第231話 シェイド・オア・シャドウ
シアンとエカチェリーナの二人が扉の前に同時に現れたのは偶然だった。二人は見合っても特に言葉を交わすことはなく重たい扉を押し開け、コロシアムへと並んで入った。
互いに中心で立ち合う。エカチェリーナの腰にはロングソードが一本。紺を基調とし金糸で刺繍がなされた高貴な軍服を身に纏い、動きやすさを重視するため下は同じ色のミニスカート姿だ。
対してシアンは黒い日傘を差しているだけだ。それに加えてつばの広いゴージャスな帽子をかぶり、大きなサングラスをし、足元まで隠れる黒いドレスを着ている。鮮やかな青色の髪は胸のあたりまである。
「顔を合わせるのは初めてだな。隣国の王よ」
「私とクリムゾン兄さんは仲良くなかったのよ」
シアンはブラッケストの娘なので、クリムゾンとは兄妹にあたる。一応異母兄妹ではあるのだが。そしてクリムゾンはエカチェリーナの姉のアンナと婚姻関係を結んでいたので、エカチェリーナはクリムゾンの義妹にあたる。
つまり、この対戦カードはイギリスとロシアのトップ同士のぶつかり合いであると同時に同じ兄を持つ妹同士の戦いでもあるのだ。
「ああ。私もあいつは嫌いだったよ」
「ふふ。似てるわね私たち」
「だが、戦わねばならない。そして戦いならば私は負けるわけにはいかない」
「そう、そうね。その通りだわ。こんな身なりで申し訳ないけれど、正々堂々と名乗らせていただきましょう。【色付きの子供たち】が一人、【青色】のシアン・ネバードーン。あなたを倒す女の名よ」
「ふむ。晴れ晴れとした見事な口上をされては応えないわけにわいかないな。私はエカチェリーナ・ロマノフ。ロマノフ王朝ロシア帝国王家の生き残りにして軍部大臣だ。そして、お前を倒す女の名だ」
『さぁぁ両者定位置につきましたぁぁぁ!! 政界から参戦した二人は一体どのような戦いを繰り広げるのでしょうかぁぁぁぁ!? さぁさぁテレビの前の皆さん、スコーンと紅茶は用意しましたね! 高貴な二人の衝突がどのようなショーを見せるのか! 第三試合、エカチェリーナ・ロマノフVSシアン・ネバードーン、開始!』
〇△〇△〇
まず最初に動いたのはエカチェリーナだった。腰に提げているロングソードを抜き、シアンへと斬りかかる。装飾の少ない無骨な西洋剣は飾らない質実剛健なエカチェリーナの気質をよく表している。
一方、動きにくい服装のシアンはやはり微動だにしない。その上片手は日傘でふさがっている。武器を構えて応戦することもできない。
エカチェリーナとて油断はしない。隙だらけに突っ立っているとはいえ相手は二等級の能力者だ。何か反撃の策はシアンも持っているだろう。だが──。
(それは私が歩みを止める理由にはならない!)
策があるなら弄すればいい。それすら真正面からぶち破る。エカチェリーナは王族だけあって教養があり聡明で思慮深い。しかし権謀術数に秀でている姉とは異なり、エカチェリーナはあえて猪突猛進する。
考えることは大切だ。戦場において指揮官は戦術と戦略を組み合わせる知性がものを言う。それをする能力がエカチェリーナには備わっている。
ただし。同時にエカチェリーナはこうも思う。あらゆる強さも賢さも、使うのは人である。人であるならば、それら全ての力の源泉は想いである。心である。だったら、誰より想いを持つ自分が負けるわけはない、と。
軍人ならば家族や故郷への愛。ナツキのように恋をした相手や親しい友人への愛。強い想いが強い力を引き出すのだ。
シアンが何か策を持っている? 構わない。勝負事に勝ちたいという想い、王族として或いは軍人として愛している国民を背負う想い。どちらも自分はロシアの広大な氷雪の大地よりも広く大きいものを持っている。だから自分はシアンの策には決して負けない。
「悪いが討ち取らせてもらうぞ!」
ロングソードの鋭い刃がきらりと光る。シアンの首を目掛けて水平斬りが放たれた。
テレビを観ていた多くの者が目を覆った。斬首の瞬間など見たくはない。まったく避ける動作も気配もないシアンがここからできることなどあるわけがない……。
屋敷ではラピスが母の悲劇を前に悲鳴を上げた。
(もらった……!)
