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第234話 ダルマさんが転んだ

 光線過敏症。通称、日光アレルギー。シアン・ネバードーンが幼き日に医者より伝えられた病名である。

 当時はシアンをはじめクリムゾンもアクロマもグリーナーも、或いは他の()()()()もともに住んでいた。その中でシアンはとりわけ身体が弱く外出も儘ならなかった。


 シアンの病気はアレルギーなので治療が存在しない。ネバードーンの医療技術をもってしても不可能だった。あるのは薬を用いた対症療法だけだ。紫外線をはじめ光にあたるだけで全身の皮膚は真っ赤にただれ、発疹が肌を侵食する。

 現在のラピスとよく似て美少女だったシアンは、やはりラピスと同じく外出は許されなかった。兄や弟妹たちが自由に生活しているのを羨ましいと眺めていた。


 もしシアンに不幸中の()()があったとすれば、症状が他の同病の患者よりも重たかったことだろう。皮膚の炎症や激痛では収まらず、免疫異常を引き起こし、光は皮膚を貫通して内側の細胞までも無抵抗に破壊する。

 美しかった容姿は惨たらしく醜いものへと変貌していった。


 世界は光で溢れている。つまらない歌謡曲でありきたりに流れる歌詞を幼少期のシアンは心から憎んでいた。

 光で溢れる世界が自分を殺す。悲しいかな、父であるブラッケスト・ネバードーンという男は病によって臥せる娘を心配し看病するなどといった憐れみ深い性格はしていなかった。むしろこれは淘汰であるとすら思っていただろう。残酷な環境がますますシアンを追い込んだ。


 親の庇護がない子供は簡単に命を落とす。それはかつてのシアンも例外ではなかった。



『憎い……光が、憎いッッ!!!!』



 死に際のそのときだった。照明の落とされた薄暗い病床で、シアンの両眼が青く変色する。部屋中の影という影が蠢き彼女を包んだ。

 影はどこにでも存在する。なぜなら憎たらしいことに世界は光で溢れているからだ。光が強ければ強いほど影は濃く暗く深くなる。まさにコインの表と裏。


 故にシアンは思う。世界が光そのものであるならば、それは同時にこの世界は影のものでもあるのだと。



〇△〇△〇



 シアンの病は治らない。ただ、光には当たらずに済んだ。影が守ってくれる。影の王国に潜り込む。

 皮膚は徐々に回復し、シアンが思春期を迎える頃には完全に美貌は取り戻さた。ネバードーン財団のパーティーに訪れた各国の財界や政界の要人たちがあの麗しい少女は何者なのかと騒ぎ立てたほどだ。数えきれないほどの王族の男たちが、やっと子供を産める身体になったばかりの年若いシアンに熱烈な求婚をするのだった。


 シアンの能力を、容姿を、そして人気を目の当たりにしたネバードーン財団の者たちの中に、イギリス出身の者がいた。彼らはふと、幼いときに読んだ絵本の一節を思い出した。



──影の王国にはとても立派なお城がありました。そしてお城に負けないくらい綺麗なお姫様が住んでいました。誰もが羨む彼女の美貌は、隣国にも響き渡りました。



〇△〇△〇



「綺麗……」



 待機室のスクリーンで観戦している美咲がエカチェリーナの姿を見て言葉をこぼした。全身から青い光を淡く放ち、青い閃光の残像を残しながら絶え間なく剣閃を見舞っている。

 その悉くがシアンに防がれているものの、徐々に影の壁の強度や精度は落ちておりエカチェリーナの速度に追いつかなくなっている。


 さらにシアンは状況を好転させるため尻尾のように蠢いている影の触手を鞭のように振るった。しかしリミッターを外しているエカチェリーナはそれを難なく躱し、シアン本人への攻撃のついでで斬り落とす余裕すらある。


 エカチェリーナが床を蹴って加速するたびにクレーターができ、シアンが影の触手を振るうと叩きつけられた床は抉れていく。

 レグルスとセバスの戦闘と同じだ。強者と強者がぶつかり合うとその余波だけで周囲の環境は破壊される。荒れ狂う力の奔流が衝撃となって建物すら軋ませる。


 軍服姿とはいえ下はミニスカート。縦横無尽に跳び回って戦っているので危険なほどスカートはひらひら舞っているのに、ナツキたちはもちろんテレビの前の大勢の人たちも誰一人として下世話な感情は抱かなかった。

