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第232話 覚悟とは

 大小の戦争があった。

 ロシアは東西に広い。政治経済や文化の中心地である西側はヨーロッパと近く、シベリア方面は太平洋にも面していて東アジアと近い。また、先の大戦以降は大日本国帝国とならび国連に加盟しなかった国家でもあるので、地政学的には四方八方が敵国である。


 領土の奪い合い。地域部族抗争。交易トラブル。きっかけはいくつもあった。戦いの火種は永久凍土の冷たさでも敵わない。人と人がそこにいる限り争いは起きてしまう。ロシア帝国は特に外部との諍いが多かった。


 エカチェリーナが幼少の頃、大規模な戦争があった。ロシア帝国とヨーロッパの一部の国々との戦いだ。大戦の再来だと言われるほど戦火は拡大した。子供ながら彼女は理解していた。我が国は加害者でもあるのだと。でも、自分を可愛がってくれたたくさんの大人たちがボロボロになって城に搬送されていく光景は幼いからこそショッキングに映った。


 軍人たちが野営病院でも都市病院でもなく城に運び込まれている時点で、負傷者の膨大な数を物語っている。身体中に包帯を巻き、血が滲み、腕や足がなくなっている者も決して少なくはなかった。事務方の大臣たちは各国との調整と資金捻出のために忙しなく走り回る。エカチェリーナの父親である皇帝も例外ではない。


 ああ、あれは模造刀で遊んだときに私の相手をしてくれたおじさんだ。あっちのおじさんは、私に軍事戦略論を教えてくれた家庭教師の先生。そうか軍人さんだったのか。私の頭を撫でてくれたおじさん、軍隊式の鶏肉のシチューを振る舞ってくれたおじさん、年端もいかない私に跪いて忠誠を誓ってくれたおじさん。

 知っている人たちが大勢担ぎ込まれた。みんなみんな自分を可愛がってくれた。大好きな人たちは傷つき、そして死んでいった。


 遺体を埋葬する場所も時間もない。亡くなった軍人たちの両親や妻、子供たちの泣き叫ぶ声が響く。それを掻き消すほどの司令官や大臣たちの怒号が飛び交う。自室の柔らかいベッドで眠っていても大砲の音が耳から離れず、硝煙の香りがずっとあたりを漂っていた。


 毎日毎日たくさん死んだ。

 ロシア帝国は領土や人口、軍事においては非常に優れている。しかし、能力者は少ない。どれだけ強力な兵器を高額な予算で用意してもたった一人の能力者に破壊されるなどよくある話。ロシア帝国は徐々に押し込まれ、そしてネバードーン財団に資金面、能力者の人材面でつけこまれることとなった。ロシア帝国とネバードーン財団との関係はそのときからである。


 幼いエカチェリーナは怖かった。戦争が、ではない。いつも優しく微笑んでくれる大好きなおじさんたちが、死を覚悟してまで戦場へと赴くことが怖かった。

 どうして簡単に死にに行けるの? 死が怖くないの? 心はどうなってしまっているの? 色々な疑問が渦巻く。答えはなく、それが怖さへと変化していったのだ。


 最中、エカチェリーナは父に尋ねたことがある。どうして彼らは死地に赴けるのか、と。父は今まで娘には見せたことがないほど厳しい表情で教えてくれた。それは本当に大切な人たちを守るためである、と。大切な家族、大切な故郷、そして大切な王族。全てを守るためなら自分は死んでもいい。そう思っていると。

 そのときエカチェリーナは初めて『覚悟』を知った。勇気とは違う。逃げられるものなら逃げてしまいたい。果敢に立ち向かう立派な心の強さではない。戦うことでしか守れないからこそ全てを擲ち、退路を断ち、腹をくくるのだ。そのときの父の顔はいつもよりも皺が深く刻まれているように見えた。



(そう、そのときだ。私が傷や怪我を治療する能力に覚醒したのは)



 襲い来る触手のような影槍を前に、踏み出しながらエカチェリーナは思い返す。

 死すらも覚悟する軍人の姿を。『覚悟』の何たるかを理解したあの幼き日のことを。


 そして覚悟した人を救いたいと思った。王族は何のためにいる? ふんぞり返るためではない。税をむしり取って贅沢するためではない。この国を守るために戦う全ての『覚悟』に報い、そして救うことこそがこの国のトップの使命にほかならない。


