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第229話 宝石のように美しい

 使用人の一人がリモコンのボタンを押してテレビの電源を切った。ラピスの私室にはテレビが置かれていないので、キャスターつきのテレビ台に乗せて使用人たちが運びこむ。そしてシアンたちの戦いをラピスが観戦している間はそばに控えておくのだ。

 暗くなったテレビ画面に自分の顔が写る。ラピスはじっとそれを見つめ続け、心配そうに呟いた。



「また負けちゃった……。でも、お母さまが集めた仲間たちだもの。絵本の通りならきっと最後には五体の悪い怪物を倒してくれる……よね?」


「左様でございます。奥様ならきっと勝って御覧に入れることでしょう」


「ええ、そうでございます。私もラピスお嬢様と同じくらいの歳の頃にあの絵本は読んでおりました。きっと奥様は勝利を持ち帰り、ラピス様の呪いは露となくなるに決まっております」



 周囲の使用人たちは口々に答えた。皆、ラピスを愛している。同時にシアンのことを敬愛している。少しでもラピスの心が前向きになり病が快方に向かうならばどんな言葉も尽くす。

 敵のことを絵本と同じように怪物だと見做すのは、ある意味で嘘だ。絵本のような木の怪物(トレント)ではない。星詠機関(アステリズム)という敵対組織とはいえひとりひとりは人間だ。


 今はラピスが幼いからこの嘘が通用する。誰しも物心がつく前は大人たちの嘘を信じるものだ。サンタクロースは実在するし、悪いことをすればなまはげに襲われる。でもラピスが大人になったときには、こんな嘘はすぐにバレるだろう。もしかすると『よくも幼い私を騙したな』と謗られるかもしれない。憎まれるかもしれない。

 しかし使用人たちはそれで構わないと思っている。なぜなら自分たちが責められるのは、嘘を嘘だと見抜けるくらいの年齢までラピスが健康に育ってくれたときなのだから。愛おしいこの少女が健やかに成長してくれるならば自分は報われなくてもいい。使用人たちにはある種の悲壮に満ちた不退転の覚悟があった。


 シアンたちがゼロ勝二敗に対し、ナツキたちは二勝ゼロ敗。全五戦なので、先に三勝した方が勝利となる。ナツキたちにとっては王手。シアンたちにとっては背水の陣となっている。故に、明日の第三戦は決して負けることができないのであった。



〇△〇△〇



 二日目を終え、ナツキたちはホテルに帰ってきていた。外はもう暗い。三人部屋のキングサイズベッドでは美咲がすやすやと横になっている。ツーサイドアップの髪はほどかれ真っ赤な髪はストレートにおろされている。

 傷や怪我は一切ないが体力を使い切ったことと貧血状態に陥ったことで一時的に意識を失っている。文字通りに死力を尽くす戦いだった。

 ベッドの横ではナツキとスピカが桶に溜めた水でタオルを濡らし美咲の額に乗せている。



「顔色は良いな。直に目を覚ますだろう」


「そうね。ミサキはよく頑張ったから、起きたらちょっとだけアカツキを貸してあげてもいいわ」


「おい」


「冗談よ。貸す気なんてさらさらないわ。あなたのことは私が独り占めするもの」



 椅子に座っているナツキに後ろからスピカがハグをした。ほとんど頬がくっつくほどの距離に顔がある。吐息は耳にかかり、背中には胸の膨らみが押されて形を変えている感触がある。

 チラリと横を見ると、まつ毛は長くサファイアのように美しい青い眼に至近距離で見つめられていた。メイクをしている様子はないのに頬はローズクォーツのようにポッとうっすらピンク色で、唇は瑞々しくぷるぷるとしている。サラサラの銀髪はダイヤモンドが内から湧き出るみたいに透明感のある煌めきがある。


 ちょっと顔を横に動かせばキスしてしまえる距離。だがナツキは顔を赤くしながらもスピカの肩を掴んで押し返す。



「ダ、ダメだ! 気持ちは嬉しいが俺は……」


「わかってるわ。こっちも冗談。あなたみたいに素敵な人を私一人で独占するなんてできるわけないわ。星の恵みは星に住まう皆のものよね。美しい青い海、清らかな森の風、眩しい夕陽。誰か一人が独占していいものじゃない」