 ただ圧倒されていた。ただ魅了されていた。青く美しい凛とした輝きに。人体の極地とも言うべき剣戟に。


 そして、ついにエカチェリーナの剣が届く。それまでその場から一歩も動かず影だけを操って攻防を両立させていたシアンだったが影の生成が追い付かない。影が下から這い上がってきたときには既に剣先が影壁の内側に入っている。

 咄嗟に影を植物のツタのように巻き付けて刃部分を覆うことで致命傷は回避したが、日傘の柄を突かれたことで傘は宙を舞い、シアンもたたらを踏む。


 さっきまでなら触手のような影を使って剣を腕ごと落とすなどということもできたが、集中を切らしたシアンと極限状態にあるエカチェリーナという構図によって能力がうまく作用されず、ツタのように巻き付いた影は呆気なく霧散した。


 いける。勝てる。誰もがエカチェリーナの勝利を確信した。そのとき。



「……憎い……光が、憎いッッ!!!!」



 決して大きな声ではない。シアンの小さな慟哭はしかし間違いなくエカチェリーナに届いていた。さりとてその程度のことで歩みを止めるエカチェリーナではない。とうに『覚悟』は決めてきた。もうリミッターは外してきた。身体は悲鳴を上げているが、ここで勝利する。愛する祖国のため、そして愛する祖国を救ってくれたナツキに報いるため。

 隙を見せたシアンを見逃さずトドメの追撃を放つ。青く優しい穏やかな光に包まれているエカチェリーナはロングソードをまっすぐにシアンへ向け、最後の加速を行った。



──いいや、行えなかった。



「……え?」



 エカチェリーナの足首を掴む手がある。握りつぶさんとするほどの強さでグッと掴んで離さない。その場から縫い付けられたように動けなくなったエカチェリーナはおそるおそる足元へと視線を向ける。


 そこには黒い手があった。影の腕。何の影? 誰の影? シアンではない。だってシアンはさっきの渾身の攻撃で後ずさったから。エカチェリーナの頭の中でそんな問いが駆け巡る。答えにたどり着くまでにそう長い時間はかからなかった。


 ああ、これは自分の影だ。



「あなたが力強く光り輝くほど……その影は濃く暗く深いものになる」



 シアンは不幸だった。シアンの娘であるラピスも不幸だった。平然と健康を享受し幸せそうに暮らす人々が憎かった。影は光で怯えるシアンを救っただけではない。自分の不幸を呪い他者の足を引っ張る歪んだ怨嗟すらも叶えてしまう。


 光は無限に反射される。隙間なく世界を照らす。本当に?

 イギリスの数学者、ロジャー・ペンローズは『ペンローズのキノコ』という図形を提唱した。それまで光は完全に反射する鏡でできた部屋ならば延々と反射を繰り返し部屋の全てを照らすと考えられていたが、実際には陰影が必ず生じてしまう形は存在すると証明したのだ。


 どんなに世界が明るく豊かに幸福に照らされても、そこから零れ落ちて不幸になる者がいる。だが世界は残酷だ。零れ落ちた者は見えない存在として扱ってしまう。本当は世界の至るところに『影』はあるのに、見て見ぬふりをするのだ。


 このコロシアム一つとって見ても、壁の下にはうっすらと半影ができているし無人カメラの下にはカメラの形で影ができている。もちろん、エカチェリーナが強く美しく輝くほどに彼女の足元には彼女の影ができる。


 シアンは無人カメラの真下の影を操りレンズを破壊した。惨状を娘のラピスには見せたくないと考えたからだ。

 そしてエカチェリーナの足首を掴んだ影の腕は数を増やす。両足首を掴み、身体に巻き付きながら上がっていき腕にも巻き付く。



「くっ……斬れない、だと」


「弱く消えそうな影なら容易く斬り落とせるでしょうね。でもその影はあなたの影。私などよりも遥かに強く輝くあなたが生んだ影。その濃さは、暗さは、深さは、私のそれの比じゃない」



 自らの剣を太ももや腹に向かって斬りつけるが影の腕は離れない。影はますます侵食していく。エカチェリーナの真下にできている影から生える太く大きな腕は彼女を持ち上げるように高く高く伸びていく。

 地上数メートルのところまで持ち上げられたエカチェリーナは、四肢を影で覆われている。身動きが取れない。大の字に磔にされたような状態で、影は彼女の四肢を外側へと引っ張っている。