 決して無駄死にはさせない。青い両眼をした幼きエカチェリーナは城に運び込まれる軍人たちの治療にあたった。優しい青い光が傷を塞ぎ、千切れた手足を繋ぎ、失明した者に光を取り戻させた。

 何十人何百人と毎日救い続けた。心身が疲弊し倒れるそうになることもあったが、『覚悟』は既に決めていた。意地と根性で治療を続けた。

 その日、エカチェリーナは真の意味で王族になった。



(今の私はどうだろう。あのとき私たちの祖国のために散っていった軍人たちの覚悟に届いているだろうか)



 ロングソードで影の触手のうちの一本を切り落とす。だが剣は一本。生じた隙を見逃さず他の影がエカチェリーナの脇腹を抉った。肋骨の周辺の肉がもっていかれる。だが間髪なく能力は発動し、青い光が傷を治す。


 さらに二本、三本……と影を斬り裂く。しかし到底ひとりの人間が対処できる物量ではなく、エカチェリーナは頬から血を垂らし、アキレス腱を削り取られたときは膝を突きながらもロングソードで叩き斬り、肩や腕には穴がいくつも開けられ、軍服は血に染まり真っ赤になっていた。

 それらの怪我の全ては負った瞬間に能力によって治療される。だが痛みがないわけではない。無限とも思える激痛の海に身が沈む。



「なぁぁぁぁぁめるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」



 エカチェリーナは腹の底から荒ぶる声を出す。影の激流を上下左右に剣を振って斬りながら駆ける。走る彼女を遮るように迫る影の槍を屈んでかわす。スピードは落とさない。左右から同時に攻撃されれば片方を斬り落とし片方は腕を犠牲にして防ぐ。そして能力ですぐさま回復。

 肩口で切り揃えている金髪が風でなびいている。エカチェリーナの剣が再びシアンを射程圏に収めた。



「はぁぁぁぁッッ!!!!」


「うるさい」



 エカチェリーナが放った鋭い剣戟は最初と同様、日傘の下にできていた影に防がれる。先ほど触手のように伸びた影は斬り落とせていたのに対してこちらの影のカーテンはビクともしない。元となる影からの距離か、或いは道中で当たった光量なのか。ともかく影は均質ではなく特定の条件で弱まることをエカチェリーナは確信した。


 ジャンプし真上から斬りつける。日傘の上だったらどうか。日陰ではないので、影の強度や速度は下がるのではないか。

 そんな期待をするが、剣が日傘に触れる瞬間、シアンの足元の影が下から膜状にせり上がり彼女をドーム状に包んだ。ガキィィン! と剣は弾かれる。影のドームは解除され、そこには微動だにせず汗ひとつかいていないシアンの姿がある。



(攻撃時においては膨大な量の槍となり、守備時においては堅牢な壁となるか……。攻守ともに優れたやつの能力をどう攻略すればいい。考えろ。考えるんだカチューシャ)



 防衛戦も城攻めもエカチェリーナは得意としている。軍議は誰より重ね、戦場の定石から奇抜な戦術まで彼女は柔軟に数多の戦い方を熟知している。

 そのエカチェリーナをして。



(……無理だ。私の能力は個の戦闘向きではない。集団を無傷で維持することや長時間の戦闘の実現には随分と役に立つが、一対一となるといたずらに時間を引き延ばすことしかできない)



 苦虫を噛み潰すような表情をしているエカチェリーナに対し、シアンは妖しくフフと笑っている。その背後ではまるで九尾狐の尻尾のように影でできた黒く太い触手がうねうねと蠢ている。

 攻守で完璧なシアンの牙城をいかに崩すのか。エカチェリーナの少ない手札ではできることはほとんどない。いかに彼女が戦のプロフェッショナルであっても、無理なものは無理だ。



「そう、無理だ。不可能だ。私はずっとそうやって諦めてきた。愛する祖国をクリムゾン・ネバードーンに乗っ取られたときも、ヤツに抵抗することは叶わないと自分に言い聞かせてきた。……そんなときだ。黄昏暁という男が私の国にやって来た。愛する一人の女性を助けるだけのためにクリムゾンに挑んだ。まったくバカな男だ。無謀にもほどがある。だがな」



 エカチェリーナは再びロングソードを構える。



「今だけは、私もバカになってみようと思う」

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