エカチェリーナは確信を乗せて剣を振り抜く。首の薄皮に刃が触れる。その瞬間。
ガキィィィィィン!!!!!
「なっ……」
剣の行く末は阻まれた。目を凝らすまでもない。床からそそり立つ黒い壁がシアンを守ったのだ。日傘の真下。エカチェリーナにもはっきりと見えるその黒い物体の正体は。
「影、なのか?」
「ご名答。どれだけあなたの剣が冴えわたろうと、決して届くことはないの。あなたは強く、健康でたくましい。そんなあなたという光が輝けば輝くほど、私という影は深く暗く世界に刻まれる」
ブクブクと影の壁は泡立つと、形を変えてロングソードの刃に巻き付いていく。触手のように長さを伸ばし、ついにエカチェリーナの肘まで届いた。
(まずっ……)
「あなたに当たっても仕方のないことではあるのだけれど、これは犬塚さんの分よ」
ぐしゃり。呆気なくエカチェリーナの右肘から先が捩じ切られ、右手はロングソードを握ったまま床に落ちた。ぼとっ、という肉のぶつかる生々しい音、剣と床の金属が擦れる甲高く無機質な音。
今度はテレビを観ていて世間ではシアンの悲劇ではなくエカチェリーナへの悲劇に対して悲鳴が上がった。
しかし。腕を切り落とされたことで影の束縛から解放されたエカチェリーナは好機とばかりに落ちた右腕を拾い上げ、一度距離を取った。シアンが能力で操る黒い物体は影だ。だったらできるだけ影が生じないように照明の真下にいた方がいい。
そしてエカチェリーナの青い両眼が淡く光る。左手で拾った右手を継ぎ目に当てると、青く優しい穏やかな光とともに傷は治療されていった。腕は繋がり、右手をグーパーグーパーとすると何も問題なく動く。
「アカツキ・タソガレのように万能ではないがな。私の能力はあらゆる傷や怪我を治す。その程度の攻撃でこの私を崩せると思わないことだな」
「あら、そう」
シアンの日傘の下にできている影が沼のように蠢いている。それらは日傘の下を出て、元の影の範囲の外にまで拡大していく。影は鋭く細く伸び、地面を這うように進む。その速度はエカチェリーナですら辛うじて目で追うことができるほどだ。
(シアンの能力はおそらく影を操るものだ。だったら、床に足をつかないようにしながら日向にずっといればある程度は攻撃を捌けるはず!)
そう考えたエカチェリーナは後方へとジャンプした。影の動きを目で追うのは難しいが軌道は単調で直線的。あとはタイミングを合わせて床を跳び跳ねれば迫り来る影を踏まずに済む。
しかし。細長く伸びながらシアンの日傘の下から伸びてやってくる影は、床から剥がれるように宙に浮き、槍のように先端を尖らせてエカチェリーナを襲った。
(なっ、そんな馬鹿な)
「光の直進性が物体によって遮られてできる物理的現象は陰。それに対して私が操るのは影。暗闇という概念そのものよ」
咄嗟にロング―ドを振り抜き影の魔の手を斬り伏せる。霧散した黒い影は消えてなくなったが、大元のシアンを叩かないことには影は無限に現れるだろう。
「まだまだいくわよ」
シアンの足元の影がぐんぐん拡がっていく。渦を巻きながら楕円の影は大きくなっていき、シアンは真黒の池の中心に立っているような状態になった。
そしてそれらの膨大な量の影は床から剥がれると、分裂し先端を尖らせる。シアンの足元を出発点として触手のようにうねうねと何十本も伸びていて、それらの一本一本が鋭利な槍撃を生み出す。
影の爆発だった。暗闇の暴力はシアンに命じられるまま、数十本の全てをエカチェリーナたった一人に叩き込もうと急激に加速し伸びていく。
「このままだと私は串刺しになる、か。……ならば」
防御するでもない。回避するでもない。エカチェリーナは、力強く前進のための一歩を踏み出す。