「や、やめ……」



 エカチェリーナが言い切る前に。


 ブチ……ブチブチブチブチブチッッッッッ


 右手、左手、右足、左足。


 全てが強引にねじ切られた。千切れた筋繊維がゆらゆらと揺れる。ピンク色の肉の断面からは、うまく折られなかった大腿骨が数センチメートルほどはみ出ている。

 エカチェリーナの両手足を掴んだ影が伸びて数メートルの高さでずっとうねうねと漂っている。血管からは決壊したダムのように血が溢れていたが、心臓からの供給はないのでひとしきり血の雨を降らせると止まった。


 四肢を失い、胴体と頭だけになったエカチェリーナは空中に放り出されて落下した。脳は辛うじて意識がある。エカチェリーナは迫る地面を見ながら、手をつかなければ、と考える。でも動かない。違う。腕はもうない。肩から先が何もない。着地しなければ、と考える。でも動かない。股関節より先が何もない。


 ぐしゃ。


 胴体だけとなったエカチェリーナは顔から床に衝突した。

 シアンは手放した日傘をもう既に手にしている。その黒い日傘には鮮血のシミができていた。


 びくびくといくらか痙攣した後に、胴体は動かなくなった。即死ではなかったのだ。自分が床に落ちるその瞬間を彼女の脳はおそらく明確に視認していた。



「あなたは私や私の娘よりずっと幸せに生きてきたのでしょう? だったら後悔なんてないはずよね」



 サングラスの向こうで冷たい視線を湛えたシアンは、エカチェリーナの遺体を見てもまったく意に介さなかった。不幸な自分の当然の権利だと言わんばかりに。


 勝ったはいいが、これでは放送できない。どうしたものか。シアンがそんなことを考えていると、二人しかいないはずのコロシアムにもう一つの人影が現れる。



「一体どこから……いいえ、あなたの万能な能力ならさもありなんかしら。黄昏暁」


「……お前、よくも…………。……シュレディンガーの猫。生死は確定しない」



 人影の正体はナツキだ。冷たくなり、そして四肢の分だけ随分と軽くなったエカチェリーナの胴体を強く抱き締めるように抱えている。

 ナツキの赤い右眼が淡く光る。『夢を現に変える能力』によってエカチェリーナの死亡はなかったことにされ、まるで時間が巻き戻ったかのように両手足は元に戻っていた。ナツキの腕の中には五体満足のエカチェリーナが穏やかな顔で眠っている。


 ありがとう、と青白く発光した黒猫の頭を撫でながら呟くと、にゃぁと小さく鳴いて黒猫は消え去った。



「あなたの能力なら生死なんてあってないようなものなのだし、構わないんじゃないかしら。犬塚牟田の腕は戻らないのよ」


「その腹いせだっていうのか」


「違うわ。ただの事実よ。あなたがいる限り星詠機関(アステリズム)の人間はいくら死んでも問題ない。私や、或いはあなたの仲間がどう思うかなんて関係ないわ。だって事実は事実に過ぎないもの」


『お、おっとぉぉぉいきなりブラックアウトしたときはどうなることかと思いましたが、映像無事に復旧いたしました! ……おや、あそこにいるのは黄昏暁ですね。どうしたのでしょうか。エカチェリーナ・ロマノフ氏は眠っているようですが』



 実況の声はコロシアム内部には聞こえていない。だがそろそろ復旧している頃だろうとナツキにはわかる。シアンが壊したカメラを能力で修復したのもナツキだ。

 


「聞こえているか! エカチェリーナは棄権する! 第三戦は俺たちの負けだ」



 ナツキの叫びを聞き届け、ここに勝敗はようやく決した。



『ど、どうしたことでしょう! 先ほどまで獅子奮迅の活躍を見せていたエカチェリーナ氏でしたが、カメラが不具合を起こしたわずかな時間で棄権することになってしまったようです! 異例の事態ではありますが、勝者、シアン・ネバードーン!』



〇△〇△〇



「お母さま……」



 勝利を告げられたシアンをテレビ画面越しに見つめるラピス。その表情はどこか影があるように使用人たちには見えていた。

本文中『影の王国にはとても立派なお城がありました。そしてお城に負けないくらい綺麗なお姫様が住んでいました。誰もが羨む彼女の美貌は、隣国にも響き渡りました』は本章の1話に当たる第201話の冒頭と同じです。

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