちらしさだからな」
夢と現。理想と現実。胡蝶の夢の説話が大好きなラピスにとってはその表現は得心がいくものだった。病で苦しむ現実の自分も空想の世界を信じる夢見る自分も両方自分。両方が現実であって両方が夢でもある。
現実の世界で夢を見る。夢の世界で現実と向き合う。いずれにしても主体は自分だ。
「ククッ、いいか? 現実を直視する心に、本当の理想が生まれるんだ」
「ゲーテの言葉ね」
「そう。ゲーテといえば、あの時代の文学を中心として芸術運動は……」
「疾風怒濤!」
「ククッ、ククククッハハハハ! ここまで話が合う相手は初めてだ!」
ナツキもまたラピスの知識量に感服し、そして自分に近しい価値観をもっていることに喜びを覚える。顔を押さえながら大げさな動作で夜空を見上げるように高笑いを上げる。
ラピスも自然と笑いがこぼれた。そのあたりはさすが令嬢と言うべきか、ナツキのような高笑いではなく上品な微笑みのような笑いだが。
屋敷からは出られず友達はいない。屋敷の中の人たちは皆心優しいが自分と話は合わない。そんな中で出会ったこのオッドアイの男は初めて心から一緒に笑い合える相手だった。ラピス自身、自分が無意識に笑っていることに気が付いて驚いてしまったほどだ。
こんな楽しい時間が一生続けばいいのに。ラピスは本気でそんなことを想う。でもそれはできない。彼を自分のような閉じ込められた生活に付き合わせるわけにはいかないし、それに彼は母の……自分の敵なのだから。
ラピスは初めての感情に蓋をする。そこに丈夫な鍵をかける。
でも……でも、せめて。
「ねえあなた、名前はたしか……」
「黄昏暁。神々の黄昏を暁へと導く者だ」
「世界滅亡のラグナロクを終わらせる者……そっか、だからお母さまの仲間なんて簡単にやっつけちゃったのね」
「お母さま?」
「名乗るのが遅れたわね。私の名前はラピス・ネバードーン。永久に夜明けの来ない世界で瑠璃色に輝き続ける者よ。そして、あなたの友達」