「ちょっと大げさだぞ。俺はそんな大層な存在じゃない」


「あらそう? でももし私と……ユウカでもミサキでもいいわ。あなたの大切な人とこの地球という星が天秤にかけられていたら、アカツキは迷わず前者を選ぶんでしょう?」


「ああ。当然だ」


「だったら大げさじゃないわ」



 もっとナツキがせせこましくて器の小さい男だったらスピカも強引に奪っていただろう。いいや、もちろんそんな男をスピカが好きになるわけないのだが。

 だがスピカが思うナツキ……黄昏暁という男は、器の大きい英雄気質の持ち主だ。いまのところ愛はたしかに一人にしか向けられていないのかもしれない。でも大切な人たちを何に代えても守るという意思の強さや多くの人を魅了し虜にし、そして包み込む器は本物。それは異性の恋愛としての意味合いだけでなく、同性の友情としての意味合いでも同様であることは結城英雄が証明する通りだ。


 一方、ナツキもスピカにこうして迫られるようにより強く彼女を意識するようになった。宝石のように美しいというのはもはや比喩ではない。そして、そんな世界中の男が一瞬で惚れてしまうほどの美人に愛を囁かれている。なんと身に余る贅沢だろう、と思うと同時に自分の不誠実さを疎ましくも思う。



「きっとミサキも同じよ。あなたを独占したいわけじゃない。ただあなたに見ていてほしい。認めてほしい。頼ってほしい。……いろんなあなたへの想いが奮い立たせるの。私もそう」


「ああ。ずっと見てるよ。スピカのことも美咲のことも。目を離すことはない」


「いっぱい冗談を言っちゃったけれど、ミサキがよく頑張っていたっていうのは本当。私は美しいものが好きなの。能力の等級で劣っていようが、身体能力で負けていようが、努力と機転と工夫で乗り越える。負けるもんかって血反吐を吐きながらでも立ち向かう。そんな尊くて美しい心の中心、核みたいなものを勇気って呼ぶんでしょうね。だからアカツキ、ミサキが目を覚ましたらたくさん褒めてあげて。報いてあげて」


「わかってる。俺なんかでできることなら美咲の言うことを聞いてあげるのもいいかもしれないな。……だけどな、スピカも同じだぞ。そうやって誰かのためを思って行動できるスピカの心も俺は綺麗だと思う。自分勝手に生きる方が簡単だし、損得で言えば得なのかもしれないな。だからこそ損すら顧みないで生きるのは尊くて美しいことなんじゃないか?」


「綺麗……美しい……私が…………?」


「ああ」



 スピカは自分自身に常に厳しく、そして他者に対してはたとえ敵であっても良いものは良いと考えて生きてきた。そうやって生きていくには自分自身が何よりまず美しく高潔な人間でなければならない、と。それは容姿、それは価値観、それは生き様、つまり人間を構成するすべてにおいて。


 それらを意識して生きてきた。でもそれを想い人に言葉にしてもらうのはやっぱり嬉しい。別に誰かに褒められたくて生きているわけではないが、好きな男の子から綺麗だと、美しいと言われて嬉しくなわいわけがない。


 今にもナツキのことをベッドに押し倒したい衝動に駆られる。貞淑に生きてきた自分にもこんな熱情が湧き出るなんて、とスピカは自分で自分に驚いた。初恋の炎が胸の内で燃え上がり顔を赤くさせる。

 ほしい。ナツキの全部がほしい。でも独占はできない。だから、ほんの少しでいい。大好きな彼を少しだけ分けてほしい。下腹部が痛いくらい熱くなる。せめてキスくらい……。そう思いスピカがナツキの顔に迫ったとき。



「何してんのよ」



 じーーっ、と見つめる緑色の瞳があった。ベッドのかけ布団を鼻までかぶり目元だけ出している美咲がスピカに釘を刺すように睨んでいる。



「ええっと……おはよう?」


「誤魔化すんじゃないわよ! 私だってまだ暁とはキスしてないのに!」



 決定的なところを見られたスピカは冷や汗をかきながらでまかせを吐いたが呆気なく看破された。怒った美咲がベッドを飛び出る。だが、あれだけの大怪我と死闘からそう間は空いていない。急に勢いよく身体を動かそうとした美咲は眩暈をきたしフラリとベッドから床へ転げ落ちそうになる。



「大丈夫か?」



 それをナツキが受け止めた。美咲の華奢な肩を抱き、支え、覗き込む顔はとても近い。



「あれだけの戦いだったんんだ。もう少し休んでいたほうがいい」



 美咲をお姫様抱っこして持ち上げる。いつもは気が強い美咲もナツキの腕の中では胸の前に手を置いてされるがままだ。熱っぽい視線でナツキを見上げている。ベッドに改めて寝かされた美咲は羨ましそうに見つめているスピカにドヤ顔を見舞ってやった。



「アカツキ、前言撤回。もう美咲のことを褒める必要も報いる必要もないわ」


「どうしたんだ急に」


「ちょっと、私の知らないところでコソコソ喋らないでよ!」



 何やらナツキたちが騒がしいな、と隣の部屋のエカチェリーナは自室でふふっと笑いをこぼすのだった。

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